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2016.04.11 Mon 小室等・地球劇場「右に行くのも左に行くのも僕の自由である」

小室等

 4月9日、BS日テレの人気番組「地球劇場」に小室等が出演しました。「100年後の君に聴かせたい歌」というサブタイトルがついているこの番組は毎月1回、土曜日の夜7時から放送されている2時間の音楽番組です。谷村新司がホストをつとめ、一人のアーティストの軌跡を振り返り、それぞれの時代の楽曲にまつわるエピソードを聞きながら歌ってもらう構成がとてもユニークで、わたしの好きな音楽番組の一つです。
 よく似た演歌の番組がありますが、一人のアーティストだけで2時間たっぷり使って、歌とトークはもとよりデビュー当時から現在までの時代背景を丁寧に紹介し、ゲストの歌の世界とひととなりにどっぷりと浸れる番組は他にありません。
この番組が魅力的なのは、谷村新司が先輩後輩に限らず、同じアーティストとしてゲストに全幅の尊敬の念を持っていることから生まれていて、わたしは実は以前はこのひとが苦手でしたが、この番組を観るようになってから好きになってしまいました。

 さて、この番組に小室等と六文銭’09(及川恒平、四角佳子、こむろゆい、小室等)が出演すると聞き、とても楽しみにしていました。実はわたしは1986年12月に豊能障害者労働センター主催で「小室等・長谷川きよし」コンサートのスタッフとして参加して以来、昨年の被災障害者支援団体「ゆめ風基金」の20周年コンサートまで振り返れば30年間、小室さんのコンサートの主催関係者として親しくさせてもらってきました。
 小室さんと親しくさせてもらったことはわたしの誇りですが、一方で小室等の音楽を素直に1ファンとして聴くことから遠ざかっていたとも思うのです。昨年の8月に「ゆめ風基金」を離れて7か月、一人のファンに戻って小室さんの歌を聴くと、この偉大な歌手というか芸術家というかフォークのレジェンドというか、小室等の音楽の深さをあらためて感じます。

 番組の最初の歌は六文銭09の演奏で「お早うの朝」でした。本人も話していましたが、この歌は1976年に放送された山田太一脚本の「高原へいらっしゃい」の主題歌で、アルバム「生きているということ」に収録されています。山田太一とこのドラマについては別の記事に書いていますので省くとして、このアルバムでわたしは小室等のファンになったのでした。彼ははすでに1971年の「出発の歌」でフォークをお茶の間のテレビに乱入させて一躍有名になっていましたから、わたしは少し遅れてきたファンでした。
 谷村新司にフォークのレジェンドと紹介された小室等が1968年当時のフォークブームをどう見ていたかを聞かれ、プロテストソングでなければフォークでないといった主張を肯定し、あの時代、もしかすると社会を変えることができるのではないかと誰もが思ったものだと邂逅する一方で、どこか自分の足元を見ずに高みから聴く人に説教しているような感じにも思えたといいます。
 その後、六文銭09で「雨が空から降れば」、「出発の歌」を歌い、小室さんがフォークソングにはまるきっかけとなったピーター・ポール&マリーの「花はどこへ行った」、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を谷村新司と歌いました。
 2曲ともあまりにも有名である一方、最近聴かなくなっている歌でもありますが、これらの歌に込められた戦争を拒むせつないメッセージの深さを、長い戦後から戦前へと時代が化粧なおしをしつつあるのかも知れない今だからこそ、歌い継がなければならないのではないかと小室等は言います。この2曲、とくにもっとも傾倒したというピーター・ポール&マリーの「花はどこへ行った」を歌う時、彼が高校生だった頃に戻ったような初々しさが画面からうかがわれ、同時代を同世代として生きてきたわたしもあっという間に自分の「青い時」に戻りました。
 そして、今小室等が一番伝えたいメッセージを込めて、「道」を歌いました。

戦い敗れた故国に帰り すべてのものの失われたなかに
いたずらに昔ながらに残っている道に立ち 今さら僕は思う
右に行くのも左に行くのも僕の自由である(黒田三郎)

