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2011.05.15 Sun 被災障害者救援バザーにご協力ありがとうございました。

 5月14日の豊能障害者労働センター主催・被災障害者救援バザーは天気にもめぐまれ、会場の箕面市立メイプルホールにたくさんの方々がご来場下さり、盛況の内に無事終えることができました。
 当日ご来場くださったみなさん、ボランティアの方々、そして、箕面市や近郊の方々をはじめ、全国各地からハザー用品を提供して下さったみなさん、ほんとうにありがとうございました。
 この2か月、豊能障害者労働センターのひとたちはほんとうに大変だったと思います。このバザーが終わったのちも、毎日バザー用品の引き取りが40件はあるそうで、宅配便もどんどん送られてくる気配で、豊能障害者労働センターではバザー用品の提供をしてくださる方々のご厚意に報いるため、ひきつづき地域での救援ミニバザーを開くことになりました。
 晴天にめぐまれたこの日、野外ステージには「被災障害者救援バザー」と書かれた垂れ幕の両側に「見上げてごらん夜の星を」と「伝えてください」の歌詞が書かれた布の幕が張られました。その布幕を書いてくださったのは阪神淡路大震災の被災者で神戸市在住の書道家・左右津安輝子さんです。
 その野外ステージではまず最初に「被災障害者救援ゆめ風基金」を応援する神戸市在住の加納浩美さんが、永六輔・谷川俊太郎共作詞、小室等作曲の「ゆめ風基金」応援歌「伝えてください」を歌い、その後、「ゆめ風基金」代表理事の牧口一二さんのメッセージではじまりました。
 「沖縄音楽なあ」、ベリーダンスのJUN&J&JAMYLA、箕面副市長の奥山勉さんのメッセージ、姉妹デュエットSKY、紙芝居と盛りだくさんのプログラムで、いつもはバザーの方に気を取られてステージをご覧になる方がやや少ないのですが、この日はどのプログラムでもたくさんの方に楽しんでいだきました。
 ラストにもう一度加納浩美さんがゆめ風基金応援歌「風と夢」、「伝えてください」を歌いましたが、その時、突然風が吹き、真っ青だった空に雲が現れ、ポツリポツリと雨が降ってきました。豊能障害者労働センターのバザーでは途中で雨が降ってきたり、終わったとたん大雨になったりと、すんなりとは終わらないことをみんな経験しているものの、まさか今日のこんな晴天で突然雨が降り出すとは思いませんでした。
 ところが、加納さんの歌が終わったとたん、ポツリポツリした雨もやみ、晴れ渡りました。何か、「伝えてください」という歌が、雨を呼んできたのかもしれないな、と思いました。
 たくさんのたましいの無念のなみだとして、かなしみの大きさに枯れ果てた空の泉からわき出る希望の恵みとして…。
 バザーの売り上げは219万3480円ありました。また、豊能障害者労働センターに寄せられたゆめ風基金の救援金は5月13日現在486万9,488円あり、合計706万2,968円がゆめ風基金になりました。
 ありがとうございました。
加納浩美さん牧口一二さん
左・「伝えてください」を熱唱する加納浩美さん。秋田出身で神戸市在住の彼女は16年前の阪神淡路大震災に被災し、「ゆめ風基金」設立から積極的に応援参加している。どこにいても、遠く離れていても、つながりたいと願う心をストレートに歌う彼女の透き通った歌声は聴く人を魅了する。「伝えてください」、「風と夢」のレコーディングに参加。
右・「ゆめ風基金」代表理事。全国各地の小学校、中学校を講演し、子供たちが感性豊かに想像し、ちがった個性を持ったひとが共に生きることのたのしさを伝えてきた牧口さんは、被災した障害者の支援活動を通して助け合うことの大切さを語る。
野外会場箕面FM実況放送
左・野外のバザー会場。手前は野外ステージとつながり、食べ物の店がずらりとならび、その後ろではかばん、くつ、古着、おもちゃと、関連団体のお店がならぶ。メイプルホール屋内も1階にも2階、地下とバザー会場となり、終日にぎわった。
右・1階ロビーでは箕面FMタッキーが実況放送。豊能障害者労働センターの視覚障害者・杉山幸子さんと副代表・新居良さんが出演。牧口一二さんも出演された。
沖縄音楽なあベリーダンスJUN&J&JAMYLA
左・「沖縄音楽なあ」は沖縄民謡を中心に奥行きと張りのある歌が素敵でした。最後は観客を呼び込んで素敵なおどりがあり、こどもも大人も楽しめるパフォーマンスでした。
右・ベリーダンスはまぶしい女性たちのしなやかな身体全体をふるわせるダンスに観客は圧倒され、見とれてしまいました。セクシーともちがう華麗なパフォーマンスは、実は大変な身体能力が要求され、日々の練習はとても過酷なものと思いました。この日は晴天で野外ステージの床はとても暑くなっていて、にこやかにふるまわれていましたが、水ぶくれができたということでした。とてももうしわけなく思います。
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2011.05.13 Fri 救援バザーのことが朝日新聞に

