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2018.06.25 Mon 島津亜矢「人生の並木路」・80年の時をくぐりぬけた時代の警告

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 今年は5月の「ピースマーケット・のせ」が終わっても、7月11日の箕面でのチャリテーコンサートを予定していて、なかなかこのブログに書きたいと思うことに手を付けられずにいます。島津亜矢の記事も随分と遅れがちになってしまいますが、その中でもこれだけは書いておきたいと思う記事として、6月10日のNHK「BS新日本のうた」で歌った「人生の並木路」、「UTAGE!」で歌った「ファイト!」や「RIDE ON TIME」などがありますが、今回は「人生の並木路」について書きます。
 ご存知のように「人生の並木路」は1937年に佐藤惣之助が作詞、古賀政男が作曲、ディック・ミネが歌い大ヒットした楽曲で、映画「検事とその妹」の主題歌としてつくられました。わたしは子どもの頃はディック・ミネで、大人になってからは森進一の歌で何度も聴くたびに涙があふれ、何度も歌うたびに涙があふれる愛唱歌です。
 わたしの母は今のしゃれた言葉でいえばシングルマザーでしたが、戦後すぐの混乱期に出会った父の愛人として兄とわたしを生みました。戦後すぐの蓄えた着物を売って暮らしをしのぐタケノコ生活も行き詰まり、料亭の仲居をしているときに若旦那衆の一人として何度か来ていた父と出会ったそうです。母はとにかく子どもが欲しかった。いっさいの援助もいらないし認知もいらないから、ただわたしたち子どもを産むことだけを条件にした付き合いで、わたしたちが物心がつく頃に別れたようです。
 母は焼き芋屋から後に大衆食堂をたったひとりで切り盛りして、わたしと兄を育ててくれました。その当時もわたしたち家族が貧乏だったことはわかっていましたが、いま振り返るとなんの後ろ盾も福祉的配慮も受けず、朝早くから日付が変わる深夜2時まで働いて、片手に余るほどの薬を飲みながら、兄とわたしを高校まで行かせてくれた母の苦労は並大抵のものではなかったことでしょう。兄が脊椎性カリエスにかかり、人生を悲観し一家心中を考えたことも一度や二度ではなかったと母に後から聞かされて、その恩に報い、老いた母のせつない望みに完璧に応えるほどの経済力もなく、彼女が満足できる晩年の日々を用意できなかったことに心が痛みます。
 早くに家を出て妻と出会い、若くに結婚したわたしとちがい、母と同居しなければならず、また同居するにはあまりにも手狭で日の当たらない実家に来てくれる女の人はその時代でもあまりいなくて、兄はわたしよりずいぶん後に遠縁で、家の事情をよく知っている娘さん(今の姉さん)と結婚することになりました。
 その結婚披露宴で、わたしは泣きながら「人生の並木路」を歌いました。わたしたち家族の特殊な事情は、わたしに一方で早くその強い絆を断ち切りたいと思う一方で、どうしても切れない濃い血縁が自分の心と体にしみついていて、母と兄とわたしの3人が拠り所としている他人には説明できない切ない感情をあふれさせるのでした。
 晴れやかな結婚のお祝いの場で「人生の並木路」を歌うというのは非常識だったと今では思うのですが、「生きていこうよ希望に燃えて、愛の口笛高らかに、この人生の並木路」という歌詞が、わたしたち兄弟の、それから後も決して順風満帆とは言えない人生を予言しているように思えたのでした。
 わたしは演歌の巨匠といわれた古賀政男がそれほど好きではありませんが、「人生の並木路」や「影を慕いて」など、戦前の古賀メロディーには単なる感傷的な旋律というだけではない複雑な心情が隠れていて、いつ聴いても涙が出ます。
 というのも、すでにこの時代には日中戦争と太平洋戦争に至る国家と軍によって個人・国民の自由が奪われようとしていて、その支配は古賀政男をはじめほとんどの作詞家、作曲家に限らず芸術・文化の表現行為すべてに及んでいたからです。
 多くの音楽家がそうであったように、古賀政男も作詞家の佐藤惣之助も軍歌をつくりはじめていたこの時代、佐藤惣之助や古賀政男の心中は忸怩たるものがあったに違いありません。戦後、彼らもまた戦争犯罪者として裁かれるのではないかとおびえるほどに、国家の強い暴力に逆らえないまま戦意高揚の歌をつくり続けました。
 その中で、「人生の並木路」や「影を慕いて」などの曲は当局の検閲のぎりぎりのところをすり抜けて、同時代の切なくも哀しい希望が隠れていて、大衆もまた表面的には国家に奉仕しながらもこれらの歌に隠された秘密のメッセージを受け止めたからこそ、大ヒットしたのだと私は思います。
 1928年、古賀政男は自殺を図ります。その時に浮かんだ一片の詞から1931年の「影を慕いて」が生まれます。昭和恐慌、柳条湖事件、満州事変と軍靴の足音が時代を切り裂こうとしていました。若く繊細な心と壊れやすい感受性をもつ古賀政男は、自分の個人的な体験の裏側に暗黒の時代や歴史があることを知ったのだと思います。
 そしてこの歌「人生の並木路」では、兄が妹に話しかけるように歌います。時代はますます暗くなり、明日のいのちもわからずますます悪い方向へと流されていく恐怖と不安を隠しながら、「もうしばらくの我慢だよ、とにかく生き延びることだ、いつかは国家の抑圧から解放される…」と、兄は妹に諭すのでした。兄と妹という設定は単なる兄弟というのとは少し違い、唐十郎の芝居のように二人の間に淡く純粋な恋が隠れていて、それがとりわけ二人の強い絆と、自分たちではどうにもできない大きな世の中の流れにひたすら固く抱き合い、銃弾だけでない国家の暴力が通り過ぎるのを息をひそめて待ち続けるのでした。
「雪も降れ振れ夜路のはても やがてかがやくあけぼのに わが世の春はきっと来る。」