 この歌は、戦後の荒地派の詩人・黒田三郎の「道」を歌にしたもので、名曲「死んだ男の残したものは」に匹敵するこの歌のメッセージに身が震えました。そしてやさしく物静かな小室さんのまなざしから、青臭いまでの一途な青春の感情が70歳を超えてもなおほとばしるのを見ました。
 それから小室等が今伝えたい歌としてもう一曲、「ほほえむちから」を六文銭09、ピアノ・谷川賢作、ハーモニカ・八木のぶおの演奏で歌いました。
 滋賀県の琵琶湖周辺の障害者がダンスパフォーマンス、リズムセッションなどワークショップとして続けている表現行為の発表の場として、毎年秋に開かれる音楽祭があります。
小室等はその音楽祭の総合プロデュースを引き受けているのですが、彼女たち彼たちが何かを表現しようとする切実な姿に心を打たれ、その生きる輝きを歌にしようと谷川俊太郎に作詞を依頼し、彼が作曲したものです。
 「障害を持った人たちが舞台に出ていくんですけど、その中には普段車いすを利用しているひともいて、他の人がもうたどり着いた舞台中央にそのひとはまだ遠いんです。けれどもぼくはそのひとに、(かえって)スピードを感じるのです。そのひとなりに必死に前に進もうとする姿を見ていて、涙が出ます」と、小室等はいいます。
 わたしも一昨年の秋、その音楽祭に行きましたが、彼女たち彼たち自身の「自分は何者か」と自らにも観客にも問いかけ表現する心の熱さに感動しました。
 谷川俊太郎の言葉はそのことを適格に短い言葉で表現し、小室等の曲は彼女たち彼たちへの限りない尊敬の思いに溢れていました。
 そして最後のしめくくりに、小室等は心の歌として「死んだ男の残したものは」を歌いました。谷川俊太郎作詞・武満徹作曲によるこの歌については何度もこのブログで紹介してきましたが、ベトナム戦争反対集会で歌われたのが最初と聴きます、

 2時間という長い時間でしたが、小室等の歌のルーツから生き方までをていねいに語り、歌ってくれて、とても楽しく心豊かな時間を過ごすことができました。
 最初に書いたように、これからは1970年代にレコードを買いあさった一人のファンとして、もの静かな過激老人・小室等の音楽とともに生きていきたいと思います。
 今回の放送ではハーモニカ奏者の八木のぶお、ジャズピアニスト・作曲家の谷川賢作も加わり、 特に「道」の時の八木のぶお、「死んだ男の残したものは」の谷川賢作は秀逸で、小室等の音楽世界を鮮やかに表現しました。

  「こぶしをふりあげてプロテストするというよう歌よりもラブソングの方がずっとプロテストソングなんじゃないかという思いがあります。そんなロマンチックな歌をうたいつづけていける時代を残せるようにしたいと思います」(小室等)

詩・黒田三郎 曲・小室等 「道」

ドラマ「高原へいらっしゃい」オープニング
今回の放送で小室さんが言うには、ドラマのテーマソングのサポートに吉田拓郎が参加していたということでした
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2015.08.22 Sat 2015年8月16日の小室等・坂田明・林英哲その2

 そのひと振りから響き渡る音はもはや太鼓の音と言い難く、長い年月開くことがなかった新しい時代の扉が開く音のように聴こえました。
2部は林英哲さんの太鼓から始まりました。
 以前にも書きましたが、わたしはまったく不明にも若いころに山下洋輔とのデュオを聴いた時には英哲さんの太鼓のすばらしさをあまりわからないままでした。山下洋輔についても大学紛争のバリケード内で演奏した音源を麿赤児がプロデュースしたLP「ダンシング古事記」を通信販売で求め、その後も1、2枚のアルバムを聴くだけでした。
 その後、わたしが箕面に住んでいた時に友人が箕面市民会館(現グリーンホール)で山下洋輔のコンサートをするというので手伝った時にはじめて彼のピアノを生で聴いたぐらいでしたから、今では伝説となっている二人の演奏をしっかりと受け止める感性がなかったのです。
 そのわたしが林英哲さんの太鼓に心をさらわれたのはちょうど一年前の、高山での「飛騨の夏祭り」の時の演奏でした。わたしは昨今、島津亜矢を知って以来、それまでなれ親しんできたロックやポップスから、彼女の「演歌」に傾倒してきました。手垢にまみれているように思ってきた演歌ではなく、心の背中から聴こえてくるというか、島津亜矢の歌にはわたしの生まれるずっと前から、おおげさに言えば人類が誕生した時から歌い継がれ、幾多の時代を時の権力とあらがい、次の時代へとつないできたいのちのリレーとしての「うた」、争いの血を流し続けてきた歴史の屍を越えてそのたすきを託してきた「傷つけあわない」社会への切ない願いとしての「音楽」が隠れていて、最後のたすきをわたしに手渡しているような錯覚にとらわれるのでした。
林英哲さんの太鼓を体験するとその錯覚は現実になり、まるで母親の胎内で生まれる準備をしていた時から聴こえていたような、いのちの音楽の誕生の地にいざなってくれるのでした。まるでなつかしい祭囃子の遠い太鼓のように…。

