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2017.05.23 Tue 新しい日本のソウル・ミュージック 島津亜矢「時には母のない子のように」

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 ここ最近、地域のイベント「ピースマーケット・のせ」と友部正人コンサートに必死で、島津亜矢の記事が十分に書けませんでした。その間、島津亜矢はNHKをはじめとするテレビ番組で刺激的な歌を熱唱していて、今でも私の番組録画にストックされたままです。
 イベントも終わりようやく落ち着いてきたのですが、友部正人の半世紀におよぶ歌の旅を追走しているうちに虜になってしまい、なかなか彼の麻薬のような歌の世界から抜け出せないでいます。
 わたしは島津亜矢にめざめ、美空ひばりから、まだ記事を書けていないのですが高橋優、SEKAI NO OWARI、エレファントカシマシなどのポップス、果てはジャズやブルース、ロックに至る音楽の荒野を広げてきたのですが、友部正人はその誰ともちがう荒野を孤高に旅してきたひとで、ある意味島津亜矢とはもっとも違う道のりを歩んできた人です。
 友部正人のファンからも島津亜矢のファンからも怒られることを覚悟でいえば、もし人類が誕生して以来、私はここにいるというつぶやきや悲鳴から、それを受け取る誰かが一人二人と現れて歌が生まれたのだとすれば、友部正人の歌の歌詞にあるように「歌は歌えば詩になって行き」、「君が歌うその歌は世界中の街角で朝になる」のだと思います。
 友部正人が歌の生まれる瞬間を旅し続けるシンガー・ソングライターなら、島津亜矢は歌の生まれる瞬間へと立ち戻り、歌そのものが持つ記憶を時代の共有財産としてわたしたちに届けてくれる稀有なボーカリストで、二人とも世界に広がる荒野をすすむ孤高の旅人であり続けることでしょう。

 今回は先日島津亜矢がNHKの「うたコン」で熱唱した「時には母のない子のように」について書きたいと思います。実はこの放送があった5月16日の夜、わたしは友部正人コンサートの後始末で見ることができず、ユーチューブに上げてくれるファンの方の録画を見ました。
 既に数多くの方々が報告されていますが、この数年間の島津亜矢のカバー曲にとどまらず、もしかするとオリジナルの歌唱を含めても最高の歌唱ではないかと思います。
 「時には母のない子のように」は1969年に発表された歌ですから、島津亜矢はまだ生まれていません。ですからこの歌をカバーすることになれば歌詞と楽譜とオリジナル歌手のカルメン・マキの歌唱を研究するところから始めることになるでしょう。
 すでに何人かの歌唱力のある歌い手さんがこの歌をカバーしていますが、どのカバーも当時17歳だったカルメン・マキが無表情で歌う暗い歌という印象をなぞり、少し変わった歌謡曲という範疇で歌われているようです。
 しかしながら、島津亜矢はまったくちがう歌唱でこの歌を私たちに届けてくれました。それは単に明るく歌うことではなく、1969年という彼女自身が生まれる前の激動の時代につくられた歌が持つ記憶に導かれ、半世紀後の今、21世紀の日本のソウル・ミュージックとしてよみがえらせたのでした。
 そしてこの歌が歌謡曲という体裁をつくろいながら、あらためて黒人霊歌をルーツとするソウル・ミュージックであったことを教えてくれたのでした。
 島津亜矢が古い歌をカバーする時に懐メロにならないのは、先述したように歌には歌そのものが持つ記憶がいくつも隠れていることを知っていて、その記憶のひとつひとつを解きほぐし、歌の生まれた時代をよみがえらせることができるからです。そして、今回歌った「時には母のない子のように」は、最高のパフォーマンスでそれを成し遂げた歌唱であったと確信します。