 今日の朝日新聞朝刊に豊能障害者労働センターの被災障害者救援バザーと支援Tシャツが紹介されていました。
直近までバザー用品が届き、豊能障害者労働センターではこのバザーが終わった後も、送ってくださった方々のあたたかい思いに応えるため、あと何回かつづけて救援バザーをするそうです。
 
 明日は、おそらく晴れることでしょう。たくさんの方々のご来場を祈るばかりとなりました。


朝日新聞2011年5月13日朝刊
朝日新聞2011年5月13日朝刊



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2011.05.08 Sun 被災障害者救援バザー いよいよ今週土曜日

救援バザーまであと数日。てんやわんやの豊能障害者労働センターでした。

救援バザー用品回収救援バザー用品回収
バザー用品の回収が追いつかず、事務所はてんてこ舞い。Mさんが今から回収に行くところ、「わたしの受けたこの人の所に早く行ってください」。(左)
今日は朝から80個の宅急便を引き取り、少しお疲れ気味のWさん。いつもは何かと話しかけてくるのですが、さすがに無言でお仕事されていました。」。(右)

救援バザー用品回収救援バザー用品回収
倉庫は物また物で、天井まで届いています。真ん中あたりの物に値をつけては壁際か、別の倉庫にもっていきます。気のせいだと思いますが、物が何か一生懸命お話しているように思います。それは、これらの物たちを箱につめ、自費で送料を払っていただいて送ってくださったおひとりおひとりの願いを伝えようとしてくれているのだと思います。
たまたまこの時はベテランの障害者スタッフOさん一人でしたが、いつも数人の人がひとつずつ値をつけていきます。
救援バザー用品回収


「ゆめ風基金」から派遣されたボランティアの方。初日に新大阪の「ゆめ風基金」の事務所に帰ってこられ、「こきつかわれたでしょう」とおたずねすると「こきつかわれました」と冗談のような本気のようなお話でした。けれども、けっこう気に入って下さったみたいで、障害者スタッフとお友達になられたようです。バザー当日まで手伝ってくださるということで、とても心強いです。




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2011.05.08 Sun 障害者救援バザー1 豊能障害者労働センターとの出会い

 豊能障害者労働センターの障害者救援バザーが、いよいよ今週の土曜日に開かれます。
 先週の金曜日、豊能障害者労働センターに行ってみると、バザー用品の回収が毎日50件もあり、その上にこの日の朝、クロネコヤマトが80個のバザー用品を持って来たそうです。大型のトラックで来た運転手が「こんなのはじめて」と苦笑していたようです。そして昼にはゆーパックが20個来ました。宅急便を開けると「こんな形で被災地とつながることができて、うれしい」というメッセージなど、心のこもった手紙が添えられていて、そのことばに励まされながら地震からの2か月を過ごしてきたそうです。

