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2019.01.05 Sat 島津亜矢の「時代」は大みそかの夜、誰に届いたのか。NHK紅白歌合戦



今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど

 昨年のNHK「紅白歌合戦」で島津亜矢が「時代」を歌いました。
 YOSHIKIとサラ・ブライトマンのステージの次にNHKの音楽トーク番組『おげんさんといっしょ』の星野源ファミリーが入ったおかげで、ワンステップ置いた落ち着いた舞台が用意されました。
 アカペラからピアノ、それからフル演奏と、この曲にぴったりの伴奏で始まった彼女の歌唱は、それまでのバラエティ色にあふれたにぎやかな舞台とは一線を画し、多くの人びとの心に残ったものと思います。
 演歌歌手でありながらポップスを見事に歌い、その歌唱力と声量に高い評価が集まったこともまた事実でしょう。しかしながら、そんなあたりまえの評価にとどまらない彼女の歌唱に、涙を流したひとも少なからずいたはずです。わたしもそのひとりでした。
 わたしは紅白に特別な想いはないのですが、根っからのテレビ好きのわたしにはジャンルを越えてその年に流行った歌や人気の歌手を一堂に観ることができる紅白は世相を映し出す鏡のようで、それなりに楽しむことができるのです。
 ずいぶん前、イッセー尾形が「紅白歌合戦」という一人芝居をしていました。
 昔はちゃぶ台に家族全員が座り、紅白歌合戦を見ていたのが、今は父親一人がちゃぶ台に座り、「おーい、誰それが出てるぞ」とか、妻や子供たちに話しかけても、誰も聞いてくれないしテレビを見ない。紅白がすでに国民的番組ではなくなったことと、父親が家の中で居場所がないことが重なり、笑いながらも身につまされる芝居だったように記憶しています。
 時代はそこからさらに進み、すでに年末の音楽バラエティ番組となった紅白の事情は少し変わりました。若いJポップの歌手が武道館どころか東京ドームを満席にできるエンタテイメント業界が闊歩し、そのライブシーンから一部のファンの熱烈な支持を獲得できる時代になりました。紅白もまたその流れに沿った出演者が登場するようになり、若いひとにほとんど見向きもされなくなった演歌歌手の出番はどんどん少なくなっていきました。
 その結果、イッセー尾形の芝居に登場した父親のような中高年者は演歌歌手が出なくなったことに愚痴をこぼし、中には紅白をまったく見なくなったひとも増えていることでしょう。
 しかしながら、国民的番組ではなくなったとはいえ、大みそかの夜に働きながらさまざまな想いを抱えてラジオに耳を傾けるひとや、非正規雇用でいつ追い出されるかもしれない寮で焼酎などを飲みながらテレビを見ているひと、病院で年を越さなければならないひとなど、自分の一年をふりかえり、親や子供や兄弟や恋人やともだちを想いながら、必死に「自分はここにいる」と心で叫びながら紅白を観たり聴いたりしているひとたちがいることもまた事実ではないでしょうか。
 何度か書いていますが、わたしが島津亜矢のファンになったきっかけは、10年前に亡くなった親友・Kさんが「島津亜矢のCDを買ってきてくれ」といった一言でした。高校からの友だちで、いっしょに暮らしたり同じ会社で働いたこともあるKさんは、わたしが豊能障害者労働センターでお金稼ぎに悪戦苦闘していたころ、クリスチャンだったことからわたしも働いていた会社にベトナム難民を受け入れ、住まいを用意し、プライベートでもいろいろなサポートをしていました。その縁で会社がベトナムに子会社をつくることになり、Kさんは社長として長い年月単身赴任でベトナムに暮らしていました。