 わたしは長い間、太鼓に偏見を持っていました。元気よく勇ましく、大勢の人間がまるでマインドコントロールにあったように同じ動作を延々とつづけ、それを聴くわたしはただただ酔いしれることを要求されるような、一見ファシズムのようなにおいすら感じていました。その不遜で傲慢な想いは、英哲さんが太鼓を打つたった一振りで粉々になりました。
 英哲さんの太鼓は、何層にも重なる空間と時間のすきまから幾多の時代に生まれ、死んでいった無数のたましいを解放し、彼女たち彼たちに導かれるように光り輝く約束の地へといざなってくれるのです。
 ああ、太鼓は空間を破って未来へと突き進むのではなく、むしろ空間のほころびを縫い合わせ、次の未来への重い扉を力ではなく、祈りによって開く救済と希望の楽器なのだと知りました。
 
 次に登場した坂田明さんの「サマータイム」は突然の不意打ちで、涙が出ました。この曲を演奏する動画を見たことがあり、激しいアドリブで圧倒される、これぞ坂田明さんの音楽と言える感動のステージですが、この日の演奏は他の曲もふくめて抑え気味でメロディーをしっかりと押さえ、アドリブも控えめながらやや重厚でゆっくりと観客の心にしみこんでいくような演奏でした。
 「サマータイム」は、ジョージ・ガーシュウィンが1935年、黒人コミュニティの風俗をリアルに描いたオペラ「ポーギーとベス」のために作曲した劇中歌です。
1936年にビリー・ホリデイが歌ったものがヒットして以来、ジャズのスタンダードとなり、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、エラ・フィッツジェラルドなど数多くのミュージシャンが演奏し歌った他、ジャニス・ジョプリンがブルース・ロック風にアレンジしたものも有名で、クラシックと縁のない人間でもこの歌を若いころから知っているのはジャズのスタンダードとしてもポップスとしても数多くのミュージシャンに歌い継がれてきたからでしょう。
 わたしはこの曲を聴くと、河や池がきらきら光り、山が緑をくもらせる夏の終わりのけだるい夕暮れを思い出します。わたしの住む能勢がいままさにそんな風景ですが、夏が過ぎていくこの頃は、わたしにとって秋よりも一年でもっともさびしい季節でもあります。とりかえしのつかないことや後戻りできない人生の切なさにとらわれる一瞬の心の震えや揺らぎを、この日の坂田明さんのサックスは手のひらを夕陽にかざすように優しく愛おしく恋しく綴ってくれるのでした。
 その後、林英哲さんと坂田明さんのデュオが始まると会場はすでに恍惚と言っていいほどの感動に包まれました。
 先ほど林英哲さんの太鼓が未来への重い扉を力ではなく、祈りによって開く救済と希望の楽器だといいましたが、英哲さんの太鼓によって解放された無数のたましいは坂田明さんのサックスによってよみがえり、かくしつづけてきた夢や希望や歌わなかった歌や声に出せなかった叫びがサックスからあふれ出るのでした。
 林英哲さんがかすかな音から大きく響き渡る音まで大太鼓を打ち放ちながら、伸びのある透きとおる声で歌う「太鼓打つ子ら」も、坂田明さんが叫びのような唸りのような、人間が昔から持っていたはずの「原初の声」で歌う「音戸の舟歌」も、単に「いやし」という言葉では言い表せない、「悼む心」から発せられる人間と自然のものがたりを語り歌う壮大な叙事詩なのでしょう。そして、小室等さんも加わり、演奏した「死んだ男の残したものは」も「老人と海」も…。
 最後にもう一つのゆめ風基金応援歌「風と夢」を会場からもステージに上がり、会場みんなで歌い、コンサートが終わりました。
 このコンサートの1部がいろいろなひとに支えられたゆめ風基金の20年を振り返り、20年で惜しくもなくなったいのちたちを悼む心を共にする時間だったとしたら、2部は林英哲さんの太鼓と坂田明さんのサックスが時代の扉をこじあけ、新しい時代をめざし、どんな自然災害にも強い防災力で助け合える社会と、共に生きるすべてのひとの勇気をたがやすゆめ風基金を応援する希望のコンサートになりました。
 小室等さん、坂田明さん、林英哲さん、こむろゆいさん、英哲風雲の会の辻祐さん、田代誠さん、そして1年間このコンサートのための準備にかかわって下さった林英哲さんのマネージャーのOさん、Oさんが紹介してくださった音響、照明の方、そして妥協をゆるさず、お客さんに満足していただける舞台をつくるためにできるだけのことをしてくださった監督のWさん、坂田明さんのマネージャーのWさん、みなさん、ほんとうにありがとうございました。
 とくに小室さんは2部では完全に主催者の側に立って司会までしてくださいました。
 ほんとうにありがとうございました。