 「時には母のない子のように」は、寺山修司が作詞を手がけた初期のいくつかの歌の中でも大ヒットした曲で、カルメン・マキを一躍有名にした他、1967年に結成した劇団・天井桟敷の存在も広く世に知られるきっかけにもなりました。
 寺山修司はその著書で美空ひばりや畠山みどりなど、数多くの歌手を取り上げています。70年安保闘争の主軸の一つだった大学生の学生運動よりも、彼は集団就職で地方から東京などの都会にやってきた若年労働者やフリーター、ヒッピーといわれる若者など、社会の底辺でうごめく若者たちによる「もうひとつの革命」を夢見ていたのでした。
 そして当時発禁となった「家出のススメ」を読んで寺山を頼ってきた若者たちの活動の場として劇団をつくり、その劇団の資金作りのために次から次へと本を出版したり映画の脚本を書いたりしていました。寺山修司の本は少なからず当時の若者たちに圧倒的な支持を得ていました。私もまた、その中の一人でした。
 彼のアカデミックなものへの攻撃は当時の現代詩にもおよび、書斎で書く詩よりも競馬の1レース分の長さの歌謡曲の方が、現代を生きるたくさんの人々に生きる勇気を与えると主張し、現代詩人よりも歌謡曲詩人・星野哲郎を高く評価していました。
「時に母のない子のように」は、そんな寺山修司が自らの作詞とプロデュースで歌謡曲の世界に挑んだ最初の試みといってもいいでしょう。
 この歌は母の愛を賛美する歌ではなく、母親が子どもを精神的に拘束し、近親相姦に近い背徳と所有欲から逃れたい願望が歌われています。それはまた親子の愛で若者を手なづけ、国家や大人たちの都合のよい人間に調教しようとする社会への反逆でもありました。
 当時この歌が実際に親のいない子どもたちを傷つけると批判がありましたが、その批判の根拠となる「両親がいて子どもがいる家族愛」というスタンダードな社会規範こそが、そうでない子どもを差別し傷つけていると考えていたわけでしょう。
 それよりも、この歌が黒人霊歌「Sometimes I feel like a motherless child」にインスパイヤされてつくられていて、奴隷としてアメリカに連れて来られ、二度と母親に会うこともなく過酷な苦役と差別の中で「時には母のない子のように思う」と嘆く黒人奴隷のあきらめに似た嘆きを隠しています。いわば「時には母のない子のように」はそれ自体、世界の暗黒の歴史を記憶していて、寺山修司が日本の大衆音楽である歌謡曲の形を借りて世に送り出したソウル・ミュージックだったのではないでしょうか。
 島津亜矢がそんなことを思って歌ったのかといえば、そうではないでしょう。反対に「感謝状~母へのメッセージ」と同じように、「母のない子になったなら、誰にも愛を話せない」と歌うことで、母の愛を賛美する歌と思っていたのかもしれません。
 彼女の稀有の才能は、たとえ彼女がそう思っていたとしても、歌の持つ記憶が彼女にほんとうのことを伝えてくれるのでした。
 ちなみにわたしは、どちらかといえば「感謝状」は苦手な歌で、この歌に限らず母の愛や親子の情よりは、同じ星野哲郎でも「兄弟仁義」のような「友情」を歌った歌が好きなんですが…。
 島津亜矢に「時には母のない子のように」をうたうことを依頼した「うたコン」の制作チームに拍手を送りたいと思います。このチームの中にはこの歌が単に母の愛を賛美する歌ではなく黒人霊歌を本家どりする寺山修司の隠し玉であったことをよく知り、ソウル・ミュージックやリズム&ブルースを歌える島津亜矢に、「I Will Always Love You」の向こうを張る日本のソウルを歌ってもらいたいと思う人たちがいるのでしょう。
 この番組への批判が演歌ファンに多く、Jポップのファンはこの番組を見ない状況は、実は島津亜矢と彼女を長年ボーカリストとして高く評価してきたNHKの音楽番組制作チームにとっては絶好のチャンスだと思います。
 かつて「BSの女王」と言われたころとよく似ていて、バラエティ化した番組構成にかくれて、どんな音楽的冒険もできる環境にあると思います。美空ひばりに対してそうであったように、島津亜矢にどんな歌を歌わせるのかと心躍らせて企画を練るこのチームに乾杯です。

島津亜矢「時には母のない子のように」

カルメン・マキ「時には母のない子のように」

Odetta「 Sometimes I Feel Like a Motherless Child」

Janis Joplin「Summertime」
ジョージ・ガーシュウィンが1935年のオペラ『ポーギーとベス』のために作曲した「サマータイム」もまた、この黒人霊歌にインスパイアされてつくられました。
カルメン・マキはジャニス・ジョプリンを聴き衝撃を受け、ロックバンド「OZ」を結成し、数々の名演を残しました。2年前、天六の古書店で開かれたライブは総勢20人ぐらいのお客さんで、わたしは彼女と1メートルないぐらいの距離の席にいました。
素晴らしいライブで、寺山修司の牢獄から解放され、さまざまな音楽的冒険を経て今、寺山修司をこよなく愛する彼女が歌った「時には母のない子のように」は、本来のソウル・ミュージックに戻ったやさしさのあふれた歌になっていました。

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2017.04.14 Fri 島津亜矢・「明日にかける橋」と「いっぽんどっこの唄」