 そんな彼がガンを患い、日本に帰国し入院することになりました。わたしは青春時代、共にビートルズのファンだった彼から演歌歌手・島津亜矢のCDを頼まれるとは思いもしませんでした。祖国から遠くはなれたベトナムの地でNHKの衛星放送から流れる島津亜矢の演歌は、彼の長い単身赴任をささえ、心を奮い立たせるものだったとわたしは思います。
 今回の紅白で島津亜矢が歌った「時代」は中島みゆきの1975年の楽曲で、個人の人生の様々な悲しみや痛みを引き起こすその時代の理不尽さを鋭いナイフでえぐる彼女の初期の名曲の一つです。かつて阿久悠が時代背景から個人の痛みを歌ったあざとらしさもなく、一方でその後のJポップのバラードのように個人の事情が個人で自己完結してしまうものでもない、その意味ではニューミュージックという称号にふさわしい楽曲です。
 この頃の楽曲は「暗い」とよく言われたものですがその後、中島みゆきはドラマの主題歌などポップス路線でその暗さをエンターテイメント化することで大化けし、幅広くたくさんのひとたちに受け入れられるヒットメーカーになっていきました。
 ともあれ「時代」は静かな曲でありながら、とても深い悲しみを内包していて、そのかなしみの深さを癒すのは自分でも他者でもなく、たとえばらせん階段のてっぺんから現在を眺望し、立ち止まったまま動けない心に「だいじょうぶ」と慰める未来の自分という他者を生み出す他にないのです。青春とは未来の他者としての自分を隠す、時のマジックなのかも知れません。
 わたしは世間でいうところの「平成最後の紅白」には興味がありませんが、どうしてもお祭り騒ぎの演出にならざるを得ない長時間の番組の中で、島津亜矢の「時代」を前半の紅組の終わりとした構成担当者の意図通り、彼女の歌は会場全体を鎮め、ひとつの時代の終焉をわたしたちに感じさせてくれました。一部に力が入りすぎという意見もありましたが、わたしはそうは思いません。
 たしかに今まで、島津亜矢は中島みゆきの歌になると力が入りすぎることもありましたが、今回の歌唱はそうではなく、前半のバラエティー色の強いステージが続く中で、心のこもった歌を必死に聴く人たちに届くようにと、震える心で彼女は歌ったのだと思います。それはそのまま、ソングライター・中島みゆきの心だとわたしは思うのです。
 こんなに思いを込めたパフォーマンスを成し遂げた島津亜矢は、今年からどんな歌を歌えばいいのでしょうか。ほんとうに今回の歌唱曲「時代」をはじめ、紅白でもカバー曲を歌わざるを得ない島津亜矢を、ソングライターの方々は放置していいのでしょうか。
 わたしは彼女を正しく評価すれば、演歌であろうとポップスであろうと、歌唱力と声量はもちろんのこと、その先にある「歌を詠み、歌を届け、歌を残す」未曽有の才能と努力に応えられる魂のこもった歌、演歌の王道のひとつとされる教訓ものではなく、ひとりの女性の繊細な心、同時代を生きるひとびとの傷つきやすい心、怒りや悲しみを希望へと変える切ない心を時にはなにげなく、時にはアニメソングのように大時代的に、立ち止まらない彼女に応えられる歌をつくっていただきたいと思うのです。
 そうでなければ、あまりにも島津亜矢がかわいそうで気の毒で、涙が出てしまいます。