 私事ですが、わたしはこのコンサートの成功を見届け、ゆめ風基金を退職することになりました。思えば2011年3月の東日本大震災直後に短期の臨時スタッフとして勤務を始め、最初は3ヶ月の予定でしたが20年のイベントが終わるまで4年半お世話になりました。
 なにぶん、基金活動団体での勤務はわたしがいままでやってきた障害者の働く場運動とは少し色合いが違い、戸惑いとともに多くの方々にご迷惑をおかけしました。
 退職、引退は年齢的にも68歳となり、いい潮時でもう一度自分の人生を見つめ直すいい機会になると予感しています。また、そうしなければという思いもあります。
 このブログは親しいひとも読んでくれているようなので、本名にてお知らせしました。 
                                                              細谷常彦

小室等「死んだ男の残したものは」

坂田明「死んだ男の残したものは」

坂田明 「Summertime」

林英哲「海の炎 -UMI-NO-HONOH-」

林英哲&山下洋輔 「ボレロ」

小室等「老人と海」 


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2015.08.19 Wed 2015年8月16日の小室等・坂田明・林英哲その1

 8月16日、1年がかりで準備してきた被災障害者支援・ゆめ風基金の設立20年記念コンサート「ゆめ風で会いましょう」を開催しました。ゆめ風基金の呼びかけ人代表の小室等さんの声掛けで太鼓の林英哲さん、サックスの坂田明さんをお迎えし、大阪市の歴史的建造物の大阪市中央公会堂で開いたこのコンサートに約900人の方々がご来場くださいました。

 阪神淡路大震災を機に自然災害で被災した障害者への支援を続けてきたゆめ風基金の20年の節目に、このようなドリームコンサートを開いてくださった小室等さん、坂田明さん、林英哲さんに感謝の言葉がありません。
 ふりかえれば十年前に永六輔さんから引き継ぎ、小室等さんがゆめ風基金の呼びかけ人の代表になられた時から、このコンサートは長い年月をくぐりぬけ、たくさんのひとびとの夢にささえられながら、今日というこの日のために用意されてきたのだと思います。
 一般的にはジャンルがちがうと思われる3人ですが実は親交が深く、東京の方では3人そろってのライブやそれぞれ2人ずつのライブをされてきた間柄です。
 1970年代からフォークのジャンルを越えて表現の荒野を切り開いてきた小室等さん、山下洋輔トリオのサックス奏者として、フリージャズというジャンルにとどまらず音楽の領域を広げつづけてきた坂田明さん、先人のいない未開の大地に立ち、遠く聴こえる森羅万象の声ならぬ声を太鼓でよびさます林英哲さん、この3人の音楽に共通するものは生きとし生けるものたちへの限りない慈しみの心から生まれる音楽であり、彼らの音楽を聴くわたしたちは人類の誕生と同時に生まれた音楽の誕生に立会う幸福に恵まれるのでした。

 2部構成で始まったコンサートの1部は、牧口一二・ゆめ風基金代表理事と小室さんとのトークの後、小室等さん、こむろゆいさんの親子ユニット「ラニヤップ」によるゆめ風基金応援歌「伝えてください」から始まりました。

伝えてください あの日のことを
伝えてください 何があったかを
 ゆめ風基金の活動10年を記念して、永六輔さん、谷川俊太郎さんの共同作詞に小室さんが作曲し、CD制作したゆめ風基金応援歌は小室さんをはじめレコーディングに参加した小室さんの友人や大阪のミュージシャンによって今も歌い継がれている他、全国の中学校で自主的な合唱曲としても歌われているようです。
 この歌がゆめ風基金10年のつどいではじめて歌われた時、阪神淡路大震災で数多くの友人をなくし、命からがら大阪にやってきた阪神地区の障害者が「心斎橋の灯りが涙でにじみ、無性に腹が立った。神戸の街は真っ暗や」といった言葉を思い出しました。彼のその言葉から大阪を拠点に「障害者救援本部」が生まれ、救援から支援、復興から再生へと、障害者による障害者救援活動がはじまったのでした。
 わたしはロビー担当で1部はほとんど聴けなかったのですが、それでもこむろゆいさんが歌った「銀色のランナー」は心にしみました。この歌は関西フォークの旗手で「花嫁」の作曲者である坂庭省悟が亡くなった3年後の2006年に高田渡、茶木みやこ、有山じゅんじ、五十川清、平井宏、中川イサト他たくさんのミュージシャンが参加したトレビュートアルバムで、小室等さんとともにこむろゆいさんが歌った歌で、最近またライブでよく歌われている歌です。