 さて、この歌の島津亜矢の歌唱は、数々の歌い手さんのカバーの中でも特異で、すばらしいものでした。というのも、わたしがつらつらと書いてきたこの歌の時代性がよみがえってくるからなのです。美空ひばり、ちあきなおみなど見事な歌になっているのですが、戦争へと至る、いやすでに戦争に突入している時代の暗黒と、その暗黒の果てに切なくも「わが世の春」を切望する古賀政男と佐藤惣之助の心情までも島津亜矢はすくい上げ、歌に込めるのでした。
 そして、今によみがえるこの歌と共振する歌があるのでしょうか。そう思った時、たとえば「SEKAI NO OWARI」や「エレファントカシマシ」、「グリム・スパンキー」、いま休憩している「いきものがかり」など、長い戦後から戦前になろうとしているのかも知れないキナ臭い時代の空気を感じて、一時避難所もしくはシェルターの役割ができるこの人たちの音楽が「人生の並木路」とつながっていることを感じます。
 しかしまた、古賀政男たちが通りすぎなければならなかった国家の強い暴力が今によみがえらないようにこそ、わたしたちは闘わなければならないのだと思います。
 たとえば東京オリンピックや万国博への世論の誘導や憲法改正(?)のために国民投票の情報活動に、ジャンルを越えたミュージシャンが動員され、「踏み絵」を踏むようなことがないように…。

島津亜矢「人生の並木路」 

古賀政男「人生の並木路」
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2018.05.28 Mon 「演歌のちあきなおみ」のくびきから解き放たれて。島津亜矢の「喝采」、5月8日の「うたコン」

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 ずいぶん前になってしまいましたが、5月8日のNHK「うたコン」で、島津亜矢が「喝采」を歌いました。
 この歌はご存知のようにちあきなおみが1972年に発売した楽曲で、この年のレコード大賞を獲得し、紅白歌合戦でもこの歌が歌われました。
 この歌に限らず、また島津亜矢に限らず、ちあきなおみの歌を歌うことは人知れずプレッシャーがかかるのではないかとわたしは思います。それはいまだにかなりの数の「ちあきなおみ命」という熱烈なファンがカバー曲を寄せ付けないことだけが理由ではありません。
 むしろ大衆音楽全体がちあきなおみの立ち位置を「演歌・歌謡曲」としていることに根本的な行き違い、誤解があり、そのために彼女の楽曲を歌うのがどちらかといえば演歌・歌謡曲の歌い手さんが多いという事情があります。この歌が発売された1972年は、今のJポップとはちがう「ポップス」というジャンルがあり、ちあきなおみはデビューからずっとポップス歌手で、そこから考えればもっとJポップのジャンルからちあきなおみをカバーする歌手が生まれていいはずです。
 この不幸な現実はちあきなおみという不世出の歌手の不幸だけではなく、日本の大衆音楽の不幸でもあるとわたしは思います。
 ちあきなおみほど、自分が歌うべき歌、歌いたい歌を探し続けた歌手はいないのではないかと思います。米軍キャンプ、ジャズ喫茶やキャバレーで歌ったりと下積みの時代を経て1969年に「雨に濡れた慕情」でデビューし、その後の華々しい活躍の中でも、彼女のビジュアルから「魅惑のハスキーボイン」というキャッチフレーズをつけられたりして、芸能界になじめず自分らしい歌手像を求めつづけたといいます。
 あきなおみはポップス歌手としての印象が強くありましたが、その後は「さだめ川」、「酒場川」、「紅とんぼ」、「矢切の渡し」などの船村演歌の名曲もたくさん歌いました。
 また、ニューミュージックのアーティストから楽曲提供を受け、中島みゆきの「ルージュ」や友川カズキの「夜を急ぐ女」などをレコーディングしました。さらにはシャンソン、ジャズ、ポルトガル民謡のファドなど、その探求心は彼女の歌を至高の芸術にまで高めました。

