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2015.05.31 Sun ゆめ風基金20年と豊能障害者労働センター

 被災障害者支援・ゆめ風基金設立20年記念イベントまであと2か月半になりました。
 昨年の秋から準備を進めてきましたが、まだチケットの案内ができていないところもあり、少し焦ってきました。実際のところ、いろいろな方の応援はいただいているものの、ゆめ風基金の事務局は6名で、わたしと障害者スタッフは週3日の勤務ですから、機動性にはやや欠けるところがあります。
 そんな中で、ゆめ風基金とはつながりが深く、またわたしが働いていた豊能障害者労働センターの機関紙に文章を書かせてもらうことになりました。豊能障害者労働センターの機関紙「積木」は影響力のある機関紙なのでとても助かります。
 今年のはじめから「ゆめ風基金20年特集記事」を連続企画されていて、元豊能障害者労働センターの代表で、ゆめ風基金副代表の河野秀忠さん、ゆめ風基金代表の牧口一二さん、元豊能障害者労働センターの専従員・元箕面市議会議員で現在ゆめ風基金理事として、東日本大震災直後から現在まで東北の被災障害者支援に奔走した八幡隆司さんの後を受け、またわたしの次にはイベント間近の機関紙でなんと小室等さんに文章を寄せていただくとのことですから、間に挟まれた形で責任重大でしたが今日なんとか完成しました。
 ゆめ風基金と豊能障害者労働センターとのかかわりや小室等さんとのかかわりから、今回のイベントの紹介までと欲張った関係で、以前に何度も書いてきたことと重複することになってしまいました。それでも、現在の「積木」読者の方に豊能障害者労働センターの救援活動の経緯を知っていただけたらと思い、あえて以前の文章を推敲加筆し、掲載してもらうことにしました。
 6月末の発行とのことですが、編集部にお許しをいただき先行してこのブログに掲載させていただきます。


豊能障害者労働センターへの寄稿文

ともに生きるすべてのひとの希望をたがやすために
           ゆめ風基金20年と豊能障害者労働センター


 被災障害者支援・ゆめ風基金が設立20年を迎えました。
阪神淡路大震災の時、困難な状態にありながら被災地の障害者市民グループが結集し、被災障害者の救援活動に立ち上がりました。届いた救援物資を活用して地域の人びとに豚汁を炊き出し、独居の高齢者に手づくりの弁当を配りました。障害があるひともないひとも、みんなで助け合おうとした被災地の障害者たちの行動は地域全体を元気づけ、またそれを支援した全国の障害者たちを勇気づけました。
「ゆめ風基金」はその成果を受け継ぎ、ふだんから非常事態に備え、必要なときにすぐに救援金を届け、長期的な支援をしていくために結成されたのでした。永六輔さんが呼びかけ人代表を引き受けてくださり、谷川俊太郎さん、山田太一さん、小室等さんなど、各界を代表する方々が呼びかけ人になってくださいました。
 1995年1月17日の朝、かろうじて被災を免れた豊能障害者労働センターの事務所にスタッフが集まりました、みんな青い顔で押し黙ったままの会議の中に、当時スタッフだったわたしもいました。「バザーやって、売り上げみんな被災地の障害者に持っていこ」と、誰かが言いました。こうして3月の救援バザーの日まで、わたしたちの格闘の日々が始まりました。同時に、全国の障害者グループのネットワークをもとに立ち上げられた「障害者救援本部」の物資供給のターミナルを引き受けました。
わたしたちの背丈を越える活動と切ない思いを機関紙「積木」で綴ると、家が半壊し避難所ですごす読者から「バザー用品を玄関に置いておくから、被災した障害者に役立てて」と電話をもらい、救援物資を届けた帰りに取りに行きました。そして日に日に明らかになる被害の大きさに心が折れそうになるわたしたちを毎日勇気づけ、はげましてくれたのは障害者スタッフのYさんの「だいじょうぶ」という口癖でした。バザーの売上は400万円にもなり、「積木」を通じて寄せてくださった読者の救援金600万円をあわせた1000万円を被災地に届けることができました。