ぼくは君と一緒に走る 銀色のランナー
キンジスという名のトロフィーを
背負って走るのさ どこまでも
 筋ジストロフィーの障害を持つ渡辺善行さんの詩に坂庭省悟さんが曲を付けたこの歌をゆいさんが歌うと、銀色に光る車いすに乗って夜明けの風が通り抜ける風景が浮かんできます。障害者の心情を歌う歌は暗くきびしい現実か、根拠のない「明るい未来」を歌う歌が多い中で、車いすも「障害」もかけがえのないもので、人生を共に生きる親友であることを歌うこの歌は、同じ時を生きるすべての人々に勇気をくれる歌だと思います。

 そして、「ここから風が」。この歌は1990年に制作された映画「しがらきから吹いてくる風」の主題歌としてつくられ、それ以後必ずと言っていいほどライブで歌われてきました。この歌が誕生してすでに25年が経ちますが、最近のこむろゆいさんとのデュオによる歌声はとてもみずみずしく、歌は歌い継がれることでよみがえることを実感します。

偉い人は日本を金持ちにした
そのぶんだけ 生きてるものたちは
生きてるものたちは 悲しい目にあったから
ぼくらの心がなさけない
心おさえて 心おさえて
 滋賀の信楽青年寮を舞台にしたドキュメンタリー映画をきっかけに、障害者の一見意味が解らない独り言をベースに綴られたこの歌に込められた悲鳴に似たメッセージは、この歌が誕生して25年も過ぎた今こそ時代へのより強烈で切実な告発となっているのではないでしょうか。

 1部の最後に歌った「ほほえむちから」は、糸賀一雄氏生誕100年式典に参加したミュージシャン、さきらジュニアオーケストラのこどもたち、そして滋賀県民を中心とした大合唱隊、総勢207名がレコーディングに臨んだライブ盤CDとして発表されました。

いまここにいきるわたしは
いのちのねっこでむすばれている
いまそこにいきるあなたと
 谷川俊太郎さんの作詞、小室等さんの作曲によるこの歌は、1965年の「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられた「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎作詞・武満徹作曲)から40年、「ここから風が」から25年が過ぎたいま、世界の人々が共に生きる勇気を育て、平和をつくりだすのに必要なのは武力ではなく、「ほほえむちから」なのだと教えてくれたのでした。
 親子ユニット「ラニヤップ」の音楽を聴き、ラジカルな音楽はハードなロックにのみ宿るのではなく、しなやかで透明でゆるやかな風のようにひとの心の迷路にそっと忍び寄る音楽にもあることを感じます。
 いろいろなひとに支えられたゆめ風基金の20年は、多くのたましいが託してくれた夢と希望がぎっしりつまった20年でもあったことを振り返り、「悼む心」からあふれる挽歌につつまれ、コンサートの1部が終わりました。

銀色のランナー Lagniappe with 佐野岳彦

ラニヤップ「 ここから風が」

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2015.04.21 Tue 小室等さんがゆめ風基金の事務所にやって来る!3

 ライブの後の懇親会にはほとんどの人が残ってくださいました。いつものライブなら時間がほとんどなく、小室さんたちにゆっくりしてもらえないのですが、この日は夕方5時半に終了したことと、小室さんたちが新大阪のホテルに泊まられるということで、幸運にも時間が結構ありました。
 今回この催しにお声かけさせていただいたのはいつもゆめ風のイベントの時に手伝ってもらっていて、いつのイベントでもゆっくり小室さんの音楽を楽しむことができにくい方々でした。
 急にこのライブが決まったことや、手狭な事務所が会場と言うこともあり、お誘いできなかった方々にはほんとうに申しわけなく思っています。