 「喝采」は、そんな彼女の変貌のターニングポイントとなった曲で、彼女のそれ以後の圧倒的な歌唱力による独特の世界への第一歩だったように思います。
 その真骨頂は「演劇的」ということに尽きると思います。1977年の紅白歌合戦での友川カズキの「夜を急ぐ女」の鬼気迫るパフォーマンスは、今でも語り草になっています。
「喝采」はそこまでの演劇性を歌唱としては求めていないのですが、ヒットチャートにすんなり納まるポップスであるだけでなく、私小説的なプロデュースが彼女の歌によって実現できた第一作だと思います。作詞者の吉田旺とはデビューからの深い親交があり、シャンソンやファドなど、ちあきなおみの音楽的冒険を理解し、共に彼女の世界を広げていったひとで、「喝采」においてもその演劇性の一端を歌詞にしていると思います。
 さて、島津亜矢の「喝采」ですが、依然に歌唱した時と比べて段違いで、なんといってもセクシーな低音が物語るこの歌の私小説な物語と、歌の中のヒロインの歌手を演じ歌うという難しい二重構造を、オリジナルのちあきなおみとは少し違う切り口で物語にしました。ちあきなおみは作中人物に寄り添う巫女のように、ライトに照らされていないヒロインの孤独を歌い上げましたが、島津亜矢の場合は語り手としてのもう一人のヒロインが一幕物の浄瑠璃の芝居を物語るように、やや力強く歌ったのが印象的でした。
 この歌に限らず、島津亜矢でさえも「演歌としてのちあきなおみ」に囚われていたように思います。演歌の歌い手さんがちなきなおみを演歌ととらえて歌う数々の音源は、彼女のたどりついた世界からはかなり稚拙ものが多いと思います。歌が下手で歌唱力がないのではありません。歌が持っている闇の魔力にたどり着かないというべきか、歌の物語の読みがちがうというべきか、つまりは歌の解釈がちがうということなのだと思います。
美空ひばりの場合はまだ演歌としての到達点にたどり着くためのエチュードとして歌ってもそれほどの破綻はないでしょう。しかしながらちあきなおみの場合は、言い方を変えれば現代演歌が「きらい」だった彼女がスバ抜けた演歌としての歌唱力を持ち合わせていたために、安易に彼女の演歌の歌い方だけを真似てしまうか、彼女よりも巧みな演歌の歌唱を目指してしまうのだと思います。
 島津亜矢の今までのちあきなおみのカバー曲もまた、その現代演歌というくびきに囚われていたと思います。それがゆえに、「かもめの街」も「紅とんぼ」も現代演歌でしかなく、ちあきなおみの音楽的冒険にたどりつけなかったのではないでしょうか。
ちあきなおみの頑強なファンが圧倒され、あきらめてしまうほどのカバーは、実は島津亜矢の現在の立ち位置、演歌も歌謡曲もJポップもジャズも、最近あまり歌わないシャンソンも同じ立ち位置で歌えるオールラウンドのボーカリストに進化した今こそ歌えるということを、今回の歌唱が証明してくれたとわたしは思うのです。
 実際、今回の歌唱で一番印象的だったのは「いさぎよさ」とか「歌う覚悟」がにじみ出ていて、それは、「演歌としてのちあきなおみ」との決別であり、ちあきなおみがたどり着いた高みと同じところに立ち、ちあきなおみの音楽的冒険を率直にリスペクトすることでもあるのでしょう。
 わたしの独断と偏見をお許し願えれば、戦後の歌謡史の中で燦然と輝くちあきなおみがたどり着けなかった地平があるとすれば、わたしは浅川マキだと思っています。戦後の女性ボーカリストの系譜の一つに、浅川マキからちあきなおみがあり、ちあきなおみは演歌の歌姫としての役割を負わされましたが、浅川マキはジャズやブルース、ゴスペル、フォークソング等を歌い、独特の世界を確立したブルースの歌姫でした。
 ちあきなおみの「朝日のあたる家(朝日楼)」は浅川マキの訳詩によるもので、ちあきなおみは浅川マキにリスペクトしながらも浅川マキとはちがう入り口から、この歌を彼女色に染めようと意識的に歌っていると思います。
 島津亜矢にとって、この系譜はなかなかてごわいものがあるのではないかと思われました。古くは「かもめの街」でのネガティブな評判に心痛めたこともあったかもしれません。
 しかしながら、今回の吹っ切れた歌唱を聴くと、ちあきなおみの冒険をきちんと受け止める歌手として、島津亜矢の役割がまたひとつ増えたとわたしは思います。
 ですから、もう一度、「かもめの街」や「紅とんぼ」を、そして新しく「冬隣」を、そして最大の難曲である浅川マキの「朝日楼」を、今の島津亜矢に歌ってもらいたいと思います。