 1982年の7月だったと思います。わたしは豊能障害者労働センターを訪ねました。4月に活動をはじめたばかりの豊能障害者労働センターがどんなところなのかと思いながら、大阪府箕面市の阪急桜井駅裏の路地を入って行きました。「センター」とは大違いの古い民家が労働センターの事務所でした。うす暗い部屋の中で小泉祥一さんと梶敏之さんの二人の「脳性まひ」の少年がにっこり笑い、小泉さんが「どうも」と言いながら腕を振り回して歓迎してくれました。
 陽も当たらず、透明なはずのガラスはすりガラスのようで、おまけに割れたところをボール紙とガムテープでふさいでも風通しがよく、冬にはビールが凍ってしまうので冷蔵庫に入れるという案配でした。
 わたしは35才で、すでに子どもも2人いてそれなりにサラリーマンをしていました。

 13才から22才までのわたしの60年代は心も体もほてりつづけ、親兄弟や教師や友だちときずつけあうことでしか「自分が何者なのか」を確認することができませんでした。まだ日本全体が貧乏で、「豊かさ」を求めて大人たちは乗りおくれまいと必死にもがいていて、父親がいないわたしと兄と母の3人もその例外ではありませんでした。
 そんな環境がそうさせたのか、生まれながらの気質なのかはわかりませんが、対人恐怖症とどもりにずいぶん悩み、いまでもそれは変わらないままです。
 母親がせっかく無理をして工業高校に行かせてくれたのに卒業後就職した建築設計事務所を半年でやめてしまい、ビルの清掃をしながら友だち6人で住み、できるだけお金を使わないで暮らしました。それというのも他の人はともかく、わたしは社会性というものが皆無で、そのまま会社づとめなどせず世間とかかわらずに暮して行きたかったのでした。社会とのかかわりを持とうとしない臆病な少年は意味もわからないのにいきがってサルトルの「存在と無」を読む毎日を過ごしていたのでした。
 そんなわたしに、京大の銀ヘル、ノンセクトラジカルと称する青年が「きっときみもいつか立ち上がる時がくるよ」と言ってくれたのがいまでも忘れることができません。
 わたしにも青春というものがあったとしたら、せつなくもかなしく、それでいて無条件にわかりあえる友を求めて街をさまよい歩いたあの10年がすべてでした。

 1970年、吹き荒れた安保闘争をはじめとする学生運動も、それと響き合うように時代を疾走した「若者文化」も潮が引くように遠くに去り、こどもたちはあっと言う間におとなの常識を身にまとうようになりました。それとともに、わたしも友だちと暮したヒッピーのような暮しから追放され、結婚し子どもも生まれ、会社勤めを始めたのですが、生来の不器用と時代に取り残されたままのうっ屈した心情をどう納得させたらいいのかわからないまま会社と社会に順応しようと必死でした。
 それから12年たち、もしかすると会社づとめをずっとつづけることができるかもしれないと思い始めた頃、豊能障害者労働センターと出会ったのでした。
 若い時からどの集団にいても座り心地が悪かったわたしは、豊能障害者労働センターがとても気に入ってしまいました。「ここでなら、わたしもなにかできるかもしれない」と思った時、若い時に京大の銀ヘル青年の言葉を思い出していました。

 豊能障害者労働センターは一般企業が雇わない障害者の働く場をつくりだし、給料をみんなで分け合っているとてもめずらしいグループです。現在7つの店と箕面市広報紙の翻訳、通信販売と福祉助成金で毎月の給料をつくりだしているのですが、どうしても赤字になるところをバザーの売上で補っていました。
 そんな彼女たち彼たちが、バザーの売り上げ全部を被災障害者の救援金として「ゆめ風基金」に送ろうと決めたのは地震から一週間もたっていませんでした。「そんな無謀なことをしないで、せめて半額にしたら」と、よく内情を知るひとたちが言いましたが、「いや、中途半端は気持ちが悪い。全額届ける方が自分たちもすっきりする」と言うのでした。
 そのことを機関紙読者に告げ、また「ゆめ風基金」の機関紙で知らせると、全国からバザー用品が送られてくるようになりました。豊能障害者労働センターの強い思いといさぎよさ、そしてシンプルな呼びかけが多くの人の心に届いたのだと思います。
 送られてくるバザー用品の箱にこめられたたくさんのひとの心に思いをはせると、胸にぐっとせまるものがあります。
 わたしは友人として、自分たちの運営のことをかえりみず、遠く離れていても被災地の障害者とつながりたいと切実に願う豊能障害者労働センターを誇りに思います。

