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2013.06.26 Wed 島津亜矢「柔」・NHK歌謡コンサート

 6月25日、「NHK歌謡コンサート」に島津亜矢が出演しました。美空ひばり特集ということで、「柔」を歌いました。個人的には「函館山から」や「みだれ髪」などを歌ってほしいと思うのですが、どうしても「男らしい」力強い歌を歌えるということで、美空ひばりや古賀政男特集などで島津亜矢がこの歌を歌うことになるのでしょう。
 わたしが「NHK歌謡コンサート」や「BS日本のうた」を観るようになったのは2003年末に妻の母と同居するようになってからでした。
 それほどの音楽好きではなかったわたしは高校卒業後、ビートルズからはじまったものの海外の音楽をほとんど知らず、フォークソングからニューミュージック、そしてJポップスをテレビから聴こえてくる範囲で聴く程度でした。そして、若いころに出会ったビートルズと解散後のジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ボブ・ディラン、三上寛、小室等などを追いかけていました。
 そんなわたしにロック、ブルース、リズム&ブルース、ジャズや、エルビス・プレスリー、クイーン、忌野清志郎などを教えてくれたのはまわりの友人と私の子どもでした。そんなわけで、まだいろいろなジャンルの音楽が混在していた1970年代以後は、日本の歌謡曲や演歌を聴く機会はほとんどありませんでした。
 妻の母と同居し始め、彼女を中心に生活をするようになって、およそ30年ぶりに演歌を聴くようになり、今ではJポップスの歌手よりも演歌歌手の方をよく知るようになりました。
 さて、およそ30年ぶりに演歌を聴くようになったのですが、演歌ファンの方々には怒られるのを承知で言えば、演歌調という予定調和のような曲調でどの歌も似ていて、正直退屈でした。
 島津亜矢は、そんなわたしの心を叩き起こしてくれたのでした。あふれる声量と類まれな歌唱力というのが第一印象でしたが、聴けば聴くほどそれだけでは語りつくせない彼女の歌にのめりこんでいきました。
 それまでのわたしはシンガー・ソングライターにしか関心を持たなかったのですが、人生の後半に彼女の歌と出会い、はじめて「歌手」という存在の大きさを知りました。かつて寺山修司が星野哲郎に嫉妬し絶賛した「紙に書くのではなく、人間の肉体をメディアにした抒情詩」を、まさしく島津亜矢は語り、歌っていました。
 たしかに、すでに演歌というジャンルが狭まり、音楽的にも興業的にも厳しい時代を歩まざるを得なかった彼女は、遅すぎた演歌歌手とも言えるでしょう。しかしながら、それがゆえに彼女は自分の才能の可能性を全方位的に広げ、歌そのものの行方を求めて冒険する努力を続けてきたのだと思います。その才能と努力は、いつのまにか演歌という小さなジャンルから「新しい歌謡曲」へと彼女を導くとともに、新しい時代におけるさまざまなジャンルの音楽の融合を試みる歌手のひとりとして花開く道を島津亜矢に用意していると信じてやみません。その意味では、彼女は遅すぎた演歌歌手ではなく、新しい時代の新しい歌謡曲への道を切り開く歌手のひとりとして晩成する大器であると言えます。
 ちなみにわたしは、島津亜矢を知ってからの方が演歌にとどまらず、ロックやジャズやワールドミュージックを、より深く受け止められるようになった気がします。
 
 島津亜矢のオリジナル曲にはもっと多くのひとに届けられていい名曲がたくさんあるのですが、彼女が歌うカバー曲は演歌から古い歌謡曲、そしてポップスと幅広く、彼女の才能の大きさを感じさせてくれます。彼女がカバーするとほんとうに不思議で、オリジナルの歌手を手本にして歌っているのに、いつのまにかオリジナルの歌手を通り抜けて歌そのものの心をいとおしくすくいあげ、新しい歌としてわたしたちに届けてくれるのです。そのために、わたしが苦手と思う歌手の歌でも先入観を持たずに新しい歌として心に届き、苦手だった歌手のことも好きになってしまうのでした。
 美空ひばりについても、島津亜矢のカバーを聴いてから美空ひばりのすばらしさをほんとうに実感できたように思います。島津亜矢もまた、美空ひばりを歌えば歌うほど、その奥深さと多様さ、たしかな音楽性とベタともいえる大衆性に魅入られ、美空ひばりが切り開いた歌の世界に一歩でも近づこうとする強い意志を感じます。
 わたしは島津亜矢の歌う男歌は強いだけではなく、どこか繊細で心の底にとてもやわらかい純な気持ちをかくす少年の叙情が表現されていてとてもだいすきなんですが、今回歌った「柔」にも目立たないながらそんな切ない心情があふれていました。
 美空ひばりの「柔」は東京オリンピックの年に発売されました。東京オリンピックは戦後のがれきから奇跡といわれた復興の成果と、政治的にも経済的に国際社会の担い手として日本の存在を世界に認めさせる一大イベントでした。
 その目玉のひとつとして柔道が国際競技となり、金メダルをとってあたりまえという風潮のもと、関沢新一作詞・古賀政男作曲による「柔」は、歌謡曲の世界ではじめて「演歌」というジャンルが確立するきっかけとなった歌の一つでもありました。だからこそ精神的にも肉体的に強い男像とともに成長する日本社会を表現しなければならなかったはずで、事実そのような政治的ともいえる演出によってかどうかわかりませんが、190万枚という美空ひばりの最大のヒット曲となります。
 しかしながら、1964年という時代を高校生として生きたわたしは、母が片手に余る薬を飲みながら大衆食堂を営み、朝6時から深夜2時まで働いてわたしと兄を高校に行かせてくれた切なくも貧しい暮らしの中にいました。そんなわたしにとってオリンピックも日本の経済成長も一億総中流という幸福幻想も、すべてはやっと手に入れた中古テレビのうす明るい灰色のブラウン管の中にしかありませんでした。それは果たしてわたしたち家族だけの実感だったのでしょうか。
 島津亜矢が歌う「柔」からは、ここでも彼女の天賦の才と普段の努力が政治的な事情も含んだこの歌の誕生の地を探し当て、もしかすると美空ひばりが歌わなかったか歌うことを許されなかった時代の闇と、高度経済成長のジェットコースターから振り落とされまいとすがりつき、時として振り落とされる人々の切なさや悲しみが聞こえてくるのでした。

島津亜矢「柔」
これはいつの時かわかりません。どなたかご存知の方がおられたら教えてください。どの歌手でも年齢と共に歌が変わってくるのは当然でしょうが、島津亜矢さんの場合は変わらないのに化けていくというか、歌を崩したりはせず、また表現もかわらないのに、彼女が歌の冒険をし続けることで発見していくものが歌に溶け込んでいて、聴く者の心を染める色がどんどん変わっていくのです。

島津亜矢「柔」
1998年6月のNHK歌謡コンサートの時の島津亜矢だそうです。この時にすでに完成されているこの歌が、つい先日の歌では歌の完成度はそのままで、剃り上げたひげがほほに青い影を遊ばせる少年のこわれやすい純情が隠れているように感じました。

美空ひばり「柔」1978年

美空ひばりを語る1 立川談志&上岡龍太郎

美空ひばりを語る2 立川談志&上岡龍太郎


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