ホーム > 島津亜矢

2018.01.27 Sat 安室奈美恵、小室哲哉の引退と島津亜矢・時代が変わる大きな潮目。

ayakatana.jpg

 安室奈美恵の引退と小室哲哉の文春報道をきっかけにした引退。90年代を席巻したJポップをけん引した2人の引退は、時代の潮目が大きく変わろうとしていることを暗示していると思います。
 1970年代の阿久悠から80年代の松本隆を経て90年代の小室哲哉と、この3人はくしくも10年ごとに日本の大衆音楽を大きく変革した人たちですが、その中で小室哲哉はダンス音楽を持ち込むことで、まだ歌謡曲の域を完全には抜けきれなかったポップスに、世界に通じるまったく新しい若者文化を誘発したプロデューサーとしての才能が抜きんでた人だと思います。
 そして、小室哲哉の音楽が世間に躍り出ることになったのが安室奈美恵であったことを思うと、引退の理由はそれぞれ違い、特に小室哲哉の場合はすでにお腹いっぱいになっている「不倫騒動」が直接のきっかけになっているとしても、一つの時代がまた終わったという感があります。
 というのも、90年代は小室哲哉一色のように見えましたが、松本隆や松任谷由美など80年代の詩的でメロディアスな名曲が時代に溶け込んでいった時期でもあります。
そこから一方ではシンガー・ソングライターの本格的な台頭とバンドブームがあり、さらにはヒップホップが定着し、戦前から戦後の長い間、欧米の音楽に対するコンプレクスをばねにつくられてきた日本の音楽シーンがいい意味で自立し、成功体験はないものの世界の音楽シーンにデビューしたり、反対に世界を気にしないで自分の音楽を発表する若者が台頭してきました。
90年代末に現れた宇多田ヒカルによって自分の音楽的冒険が終わったと証言している小室哲哉はその時点でいつ引退してもおかしくなかったのだと思います。
 90年代の小室哲哉の音楽の巫女的存在だった安室奈美恵はリズム&ブルースやヒップホップなど、ブラックミュージックのにおいの強い音楽でトップスターになりました。実際は小室哲哉のプロデュースは1995年から2001年までで、それ以後は小室哲哉から離れてセルフプロデュースでヒット曲を連発するようになりました。
 引退ということで、いろいろなマスメディアが取り上げるのはどうしても小室哲哉プロデュース時代で、ほとんど彼女の歌についていけなかったわたし自身もなんとなくその時代に目が向きますが、今回彼女の活躍の歴史を振り返ると、むしろ小室哲哉から離れてからの方がその人気の絶大さもさることながら、音楽のクオリティもライブのパフォーマンスもはるかに優れていることを知りました。
 年代的にも15歳でデビューし、40歳までの25年間の中でも2001年からのセルフプロデュースの期間の方が長く、彼女の評価はすでに小室哲哉時代では測れないことを知りました。
 とくに、テレビへの出演をなくし、ライブ一本で活動を続けてきたことや、そのライブでもMCがなく、初めから終わりまで歌とダンスのパフォーマンスだけで桁違いの観客動員と、彼女の音楽に対するシンパシーを高め続けてきたことに、まさしく平成の歌姫と呼ぶにふさわしい存在であったことをあらためて知りました。
 引退表明後のベストアルバムもダブルミリオンとなり、史上初となる10代・20代・30代・40代の4つの世代でのミリオンを達成しました。
 わたしは島津亜矢のファンとして、どちらのファンの方々にもひんしゅくを買うかもしれませんが、ジャンルもファン層もセールスの規模もまるで違いますが、音楽に対する真摯な姿勢やライブを一番とする活動など、安室奈美恵もまた島津亜矢とつながる音楽の冒険の森にいたる果てしない道を歩んできたのだと思います。
 昨年の紅白への出場を最終的に受け入れたのも、引退のライブツアーに来れないファンためだとされていますが、そのあたりもファンへの感謝を持ち続け、決しておごらず愚直に歌を歌うことでしかその気持ちを表せないと考えるところや、ベストアルバムの収録曲を手抜きせずわざわざ歌いなおしたと聞くにおよび、島津亜矢の歌への覚悟と心情につながっていると思いました。ほぼ同時代をまったく違った道を歩いてきた安室奈美恵の歌心と音楽的冒険もまた、まだまだつづく島津亜矢の旅のリュックに大切にしまっていってほしいと思います。
 わたしはくわしく知る機会がないのですが、リズム&ブルースの奥底にある悲しみと怒りを感じる感性が安室奈美恵にあり、それは本土を守るために沖縄の人々を犠牲にし、戦後は沖縄を踏み台にした戦後民主主義の矛盾に育てられた少年少女の一人であったことと無関係ではないと思うのです。
 ともあれ、島津亜矢がたとえば「一本刀土俵入り」や「瞼の母」を歌う時、今までどちらかというと「男歌」としてとらえられてきましたが、わたしは生まれ育ちから決して「期待される親子像」や「期待される家族像」とは縁遠い人生を送らざるを得なかった青年(少年)、非情な世界で生きざるを得なかった青年のかなしさと、それでもなくさなかった純情を、凛とした立ち振る舞いと少し遠くを見つめる瞳にかくしてまっすぐに歌いきります。
 それはそのまま、これらの芝居を書いた長谷川伸の表現の核心でもあります。
 長谷川伸の世界から生まれ、語り継がれてきたこの物語は、島津亜矢の歌の中でもう一度、傷つきやすい少年時代の官能的とも言える心の叫びとなってよみがえるのでした。
 長谷川伸の描く義理人情の世界は、いつのまにかあまり表だったものではなくなりましたが、いまだに歌や大衆演劇などで語り継がれているのもまたたしかなことで、いま、もしかするとわたしたちの心の底で、もう一度長谷川伸を必要としているのかもしれません。
 島津亜矢の場合も安室奈美恵の場合も、受け継がれてきた先人たちの歌の中にある歴史を知らなくても、歌そのものが歌うひとにもその歌を聴くひとにもダイレクトに純な心に届けてくれるのだと思います。
 島津亜矢が最近また「一本刀土俵入り」をコンサートで歌っていると聴き、3月のフェスティバルホールで歌ってくれるかわからないのですが、とても楽しみにしています。
 先日のNHKのBS放送の「BS新にっぽんの歌」で久しぶりに「一本刀土俵入り」を歌いましたが、ユーチューブなどで若い頃から最近までの音源がたくさんありますが、今回の番組での「一本刀土俵入り」はより進化しているように思います。
 恩師・星野哲郎もそうでしたが、虐げられたり理不尽な悲しみに打ちひしがれているひとびとと同じ場所に立ち、その隠れた心情を歌うとき、島津亜矢の歌はもっとも輝き、もっとも遠くの心に届くとわたしは思います。