中島みゆき「時代」(ライヴ2010~11・東京国際フォーラムAより)

島津亜矢「時代」( 2013)
この歌唱で十分なのですが、今回の紅白の歌唱はさらに奥行きのある深さと、思いつめたような心の震えが会場全体に広がる、特別な歌になっていたと思います。

島津亜矢「誕生」(詞・曲:中島みゆき/中島みゆきリスペクトライブ歌縁2018・東京公演)
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2018.12.28 Fri 「時代」をけん引する「憑き物」や「魔力」を持ち、より広くより遠くをめざした20世紀のくびきから解き放たれた「新しい大衆」が待ち望む歌手・島津亜矢

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 4年連続、5回目の紅白歌合戦に出演する島津亜矢の歌唱曲が「時代」に決まりました。「時代」は、1975年、「アザミ嬢のララバイ」でデビューした中島みゆきが同年に発表した2作目の楽曲で、同年のヤマハ音楽振興会主催の「第10回ポピュラーソングコンテスト(ポップコン)」と「第6回世界歌謡祭」でグランプリを受賞しました。
 真実のほどはわかりませんがこの年の9月、彼女のお父さんが脳溢血で倒れ、こん睡状態に陥ってしまいました。彼女はその9日後にデビューし、10月に「第10回ポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)」を控えた大事な時でしたが、お父さんの意識は戻りませんでした。彼女は病室から会場へ向かいました。そこで披露されたのが「時代」でした。当初は別の曲を歌う予定でしたが、急きょ変更したと言われています。
 お父さんはそのまま翌年に亡くなり、彼女のデビューもグランプリ受賞も知らないままとなりました。そんないきさつから、この歌がお父さんの死を契機につくられたという誤解も生まれましたが、実際はそれより前、一説によると18歳の時につくられたとも言われています。
 この歌の底の隠れている深い悲しみを「もうひとりのわたし」が優しく見守り、ありふれた言葉ですがどんな悲しみや痛みも「時が解決していく」という死生観といってもいい達観したメッセージは、自分自身に向けられたなぐさめと励ましと少しの諦めと共に聴く者の心をも悲しみの果てにまで導き、そこから匂いたつように「生きる力」が沸き上がってくるのでした。
 この時彼女は23歳という若さで、そこから始まる音楽の長い旅の終わりを暗示するかのごとく、まずは自分自身への一人語りから始めたのだと思います。それから後、彼女の歌が時代への「啓示」や「警鐘」や時代を体現する語り部となり、ジャンルでは語れない果てしなく広く深い独自の歌をつくり続けることになるのですが、「時代」はまだ彼女の冒険が始まる前の、しなやかで慈愛に満ちあふれた歌になっています。
 この歌で死ぬのを思いとどまったという何人もの証言は決して誇張とは言えず、歌にもし力があるとすれば国家や集団が一つの方向に個人を抑えつけることでも、過酷な状況に置かれた人間にありふれた元気を届けることでもなく、ひとつの歌が聴く者の声なき叫びを呼び起こし、絶望からよろよろと立ち上がるひとに静かな勇気を届け、暗闇に一筋の朝の光を届けるような、そんな歌の力を「時代」は半世紀にわたって歌を必要とする心に届けられ、歌い継がれてきたのでした。
  「時代」は中島みゆきの初期の名曲として、数々の歌手がカバーしています。
 中でも研ナオコのカバーはどちらかというとひとりの女性の深い悲しみによりそうように歌い、薬師丸ひろ子のカバーは自分自身を励まし勇気づけながら、一人の女性の旅立ちを後押しするように歌っていて、どちらも素晴らしい歌を聴かせてくれました。
 島津亜矢の「時代」はこの2人のふり幅を大きく包み込むような歌唱になると期待します。