島津亜矢コンサート2016

 島津亜矢の音楽番組出演がつづくのと、それ以外のライブや活動記録と重なり、感想ブログが追いつかなくなり、いっそのこと飛ばしてしまってもいいかなとも思うのですが、それでも3月19日放送のNHKBSプレミアム「BS新日本のうた」のスペシャルステージでの「お吉」、「独楽」につづいて歌った「いっぽんどっこの歌」には格別の思い出があるため、おくればせながら書いてみることにしました。
 その間にも直近のNHK「うたコン」に島津亜矢が出演していたことを知らず、仕事をしていて見逃してしまい、録画もしていませんでした。ファンの方々の報告でサイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」を歌ったと聞き、残念に思っていたところ、最近はそれほどの縛りがないのか、ユーチューブに挙げている人のおかげで聴くことができました。彼女のブログによれば10日前にこの歌を歌ってほしいという要請があったということで、急仕込みとはいえ素晴らしい歌唱でしたが、もう少し歌いこめばこの歌の奥行きをとらえることができたのではないかと思いました。
 1970年に発表されたこの歌はポール・サイモンがゴスペルに影響を受けてつくった曲と言われていて、ちなみにこの曲に触発されたポール・マットニーが「レット・イット・ビー」をつくったと言われています。
 ベトナム戦争末期の反戦運動など激動のさ中、世界の人々が深く傷ついた時代、この曲にこめた祈りは、傷つき、損なわれてしまった時代そのものに捧げられていると思います。
 そして今、度重なる震災で日本社会そのものが損なわれ、シリアでは犠牲者のしかばねをどれだけ積み上げたら紛争とテロが収まるのか見当もつきません。さらに北朝鮮とアメリカの脅し合戦がエスカレートし、現実感のないまま巻き添えになる不安から、いわゆる「共謀罪」や憲法「改正」をわたしたちの社会が求めてしまう危うさを感じます。
 そんな時代だからこそ、この番組の制作チームは(おそらくいつも)島津亜矢に、傷ついた世界の人々、彼女の出身である熊本や東日本の人々、失われた無数のいのちへの鎮魂と祈りをこめたたましいの歌を歌ってほしいと願ったのだと思います。
 そこまでの思いにこたえるには、やはり急ごしらえの感はぬぐえないのもまた真実で、島津亜矢だからこそこの歌にもっとたましいを注入し、歌を必要とする世界の人々に届く歌として、これからも歌ってほしいと思うのです。
そしていつか、悲鳴を上げている世界と人々の心を癒す「大きな歌」をオリジナルで歌うために、もっといろいろな歌のつくり手が彼女の存在を知る機会が増えればと思います。
 いろいろ多方面から不満が聞こえる「うたコン」ですが、島津亜矢にとってはそんなチャンスと出会える大切な番組ではないでしょうか。

 さて、「いっぽんどっこの歌」ですが、島津亜矢にとって北島三郎の歌を歌う以上に感慨深いものがあったのではないでしょうか。 というのも、この歌は水前寺清子と星野哲郎の深い絆から生まれ、星野哲郎の大きな冒険と「たたかい」から生まれた歌だからです。
 それというのも1963年、レコード業界に君臨する日本コロンビアから経営陣の一部やディレクター、作詞家の星野哲郎、作曲家の米山正夫らがクラウンレコードを設立し、歌手の北島三郎や水前寺清子が移籍するという「大事件」があったからです。
 この頃はレコード会社がほぼ歌謡界を支配していて、各レコード会社に作詞家、作曲家、歌手が専属にいて、その枠組みから外れるとほぼ活動できなかったようです。ですから、新しいレコード会社の設立には当然強力な妨害が入り、星野哲郎は畠山みどりもクラウンに移籍してほしいと思い、話が決まる前にコロンビアによって阻止されたいきさつがあるようです。
 そこでコロンビアで何度もレコーディングするも日の目を見なかった水前寺清子をクラウンに移籍させ、1964年、畠山みどりが歌う予定だった「袴を履いた渡り鳥」を「涙を抱いた渡り鳥」とタイトルを変更してデビュー曲としたのでした。
 星野哲郎にとってこの時代は大きな賭けに出た時で、何が何でもクラウンに移籍した歌手たちのためにヒット曲をつくらなければと特別な決意のもと、北島三郎の「兄弟仁義」をヒットさせ、1964年に水前寺清子の「涙を抱いた渡り鳥」をヒットさせます。
 この頃のクラウン専属のテレビ番組には北島三郎、水前寺清子の他、美樹克彦、笹みどりなどが出演していましたが、とにかく過剰なまでの思いと心意気があふれていて、それがまた歌をヒットさせていたのだと思います。
 後で知ったのですが、五木寛之の「艶歌」シリーズの小説の主人公「艶歌の竜」こと「高円寺竜三」のモデルとして知られる名ディレクター・馬渕 玄三もまたクラウン設立の立役者の一人で、テレビドラマ化され、演歌の竜を演じた芦田伸介が強く記憶に残っています。
 1966年の「いっぽんどっこの唄」は、デビュー曲のいきさつを離れ、水前寺清子自身の歌の道を決定づけた曲で、それはまた星野哲郎にとっても彼のライフワークのひとつとなった「援歌」(応援歌としての演歌)のジャンルを確立するきっかけになったのでした。
 「ぼろは着てても心の錦、どんな花よりきれいだぜ」…。最初の二行にその歌のすべてを語る巷の詩人・星野哲郎は、かつて「やるぞみておれ口には出さず」と畠山みどりに歌わせた心情をそのままより進化させ、高度経済成長のベルトコンベアからはずれ、時代の風潮にあらがう生き方もあることを水前寺清子に歌わせたのだと思います。それは実は今、わたしたちが直面している現実を予想したものだったのだと痛感します。
 そして1986年、すでにフリーの作詞家となっていた星野哲郎はひとりの少女に見果てぬ夢を見ます。かつて寺山修司が嫉妬した詩人・星野哲郎が日本的なるもの(こう書けば右翼とよく間違えられるのですが)、民謡などをたどり、世界の大地とつながる音楽のたましいから立ちのぼる歌、それを新しい演歌とよんでもいい「援歌」を、その少女・島津亜矢に託し、彼女のデビュー曲を「袴を履いた渡り鳥」としたのです。
 そのことを骨身にしみてわかっている島津亜矢にとって、水前寺清子は格別の存在なのだと思います。島津亜矢のすごさというか歌唱力というか類まれな才能が発揮できる歌は案外、一般的に名曲と言われる歌、歌のうまい人がそのうまさを披露するときによく歌われる歌ではなく、実は「いっぽんどっこの唄」のように、星野哲郎の心意気や願い、祈りがこめられた、世間でド演歌とされる歌の方にあるのかも知れません。
 最近の著しい進化途上の珠玉の歌唱はもちろんのこと、時代をいくつも越えて星野哲郎の、畠山みどりの、水前寺清子の、島津亜矢の、そして日本社会のおよそ60年の急流に流されずその底にずっと変わらずある「ささやかな希望」をかみしめる名唱でした。