 ささやかな食べ物と飲み物を用意し、乾杯をした後、こんな機会はあまりないということでおひとりずつ自己紹介をしてもらうことになりました。わたしは自己紹介が大の苦手で、名前を言っただけで次の方にお願いしました。
 8月16日のコンサートの前に、昼間にイベントを企画している人の顔合わせもできました。働くひとの金融機関「ろうきん」の方の自己紹介では、NPO法人にも格安の金利で借りやすい融資「ゆめのたね」をゆめ風基金のろうきんへの定期預金を原資として連携していることや、東日本大震災の年に復興支援の定期預金「サポートV」をつくり、預金者とろうきんが共同で、定期預金残高の0.10%~0.30%を10年間にわたって寄付し、向こう10年間に毎年約1000万円の基金が生み出されることなどが紹介されました。
 また、遠くは埼玉から、こむろゆいさんから情報を知り、駆けつけてくださった方、大阪の障害者団体の方などが、ゆめ風基金への思いを語ってくださいました。
 その中でもうれしかったのは、地域の自治会のみなさんが7人もきてくださり、懇親会にも残ってくださったことです。ゆめ風基金は障害者団体のネットワークは全国にありますが、もっとも大事な地域とのつながりという面ではなかなかうまくいかなかったのですが、2013年に地域の自治会から相談があり、自治会主催の防災の取り組みとして3月に映画「逃げ遅れる人々」の上映会をゆめ風基金も共催させていただくことになりました。
 それをきっかけにして、ゆめ風基金の障害者スタッフNさんの努力で地域や地域の学校の防災ワークショップや講演などを引き受けるようになり、とても親しい関係を築くことができたのでした。そのことを地域の方々がとても喜んでおられて、これからも連携して活動して行きたいと語られました。もちろん、8月16日のコンサートには連れだって来てくださることになりました。
 楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、小室さんたちもお疲れと思い、8時ごろでしたでしょうか、ホテルにお送りしました。その後、跡形付けを済まし、有志何人かで近くの居酒屋さんで飲んでいたところ、なんと小室等さんからゆめ風基金の事務局長のKさんに電話が入り、「いまどこにいるの?ぼくたちもそこに行く」と言われ、「ほんまかいな」と言っている間になんとなんとほんとうに来ちゃったのでした。
 わたしたちはびっくりするやらうれしいやらで盛り上がり、いま思えばあんな音楽のカリスマに対して失礼なことをたくさん言ってしまったんじゃないかと心配しています。
 この日の小室さんは居酒屋でも焼酎を2杯は飲んでおられたようですが、とても元気でお話もたくさんしてくださいました。ゆいさんともども、ゆめ風基金の事務所に来られたのは初めてで、今回、こういう機会を持てて事務所に来ていただけたことは、ほんとうによかったと思います。
 わたしは結構お酒を飲んでしまい、ついつい前から望んでいたことを言ってしまいました。それは唐十郎が作詞し、小室さんが作曲された状況劇場初期の数々の名作の中でも、「さすらいの唄」などは今の小室さんのライブのリストに入れてもおかしくないのではないかとお話ししたところ、なんとアカペラで歌ってくださいました。唐十郎の扇動的な声と違い、小室さんが歌うととてもロマンチックな歌に感じました。
  「ほほえむちから」については、小室さんとお話ししながらあらためて障害者の芸術表現と日経済的な自立についてあらためて考えました。
 わたしは日本社会ではジャンルを問わずそのひとの芸術的表現が優れていて、また数多くのファンがいる芸術家であっても、芸術表現を「仕事」としてその表現者の生活が経済的に成り立つような仕組みがなさすぎると思っていました。ましてや障害者の場合、施設や養護学校(現在は特別支援学校)における障害者のさまざまな表現行為は「アウトサイダー芸術」として国際的にも評価の高いのは事実ですが、そのことで彼女たち彼たちの施設での暮らしが変わるわけではなく、自立生活へとつながっていかないことに疑問を持っていました。結局のところ障害者の経済的な自立を保障するためにはその人個人の才能や「能力」に依存しない社会的な制度が必要なのだと思っていたのでした。
 その考え方は今でも間違いではないとは思っているのですが、一方でそれでは私が長年活動してきた障害者事業所で障害者の所得が保障されてきたのかと思うと、それもまた情けないけれど充分には目的を達成できていないのもまた事実です。
 日本に限らず近代は「働かなければ暮らしていけない」社会を現代にまで引き継いできました。しかしながら、人間は近代以前より「労働」に縛られない暮らしをしてきたところもあります。たとえばアジアではすべからく金持ちは貧しいひとに施しをすることが義務付けられている村社会が存在していたと聞きますし、村々で障害者に施しの食べ物を用意し、村のはずれのお堂などで眠る布団などを用意するなど共に生き、助け合うルールがあったとも聞きます。
  「ほほえむちから」は糸賀一雄生誕100年を記念してつくられた谷川俊太郎作詞・小室等作曲による歌で、「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」の最後に歌われました。「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」は糸賀一雄記念財団が障害福祉分野で顕著な活躍をされている方に「糸賀一雄記念賞」と「糸賀一雄記念しが未来賞」を贈るのに合わせて毎年開かれている音楽祭で、障害者をはじめ、音楽やダンスが大好きな人たちが集い、人が根源的に持つ「表現することの喜び」をともにわかちあうお祭りです。
 プロのナビゲーターを迎えて滋賀県内の7つのワークショップグループと、さきらホールで活動する「さきらジュニアオーケストラ」と高齢者のワークショップグループ「今を生きる」が出演し、ゲストミュージシャンとしてピアノの谷川賢作さん、パーカッションの高良久美子さん、バリトンサックスの吉田隆一さんが溶け込むように参加し、小室等さんが総合プロデュースを担当されていました。
 わたしはゆめ風基金の障害者スタッフのFさんと手伝いがてらこの音楽祭に観客として参加しました。開演の前から総勢数十人の障害者たちが思い思いに大小さまざまな太鼓をたたいていました。それぞれが自分勝手にばらばらにたたいているように思えるのですが、しばらくたつとそのばらばらの音の連なりの彼方から、ある意志を持った音の連なりが会場の空気を振動させ、わたしたち観客はフリージャズそのままに自由の風につつまれました。
 その至福の音とリズムは、わたしたちが日ごろある種の緊張感を共有することで成立している表現行為とはまったく真逆で、どこまでも自由でリラックスした人間関係からしか生まれないものなのでしょう。それは人類が誕生して以来、「おーい」と叫び、「わたしはここにいる」と伝えることから発明した言葉や楽器による原初的な表現そのものであることも…。そして、わたしたち人間はつながりを求めて言葉を発し、楽器を奏で、歌を歌うことをやめることができないことを、人間は武器を持つこともできるけれど、楽器を持ち、歌い踊ることもできることを彼女たち彼たちが教えてくれました。
 ステージ狭しと繰り広げられる合唱やダンスや打楽器や太鼓など、どのグループもその自由な表現はナビゲーターのプロの演奏家が「指導する」のではなく、彼女たち彼たちの表現行為の現場に立ち会い、その根源的な表現行為に感動し、そこからまだ見ぬ彼方へと手を携えながら進む音楽的冒険を彼女たち彼たちと共に体験しなければ実現しなかったのではないかと思います。
 それは総合プロデュースを担当された小室等さんにとってもまったく同じで、小室さんが真っ先に彼女たち彼たちの表現に圧倒され、感動され、ご自身の音楽的よりも底の深い表現行為なのではないかと自問自答されたのではないでしょうか。
 そして、200人を越えたかも知れない出演された障害者を取り巻く現実は40年前とあまりかわらないのではないかと思いながらも、「表現すること」への希求や生きがいはそれぞれの人生においてかけがえのないものであることもまた真実なのだと思います。
 それぞれの夢も希望も現実もちがうけれど、同じ空気を吸い、同じ時を生きたことを宝物とするこの音楽祭の意義もまた深く、ゆたかなものであることはまちがいありません。
 フィナーレで登場した小室等さん、こむろゆいさんも加わり、出演者全員と共に「ほほえむちから」を歌っていると、自然に涙が出てきました。ひとはパンのみでは生きられず、自分が自分であるために表現することをやめられず、表現し合うことで解き放たれる精神をだれも抑止できないことと、それは世界の平和へとつながる唯一といっていい道で、音楽はそのためにこそあることを「ほほえむちから」は教えてくれたのでした。
 昨年、ゆめ風基金のFさんと参加した「糸賀一雄記念賞第十三回音楽祭」のことを思い出しながらそんなことをお話しできた時間は稀有の時間だったのだと思います。
 小室等さん、こむろゆいさん、ほんとうにありがとうございました。わたしは能勢の家には帰れませんでしたが、いただいたこの貴重な時間にいっぱい話ができたことを、決して忘れません。