安室奈美恵「Hero」NHKオフィシャル・ミュージックビデオ

島津亜矢「一本刀土俵入り」

web拍手 by FC2

2018.01.06 Sat 2017年紅白 島津亜矢「ローズ」と竹原ピストルとエレファントカシマシとSEKAI NO OWARI

ayarose.jpg

 昨年の紅白に出演した島津亜矢は「The Rose(ローズ)」を歌いました。
 第一部の紅組のトリで、前後にWANIMAと郷ひろみに挟まれて、教会風の舞台にいくつものバラが置かれ、本人は黒い振り袖姿で静かに歌いはじめました。
 バックに大人数の合唱団が控え、後半はゴスペル風のアレンジで熱唱しました。島津亜矢ファンのみならずその圧倒的な歌唱力はたくさんの心に届いたことでしょう。
 演歌歌手にとっては今でも紅白出場はそのまま営業に影響すると言われていますから、本来ならオリジナルの演歌や昨年のように美空ひばりなどの名曲のカバーが順当なところでした。
 しかしながら、島津亜矢が並外れた歌唱力で歌うポップスが評価され、昨年は大きな話題を呼んだことで、番組編成のチームはあえて彼女に洋楽を提案したのでしょう。
 その選曲にあたっても、多方面に驚きと共に高く評価されているホイットニー・ヒューストンの「I will always love you」のカバーが順当なところだったのでしょうが、ここでももう一歩踏み込み、島津亜矢の本質に迫る楽曲として彼女のポップスのアルバム「SINGER3」に収録されている「The Rose(ローズ)」を提案したのだと思います。
 わたしはかねてより島津亜矢がリズム&ブルースやソウル、ゴスペルなどを歌うと、「この人にはもともと黒人音楽のルーツが隠れている」と思わせるものがあり、不思議なことに大地の底を流れ、海をわたってやってきたその音楽が、彼女の出自である「演歌」と深くつながっていると思ってきました。
 それはかつて美空ひばりや浅川マキ、ちあきなおみなどの先人が切り開いてきた至高の音楽の荒野に、島津亜矢が到達した証でもあると思っています。
 ジャニス・ジョプリンをモデルにしたとされる映画「ローズ」の主題歌で、主演女優のベット・ミドラーが歌って大ヒットした名曲「ローズ」にゴスペルのコーラスを入れたのも、「結婚式でよく使われている」というだけではないと思います。
そこには島津亜矢に本格的なゴスペルを歌わせたいと願ったNHKの音楽番組チームの島津亜矢シンパのなせる業だったのだと思うのです。
 果せるかなその願いに見事に応え、島津亜矢は曲の入りはとても静かで、後半のゴスペルコーラスのパートでは黒人音楽の血がたぎるように体を揺らしながら、海の向こうの「密やかで切実な合図」を受け取るように歌い上げたのでした。
 島津亜矢の演歌の中にも脈々と流れている、「愛を必要とする心に届く音楽」はジャンルを軽々と超え、アメリカ大陸の長い歴史の底で声なき叫びを歌にしてきた黒人音楽のルーツとつながり、悲しみの中にも希望をさぐりあてる「ひとびと賛歌」になるのでした。
 もし、NHKの紅白チームが目先の流行だけでなく、「歌が生まれ、歌が眠る墓場」から立ち上る長大な叙事詩が時には演歌になり時にはリズム&ブルースになったりして、いつの時代にもひとびとをなぐさめ、勇気を与えるために届けられることを信じているとすれば、島津亜矢はそのことを体現する稀有の歌手として、演歌からジャズ、シャンソン、ブルースにいたるまでさまざまな音楽的冒険とともに紅白の出演を求められることでしょう。
 欲を言えば、せっかくゴスペルコーラスが入るのなら、もう一小節か二小節長く歌ってほしかった。そうすればゴスペルコーラスも島津亜矢ももっと一体化した素晴らしいものになったのではないでしょうか。あっけなく終わってしまったのは残念でした。
 それと、たいしたことではないですが、たしかテロップの日本語の訳は高畑勲で、映画「思い出ぽろぽろ」の主題歌「愛は花、君はその種子」というタイトルで都はるみが歌ったものになっています。わたしの好みでは直訳詩の方がこの歌らしいと思いました。
 高畑勲氏の訳では、自分の少女時代を振り返りながら精神的に自立してゆく女性の姿を描く映画にふさわしく、警句や予言、啓示など宗教的な黙示録のように自立しようとする女性の背中を押す歌詞になっています。
 直訳の方は「ある人は…」と続き、最後に「私は…」と歌う映画「ローズ」の内容になっています。ほとんど違いがないようですが、「思い出ぽろぽろ」の影響が強いのかわかりませんが、日本での数多くのカバーがどこか重々しくやや説教臭いのが気になります。
 ところが、日本での本家・都はるみの歌はほんとうにさりげなく、遠慮がちにとつとつと歌っています。都はるみもまたこぶしとうなりの演歌歌手とされていますが、ずいぶん前からさまざまなジャンルの音楽を歌ってきた歌手で、高畑勲はおそらくそんな全方向的な都はるみに「ローズ」のカバーではなく、「思い出ぽろぽろ」の主題歌としてこの歌を歌ってほしかったのでしょう。
 ベット・ミドラーも島津亜矢も、この歌を歌うときに陥りがちな教訓調ではなく、さまざまな悲しい出来事を通り過ぎてきた後のがれきに咲く一本のバラに、最後かもしれない愛を手繰り寄せる切ない女の心情を歌っていると思います。