「共に生きる勇気」こそが安全で平和な社会をつくる

阪神淡路大震災とオウム真理教事件は、日本の社会の安全神話を大きく傷つけました。次々と起こる大災害、無差別テロ、信じられない事件…。あの地震はその後のとてつもない悲しみと無数の死を予感していたのだと思います。
あの震災以後、日本社会は「安全で平和な社会」をつくるためにと防衛と監視をつよめてきました。その動きは今まさに平和憲法を逸脱する集団的自衛権など安保法制整備へとたどりつく危険な方向へと進んでいるとわたしは思います。
しかしながら、どんな強力な武力や監視よりも「共に生きる勇気」を育てること以外に「安全で平和な社会」をつくれないこともまた真実であることを、わたしたちはあの地震や世界の紛争地で活動する市民活動から教えてもらいました。
障害者救援本部からゆめ風基金へと、「だれもが安心して暮らせる平和な社会」をめざすわたしたちの願いは世紀を越えて日本の障害者のみならず世界のひとびとの希望となり、4年前の東日本大震災の障害者救援活動へとつながって行きました。その活動のどの時にもどの場所にも存在しつづけ、救援活動を担い、なけなしのお金を救援金にし、「共に生きる勇気」を呼びかけてきた豊能障害者労働センターは、退職して12年になる今もわたしの誇りです。
設立から10年後、永六輔さんからひきつぎ小室等さんがゆめ風基金の呼びかけ人代表になって下さいました。
小室等さんは豊能障害者労働センターとのかかわりが深く、箕面に3回も来て下さいました。最初は1986年12月20日、長谷川きよしさんとお二人で、豊能障害者労働センター5周年と事務所拡大移転基金の応援のためでした。コンサートが終わり、事務所でささやかな打ち上げをしましたが、当時の事務所は古い民家で木枯らしが部屋を舞い、冷蔵庫に入れなければビールが凍ってしまうような所でした。小室さんは寒い寒いと皮ジャンに身を包み、「いくら飲んでも酔わないなあ」と言いながら、深夜までつきあってくださいました。
 2度目は1993年3月12日、そして3度目は2007年3月18日、ゆめ風基金のイベントとして、わたしたちは小室さんの歌を聴く場を箕面で開くことができました。

音楽は風化しない希望の物語

「老人と海」、「雨が空から降れば」、「死んだ男の残したものは」など、小室さんの歌には世界のさまざまな地域の理不尽で悲しい現実を前に、それでも明日を信じて今を生き抜くひとびとへの深くて強い希望のメッセージがこめられています。そのメッセージは決して声高ではなく、とても静かで、それでいて決してゆるがない決意にささえられています。
今年、ゆめ風基金20年を記念し、小室等さん、サックス奏者の坂田明さん、太鼓奏者の林英哲さんのドリームコンサートが実現しました。わたしは実は小室さんがゆめ風基金の呼びかけ人代表を引き受けてくださった10年前から、このコンサートが実現することを夢みてきました。
日本を代表する3人の音楽はジャンルこそちがいますが、いくたの時代に生まれ去って行った星の数ほどのいのちたちを励まし勇気づけ、時には理不尽な暴力への激しい怒りをかくした祈りの音楽で、ゆめ風基金と豊能障害者労働センターが見つめてきた無数のいのちたちとつながるレクイエムだとわたしは思います。
映画監督の大林宣彦が「映画は風化しないジャーナリズム」と名言を言いましたが、「音楽もまた風化しない希望の物語であることを教えてくれる稀有のコンサートになることでしょう。ゆめ風基金20年をささえてくださったたくさんの方々に感謝し、新しい10年20年を共に歩んでくださることを願い、このコンサートにあなたの席を用意し、お待ちしています。

ゆめ風基金20年記念コンサート特設ページ
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