島津亜矢 喝 采 2002 × 2
この頃の島津亜矢はあふれる声量と声質で聴くものを圧倒していました。本人は決して歌のうまさや声量を誇る人柄ではありませが、とにかく若くて一生懸命だったのでしょう。この頃はまだぞくっとする低音はなく、どうしても高音が響き渡り、上手いというしかないのですが、一方で「そんなに元気に歌う歌ではない」とコメントされる理由になっています。「かもめの街」でも似たような批判があったように思います。しかしながら、一番の問題は彼女のせいではありませんが、「演歌のちあきなおみ」に疑いを持たないところにあると思います。時が経ち、年齢を重ねることで今の島津亜矢はこの歌を新しい解釈で歌ってくれました。その映像も音源もありませんが、聴かれた方にははっきりとその違いがお分かりになったと思います。
ちあきなおみ/喝采 1972年

ちあきなおみ「朝日楼(朝日のあたる家)」 

浅川マキ 「 朝日楼 (歌詞付) 」
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2018.04.30 Mon 時代と格闘する演歌・歌謡曲の再生は島津亜矢の冒険に託される。

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 70歳にもなると、青春をともに過ごしたひとたち、長い人生の途上で思いがけず出会ったひとたちや、道の途中で去っていったひとたち、近しい人もそれほどでなかったひとも、同時代を生きてきた人たちとの別れがつづき、とても寂しい思いになります。
 ましてやつい先日、共に生きてきた年月とたくさんの思い出を残して去ってしまった妻の母親の気配が生々しく部屋に漂うここ何日かの日々は、後悔とあきらめが数々の記憶の押花となっていくのをとどめる方法もなく、といっていつまでもできなかった過去を悔やんでも仕方ないと前を向き、自分の道を新しく探そうと努力しようとも思うのです。
 
 島津亜矢の新曲「道」は、正直わたしにとって心を震わせる楽曲ではありません。最近の島津亜矢の全方向的な音楽の冒険を視野に入れれば、ちょっとした中休みのようにも思えるのです。「独楽」から始まり、「阿吽の花」、「心」と、少し前の島津亜矢の状況ならば、ただひたすら男の帰りを待ち、男の理不尽に耐えるだけの旧来の演歌の女性像を拒み、かと言って一昔前の「男歌」に回帰するのでもない、これらのシリーズは新しい演歌の道への一里塚であったかもしれません。
 しかしながら、島津亜矢はもう「演歌の宝」という領域にとどまるには、あまりにも豊かな声量と声質、それらを活かせる歌唱力、そしてそれらのすべてがわたしたちに「歌の彼方」へのあこがれとカタルシスを引き起こすボーカリストでもあり、音楽の女神にとりつかれてしまった歌姫として、演歌・歌謡曲のジャンルにとどまらない稀有の存在となっています。そこから見れば彼女はすでに演歌・歌謡曲のジャンルの中の「新しい演歌」ではなく、日本の音楽の行方を探す「演歌の新しいかたち」を切り開くべく、大胆なプロデュースを必要としているとわたしは思います。
 ですから、今回の新曲「道」もまた、彼女のこれまでの活動から見れば演歌の王道であったとしても、「演歌の新しいかたち」を探す楽曲とは言い難いと思ってしまうのです。
 大衆音楽全体から見れば極端に狭くなった演歌・歌謡曲のジャンルの中で他の歌い手さんと競っても、それはたしかに彼女のチームの経済的効果には影響があったとしても(もちろん彼女の歌手活動にかかわるたくさんのひとたちの生活もかかっているので無視できないわけですが)、彼女の音楽的冒険からすればあまり意味をなさないと思います。
 演歌・歌謡曲から社会現象になるような歌が生まれないのは、音楽そのものが何か別の表現媒体の付属品としては有効でも、永六輔、中村八大、いずみたく、なかにし礼、阿久悠など稀代の作家が時代と格闘し、時代を変えるエネルギーをひとつひとつの歌にたくわえた時代とは遠く離れてしまった今、音楽そのものが時代を背負うどころか、時代の大きなトレンドから取り残されてしまったことが問題なのだとわたしは思います。
 そのことに危機感を持つ数少ないJポップの旗手たちですら先が見えず悪戦苦闘を繰り返す中、演歌・歌謡曲の世界では圧倒的な支持層に依存した楽曲の提供が続いているのが現状ではないでしょうか。
 たしかに言うのは簡単で、実際に楽曲の制作にかかわっている人々にとっては、大きな失敗よりも小さな成果を求めざるを得ないのだと思うのですが、少なくともこの現状から抜け出すにはジャンルにとらわれない思い切ったプロデュースが求められることは確かなことで、実際に最近は異ジャンルの作家による演歌・歌謡曲が製作されることも出てきていますが、残念ながらその試みはミスマッチにとどまっています。
 というのもまだ双方に遠慮があり、思い切った協働にいたっていないからだと思うのですが、その大胆な冒険を託せる歌手の第一人者として、島津亜矢がいまだ認知されていないこともまた、時代の不幸だと思います。最近の島津亜矢の活躍からして、その活躍を諸手をあげて歓迎するポップスのジャンルから彼女の最初の冒険が始まるのかもしれませんが、わたしはまずは演歌・歌謡曲のジャンルからこそ、最初の冒険をはじめてほしいと願っています。なぜなら、そうでなければ演歌・歌謡曲の再生は望めないと思うのです。
 と、ないものねだりの愚痴を言ってもしかたがないのですが、島津亜矢の演歌の歌唱力はそんな問題を跳ね返すようにますます深くますます遠くに届く凄みを増してきています。言い換えればそんな風に歌ってしまえるから、かつて古賀政男が美空ひばりを評して「どんな歌でも彼女が歌うと作り手の意図を越える名曲になってしまう」と言ったように、島津亜矢への依存度が高まってしまうのでしょう。
 それはさておき、そんな力のこもった彼女の歌を聴いていると、妻の母親が亡くなってしまった心の傷がゆっくりと癒えていくのが実感できるのです。新曲「道」というタイトルは歌の内容とはまったく違って、フェリーニの映画「道」や、小室等が戦後すぐの黒田三郎の詩を歌にした名曲「道」を思い出させます。
戦い敗れた故国に帰り すべてのものの失われたなかに
いたずらに昔ながらに残っている道に立ち 今さらぼくは思う
右に行くのも左に行くのも僕の自由である