 視聴率は芳しくなかったようですが、今回の紅白はそれなりのグレードを保った音楽バラエティ番組になっていたと思います。たしかに年に一度のお祭りと考えれば、紅白もまたバラエティ番組になっていくのは仕方がないことなのでしょう。
 その中でも竹原ピストルはアコースティックに歌の直接的な言葉が聴く者の胸に突き刺さる快感を共有することに成功していましたし、エレファントカシマシは過酷な日常や時代を乗り越える「友情」をいつも通りに歌ってくれました。また「SEKAI NO OWARI」は「世界の終わりから始めてみよう」という想いが込められたバンド名にふさわしく、自分らしく生きることの難しさを抱える若者に、「そのままで大丈夫」と勇気づける音楽を届けてくれました。
 さらに、今年もっともびっくりしたのは三浦大知でした。一年以上前になりますが、古館一郎が報道ステーションを降板した後のフジテレビ系の番組で、島津亜矢と競演してしているのを見たのがはじめてでしたが、その後の音楽番組での出演を見て、「ああ、日本にもマイケル・ジャクソンと太刀打ちできるダンスミュージックのエンタ-テイナーがいたのだと思いました。1987年生まれ、くしくも安室奈美恵も所属していた沖縄アクターズスクール出身で9歳でプロデビューし、2005年にソロデビューしていると知りました。もともとダンス音楽には興味がないわたしにはほとんどなじめないジャンルではありますが、アイドルグループのダンスとは全く別次元の「キレ」のあるダンスは舞踏に近いものを感じました。紅白では何といっても音楽なしで踊る「無音ダンス」にびっくりしました。日本の音楽シーンは別にして、世界の音楽シーンで活躍できるもっとも近い存在だと思いました。
 「いきものがかり」が休憩中で少し寂しく思いますが、もっとも1960年代の歌謡曲に近い存在と思っている桑田佳祐の「若い広場」もノスタルジーにあふれたステージでした。
 ここに挙げた人たちは演歌とは遠い存在ですが、わたしにとって島津亜矢と同じ匂いを感じるひとたちで、その匂いとは先ほど書いた「音楽は愛を必要とする心に届く」ことを体現している人たちで、その中には島津亜矢に楽曲提供してもおかしくない人たちがいます。
 今年の島津亜矢に期待するものといえば、演歌でもなんでもいいのですが、百花繚乱の様相を呈してきた音楽の作り手たちに固定観念を持たずに楽曲を提供してもらうプロデュースをぜひ進めてもらいたいと願っています。
いま、Jポップと呼ばれているジャンルはすでに歌謡曲と同義語でもあり、演歌・歌謡曲を作りたいと思っているソングライターがけっこういると思うのです。
 「ローズ」を聴き、太平洋を行き来する音楽の冒険を島津亜矢と一緒にしたいと思うソングライターの出現を待ち望んでいます。
 ところで、島津亜矢は竹原ピストルと話ができたのでしょうか。島津亜矢は紅白前のインタビューで竹原ピストルの生歌が聴けることを楽しみにしていると話していました。
 島津亜矢の感性の鋭さは、早くから竹原ピストルを見つけていたのですね。

