ホーム > 2014年07月

2014.07.27 Sun 島津亜矢・新歌舞伎座千穐楽2

 千穐楽の第二部は会場全体がほっとした安心感に包まれて始まりました。
 芝居はよくも悪くも緊張感があり、思わず手に汗握りながらの観劇でした。しかも、前回に書きましたように、あくまでもわたしの感想ですが初日とは打って変わった出来栄えで、何度も胸を詰まらせる場面がつづいたものですから、30分の休憩の間にご飯を食べ、とてもリラックスした雰囲気が会場にあふれていました。
 実はこの日、島津亜矢の記事を通じて知り合いになった奈良県のNさんとお目にかかることになっていて、終演後に少しお話をする約束をしていました。同じ2階席で、その前に顔合わせができたらいいなと思っていたところ、Nさんの方から声をかけてくださいました。休憩時間でも少しお話しすることができたこともあり、わたしはとても幸せな気持ちで第二部の幕が開くのを待っていたのでした。(終演後はNさんといろいろな話ができてとてもよかったです。)

 舞台の構成は初日とまったく同じでしたので、前回の記事で書き残したことや千穐楽ならではの出来事について書いてみようと思います。たしかにまだ明治座の公演を控えていますので、ネタバレになりそうなことは書いてはいけないとも思うのですが…。
 座長公演における第二部のショーは、コンサートツアーとはちがうコンセプトで演出されています。まずは時間が限られていることと、第一部の芝居との連続性を考えた構成になっています。
 演歌だけではなくポップス、ジャズまでをなんなく歌いこなし、名作歌謡劇場で花開いた「ひとり芝居」に近いシリーズ、浪曲歌謡とセリフ入りの歌と、島津亜矢の才能の幅広さと深さを前にして、ショーの構成をどう組み立てるかで、演出家は頭を悩ませたことでしょう。
 たしかに、どれを持ってきてもお客さんを満足させる実力を持った彼女ですから、島津亜矢の多彩な才能をいかんなく発揮でき、またお客さんにも満足してもらおうと演出家・菅原道則さんはまず、島津亜矢の恩師・星野哲郎を軸に構成を考えられたのではないでしょうか。「女の港」、「みだれ髪」、「なみだ船」、「風雪ながれ旅」の4曲、とくに「なみだ船」を選んだ時点で、この歌を島津亜矢が歌えば会場がわれんばかりの歓声と一体感につつまれることをこの演出家にはよくわかっていたのでしょう。
 星野哲郎を軸にしたことで、一方では「ライザ・ミネリの世界」としてファン待望の「ニューヨーク・ニューヨーク」や「キャバレー」を、もう一方では「亜矢版・お七」として歌ではなく人形にふんして踊る「人形振り」への挑戦など、島津亜矢の才能の幅広さを表現できる構成となりました。
 それにしても、「なみだ船」については、初日に立会ったお客さんが掲示板やブログで報告し、それを伝い聞いたひとがまた感動し伝えるというように広まり、千穐楽では大歓声となり、日ごろ声を出さないわたしですら小さい声で「ウォーッ」と叫んでしまいました。
 また、最後の「亜矢の祭り」でファンのひとたちと同じ黄色の半纏を着て歌うことも次々と伝わり、千穐楽ではよりいっそうの盛り上がりになりました。
 4人のダンサーの活躍もみごとで、前半のポップスから後半の演歌まで、ショーの全体を通していわゆる「狂言回し」の役割を果たしていました。

 そして、「なみだ船」とともに星野哲郎にとっても北島三郎にとっても記念碑的な作品「風雪ながれ旅」を歌ってくれたことも、ファンのみならず演歌ファンにはうれしいことでした。この歌については以前にも書きましたが、初代高橋竹山をモデルにした星野哲郎の名作です。
 高橋竹山といえば門付けからはじまり、世界の舞台で活躍した人ですが、かつて渋谷ジャン・ジャンで淡谷のり子と高橋竹山のジョイントコンサートをプロデュースした永六輔が語ったエピソードが有名です。
 「竹山さんは幼いころに目が不自由になって三味線を弾くようになる。竹山さんは空き缶をもっていて、その空き缶を門口に置き、そこで三味線を弾くと、「チャリン」とお金を入れてくれる家がある。目が見えませんから「チャリン」と音が入るとそれを懐に収めて、また隣の家に行く。(その門付けで、いつもたくさんのお金を入れてくれた呉服屋の家があり、淡谷のり子はその家の娘だった。)
 竹山さんはどれだけつらい思いをしながら外で三味線を弾いたか。吹雪のときも、風の吹いているときでも、とにかくいただかなければ食べられないという状況で、がんばって弾いた。あのつらさを思うと、テレビに出たり、巡業に行けば車で送り迎えもついたり、ましてやパリで、あるいはニューヨークでと世界中で三味線が弾けるなんて夢みたいだ、と言われていました。
 海外で津軽三味線を演奏した最初の人が高橋竹山です。
 門口にござを敷いて座って三味線を弾いてから世界中への演奏旅行まで、音楽の歴史でいうと実は何百年もかかることを、彼の一生のなかで全部やってしまっているんです。」
               (永六輔・「上を向いて歩こう 年をとると面白い」から)

 星野哲郎の作詞は高橋竹山の壮絶な人生をみごとにまとめ、船村徹もまた数分の歌で表現しました。わたしは島津亜矢の歌は門付など大衆芸能、河原乞食(差別語ともいわれますが、およそ芸能のルーツは社会から排除されたひとたちから生まれ・育っていったことは事実です。)へとつながる「悲しさを感じさせてくれる歌手」(六車俊治)と思っています。北島三郎、星野哲郎、船村徹もまたその悲しみを表現できる人たちですが、島津亜矢は「なみだ船」とともに「風雪ながれ旅」を歌い継ぐことのできる数少ない歌手であることはまちがいありません。
 その意味で、今回この歌を歌うことになったのはとてもうれしいことで、「みだれ髪」、「女の港」とともにショーの演出家・菅原道則さんの強い思いと思想性を感じました。

 最後になりましたが、千穐楽ということでアンコールにこたえ、まずは左とん平のリクエストで「川の流れのように」を歌った後、島津亜矢が終始涙声で「今日のこの姿をいちばん見てもらいたかった」と彼女の祖父と星野哲郎の名前を挙げ、星野哲郎の彼女への最後のプレゼントになった「温故知新」作曲・原譲二(北島三郎)を歌いました。
 実はわたしもまた彼女の舞台をずっと見ながら、あることを思っていました。彼女の祖父のことは別にして、わたしはこの舞台を星野哲郎と、星野哲郎に嫉妬した寺山修司と、そして違う形でもし出会っていたらと悔やまれる阿久悠の3人に見てもらいたかった。
 そして、今回の演出家・六車俊治さんと菅原道則さんに敬意を表しつつ、かつて寺山修司が日吉ミミのコンサートの演出を引き受け、満席の観客を号泣させたというエピソードのごとく、寺山修司演出による島津亜矢、さらには時代の風を読み解きながら時代を変える歌をめざした構成作家・阿久悠による島津亜矢を見たかったと、つくづく思いました。

島津亜矢「風雪ながれ旅」
.
島津亜矢「温故知新」

島津亜矢「かあちゃん」

過去の記事・島津亜矢「かあちゃん」 2013.12.21 Sat

web拍手 by FC2
関連記事