今晩のNHK「歌謡コンサート」に島津亜矢が出演することをぎりぎりに知りました。この何日間、小室等さんのライブのことで忙しく、チェックできていませんでした。
と素晴らしい歌唱でした。とくに「地上の星」はいままでのライブでの歌唱よりも、またCDに収録された歌唱よりも一段と「凄み」を持っていて、彼女の歌うことの「いさぎよさ」がより強烈に伝わってきました。
次回は地域でわたしが参加している「憲法カフェ」について書くつもりですが、その次にもう一度「地上の星」について書いてみようと思います。

2015年4月19日小室等
懇親会の記念写真。中央のゆめ風基金の代表理事・牧口一二さんを囲んで小室等さん、こむろゆいさん、地域の方々。

大唐十郎展「21世紀リサイタル」 よりオープニング曲「さすらいの唄」



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2015.04.21 Tue 小室等さん、ゆめ風基金の事務所に来る!2

2015年4月19日小室等

 30分の休憩をはさみ、その間にライブのお客さん40人が狭い事務所につめかけ、2部のライブが始まりました。
 音響は豊能障害者労働センターから機材をお借りし、音響操作は同センターのIさんにお世話になりました。Iさんはゆめ風基金の活動を個人としても応援してくれていて、東日本大震災後は主に石巻に何度も訪れ、現地の若い障害者と親交を深め、よき相談相手になっているようです。
 天井の低く狭い事務所で、音が割れたり響いたりしてとても難しい音響操作で苦労をかけましたが、おかげでとても聴きやすいライブになりました。
 すでに何度か、今回のようなしっかりとした会場ではないところで演奏していただいていて、とても心苦しいものがありましたが、小室等さんもこむろゆいさんもいつもとは違う新鮮な感じで、なによりもとてもリラックスした歌唱で、わたしたちも自然に心和みながらゆったりと聴くことができました。
 