島津亜矢「The Rose」

ベット・ミドラー「The Rose 」日本語訳付き

竹原ピストル / よー、そこの若いの(2015/11/25 LIVE at 吉祥寺Planet K)

エレファントカシマシ - 今宵の月のように & 俺たちの明日- ap bank fes 10 LIVE.

SEKAI NO OWARI 「RAIN」 Short Version PV 主題歌映画「メアリと魔女の花」

web拍手 by FC2

2017.12.24 Sun 2017年紅白の島津亜矢の歌唱曲は「The Rose」。実人生では報われず、愛と悲しみを歌うことでしか救済できなかったジャニスへの鎮魂歌。

島津亜矢「syinger3」

 紅白歌合戦の歌唱曲と歌唱順が発表され、島津亜矢はなんと「The Rose」を、前半のトリで歌うことになりました。
 今年の紅白は安室奈美恵と桑田佳祐の特別出演や、演歌では丘みどり、ポップスではエレファントカシマシ、竹原ピストル、三浦大知、SHISHAMO、WANIMA、Little Gree Monstar、TWICEなど、実力派や話題のアーティストが初出演することで、例年よりも盛り上がりが予想されます。
 井上陽水や松山千春など、NHKに望まれても紅白に出場しないアーテイストがほとんどいなくなり、若いひとたちにとってそれなりの特別な歌番組として認識されるようになり、「親が喜ぶ」といった感想が普通になってしまいました。
 それだけに若い人たちに圧倒的な人気があり、コンサートの動員力が半端ではない将来性のある若いミュージシャンの出演交渉がやりやすくなったところはあるかもしれません。特に今年はこれからの音楽シーンをけん引するJポップの若い才能が結集した感があります。
 紅白が他の音楽フェス番組と大きく違うのは、何といってもJポップのアーティストだけではなく、演歌・歌謡曲の歌手も結集するところにあります。そのため、音楽シーン全体から見れば人気があるとは言い難い歌唱力のある(?)演歌歌手か、いま流行りのJポップの歌手か、誰それが出演しないのになぜあの歌手が出演するのかと、この時ばかりは「公共放送」であることも要因となり、ほかの音楽フェス番組では問題にもならないことが議論されます。
 いま流行りの歌手といえば演歌歌手に比べて観客動員数が一桁どころか二桁三桁ちがうJポップの歌手だけでこの番組の出演総数をはるかに超えてしまいますが、わたしもふくめてNHKの音楽番組をよく見る中高年の視聴者が彼女たち彼たちの名前すら知らず、だからと言ってわたしもふくめて中高年の視聴者がすべて演歌好きでもなく、ポップスやロックのファンのひともたくさんいます。
 ですから、わたしの場合は普通に暮らしていたらまったく聴く機会がない若いアーティストの才能に触れる絶好の機会を提供してくれるという意味で、紅白はうれしい音楽番組なのです。
 それはさておき、島津亜矢のファンとしては、彼女自身もファンのためにも紅白出場を願っていることもあり、今年もなんとか出演を果たせたことは喜ばしいことではあります。以前にも書きましたが、NHKの音楽番組担当チームの中では演歌のジャンルでも世代交代を求めていて、その流れが一昨年、島津亜矢の14年ぶりの紅白出演につながったのですが、一方で数少ない演歌枠の中で、いつのまにか島津亜矢自身がベテランの域にあり、台頭してくる若手の歌い手さんにとってかわられる心配もあります。
 たとえば今回トリとなった石川さゆりや天童よしみが世代交代の波をかぶるような予想もありますが、わたしはこの二人はまだ当分出演が続くと思います。
 とくに石川さゆりはベテランにもかかわらず、絶えず音楽的冒険を続けていて、ポップス系のアーティストからの楽曲提供やコラボも高い評価を得ています。
 もちろん、今回の歌唱曲「津軽海峡冬景色」は阿久悠没後10年ということや、この歌が演歌にありがちだった耐え忍ぶ女性像から脱出し、自立した女性像を打ち出した楽曲の一つであることなどを思うと、彼女にはポップスもふくめて数々の名曲がありながらも、この歌を歌うミッションを感じていると思います。
 ですから、島津亜矢の立ち位置はわたしたちファンが思うよりは危いところにあると思うのです。ファンの願望としては島津亜矢が演歌枠ではなくポップス枠でもない実力派の歌手として選ばれたと思いたいのですが、ポップス系はすそ野が広く、歌唱力のある歌手はたくさんいますから、やはり演歌枠の中で「ポップスを歌える演歌歌手」という希少価値が認められて選ばれたのだとわたしは思います。
 事実、今年の島津亜矢はTBSのJポップ系の番組に出演し、高い評価を得ました。そのことはずいぶん前から彼女のポップスの歌唱力を高く評価してきたNHKの音楽番組チームにとってもうれしいことであったのかもしれません。さらに言えば、島津亜矢のポップスの歌唱をずっと前から評価してきたのはNHKであるという自負もあるかもしれません。
 ともあれ、紅白のハイライトとは縁がなく、番宣の番組への出演もない島津亜矢を心密やかに熱烈に応援するNHKのスタッフが確実にいるということでしょう。今年の島津亜矢の歌唱曲「The Rose」は、そんな思いが積み重なって選ばれたのだと思います。
 「ローズ」は1979年のアメリカ映画「The Rose」の主題歌です。映画「The Rose」はジャニス・ジョプリンがモデルとなっていて、ベトナム戦時中の60年代、アメリカを舞台に、酒と麻薬に溺れながらも歌いつづけた女性ロック・シンガー、ローズの愛と激情の人生を描いています。主演したベット・ミドラーが歌った「The Rose」はゴールデングローブ賞やグラミー賞も受賞するなど、大ヒットしました。
 また、時代を越えて多くのアーティストによってカバーされており、日本ではジブリ映画「おもひでぽろぽろ」の主題歌として、この映画の監督・高畑勲の訳詩で都はるみが歌った「愛は花、君はその種子」というタイトルのカバー曲もつくられました。
 2015年にはTBS系金曜ドラマ「アルジャーノンに花束を」の主題歌として原曲が使われ、話題になりました。
今回の歌唱はおそらく「SINGER3」に収録した英語の原曲を歌うことになると思うのですが、「 I Will Always Love You」のような声量を活かした名曲調ではなく、静かに語りかけるように愛を歌うロックバラードは心に少しずつしみこんでいくようです。
 演歌にしろポップスにしろ、島津亜矢は声量を抑え、聴く者の心のなかに歌の残像と記憶を残すことを学んでから表現の幅が広がりましたが、まさにこの歌はその表現力がなければ歌にならない難しい曲だと思います。
 ジャニス・ジョプリンをモデルにして、主人公のローズがたどる酒とドラッグと歌の人生を描いた映画が終わり、その余韻を残しながら流れるこの歌はそのままジャニスへの鎮魂歌で、子供の頃から歌うことを宿命とした島津亜矢にとっても自分の人生と重ね合わせ、身につまされるところもあるのではないでしょうか。
 華やかでにぎやかな中でこの歌を島津亜矢が歌い始めると、会場が少しシーンとなることでしょう。前半のトリという歌唱順は、そのことにも配慮した演出ではないでしょうか。