 黒田三郎が兵役を終え、戦後の焼け野原に形を残す道の真ん中で、「右に行くのも左に行くのも僕の自由である」と詠った時、国家に脅かされない自由を二度と手放さないという決意が戦後民主主義の第一歩だったことを教えてくれます。そして、小室等がその詩を今歌にしなければならないと切実に思う現実があります。
 わたしは願わくば島津亜矢が歌う「道」もまた、黒田三郎と小室等の心の叫びに匹敵するような歌であったならと思います。その時、「演歌の新しい形」が垣間見えると信じています。
 そういえば、島津亜矢を教えてくれたのは亡くなって9年になる親友だった加門喜代和君と、演歌・歌謡曲の番組を一緒に観ていた妻の母親・山田福江さんでした。もっとも、彼女がほんとうに演歌を好きだったのか、わたしにはわかりかねます。たしかに晩年は美空ひばりの「川の流れのように」を口ずさんでいましたが、若い時はよく越路吹雪のシャンソンや五輪真弓の「恋人よ」を歌ったり、三味線を弾きながら民謡をよく歌ったものでした。

島津亜矢「道」

「道」 [詩:黒田三郎 曲:小室等]

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2018.03.31 Sat 島津亜矢の未曽有ともいえる音楽の鉱脈を発掘しようとする番組制作者たちの強い意志を感じた「UTAGE!」

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 ほんとうは島津亜矢のBS民放放送の美空ひばり特集からNHK「うたコン」の松本隆特集と、感動、興奮する音楽番組が続く中、何も書き残せないまま来ていますし、島津亜矢関連以外でも森友学園から財務省の決裁文書改ざんという、まさかまさかのとんでもない犯罪行為によってわたしたちの社会の未来を絶望させる事件のことや、猛スピードで進む朝鮮半島における対話路線について、またそれらとかかわる形で毎年開いている「ピースマーケット・のせ」のお知らせなどなど、筆力が弱っていることもあってなかなか追いつけずあせってしまう毎日です。
  それでも、たとえば3月29日のTBS「UTAGE!」での島津亜矢の圧倒的なパフォーマンスをまのあたりにすると心が騒ぎ、ほかのニュースソースを後まわしにしてこの音楽的大事件について書いておかなくてはと思うのです。
 前情報でケミストリーの川端要とのコラボと、宇多田ヒカルをアカペラで何人かで歌うと聴き、とても楽しみにしていました。
 「UTAGE!」が他の音楽フェスとちがうところはタイトルどおり、いろいろなミュージシャンが「宴会芸」という仲間内の芸を披露する場と設定することで、ジャンルの違いなどで普段ではあり得ない組み合わせが実現したり、普通のステージよりリスクのある音楽的冒険が可能になり、またそんな挑戦ができる人しか出場できないというところにあります。
 島津亜矢の場合、去年の秋の初出場を経て、今回は彼女のボーカリストとしての魅力を最大限に引き出そうとしている意図がわかります。そこには「金スマ」以後、芸能界に絶大な影響力を持つ中居正広の密やかな推薦があるのかもしれません。