バザーはその名の通り「市場」です。けれども、一般経済でいう「しじょう」ではなく、「いちば」です。そこでは市民が自分の意志で不用品を提供し、それを別の市民が新しく利用する、「助け合う経済」(恋する経済)の中心的な仕組みだと思います。
 それぞれちがった時に世に出た物たちが、時と場所をこえて雑然と集うその市場では、それらの物たちがここに来る前にたどってきた無数の時間と、それらの物たちが立ち会ってきた無数の人間の願いと夢、別れと出会いがかくれています。
今週の土曜日、物と物、物とお金、物と人、お金と人、人と人が出会う障害者救援バザーに、ぜひ来て下さいね。お待ちしています。

豊能障害者労働センターの30年
(恋する経済&障害者市民事業ネットワーク)
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2011.04.19 Tue 救援バザーは障害者が担うソーシャルビジネス

 久しぶりに豊能障害者労働センターに行くと、みんな元気があふれていました。ゆめ風基金の理事の八幡さんが仙台の支援センターでハイテンションになっていると噂されていますが、それに劣らずの雰囲気でした。いつも、みんなにどんなにせかされても落ち着いているMさんが、いつもの倍の早口で電話をしていて、少し危ない領域に達しているなと心配するほどでしたが、そこはセンターのいいところで、互いが互いを励まし合い、時にはけなし合って全体としてハイテンションになっても個々のひとの心はリラックスできるようにみんなで配慮していました。
 地域でのバザー回収もピークをこえていて、またゆめ風基金の機関紙でも案内してくれたことや独自のネットワークでもよびかけたことで全国各地から続々とバザー用品が送られてきています。「こんな形の応援もできるのね」と、やさしいコメントが添えられていて、とても喜んでいました。
 また、豊能障害者労働センター機関紙「積木」の読者によびかけた救援金はすでに300万円をこえました。

 16年前、阪神淡路大震災被災障害者救援バザーを開いた豊能障害者労働センターの底力は、すでに世代は若返ったにもかかわらず、底流に流れていたことはとてもうれしいことです。
 16年前の救援バザーがきっかけになり、地域に現在も5つのリサイクルショップを持ち、年に何回かのバザーを続けてきたことで、障害者スタッフの仕事が大幅に増えました。お店の運営はすべて障害者がしていますし、事務所の障害者スタッフもバザー用品の回収、仕分け、値段付けと、どんどんベテランになって行き、若い障害者スタッフにそれを伝えて行きました。
 そして、なによりも地域の人びとをはじめ、全国のひとびととつながっていることで生まれるリサイクル事業は、障害者の所得をつくりだすだけではありません。
 市民の税金を福祉予算という形で国や地方自治体から渡されるお金ではなく、豊能障害者労働センターの活動を応援しようと市民が品物を提供し、障害者がそれを販売し、市民が購入して下さる形で生まれるお金は、わたしたちが夢見ている「助け合い経済」、「恋する経済」をつくりだすことでもあります。
 
 豊能障害者労働センターは貧乏です。年に一度のバザーは赤字を埋める命づなであることは、豊能障害者労働センターを応援するひと、身近にいるひとはみんな知っています。
 その豊能障害者労働センターがいま、その収益どころか経費は自前でまかない、バザーの売り上げすべてを救援金にしようとする志に感動をおぼえるのは、わたしだけではないと思うのです。
   

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