 さて、2013年に「新・BS日本のうた」で卓越した歌唱で「時代」を歌ったとはいえ、この歌を紅白で島津亜矢に歌わせるNHKにまず驚いてしまいましたが、同時に紅白のスタツフがどんな思いでこの歌を島津亜矢に託したのか、推理してみたくなりました。
 もとより、紅白がかつてのように出演歌手にその年のオリジナル曲、さらにはヒット曲を選曲していた時代とちがい、オリジナルでも何年も同じ歌を歌ったり、カバー曲を選曲することになってきたのは、音楽の持っていた世代や心情を越えた大衆性というべきものがなくなってしまい、特にもっとも音楽と親しむ若い世代で大ヒットしていても、それより上の世代にはほとんど浸透しないということがあると思います。
 わたしにしても今年電撃デビューした人気グループKing & Princeはまったく興味がわかないのですが、あいみょん、米津玄師は結構いいなと思っていて、同世代に限らず結構若いひとにどう受け止められているのか尋ねるのですが「知らない」と言われることも多く、大衆芸能の極致のような紅白という番組をヒット曲だけで構成することはすでにできなくなっています。
 そこで、今までは特に演歌・歌謡曲のジャンルで以前のヒット曲を何度も歌うことになり、それがまた音楽シーン全体から見ればとても偏った状態になってしまい、演歌枠をここ数年一気に削ることになりました。
 島津亜矢はその固定された演歌枠のために長い間出演がかないませんでしたが、皮肉というべきか奇跡と言ってもいいでしょうか、その激変によって紅白出場がかなえられたのです。というのも、紅白出場を阻まれてきた長い年月に、彼女の歌唱力というような言葉では説明できない、歌うことへのあくなき情熱と、ジャンルにとらわれない好奇心と冒険心とたゆまぬ努力が彼女を歌が生まれる秘密の花園へと導き、いつの間にか、ただ声量のある高音の伸びのあるだけという評価を覆し、どんな歌にも真摯に向き合い、たった3分ほどの短い時間に一篇の小説や一本の映画のような物語を歌い、歌い残す歌姫と評価されるようになりました。
 演歌歌手でありながらあらゆるジャンルの歌を歌い、聴く者に驚きと感動を呼び起こす島津亜矢の存在がじわりじわりと浸透するようになったのは、NHKの音楽番組のスタッフが長年彼女を高く評価してきたからと言っても過言ではありません。
 最初はマイナーな勢力だったその人たちが島津亜矢と共に年を重ね、中堅からベテランになっていくプロセスが、彼女を紅白へと導いたのだと思います。
 しかしながら、今まで演歌のベテランたちの出演の言い訳にされてきた「歌唱力」や「実力」で紅白の出場が決まるという「神話」もすでに終わり、国民的番組から年末最大の大衆音楽イベントとして定着しつつある紅白は、いよいよ実力だけでも一部の熱烈な人気だけでもない、「時代」をけん引する「憑き物」や「魔力」を持ち、より広くより遠くをめざした20世紀のくびきから解き放たれた「新しい大衆」が待ち望む歌手のひとりとして、島津亜矢を選んだのだと確信します。アルバム「SINGER」シリーズや「SINGERコンサート」、中島みゆきリスペクト「歌縁」の出場など、島津亜矢のJポップス歌唱への評価が急速に高まったのは氷山の一角で、彼女はいよいよ演歌の出自を誇りに持ちながら、デビューした時には思いもしなかった「新しい音楽の旅」に出発したのです。
 時代に遅れた演歌歌手から時代が追いつくのを待ち続けた歌姫として、歌の女神に愛された数少ない歌手の一人として紅白の舞台に立つ島津亜矢を、とてもまぶしく思います。
 そんないきさつも想像すると、歌唱曲「時代」はかつて徳永英明が紅白で2度も歌ったこととは違う意味を、島津亜矢もNHKもわたしたちもかみしめるものになることでしょう。
 発表された曲順もそのことを意識したものになっていて、なんと世界的ソプラノ&ミュージカル歌手・サラ・ブライトマンとYOSHIKIが共演するステージの後になっています。最高峰の歌姫と称されるサラ・ブライトマンの歌唱力とクイーンを思わせるクラシックとロックを融合した圧倒的なパフォーマンスは、当日の会場を歓喜の渦で包むことでしょう。その余韻がなかなか抜けきれないところから、島津亜矢が「時代」を歌いだす。番組のディレクターも観客も視聴者も、そして島津亜矢本人も、最も緊張するところではありますが、もっとも「おいしい」ところでもあります。
 1人のファンとして言わせてもらえば、その派手なパフォーマンスに呑み込まれず、その余韻を一緒に楽しみながら島津亜矢が、できれば初期の中島みゆきのようにギターの弾き語りか信頼する吉田弥生のピアノを中心にした伴奏で静かに歌ってくれれば、先のやや大時代的なパフォーマンスを凌ぐものになると思います。この歌はとても静かな歌で、目立たない地味な歌のように思われがちですが、歌そのものが持っている深いメッセージは必ずや大晦日にふさわしい切なくも悲しくもやるせなくも、ささやかな未来を信じる、同時代の夢を数時間後の特別の朝に運んでくれることでしょう。
 この記事が今年最後になると思います。一年間、ありがとうございました。