島津亜矢「The Rose」

ベット・ミドラー「The Rose」 (歌詞字幕)

web拍手 by FC2

2017.12.18 Mon 「難破船は中森明菜の復活を願う祈りの歌 島津亜矢「SINGER4」

SINGER4.jpg
 
 紅白歌合戦で島津亜矢が何を歌うのか、NHKが何を歌わせるのか、ファンの間では様々な予想が沸騰しています。
 わたしは本来、島津亜矢が紅白に出演してもしなくても、それほど重く感じていません。というのも、島津亜矢という歌手の進む道がどうやら目先の人気では語ることができない彼女独自の新境地へとつながっていると思っているからです。
 16歳でデビューした島津亜矢は不運を引き受けざるを得ませんでした。ひとつは若くして群を抜く歌唱力と声量が絶賛される一方で、今までの予定調和的な演歌ファンから敬遠されるところもあったのではないでしょうか。
 そんな彼女にとってベテランの演歌歌手の存在にやや陰りが出てきたと同時に、島津亜矢のとてつもない才能が顕在化したというべきでしょうか、ふと周りを見ると年齢的には若いにもかかわらず、いつのまにか若手というよりは演歌界をけん引する存在になり、彼女につづく若い演歌歌手のために固く重いドアを開く役目を担わなければならなくなりました。
 わたしは今の演歌は実は1970年代にフォーク、ニューミュージック、Jポップへと歌謡曲が分裂した後に残されたジャンルで、今の形のままではいずれは消滅してしまうのではないかと深刻に思います。
 一方で没後10年という節目の年でもあり、たびたび阿久悠の特集が音楽番組に組み込まれたり、第一線で活躍する松本隆やシンガー・ソングライターの水野良樹などは作詞家が詞をつくり作曲家が曲をつくり、信頼すべき歌手が歌いこむという作り方への回帰を提案しています。その背景にはシンガー・ソングライターの自作自演はそのアーティストの世界観を表現するにはいいのですが、技術的にも内容的にも自分の歌いやすい歌ばかりになってしまい、閉塞感から抜け出せない現実があるからだと思います。
 くしくもヒップホップブームに先駆けてJポップの女王であり続けた安室奈美恵の引退、さらには今年の紅白に出場する竹原ピストルのようにアコースティックギター一本の弾き語り、中高年を励ます応援歌を歌うロックバンド・エレファントカシマシなど、1970年代の再来とまではいきませんが、大衆音楽のアナーキーなカオスの中から来るべき新しい歌謡曲ルネサンスがすぐそこまでやってきていると確信します。
 その時にこそ、島津亜矢がかつての美空ひばりのように大衆音楽の歌姫として来るべき時代を担うことになるでしょう。その時のためにも、目先の紅白出場だけにとらわれず、彼女の音楽的冒険を最大限に生かしたプロデュースを切望します。