島津亜矢「明日に架ける橋」

島津亜矢「いっぽんどっこの唄」

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2017.04.02 Sun いよいよ新しい時代の入り口に立った島津亜矢と「BS新日本のうた」

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 島津亜矢の3日連続出演の2番目は3月19日放送のBSプレミアム「新・BS日本のうた」で、この日はスペシャルステージで、なんと島津亜矢にとっては2回目目の「演歌名人戦」でした。この企画は地上波のNHK総合「うたコン」の前身・「歌謡コンサート」の人気の企画でした。島津亜矢は2015年2月3日にこの企画で出演し、地上波ではじめて「I will Always Love you」を熱唱して話題を呼んだ他、昨年の10月9日のBSプレミアム「新・BS日本のうた」のスペシャルステージ・演歌名人戦に出演しました。
 この時は、吉幾三、中村美律子、氷川きよし、島津亜矢が競演するという趣向でしたが、特に中村美津子と島津亜矢の「乱れ髪」は歌の心を知る二人ならではの熱唱で、中村美津子が島津亜矢の歌唱を絶賛されたのをよく覚えています。
 あれからまだ日が経っていないにもかかわらず、この企画に出演することになったのは、やはりこの番組の制作チームが島津亜矢を高く評価している証といって間違いないでしょう。
 彼女の20代後半から30代の頃の「BSの女王」と異名をとった時代に培われた信頼関係もあると思います。あの頃はBS放送がまだ普及しておらず、若手の実力歌手を求めていたニーズに島津亜矢がぴったりはまったのでしょう。地上波の番組のような波及効果がないことを逆手にとり、この番組チームは歌唱力も声量も抜群で勢いもあった島津亜矢に演歌・歌謡曲の名曲を次々と歌わせました。この頃の島津亜矢はまさに怖いもの知らずで、朗々と歌い上げる貴重な映像が残っています。島津亜矢のカバー曲の幅広いレパートリーと底なしの表現力はこの頃の番組スタッフの冒険によって培われ、番組で歌われた膨大な楽曲をレコーディングしたアルバム「BS日本のうた」も8シリーズを数えます。
 しかしながら、BS放送が普及する一方、とくに90年代からのJポップの席巻により演歌・歌謡曲が退潮を極めるようになるにつれて、ベテランの歌い手さんが続々とBS放送に参入し、島津亜矢の音楽的冒険の独壇場だったこの番組への出演回数も次第に少なくなってきました。わたしが島津亜矢のファンになった2009年にはすでにその状況が加速されていたと記憶しています。
 わたしの記憶違いか思い込みかも知れませんが、この頃は島津亜矢にとって、思いまどいながら新しい道に向かう準備の時期だったのかも知れません。というのも、若い頃のように有り余る声量とひとつの音程もはずさず、歌いあげる歌唱から、肉感的な低音を獲得し、「男歌」とか「女歌」とかにとらわれず、聴く者の心のひだにしみ込むように「歌い残す」歌唱へと進化する数年間であったと思います。既成の演歌の歌唱法のうなりやこぶしなどそぎ落とすだけそぎ落とし、よりシンプルに歌いながら西洋音楽の旋律に記された音と音の間に「日本の音」をよみがえらせる新しい演歌への模索、そのプロセスの中で彼女にとっての歌・大衆音楽は演歌の領域を一方では広げ、一方ではそれを越えた幅広いレンジのJポップやシャンソン、ジャズやブルースなど、世界のポップス音楽との出会いを用意したのでした。
 あの頃は若い時の声量で歌ってほしいという声も聞こえてくることもあったようですし、実際、若い頃のリサイタルの映像やユーチューブの貴重な映像で残されている、恐れるもの何もなしというような圧倒的な歌唱がなつかしいと話されるファンの方々もいました。
 ちょうどその時期から座長公演が始まり、それまでの名作歌謡劇場で極めた一人芝居に似た疑似演劇とは似て非なる本格的な芝居で、自分がすべて語り尽くすのとはちがい、たくさんの人たちと大きな物語を語り、つくりだす経験が、彼女の歌のスケールを大きくしました。また、座長公演の2部の歌謡ショーではそれぞれの演出家が島津亜矢の音楽的な可能性を広げ、さまざまな魅力を引き出そうと素晴らしいステージを構成・演出してくれました。それまでもポップスを数多く自分のレパートリーにしてきた彼女ですが、座長公演の歌謡ショーでより広く認知されたのではないでしょうか。ポップスの音楽評論家や音楽番組のパーソナリティから松山千春、マキタスポーツなど、影響力の高い論者やアーティストに高く評価されるようになったのもこのころからだと思います。残念ながら演歌・歌謡曲の論客では小西良太郎が高い評価をした以外にあまり記憶がありません。もっとも演歌のジャンルの退潮とともに演歌を論じ語る人もまた少なくなった事情もありますが…。