 ライブはドラマ「木枯らし紋次郎」の主題歌で大ヒットした「誰かが風の中で」から始まりました。「時代劇ではなく、西部劇」というコンセプトのもと、ドラマの制作総指揮を担った市川崑監督は妻で脚本家の和田夏十に依頼した作詞を小室さんに手渡し、「走る」ことをテーマに作曲を依頼されたそうです。当時の時代劇の主題歌とはまったくちがった曲調は幅広い支持を得て、「出発の歌」につづく大ヒットになりました。
 最近の小室さんはこの歌にからめて、「あっしにはかかわりのないことでござんす」といいながら、理不尽な権力や暴力に打ちのめされそうになる弱い者たちのために命をかけて助け、またどこかへ去って行く紋次郎は思えば「ボランティア」のかがみではないかと問いかけます。かねてより、当事者のほんとうの願いを聞こうとせず、「善意」を推しつけて自己満足してしまう「無意識の暴力」に敏感な小室さんのさりげない言葉は、わたし自身の戒めとして心に残ります。
 実の所、わたしはステージ(らしき場所?)の背後にあたる事務所の入り口で扉の開け閉めをしていた関係でくわしい曲順はおぼえていないのですが、印象に残った曲を今思い出しています。
 「道」という歌は昨年の「ろうきん」でのイベントの時にはじめて聴いた歌です。
右に行くのも左に行くのも今は僕の自由である
戦い敗れた故国に帰り
すべてのものの失われたなかに
いたずらに昔ながらに残っている道に立ち
今さら僕は思う
右に行くのも左に行くのも僕の自由である

 戦後すぐ、田村隆一、高野喜久雄、鮎川信夫などともに詩誌「荒地」に参加した黒田三郎は、戦後民主主義という言葉では語れないもっと深い「自由」を歌っていて、小室さんは最近にこの詩を歌にされたのは、ひとつの方向に簡単に生き急いでしまう今の世の中の危険な動きに、「ちょっと待て」と警告を鳴らす意味があったのではないかと思います。
 最近は優しくてゆっくりした歌が多い中、若いころからの反骨精神をよみがえらせ、激しい歌い方で聴く者の心を必死にたたく小室さんがいました。
 タンゴのバイオリニスト・作曲家の喜多直毅作詞・作曲「この空の下」は今回はじめて聴いた曲で、上条恒彦さんのCD「生きているということ」(題名曲は永六輔作詞・中村八大作曲)に収められています。
この空の下
だれもが皆、それぞれの夢を携えている
雨雲の下
誰もがそれぞれの夢に傘をさしている

「乗れば間に合う故郷に 心だけ帰れ、ほんのひと時」と歌うこの歌を聴いていて、すでに帰る故郷もないのはわたしたちだけではなく、日本全体が「路地裏の民主主義」という「故郷」を捨ててきてしまったのではないかと考えさせられました。しかしながら空の青さが変わらない間は、もしかすると「故郷」は切ない希望となってわたしたちの心によみがえり、「明日」を生きる小さな勇気となるのかもしれないと思います。

もう一曲、「ほほえむ力」。
「いまここにいきるわたしは いのちのねっこでむすばれて いまそこにいきるあなたと 
わたしとあなた あなたとわたし」と歌い始めるこの歌は、やさしさが実はもっともラジカル(根源的で過激)であることを強く気づかせる歌でした。いろいろな立場やいろいろな事情で傷つけあってしまう集団や国家に対して、ひとは武器を持つこともできるけれど歌うこともできることを、傷つけあうことでしか守れない平和などないことを、世界と日本の悲鳴がとどろく今、いさかいを終わらせるために暴力を重ねるよりも、人間の「ほほえむちから」を信じることを、この歌は静かな決心とともに教えてくれているのだと思いました。
 最後に「ゆめ風応援歌」のひとつである「風と夢」をゆめ風基金のディーバ・加納ひろみさんと、そして最後に「伝えてください」をこの日デビューのゆめ風基金の障害者スタッフFさんとのコラボレーションで歌い、演奏されてライブは終わりました。
 その後の懇親会と二次会三次会のようすは次の記事で…。

2015年4月19日小室等
加納ひろみさんが加わり、ゆめ風基金応援歌「風と夢」
2015年4月19日小室等
さらにこの日がデビューのゆめ風基金の障害者スタッフのFさんが加わり、「伝えてください」

小室 等「誰かが風の中で」
小室等 和久井光司「お早うの朝」
「道」 詩:黒田三郎 曲:小室等] 歌詞・字幕付

小室等&こむろ ゆい「雨が空から降れば」

小室等「国境のアゼルバイジャン・コニャック」


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