島津亜矢「時代」( 2013年)

研ナオコ「時代」

薬師丸ひろ子「時代」 (2013年)
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2018.12.11 Tue  歌いながら醒めよ、もっと歌を! 美空ひばりのクレオール音楽を引き継ぐ宿命を負う島津亜矢

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 11月25日の日曜日の夜、NHK・BS放送「新・BS日本のうた」に島津亜矢が出演しました。わたしはこの日出かけていて、録画を取るのも忘れていたのですが、この番組はありがたいことにその週の土曜日に再放送してくれていて、おくればせながら観ることができました。島津亜矢の演歌・歌謡曲を聴くのは久しぶりで、とても新鮮に感じました。
 島津亜矢のここ数年の進化には目をみはるものがありますが、当然のことながらその進化は突然やってくるものではなく、若い頃からの不断の努力はもちろんのこと、持って生まれた潜在的な才能が人との出会いや音楽的冒険によってある時突然花開き、そこからまた新しい才能が蓄積され、またある時に開花するといったスパイラルな運動が、島津亜矢の歌の軌跡を豊かにしてきたのだと思います。そして、なによりも歌手として決して順風満帆とは言えなかった彼女の若い時からその才能を見出し、「遅れてきた演歌歌手」から出発し、オールラウンドなボーカリストへと果敢な冒険をしてきた彼女をあたたかく見守ってきたファンの方々に感謝あるのみです。
 さて、今回の放送で歌った「越後獅子の唄」、「人生劇場」、「悲しい酒」の3曲は、それぞれ歌に隠された物語も時代も違うのですが、島津亜矢は見事に歌い分けました。彼女のもっとも際立った進化は、若い頃からの高音に隠れていた低音から中音が存在感を高めただけではなく、その艶のある湿っぽい声が歌全体を絶叫から語りへと大きく変化させたことだと思います。
 1曲目の「越後獅子の唄」は「東京キッド」や「悲しき口笛」、「私は街の子」などとともに戦後の混乱期の孤児たちの過酷な現実と切ない夢を歌った美空ひばりの初期の名曲のひとつです。孤児たちが街にあふれ、大きな社会問題になっていた当時、彼女彼らと同じ年齢の美空ひばりが歌うことは時代が求めた必然だったのでしょう、いずれも大ヒットしました。
 「越後獅子の唄」はその中でも異色で、孤児たちによる門付け、大道芸の越後獅子をモチーフにしています。越後獅子は角兵衛獅子ともいわれ、越後国西蒲原郡、月潟(つきがた)地方から出る獅子舞で、正月などに子供が小さい獅子頭(がしら)をかぶり、高足駄をはき、身をそらせ、さか立ちして、手で歩くなどの芸をしながら、銭を請い歩きました。
 江戸中期から後期に盛行を極めましたが、明治時代には児童虐待と学校にも通わせないことに対する嫌悪感から、次第に忌避の対象となっていきました。そして昭和8年(1933年)の「児童虐待防止法」によって、児童を使った金銭目的の大道芸そのものが禁止となり姿を消すことになりました。
 戦後に孤児たちが越後獅子になったという史実はありませんが、わたしの子どもの頃は「いい子にしないとサーカスに連れていかれるよ」と日常的に聞かされましたので、戦災孤児の問題が越後獅子に重なるようにあったのではないでしょうか。
 ともあれ、門付けや瞽女、かわら乞食など、社会の底辺で理不尽な暴力や抑圧にさらされたひとびとから生まれた大衆芸能の本質をふくむ越後獅子の物語は、時代の大きな悲しみを表現するだけでなく、その歴史を通して日本社会の暗闇を口から口へ、体から体へと伝承してきたのでした。
 作詩の西条八十は作詞家としても活躍しましたが、フランス文学者でランボーの研究者でもありました。また象徴派の詩人としてポール・ヴァレリーらとも交流がありました。作詞家である前に詩人だった西条八十は藤浦洸とともに、当時の歌謡曲をある意味大衆芸術にまで高めた功労者でした。
 また、作曲者の万城目正もた今の演歌にもなく、またもちろんJポップにもない時代の匂いというべきか、戦前の日本の原風景と戦後の動乱期の埃っぽい空気を共存させた不思議なメロディーを次々と送り出しました。
 わたしは島津亜矢による新しい演歌・歌謡曲のルーツは戦前から戦後すぐのこれらの歌謡曲に求められると思っています。
 島津亜矢はこの時代の歌謡曲を歌える数少ない歌手の一人ですが、どの歌も時代の匂いを隠した風景を持っていて、「懐メロ」とすることをこばむ絵筆をもっています。現存するオリジナル歌手がいなくなってしまったこれらの歌をカバーすることは、彼女たち彼たちの音源を聴くことにとどまらず、どの歌にも歌そのものがその誕生から巷に流れ、消えて行った記憶を持っていて、島津亜矢は「歌を詠む力」をもってその歌の記憶にたどり着き、それを丁寧に解きほぐし、わたしたちに届けてくれるのです。