 そしてここ数年、島津亜矢がまた大きく変わったと思います。その前の数年の準備期間を経て、いよいよ新しい演歌・新しい歌唱へと少しずつ表現力を身に着け、とても刺激的な歌手・ボーカリストに変身しようとしています。
 いまだ途上ですが、たとえれば歌の荒野にただ一人立ち、荒野を走る風に耳を傾け、心をアナーキーな真綿の純白に浸し、何十年何百年何千年もの長い時の一瞬一瞬に生まれ消えていった何億という歌たちをいとおしくすくい上げる稀有の歌姫として、歌うことから逃れられない宿命を背負わされた者だけに降りてくる歌を、近い将来島津亜矢は歌い始めることになるでしょう。すでに歌がうまいとか、表現力が並外れているとか、声量のコントロールも音程も完璧だとか歌唱力で彼女を評価する時代は終わり、彼女の存在が歌の作り手にどれだけの想像力をかき立てるのか、作詞家は彼女の肉体を媒体にしてどんな風景と夢を描くのか、作曲家は彼女の心を媒体にしてどんな心情と希望を奏でるのかが問われるようになるでしょう。かつて美空ひばりが大衆音楽のミューズであったように…。
 その流れのひとつとして島津亜矢がこの番組にたびたび出演する機会が増えているとしたら、巡り巡って一段とビッグになって帰ってきた島津亜矢が、この番組の音楽的冒険を実現する役割を担うことになるでしょう。
表情も豊かに、長年の肩の荷をおろしたようにリラックスしている彼女はとてもチャーミングになりました。ハリネズミのように緊張していた以前にくらべて歌にも心にも余裕があり、その安心感が共演者にも伝わって、彼女をいわゆる「いじる」ことも増えてきたように思います。
 今回の記事では番組で歌われた「お吉」、「独楽」、「一本どっこの歌」について触れられないまますでに紙面が埋まってしまいました。私的な事情でなかなかブログが書けず、またそれに反比例するように島津亜矢の出演が立て続けにあり、とても追いつけない状態です。それでもあと少し、とくに「一本どっこの歌」については書こうと思っています。
 また、3月26日の「昭和の歌人-船村徹」は、先ほど亡くなられた船村徹の追悼番組として制作されたものではないと聞きましたが、出演歌手も制作スタッフも、この偉大な作曲家への感謝の気持ちと心から追悼する想いにあふれた素晴らしい番組でした。島津亜矢をはじめ、他の共演者のこともふくめて書いてみたいと思っています。
 そうこう思っている間に、本日4月2日のNHK・BSプレミアムの「BS新日本のうた」に早くも出演するとのことで、ますます記事が古くなってしまいますがおゆるしください。

島津亜矢「いっぽんどっこの唄」
この歌はわたしにとって思い出がいっぱいつまったもっうひとつの青春の歌です。できればこの歌の想いでなどを次回に書きたいと思います。

島津亜矢「お吉」
座長公演以前と後では、圧倒的にセリフの深みがちがうと思います。歌もまたいわゆる定型ではなく、お吉のはかなさ、くやしさ、そしてそれらすべてを人生の終わりに呑み込む「ゆるし」がセリフと一体となって聴く者の心を揺さぶります。