 さて、「SINGER4」に収録された楽曲の中で、「YELL」に次ぐショックを受けたのは「難破船」でした。
 当初は正直、少し違和感を感じたのですが、何度も聴いているうちにカバーで歌うには最高難度のこの曲に、島津亜矢がカバーで終わらせない新しいいのちを吹き込んだと思いました。
 わたしは中森明菜が好きでこの歌もリアルによく聴いていました。この歌は加藤登紀子が1984年に発表し、その後加藤登紀子本人のすすめで1987年に中森明菜が歌ったとされます。
 1982年にデビューした中森明菜は同時代に人気を二分した松田聖子が明るく清純なイメージに対して、暗くてやや不良少女的なイメージを背負わされていました。
 わたしは美空ひばりと同じように、島津亜矢のカバーを聴いてから松田聖子のすばらしさを知った人間ですが、リアルな頃は断然明菜派でした。この歌い手さんは実はとても明るく純情で、世間やまわりの人が彼女に望むことを素直に受け入れようとする人だと思いました。そしてまた、結構早くから衣装や振り付けや楽曲にも自分の意見を言い、デビュー当のアイドルからアーティストへと変貌しました。
 「難破船」は中森明菜のベストヒット曲というわけではないのですが、ほかの歌とはまったくちがう、鬼気迫る歌唱が今も心に突き刺さります。
 原作者の加藤登紀子が歌うとこの恋は歌詞通りにすでに終わっていて、とても悲しく孤独でどうしようもない心の行方が見定まり、歌が語り部となって聴く者の追体験をも慰めてくれるようです。
 中森明菜の場合は、リアルな時も今も、わたしは心落ち着いて聴いていられません。イントロや間奏の間、彼女の目線の先に何があるのか、とても繊細でおどおどしているようで、つぶやくように歌う低い声とせつせつと歌う仕草は、どうしても歌の中の世界ではなく、彼女自身の心のありようがあふれ、身につまされてしまうのです。
 中森明菜の「難破船」ではまだ恋は完全に終わっていない、今まさに恋が彼女の目の前からかき消される瞬間で、彼女が歌い終わった時、ほんとうに恋は終わってしまうのでした。そこでは悲しみを通り過ぎた孤独が待っていて、彼女は心も体も命も削るように歌っています。その類まれな歌唱力と独特なステージパフォーマンスでファンを虜にしたスーパースター・中森明菜もまた、どこか不幸の影を身にまとい、時代に翻弄された歌姫でした。松田聖子が時代を恋人にした永遠のアイドルだとしたら、中森明菜は時代の愛人にされたマッチ売りの少女と言えるのかもしれません。
 くしくもこの歌が発表された2年後の1989年、当時交際をしていた近藤真彦の自宅マンションにて自殺未遂事件を起こし、中森明菜は芸能活動を約一年間休止します。その後、さまざまなバッシングや彼女自身の体調不良などで活動休止があり、テレビなどの音楽シーンには登場しなくなりました。
 島津亜矢の「難破船」は、オリジナルよりもかなりスローなテンポで、最初はほぼオリジナルを踏襲しているのですが、後半のサビあたりからすでに中森明菜の歌ではなく、島津亜矢の「難破船」になっていくのでした。
 島津亜矢の「難破船」は今まさにこの恋が終わったところで、悲しみと孤独は崩れ落ちるガラスのがれきのように冷たく光りながら彼女の心の行方をふさぐようです。
 これ以上立ち直れないところで彼女の歌は、わたしたち聴く者に届く前に彼女の心の中で泣き叫んでいます。わたしたちは彼女が思いっきり泣いた後に、それでも生きていってと背中を軽く押すことしかできません。
 島津亜矢は中森明菜の「難破船」が行き惑う荒海で、行き先をなくした恋心を粉々にする白い牙と黒い岩にぶつかり、とうとう座礁してしまうのを見守るように歌います。そこでは「難破船」という歌は中森明菜の復活を願っているような祈りの歌へと昇華しています。
 この歌の王道は、やはり加藤登紀子の挽歌か中森明菜の絶望的なつぶやきなのだと思いつつ、島津亜矢は「難破船」を祈りの歌として、新しくよみがえらせました。
 この曲に限らず島津亜矢のカバーは決してオリジナルから離れず、オリジナルを羅針盤にして船出するように歌いますが、オリジナルの航海を見届けたところから島津亜矢の「もうひとつのオリジナル」が、カバー曲に新しいいのちを吹き込み、よみがえらせます。
 「難破船」がその中でも最も高みにたどり着いたカバーとなったのは、ピアノ伴奏だけの編曲にし、自らピアノを演奏した吉田弥生の助けがあったからだと思われます。
 この組み合わせは「SINGER3」の「わかってほしい」以来だと思いますが、その時は一発同時録音で収録され、その緊張関係が素晴らしい演奏になったと記憶していますが、もしかすると「難破船」も同録だったのかもしれません。
ずいぶんゆっくりしたテンポといい、島津亜矢のボーカルと泣けそうなピアノの繊細な絡みが素晴らしく、説得力のある歌唱につながったのでしょう。
 「SINGER4」には刺激的な歌が多く、次回は「命の別名」について書いてみようと思います。