 島津亜矢の異色のコラボの1曲目は槇原敬之の「遠く遠く」で、松本明子のピアノと島津亜矢のタンバリン、島袋寛子のパーカッション、高橋愛のカスタネットと、日ごろは演奏したことがない楽器を弾きながらの歌唱でした。わたしの興味はあの元SPEEDのメンバーで、そのたぐいまれな歌唱力で日本を代表するボーカリストとして活躍する島袋寛子とのコラボでした。SPEEDが音楽シーンをけん引していた時代、一体だれが島津亜矢と島袋寛子のコラボを想像できたでしょう。あたかも今、音楽のメインストリームに突如現れた(合流した)島津亜矢によって、時代は大きく激しく塗り替えられようとしているのだと思います。
  「遠く遠く」は槇原敬之の1992年発売のアルバム「君は僕の宝物」に抄録された楽曲です。1992年と言えばバブル崩壊直後で、まだわたしたちはその後の「失われた20年」の始まりとは思わなかった頃ですが、就職できなかった多くの若者がフリーターやニートとなり、就職氷河期世代と呼ばれ、彼らの生活・雇用の不安定さ、社会保障の負担が充分にできずにセーフティーネットから外れ、困窮する状態に陥るなど、大きな社会問題となっていました。
 この歌は地方から東京に出てきた若者の不安を隠した切ない心情と、かすかな希望と夢を繊細につづった名曲で、かつては「ああ上野駅」のように歌謡曲が人々の心情を代弁したものですが、今の時代は演歌・歌謡曲ではなく、槇原敬之に代表されるJポップが得意とする分野で、それだけをとっても今の演歌がいかに若い人たちの等身大の共感を得られていないかを証明しています。
 島津亜矢は出自の演歌・歌謡曲のジャンルでは実現しない音楽的冒険を共に担う共演者とのコラボを楽しみながら、この歌のもっとも切ない物語を語るように歌いました。
 2曲目はケミストリーの川畑要とのデュオで、コブクロの「桜」を熱唱しました。昨年の秋にケミストリーの堂珍嘉邦と「美女と野獣」を歌い、びっくりさせた島津亜矢ですが、この番組は相棒の川畑要とコラボするとどんな化学反応を起こすのかを実験してみたかったのでしょうか。はてまたわたしの我田引水的推理によれば、川畑要もまた堂珍嘉邦とのコラボを聴き、彼の音楽への限りない好奇心と冒険心を駆り立てられ、島津亜矢との競演を楽しみにしていたのではないかと思います。
ケミストリーの中でも川畑要は特にその音楽性向もそれをささえる思想的にもR&Bに傾倒していて、わたしはこのコラボが島津亜矢が心の底にあるR&Bに目覚める大きなチャンスと見ていました。
 実際のコラボは見事なもので、川畑要が素晴らしかった。ややもすれば遠慮がちになる島津亜矢にリードボーカルを任せきったハーモニーが絶妙でした。コブクロの「桜」が黒っぽいR&Bのサウンドになりました。川畑要が「島津亜矢と競演してみたい」と思ったという私の妄想もそれほど外れていなかったのではないでしょうか。
 島津亜矢のファンとしては、これで役者がそろい、ケミストリーの産みの親でもあり、島津亜矢を高く評価する松尾潔氏のプロデュースでシングルでもアルバムでも作っていただけないかと切に思います。現に松尾潔氏は少し前なら坂本冬美に、最近は山内惠介にも楽曲を提供していますが、島津亜矢とケミストリーのためならかなり刺激的な音楽が生まれるはずです。
 そして、3曲目は宇多田ヒカルの「First Love」を、実力派の女性ボーカルグループ・Little Glee Monsterのかれんと、高い歌唱力を評価されているBENIという贅沢なコーラスに、高橋愛のベース、AKB48の峰岸のボイスパーカッションという異色の組み合わせによるアカペラ演奏のリードボーカルを披露しました。
 昨年の秋はまだ少しぎこちなさが残っていましたが、今回2度目の出演となる島津亜矢は完全に心が解放されているように感じました。この番組ではすでに彼女が演歌歌手であることよりも実力派の女性ボーカリストとして受け入れていられて、実力派の女性ボーカリストに囲まれた島津亜矢が、彼女たちとの競演によってさらなる音楽の高みにたどり着く瞬間に立ち会えた幸運に恵まれたことに感謝以外ありません。
 3曲目ではっきりとわかったのですが、島津亜矢はJポップのゆりかごのような「UTAGE!」という番組の中で、音楽が生まれ育つ場をけん引する「覚悟を決めた」のだと思いました。演歌・歌謡曲のジャンルの番組では以前はどこか遠慮がちで表情硬くしていて、閉鎖的なフィールドで思う存分声を出すことすら憚れる時代があったように思います。それに引き換え、「UTAGE!」では、彼女の才能を無条件に受け入れ、他の才能のあるボーカリストとの競演から、彼女の未曽有ともいえる音楽の鉱脈を発掘しようとする番組制作者たちの強い意志を感じるのです。それにこたえようとする彼女の才能と好奇心とまじめさは、この番組と周りの出演者と視聴者に期待以上の豊穣な音楽を届けてくれたのでした。
 しかも、わたしがかねてから願い続けた宇多田ヒカルのカバーであったことに、涙が出るほどうれしく思いました。というのも、わたしは以前より宇多田ヒカルは島津亜矢のかなり近いところにいるアーティストで、彼女のつくる音楽は日本の演歌の最も無垢で純粋なところでつながっていると思っていて、R&Bを根底に持つ島津亜矢なら、宇多田ヒカルの数あるカバーがほぼポップス調であるのに対して、ソウルやブルースのにおいのするカバーにしてくれると思っていました。今回のコラボでは思ったとおり、かれんとBENIの最高のコーラスにも助けられ、素晴らしい歌を披露してくれました。
 ここでもファンの一人として、ここまで演歌とR&Bを近づけられる稀有の歌手・島津亜矢に宇多田ヒカルが歌をつくってくれないものかと思います。
 島津亜矢は若い頃に演歌のジャンルで思い扉を開いたものの、演歌界の閉鎖性のもとでなかなかブレイクできず、星野哲郎や北島三郎に助けられて少しずつ彼女の才能が受け入れられてきました。
 それにひきかえJポップのミュージシャンたちとのコラボが驚きと称賛を得たり、また先日のNHKの「うたコン」での松本隆特集で「DREAMING GIRL」を熱唱し、松本隆をして「島津亜矢最強ですね!ハッキリ言ってノックアウトされました!」と言わしめたりと、やはり断然すそ野の広いJポップでは反響も大きく認知のスピードも桁違いです。
 3万枚売ればヒットと言われる演歌にくらべて、案外メガヒットがこの分野でのオリジナルで実現するかもしれません。もっともわたしはポップスというわけではなく、反対にこれらの匠や天才と言われるアーテイストが島津亜矢の魅力を引き出すためにどんな歌をつくり出すのかを楽しみにしています。その意味において、もう少し彼女の音楽的冒険を誘い出す思い切ったプロデュースが望まれます。