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2017.03.23 Thu 深呼吸にメロディがついているかのよう 島津亜矢

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 3月18日はテレビ朝日の「古館伊知郎ショー」、19日はNHKBSプレミアムの「新・BS日本のうた」、20日はBS日テレの「歌謡プレミアム」と、3日連続して島津亜矢がテレビ出演しました。
 テレビ朝日の「古館伊知郎ショー」は音楽番組ではなく、市川海老蔵と小池百合子、天海祐希と広瀬すずなど、何組かの組み合わせにそれぞれ古館伊知郎が加わり、話題の人物の心情・心境を引き出すという構成の中で、ゲスト2人に歌を届けるパフォーマンスゲストとして島津亜矢が登場し、美空ひばりの「川の流れのように」を熱唱しました。
 古館伊知郎が「演歌界のマリアカラス」、「深呼吸にメロディーがついているかのよう」と形容し島津亜矢を紹介すると、天海祐希が歓声をあげました。
 そして、島津亜矢の歌声に聴き入るうちにみるみる目が潤みはじめ、大粒の涙を流しました。歌い終わると号泣寸前で、「とても素晴らしい歌を、ありがとうございました」と何度もいう天海祐希はほんとうに感動していて、興奮冷めやらぬという印象でした。
 16年前の父親と死に別れたことなどを話した後だったこともあり、美空ひばりの晩年の人生と切り離せないこの歌をいとおしくよみがえらせ、この歌のたましいのもっとも深い所へと降りていく島津亜矢の歌唱が稀代の女優・歌手の天海祐希の琴線に触れたのでしょう。
 美空ひばりの歌手人生の後半は「演歌」の領域にすっぽりとはまっているため、この歌も演歌の名曲と言われています。
しかしながら島津亜矢の歌唱は演歌の領域を大きくはみ出し、シャンソンにも似た奥行きのある歌になっていると思います。実は美空ひばりの歌唱もまた演歌の領域を越えていますが、美空ひばりの場合はブルースやジャズの匂いがします。
 わたしの想像の中では美空ひばりのブルースの領域から島津亜矢のシャンソンの領域へとこの歌のいのちが引き継がれ、バトンが渡されたように思います。
 事実この日の島津亜矢は、あきらかに昨年末の紅白歌合戦の時よりはずいぶんリラックスしていて、心なしか彼女本来の声ののびやかさと「歌を詠み、歌い残す」稀有の才能を存分に披露してくれました。
 わたしは今でも美空ひばりから手渡される歌のバトンがあるとしたら島津亜矢が受け取り、美空ひばりが果たせなかったさらなる歌の冒険を美空ひばりのいのちのゴールから走り出す宿命にあると思っています。しかしながら、それは何も演歌という、実は1970年代にJポップの抬頭から無理やりねつ造された「日本人の心の歌」を引き継ぐことではないと思っています。
 明治以来、強引に導入された西洋音楽の暴力に踏みにじられ、押しつぶされそうになりながら、それでも西洋の音階の一音から次の一音の間に日本独特の「うた」を忍び込ませ、楽譜にない「こぶし」や「うなり」を発展させてきた「日本の音楽・日本のうた」を、戦後のがれきの上のリンゴ箱をステージにして美空ひばりは歌い、よみがえらせてきました。
 日本が誇る世界のブルースの女王・美空ひばりの長い旅路の果てにリュックサックいっぱいに詰め込まれた歌という歌、言葉という言葉、メロディというメロディを受け取り、島津亜矢はその重いバトンを次の世代の誰かに手渡すために孤独な旅をつづける過酷な宿命を引き継ぐことになったのだと思います。
 かく言うわたしは音楽の専門家ではもちろんなく、また音楽のことをよく知る人でもないのですが、島津亜矢のファンになった2009年の秋以降、それまで漫然と演歌歌手のひとりとしか思っていなかった彼女の歌にはどこか演歌の枠にはまり切れないものを感じていて、それが何なのかをまだ理解できないのです。いつの時代もまったく新しい思想が世の中に定着するまでのあいだ、過去の時代を表現する思想と混在するように、大きく時代が変わる予感を歌はさりげなくわたしたちに教えてくれているのかもしれません。
 島津亜矢は1970年代以降の演歌を出自にしながらも、その予感を現実のものにする歌い手として恩師・星野哲郎や、出会えなかった阿久悠、もっと歌をつくってもらいたかった船村徹、若い才能をこよなく愛した美空ひばりなど、時代を背負い時代を歌い、時代を変えた歌詠み人たちのミューズとして降臨してきたのだと確信します。