中森明菜「難破船」作詩&作曲・加藤登紀子

加藤登紀子「難破船」 

web拍手 by FC2

2017.12.05 Tue 島津亜矢に時代は追いついたが、歌う歌がない。島津亜矢、紅白出場に想う。

simazuaya20171205.jpg

 島津亜矢の紅白出演が決まり、ファンサイトでは歌唱曲に関心が移っています。
 実際のところ、大みそかの歌のお祭り番組と思えば濃淡はあっても出演するだけで目的を果たせているわけで、何を歌おうがかまわないというのもまたファンの心情ではあります。
 しかしながら、出場歌手と不出場歌手とを比べてみればコンクールではなくても、「なぜあの歌手は出場しないの」とか「なぜあの歌手は出場するの」という声が聞こえてくるのも毎年のことです。そんなことを気にすると、ファンとしてどんな楽曲を歌ってほしいか、制作側はどんな楽曲を望んでいるのか、そして一般の視聴者が感激してくれるパフォーマンスを発揮できる楽曲は何かを予想するのは楽しみでもあります。

 世代間で高齢者が演歌・歌謡曲、若い人たちがJポップという分け方は意味がなく、わたしのように演歌からJポップ、ジャズまで当たり前に聴いている高齢者もまたたくさんいます。しかしながら、反対に若い人たちが演歌・歌謡曲のリスナーになることはこれからもかなり難しいこともまた事実でしょう。その理由のひとつは「氷川きよし」現象は別格で、この分野での音楽的冒険がほとんどないことにあります。
 単に懐メロがなつかしいというだけでなく、わたしの若い頃はポップスよりも演歌の方が時代を背負い、時代とたたかう人々の悲しみや寂しさを歌ってくれました。例えば居酒屋やパチンコ屋や喫茶店や商店街のアーケードに流れたその歌の歌詞の一節にはげまされたり慰められたりいやされたりと、自分の人生を見守り、見届けてくれた歌がたくさんありました。
 わたし個人の感じ方でしょうが、今のはやり歌はポップスでも演歌でも時代の鬱屈した空気を歌う歌がほとんどありません。もちろん、たとえば西野カナの歌のように若い人の個人的な体験に寄り添い、心のひだに溶けこむ歌はとくにJポップの分野ではたくさんあり、それが音楽のヘビーユーザーである若い人たちにコミットすることはあるのでしょう。
 しかしながら個人的な出来事や感情を歌いながらも色濃く時代を背負うような楽曲は、「歌は世につれ世は歌につれ」といえた幸せな時代から遠く離れてしまった今、なかなか生まれにくいのだと思います。
 これもわたしの独断と偏見ですが、かろうじて中島みゆき、松任谷由美、宇多田ヒカル、わたしがイチ押ししている水野良樹、SEKAI NO OWARI 、エレファントカシマシなど、Jポップの分野には時代を背景にした楽曲が数多く発表されていて、それらの歌はおそらく後世に残るでしょうが、最近の演歌の場合はほとんど残らないとわたしは思います。(浜圭介にはもうひと頑張りしてほしいと思っているのですが。)
 そう考えると、島津亜矢の行く末はとても心配になります。かつて20代後半から30代に演歌の分野で絶大かつ稀有な歌唱力が生かされない中、ただひたすら苦難の道をひた走り続け、今ようやく演歌からポップスまで歌える歌手として評価を得ているというのに、なお島津亜矢には歌う歌がない、時代は島津亜矢に追いついても、歌はまだ島津亜矢に追いついていない…。
 もちろん、彼女のチームが世に出した数々の楽曲がJポップに劣っているというのではなく、Jポップも演歌・歌謡曲も共に、歌うべき時代を見失っているとわたしは思います。
 島津亜矢の場合、演歌・歌謡曲の歌唱はすでに完成されているだけでなく、彼女の歌に対する真摯な対し方に助けられて歌がなんとか生かされているというのが実情です。演歌の分野にもともとはまりにくいスケールの大きさが、作り手にとっては一筋縄では行かず、彼女にふさわしい演歌をつくることを難しくしているのではないでしょうか。
 失礼を承知で言いますが、すでに既存の演歌の作り手が楽曲を提供するのが難しい歌手になった島津亜矢は、それゆえにますます歌に恵まれないという皮肉で悲しい状況にあります。現に市川由紀乃や丘みどりのCDの売り上げは島津亜矢のCDよりも売れていると思います。彼女たちの歌は彼女たちの歌手としての力量に寄り添い、聴き手の欲求にもマッチングし、CDセールスに力も入れています。
 もちろん、CDの売り上げがすでにヒットの証明ではないという意見も本当ですが、それはツアーやコンサートだけでなく、音楽フェスなど多様な市場を持つJポップの話で、残念ながら演歌・歌謡曲の場合はCDの市場をふくめて数少ない小さな市場でユーザーを取り合っているのが実情でしょう。
 一方で、長年培ってきたポップスの歌唱力が注目され、今年次々とメインストリームの音楽番組に出場し、驚きをもって迎えられた流れをCDやコンサートのセールスにつなぐためには、真剣にJポップの分野のヒットメーカーに楽曲を依頼するしかないと思っています。そして、今年たまたま2曲出すことになったいきさつはともかく、来年からは意識的に演歌・歌謡曲とポップスの2曲を発表し、しかも演歌の作詞作曲もポップスの作り手にゆだねて新鮮な演歌を島津亜矢には歌ってほしいのです。
 その候補者は先に挙げた人の他にも、島津亜矢のポップスの歌唱力を高く評価し、コンサートにも来てくれる松尾潔など、島津亜矢の周辺にもたくさんいると思います。松尾潔は演歌では坂本冬美や山内惠介に楽曲を提供していますし、ポップスではケミストリーの生みの親で、宇多田ヒカル、平井賢、MISAなどのプロデュースも手掛け、R&Bと日本の歌謡曲を関連付けて考えられる稀有の人だと思います。
 おそらく島津亜矢の音楽性の中でもいま最も先端にあるR&Bを歌える歌手と認め、オリジナルのブラックミュージック&演歌を提供してくれる第一人者ではないかと思います。演歌の方では、まだ彼の才能を十分に生かし切れていないと思われ、本腰を入れて島津亜矢のプロデュースをお願いしてはどうでしょうか。島津亜矢が演歌もポップスもジャンルを超えたボーカリストになるためには異色のプロデューサーと作詞作曲者による大掛かりで長期的な戦略が必要だと強く思います。