かれん&BENI&島津亜矢&高橋愛&峯岸みなみ「First Love」

島津亜矢&川畑要「桜」

松本明子×島津亜矢×島袋寛子×高橋愛 「遠く遠く」

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2018.03.20 Tue 差別される立場にある障害者もまた、自分よりも小さな命を傷つけてしまう不条理を歌う 島津亜矢「命の別名」

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 大阪フェスティバルホールでの島津亜矢コンサートの続きです。
 マネージャーともう一人のチームスタツフの献身的なサポートで会場まわりを終えた後、どの曲をどの順番に歌ったのかおぼろげですが、記憶違いはお許し願い、気になった楽曲について書いていきます。
 熊本地震の被災者への祈りの後、熊本関連として「思い出宝箱」と「帰らんちゃよか」を歌い、星野哲郎関連で「海鳴りの詩」、「感謝状―母へのメッセージ」、そして、最近のオリジナルで「独楽」、「心」など…。
 先の記事でも書きましたが、最近のポップスでの音楽的冒険と座長公演が演歌・歌謡曲の歌唱に計り知れない影響を与えたのでしょう。とても丁寧に、大げさではないこぶしが微妙に入り、ぞくっとする低音、声量のある高音と、これはむずかしいと思うのですが声量を抑えた高音がひとり合唱というか、ひとりオーケストラのようにこだまします。それはまさしく「木霊(こだま)」や「言霊(ことだま)」で、会場全体が大きな船の中で、島津亜矢の歌は人魚の幻のようにわたしたちを「ここではないところ」、「日常ではない非日常」の至福の岸辺へといざなうのでした。
 「歌にならないものは何もない。たとえば一篇の小説、一本の映画、一回の演説、一周の遊園地、これと同じボリュームを四分間に盛ることも可能ではないか。」と阿久悠は言いましたが、大きな舞台でたったひとり、たった4分間のフィクションでいろいろな人生を語り、競馬の一レース分の時間で「生き急ぐ時代」を疾走する島津亜矢は、優れた作詞家や作曲家の壮大な夢を自分の肉体のすべてを使って表現するアクターで、対極にあるようなヒップホップダンサーに匹敵する身体表現を実現していると、わたしは思います。
 ともあれ演歌・歌謡曲の歌唱については、ポップス、ジャズ、シャンソン、リズム&ブルースなどいろいろな「他流試合」をへて何度目かの黄金期にある島津亜矢は、2020年の東京オリンピック以後の時代に必要とされる「新しい演歌」の第一人者になることでしょう。
 わたしはスポーツ観戦を嫌いではないし、とくにサッカーファンですが、スポーツ選手やスポーツファンが望んでいるようには東京オリンピックをすきではありません。とくに、それを「復興オリンピック」と名付けて推進する動きにはとても乗ることはできないだけでなく、あたかもオリンピック招致のプレゼンで「放射能はアンダーコントロール」と言い放ち、原発の再稼働をすすめるこの国が原発事故の被災者を置き去りにすることで、日本社会を分断し、格差を固定化する怖さを感じます。
 東日本大震災における福島原発事故による放射の汚染被害はチェルノブイリの例を見てもこれからが日本社会の解決不能の大きな問題になっていくと思っています。
 そして、世界も日本も今グローバルな好景気と浮かれていますが、確実に経済が悪くなっていると証言する人たちも多く、長いスタンスで見て1990年代からのJポップの潮流から少年少女のアイドルの使い捨てを経て、新しい困難な時代の写し鏡としての歌謡曲、そして時代を変え時代をつくり、わたしたちに新しい生き方を指し示す歌謡曲が生まれる予感がします。その時、その誕生を最先端で受け止める歌手・島津亜矢もまた、新しく生まれ変わるとわたしは思います。

