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2014.04.29 Tue 水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」

水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」

 経済学者・水野和夫の新刊「資本主義の終焉と歴史の危機」を読みました。リーマン・ショックを予測した数少ない経済学者として知られる水野和夫のことはずいぶん前から気になっていて、いつかは読んでみたいと思っていたところ、今年の3月にこの本が出版され、早速買って読んでみました。
 実のところ、わたしの読書は能勢から新大阪の職場までの結構長い通勤時間を利用したもっぱら電車の中でのみ、しかもつい眠たくなって断念してしまうので、なかなか前に進みません。その上、読解力不足と集中力のなさからこのタイプの本はとくに日数がかかってしまい、時には読むのをあきらめてしまうこともあります。最近ではアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著「コモンウェルス」の上巻を読んだところでとん挫してしまいました。
 この本は新書で比較的読みやすい本ですが、実はかなり深い内容と大胆な論理展開で、わたしにはとても興味深いものでした。
 東日本大震災から3年がたち、のど元過ぎればとばかりに原発の再稼働、東京オリンピック、アベノミクスと、日本社会はふたたび経済成長の夢を追いかけ、わたしたち庶民もまたその渦に巻き込まれてしまいそうです。
 「貧困は近代化する」と言ったのはある社会思想家でしたが、たしかにGDPが2ケタ成長だった戦後の高度経済成長は旧来の貧富の差をちぢめ、いわゆる「中間層」を増やし、「一億総中流」という言葉が生まれるほど、わたしたちは「豊か」になったことはまちがいありません。
 しかしながら、1974年の石油ショックを省エネの技術で乗り切り、アメリカの低迷をよそに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を誇った1980年代のバブル、その後の失われた20年、2007年のアメリカのサブプライムローンの焦げ付きから2008年のリーマン・ショック、グローバリゼーションの荒波と、戦後をふりかえると目まぐるしい社会の激変にふりまわされ、時代の超高速スピードにしがみついてきたことを告白しなければならないでしょう。

 「資本主義の終焉と歴史の危機」で、水野和夫は「資本主義の死期が近づいている」とし、経済成長という信仰にいつまでもしがみつくことがかえって多くの人々を不幸にすると警鐘を鳴らしています。
資本主義は周辺を開拓することで中心に利潤を集中させてきました。ローザ・ルクセンブルクは「資本蓄積論」で資本主義が膨張していくためにその外側の地域からの土地、資本、資源、労働力などを収奪すると断じていますが、水野さんはそれを中心/周辺という言い方で、資本主義は周辺を広げることで中心の利潤率を高め、資本の自己増殖を進めるシステムであると説明しています。
 そして、1970年代に入り、開拓(収奪)できる周辺がなくなると、アメリカを中心に物理的な空間からITを駆使した電子・金融空間をつくりだし、一秒の間に莫大なお金が利潤を求めて世界中を駆け巡る金融資本主義によって、資本主義の延命策が図られてきたということです。
 しかしながら、資本主義が発達した地域ではここ20年以上、資本を再投資しても利潤を生むことがなくなり、BRICSとよばれる中国を先頭とする新興国に金融資本が流れ、その新興国もすでに設備過剰となり、結局は資本主義の死期を20年程度遅らせるだけといいます。
 勉強不足でこの本の内容を正しく伝えられないもどかしさを感じてしまうのですが、わたしがこの本から一番学んだものは、グローバリゼーションは国境を越えて自由にお金や物や人間が行きかうということだけではないということです。
 周辺から石油などをただ同然に手に入れることで利潤を集めてきた資本主義は設備投資と雇用をふやすことでいわゆる「中間層」を生み出し、国内の消費を増やすとともに輸出によって利潤を国内に還元させるという具合に、資本主義が発展し成長することと民主主義のもと国民国家の利益が一致していました。
 資本主義の中心で中間層といわれてきた多くの国民は経済成長によって所得が増えましたが、それは周辺地域の収奪と人々の理不尽な貧困と釣り合う形で、おこぼれをもらっていたといえるのかもしれません。
 中国などのBRICSの台頭で周辺がなくなる中、利潤を求める資本は蜜月関係にあった国民国家の中に周辺を求めるようになりました。中間層を破壊し、日本で4割に達する非正規雇用や、リーマン・ショックをもたらしたアメリカのサブプライムローンなど、国境の内側に格差を広げることで利潤を追求する資本のための資本主義は国家をも支配するようになり、日本ではアベノミクスに代表される規制緩和や金融緩和など、資本のための経済政策が露骨に行われています。 水野氏はそれらの「成長病」をこじらせる政策はバブルを起こし、利益は資本のみに、そのつけは税金によって補填され、国民はますます貧しくなっていくと警告しています。
 このような考え方は昔ならマルクス主義ということになるのかも知れませんが、水野氏はあくまでも主義主張ではなく、経済学者の視点からテクニカルに展開されていて、それがかえって説得力をもっていると思いました。
 日本においても世界においてもポストモダンを論じるひとがたくさんいて、おぼろげながらも来るべき社会のありようを模索しているところですが、水野氏もはっきりと来るべき社会についてはまだわからないと言っています。ただ資本主義の死はもはや避けられないことと、「成長病」から卒業し、ゼロ成長の豊かさと、利潤を生みだす時間から自由になる豊かさを実現できる新しい社会システムにもっとも近い所に日本は立っているといいます。日本のバブルの後の失われた20年は実は資本主義を卒業した証しでもあり、世界にさきがけて新しい希望を見出す出発点だということなのでしょう。
 わたしは水野氏の分析と提言に強い共感を持ちますが、水野氏がまだわからないとしている来るべき社会システムについては、豊能障害者労働センターでの活動を通して感じるところがあり、次回から豊能障害者労働センターの活動を通じてこの問題を考えてみたいと思います。

水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)
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