 さて、わたしも少し遊ばせていただき、島津亜矢に歌ってほしい楽曲を考えてみたいと思います。すでにファンサイトでも提案されているものですが、第一候補は「風雪ながれ旅」です。この歌を歌う可能性は限りなくゼロですが、もし北島三郎が特別審査員となり、現役の歌手でたくさんの弟子を抱えている身ではあっても、それらの事情を越えてあえて島津亜矢に演歌の未来を託し、この歌を歌うことを許してくれるほぼゼロの可能性に賭けてみたいのです。そうなれば当然歌唱順も大トリなるでしょうし、このもしもが実現したら、こと紅白に関しては来年の出場も約束されるでしょう。
 次の候補は「I CAN’T DO ANYTHING-宇宙よ」です。この楽曲は「ガンダムの最新作」の主題歌としてつくられ、総監督が島津亜矢に歌ってほしいとオファーして出来上がった曲でも作曲は服部隆之です。わたしはかねてより島津亜矢がアニメソングを歌ったらと思っていました。「SINGER4」でも「魂のルフラン」を熱唱していますが、「I CAN’T DO ANYTHING-宇宙よ-」は正真正銘彼女のオリジナル楽曲で、良質で難しいポップスを見事に歌いこなしていますので、ポップスファンをびっくりさせることはできるでしょう。ただ、ポップスファンですらなじみがなく、紅白に出るのなら島津亜矢には演歌を歌ってほしいという声も根強いですから、これも実現はほぼセロかなと思います。
 3番目は「乱れ髪」です。これも昨年美空ひばりの「河の流れのように」を歌いましたから、別の演歌歌手との兼ね合いもあり、さすがに2年続けてはないかなと思うのですが、船村徹の関係でプロデュースされるのなら、島津亜矢の「乱れ髪」はコンサートではよく歌ってはいるものの、演歌ファンにとっても新鮮に聞こえるのではないでしょうか。
 あとは「旅の終わりに聞く歌は」はビギンの比嘉栄昇が田端義夫につくった名曲で、私の妻の推薦です。オリジナルの「海鳴りの詩」も船村徹がらみですが、やや古いかなと思います。
 あとはもう、よくわかりませんので、発表を待つことにします。

島津亜矢「風雪ながれ旅」(フルコーラス)

島津亜矢「旅の終わりに聞く歌は」

web拍手 by FC2