 2部の最初にドレス姿で歌った「命の別名」、「落陽」、「ローズ」は、まだまだ伸びしろのあるポップスの中ではほぼ完成した歌唱でした。「落陽」は吉田拓郎の名曲で、島津亜矢はさだまさしのカバーと同じ歌唱法というか、少し力を抜いてくだをまくような歌い方と言ったらいいのでしょうか、フォーク調の歌にはよく合っていると思います。
 「ローズ」は昨年の紅白歌合戦の歌唱曲です。ジャニス・ジョプリンをモデルにした同名の映画の主題歌で、主演のベット・ミドラーが歌い、日本でも数多くの歌手がカバーしています。その中で島津亜矢はもっとも自然に歌っていて、いわゆる名曲調の歌唱ではない淡々とした歌唱がベット・ミドラーを通したジャニス・ジョプリンの悲劇、歌うことと実人生で幸せになることが必ずしも一致しないことを感じさせました。もちろん、島津亜矢が幸せでないという意味では全くないのですが、時代もジャンルも違いますが、どこかジャニス・ジョプリンを思わせる島津亜矢自身の歌人生を思わせる歌唱でした。
 「命の別名」は1998年に発売された中島みゆきの35枚目のシングルで、同年に放映されたドラマ「聖者の行進」の主題歌として有名です。 「聖者の行進」は、1995年に知的障害者達が働く工場で国の雇用助成金をだましとったばかりか、日常に行われる彼女彼らへの暴力、性的虐待などが発覚した水戸事件をベースにした問題作でした。水戸事件の裁判は、警察・検察も知的障害者の証言が正確でないという理由で立件に消極的で、一部の詐欺・傷害罪のみの起訴にとどまり、その他の暴行・強姦については不起訴となったことから大きな社会問題となりました。
 障害者にかかわるドラマやドキュメンタリーが意味のない感動を仕組むことが、いわゆる「感動ポルノ」として障害当事者から厳しく批判されることがしはしばですが、このドラマでは実際の障害者差別・虐待事件を正確に描いたことで、一定の評価が得られたようです。
 中島みゆきはドラマの主題歌を作るとき、ドラマのテーマに沿いながらあと一歩踏み込み、ドラマが終わった後の社会や時代の風景を見させてくれる天才で、「地上の星」では高度経済成長を支えた人々の苦難の後の栄光をほめたたえながら、それでもなお脚光をあびることのないひとびとの寂寥感を歌いました。
 「聖者の行進」の主題歌「命の別名」は、「できない」障害者の悲哀を歌っているようにとらえることが多いように感じますが、わたしはまったくちがう印象を持ちます。この歌は健全者の目線でそういう立場に置かれている「障害者」からその健全者社会の理不尽さを射抜き、「石よ樹よ水よ 僕よりも 誰も傷つけぬ者たちよ 繰り返すあやまちを照らす灯をかざせ」と、すべての命と共生して生きる勇気を歌っているように思うのです。
 とくに差別される立場にある障害者もまた、自分よりも小さな命を傷つけてしまう不条理を歌うこの歌は、障害のある友だちとの少ない経験を持つわたしに、かわいそうでも優しくもない、当たり前の障害者がそれぞれの個性と言葉をもっていることをあらためて教えてくれるのでした。
 島津亜矢はその豊穣でせつないこの歌の物語を世間の障害者観に振り回されずに忠実に再現していて、中島みゆきもさぞかし喜んでいるのではないでしょうか。
 中島みゆきリスペクトコンサート「歌縁」で評判になったこの歌の歌唱もまた、島津亜矢のオリジナルカバー(わたしの造語です)の大切な一曲になったことに、あらためて感動しました。
 あと一曲、「一本刀土俵入り」はかつての歌謡名作シリーズよりもあっさりした演出でしたが、着流しの島津亜矢の潔い立ち姿は、今後もう少し芝居などで活かしてもらいたいと思いました。特別な思い入れのあるこの曲については以前に書いた記事をご案内するにとどめ、コンサートの感想はこれで終わりとします。
 録画してある音楽番組の歌唱について書くのが追いつけないまま、3月29日のTBSの音楽フェス「UTAGE」ではケミストリーの川畑要とコブクロの「桜」を歌うと聴き、昨年のケミストリーの相方である堂珍嘉邦とのコラボの高評価から今度は川畑要とのコラボと、少しずつこの番組の常連になりつつあることがとてもうれしく、放送が楽しみです。

島津亜矢「一本刀土俵入り」と長谷川伸(2011年5月23日の記事)

島津亜矢「命の別名」(中島みゆき・歌縁2017東京)

島津亜矢「一本刀土俵入り」(2013年)



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