 少し大げさに言えば、マルクスの「歴史は二度来る、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」という名言になぞり、「歌は二度来る、一度目は時代の恋歌として、二度目は時代の挽歌として」といえるのかも知れません。
 2曲目の「人生劇場」は彼女のいわゆる「男歌」の十八番で、今まで何度もコンサートや歌番組で歌い、アルバムにも収録されていると思います。
 若い頃から歌っているこの歌の場合、それぞれの年代の音源を聴くことができるので、島津亜矢の進化がはっきりとわかるうれしい一曲です。この歌では若い頃からの高音の伸びと心地よい破壊力が前面に出ていますが、ここでも獲得した低音がこの歌に奥行をもたらし、短い歌の中に込められた戦後民主主義で途絶えたはずの日本社会の政治的な暗闇まで表現していて、ある意味歌の持つ怖さをここまで歌える歌手もまた類を見ません。
 わたしはこの歌に侠客・アウトローが国家と対峙しながら人間の正義を「義理と人情」に置き換えることでしか生きていけなかった時代の不幸を感じています。それは国定忠治や番場の忠太郎、平手造酒、駒形茂平などの「滅びの美学」に通じると思います。
 尾崎士郎の自伝的小説「人生劇場」から、はかない恋とすぐそこにせまる軍靴の音に世を憂い、絶望から自殺をはかった古賀政男の切ないメロディーが生まれた時、日本は引き返せない戦争の道へと突き進み、日本とアジアの人びとのおびただしい死体を累々と重ねました。
 その骨はまだアジア各地に残されたまま帰るべき国もなく、その魂は懐かしい故郷を無くしてしまいました。戦後、民主主義国家を標榜しながらも新派、新国劇とつながり、東映やくざ映画で復活した人生劇場スピンオフ、「飛車角と吉良常」はくしくも70年安保の一部の左翼活動家にも右翼活動家にも精神的支柱とされ、村田英雄のカバーでよみがえった「人生劇場」は路石の下の戦前の暗闇で心震わせた古賀政男の叫びが聞こえるようです。そして島津亜矢はこの短い歌の中にある壮大な悔恨と切ない希望を見事に語りつくしてくれるのでした。
 3曲目の「悲しい酒」は古賀政男特集の最後に歌いました。
 島津亜矢は「乱れ髪」や「柔」、「愛燦燦」、「川の流れのように」などとともにこの歌を若い頃から歌っていましたが、長い間先輩の歌い手さんの影に隠れて目立ちませんでした。
 今回の番組を観ていて、ようやくこれらの名曲を島津亜矢が先頭に立って歌う時がやってきたのだと実感します。
 この歌はよくも悪くも古賀政男がつくりあげた「現代演歌」の典型的な歌で、同時に美空ひばりを「演歌」に封印してしまった一曲でもあります。
 かねてよりわたしは美空ひばりを「演歌」の枠に閉じ込めてしまったことが演歌を衰退させてしまったと思っています。「越後獅子の唄」や「東京キッド」など初期の土着型ブルース・ジャズから百花繚乱の歌謡曲を経て、ポップスの台頭から無理やりつくり出されたともいえる「演歌」というジャンルは、不幸にも無尽蔵の才能を持っていた美空ひばりのさらなる可能性を閉じ込め、彼女の歌手人生の終着駅になってしまいました。
 島津亜矢はその終着駅を始発駅に変え、美空ひばりのやり残したところから新しい音楽的冒険の旅にすでに出発したのだと思います。他の歌い手さんたちが演歌の女王としての美空ひばりをカバーしている間に、島津亜矢はジャズやブルースなどのワールドミュージックに日本の土着音楽を融合させた美空ひばりのクレオール音楽を引き継いでいたのでした。
 美空ひばりの息子の加藤和也氏は、彼の生い立ちや時代の波に翻弄されたファミリーについて綴った自著「みんな笑って死んでいった」(文芸春秋刊)でこう書いています。
「美空ひばりはけっして演歌歌手ではなく、時代が一番求めている音楽や歌を、先頭に立ってパフォーマンスするアーティストなのだ」と…。
 まったく同感で、その意味において島津亜矢は美空ひばりを引き継げるだけでなく、引き継ぐ宿命を負わされた数少ないボーカリストの一人なのだと確信します。
 ボーカリストとしての島津亜矢は、すでに時代の向こう側でスタンバイしています。けれども彼女が歌う歌がないのです。阿久悠も星野哲郎も船村徹もすでにいなくなった今、彼女の歌はJポップの膨大なジャングルをかきわけ、時には海を越えて、いつか彼女の前に現れる新しい歌を、時代が求める音楽を、わたしたちも待ち続けようと思います。
 歌いながら醒めよ、もっと歌を!