 古館伊知郎もまた司会者でもキャスターでも解説者でもなく、言葉が時代を変えることができるのかを問い続ける言葉の狩人で、その意味では阿久悠が歌でやろうとした冒険をやり続けてきた人だと思います。この人の場合は、あらかじめ言葉をつくっておく脚本によるのではなく、自分の体と心にうずもれた言葉の破片をつなぎ合わせ、ひとつの出来事を言葉という「もうひとつの出来事」で語り尽くしたいという願望がとても強く、それが本人も思いもしなかった真実にたどり着く場合もありますが、不発に終わることもあるようです。
 今回の放送でもこの番組のすばらしい所なのかも知れないですが、ゲスト2人とあらかじめ筋書きをつくらず、古館伊知郎の振りにゲストが答えてくれず、ちぐはぐで間の悪い時間が流れ、その気まずさがまた次の気まずさを呼ぶという感じで、今のところ「報道ステーション」以後の自分のパフォーマンスを探しあぐねている印象でした。
 しかしながら、その中で「深呼吸にメロディーがついているかのよう」と島津亜矢を讃えた言葉にはびっくりしました。彼がかつて得意とした異業種格闘技の時の言葉のパフォーマンスを彷彿させる名言でした。歌が人類誕生の時とほぼ一緒に生まれ、自然の様々な音とつながる呼吸に声帯の震えが重なって声が生まれ、メロディが生まれ、何かを伝えようと言葉を発見した人間の切実な歴史をたどる稀有の歌手・島津亜矢をこれ以上の言葉で語るのはむずかしいかも知れません。
 そして古館伊知郎が言葉で島津亜矢の底知れぬ才能を表現したように、天海祐希は同じく稀有のアーティストとして、感動の涙で表したのだと思いました。

島津亜矢「川の流れのように」

島津亜矢「函館山から」
美空ひばりのカバーではこの歌の島津亜矢が大好きです。小椋佳が美空ひばりに贈った最高傑作であり、世界に誇れる「日本の歌」のひとつと思います。戻らぬ青い時と、若さゆえに傷つけてしまう心とそれを悲しみでつつんでしまう心。この短い歌の中で書きなぐられる時のキャンバスに残された後悔だけが砂浜の石となって点在する…。過ぎてしまった青春を歌う詩人・小椋佳の到達の地点にたたずみ、美空ひばりの悲しみさえも包み込む包容力を、いつのまに島津亜矢は獲得したのでしょうか。

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2017.03.08 Wed 「うたコン」は島津亜矢に時代が追いつくための音楽的冒険の場

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3月7日、島津亜矢がNHK「うたコン」に出演し、「感謝状~母へのメッセージ~」を歌いました。
 今回の放送は東日本大震災6年の節目を迎え、「東北に届け!春を告げる歌の花束SP」
と題し、30分延長されて放送されました。
 演歌・歌謡曲の人気番組だった「歌謡コンサート」と、Jポップの人気番組「MUSIC JAPAN」が終了し、両者を合体させた「うたコン」が始まって一年が経ちましたが、この番組への批判の声は一向に収まりません。もともと、視聴者の大半が高齢者だった「歌謡コンサート」と、10代から20代が視聴者で、Jポップの新人の登竜門だった「MUSIC JAPAN」を一つにして、世代やジャンルを越えて新しい音楽体験を生み出そうというコンセプトは魅力的なものの、実際は日本の音楽シーンがここ10年劇的に変化し、季節ごとの大きな音楽フェスをメインとしたライブがメインとなったことと相まって、テレビの音楽番組もまた季節ごとの長時間番組にシフトし、週一回放送の音楽番組の制作がむずかしくなったことなどが背景にあると思います。
 また、年末の紅白歌合戦のときだけ、演歌・歌謡曲とJポップが混在する状況ではあっちがたてばこっちがたたずという感じで、また同じジャンルの中でも出演歌手をめぐってさまざまな批判が寄せられ、その結果を反映してか視聴率の低下が年々問題になっています。そこで、一年を通じて演歌・歌謡曲とJポップが混在する状況をつくりだすことは、NHKの音楽番組制作担当者にとって切迫した課題であったのでしょう。
 そんな事情から一年前に船出した「うたコン」ですが、やはり「NHK歌謡コンサート」の視聴者だった、主に高齢者を中心にした演歌・歌謡曲ファンの批判・不満が数多く寄せられた一年でした。
 この番組の視聴率は音楽番組ではJポップの超人気番組「ミュージックステーション」よりも高く、一年を通じて10パーセント以上を確保しています。この時間帯をはじめ、特番の音楽フェスを除いた音楽番組の中でダントツの視聴率を稼いでいるわけですが、その高い視聴率を支えているのは演歌・歌謡曲ファンで、歌謡コンサートの視聴者であった人たちです。ちなみに歌謡コンサートは超マンネリのお化け番組で12、3パーセントの視聴率を誇っていたわけで、合体した「MUSIC JAPAN」は土曜日の深夜ということもあり、5パーセントも行かなかったようですから、「うたコン」を支える視聴者は圧倒的に演歌・歌謡曲を望んでいて、「歌謡コンサート」に戻してほしいというのが本音だと思います。

 しかしながら、一年前にこのブログで書きましたが、わたしは島津亜矢のファンとして、「うたコン」は先祖返りして「歌謡コンサート」に戻らず、演歌・歌謡曲とJポップが混在する今のコンセプトをつらぬいてほしいと思っています。民放のようにスポンサーがいるわけではないので公共放送の利点を生かし、不人気であっても新しい試みをつづけてほしいと思うのです。
 かつてのNHK「歌謡コンサート」のようにベテランの演歌歌手が重用されるのではなく、現在では普段出会うことがなくなってしまった演歌歌手とJポップの歌手が顔を合わせ、お互いの歌を同じ舞台で歌い聴くことから、演歌・歌謡曲ジャンルでもJポップのジャンルでも新しい音楽的冒険が生まれる起爆剤となる番組であってほしいと思います。
 とくに島津亜矢の場合は以前の番組よりは彼女の活躍の機会が増えていくと思います。
演歌というよりは1950年代の歌謡曲の本流を現代によみがえらせる島津演歌はまだ途上とはいえ既成の演歌ファンが再発見、再評価する一方、新しい演歌ファンを引き寄せていますし、ポップスの領域でははじめて聴いたひとがびっくりし、一夜にして大ファンになってしまうという現象がここ何年も前から起きています。わたしもまた、そのうちの一人であることを告白します。
 しかしながら、彼女の自由な音楽活動を表現できる番組が極端に少なく、まだ無数のポップスファンが彼女のずば抜けた歌と出会っていないという問題があり、テレビではかろうじてこの番組がその役目を担ってくれそうなのです。今のところまだ番組構成が未成熟で、様々な試みをしている途上ですが、ライブ以外で彼女のポップスをシッカリと聴く機会はこの番組しかないのではないでしょうか。
 そう思うと、かえすがえすも以前の放送の秦基博とのコラボで「蘇州夜曲」を選曲したのは間違いで、とても残念に思いました。あのコラボでは、たとえば秦基博の「ひまわりの約束」とか、彼がカバーしている井上陽水の「氷の世界」を選曲していたら、島津亜矢のとてつもない大きな才能に観客や視聴者はもちろん、秦基博自身がびっくりし、きっと二人の間にシンパシーが生まれたはずです。彼の歌を作る潜在能力はなかなかのものですから、島津亜矢への楽曲提供への意欲を駆り立てたかも知れません。
 わたしはあえてこの番組では、彼女のポップスの歌唱力を伝えていただきたいと思うのです。そうすれば、かつて船村徹が美空ひばりにしか歌えない歌をつくったように、島津亜矢しか歌えないと思う楽曲を提供したいというJポップのソングライターとの出会いが必ずあると思います。もしかすると彼女のボーカリストとしての無尽蔵の才能に気づくのは、演歌・歌謡曲の作り手よりもポップス畑のソングライターのような気もします。
 今回の放送では「感謝状~母へのメッセージ~」を歌いましたが、せっかくスガシカオが出演していたのですから、カバーではあっても彼女のポップスを彼に聴いてもらいたかったなと思います。フルコーラスではなかったし、ファンとしては新曲の「いのちのバトン」とか鎮魂の心をこめて「千の風になって」とか、あと一曲歌ってくれたらと思いますが、番組構成上、やむをえなかったのかと思います。今回の放送でも批判はたくさんあるものの、スガシカオにして天童よしみにしても福田こうへいにしても、素晴らしい歌唱だったとわたしは思います。
 天童よしみはさすがに竹中労が見出しただけあって、歌に魂を込める歌手として他の歌い手さんたちとどこか肌合いというか気迫の違いを感じていましたが、演歌歌手の中でもっとも島津亜矢とつながっていて、島津亜矢は少し先を行く先輩歌手として天童よしみにすごく助けられていると思います。
 
 さて、肝心の島津亜矢の歌について何も書いていませんが、なによりも彼女がこの番組でやっと居所を見つけたようなリラックスした表情が伝わり、とてもうれしく思います。
 フルコーラスでないのは確かに残念なことではありますが、彼女はたとえワンコーラスでもその歌のもっとも柔らかく深いところにわたしたちを連れて行ってくれたのでした。
 この歌について書いた過去のブログを紹介させてもらって、今回は許してもらいたいと思います。
 「うたコン」については、特に演歌・歌謡曲ファンの方々の中でさまざまな批判があるでしょうが、どうか長い目でこの番組を見てあげてほしいと思います。

過去のブログ 2012.09.09 Sun 島津亜矢「感謝状~母へのメッセージ」

島津亜矢「感謝状~母へのメッセージ~」
この歌もまた若い頃から何度も歌っていますので、彼女の進化がよくわかります。最近の映像を紹介しましたが、若い頃の歌唱と比べる楽しみもあります。
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