島津亜矢「人生劇場」

島津亜矢「悲しい酒」

過去の記事 2014.11.19 Wed 島津亜矢「人生劇場」・NHK歌謡コンサート

過去の記事 2013.06.16 Sun 島津亜矢「人生劇場」・木8コンサート

人生劇場 飛車角と吉良常「予告篇」


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2018.11.23 Fri 島津亜矢の紅白出場と「UTAGE!」ファミリーの仲間入り

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 今年も島津亜矢の紅白出場が決まりました。島津亜矢さん、おめでとうございます。
 わたしはそれほど紅白に思い入れはないのですが、テレビが大好きなわたしは年末恒例の番組としてそれなりに紅白を楽しんでいました。巷に流れる歌に世情や自分の人生を重ね合わせるのが好きで、まさしく歌は世につれ世は歌につれのごとく、年の終わりに紅白歌合戦を観て、今年はどんな歌と歌手が流行ったのかを再確認するという感じでした。
 たとえば最近では「SEKAI NO OWARI」や「いきものがかり」など、紅白にも出演することでより広く知られるようになりました。ちなみに今年の初出場では「あいみょん」と「Suchmos」に注目しています。こんな音楽が若い人たちに支持され、受け入れられることは年々息苦しく感じる世の中だけど、そんなに捨てたものでもないとも思うのです。
 
 さて、島津亜矢についてはここ最近の3年以前は、「今年こそは」と願いながら、発表された出演者リストに彼女の名前がなく、がっかりする年が続きました。今年は結果的に実力派の演歌歌手が2人も不出場になりましたが、その中で島津亜矢の出場を決めてくれた紅白のスタッフに感謝です。
 わたし自身は先に書いたように紅白に特別の想いは持っていませんが、歌手・島津亜矢にとってはやはり特別の番組であることに間違いはなく、営業的にもまだその影響力はあるようですし、心優しく律義な彼女にとってなによりもファンの方が紅白出場を喜んでくれることが一番の喜びであるのでしょう。
 演歌一筋の伸び盛りの歌手2人の不出場と島津亜矢の出場がどんな意味を持っているのかわかるはずもないのですが、最近のJポップの歌唱力がより多くの人々に認知され、幅広いファンを獲得してきたことが評価されたのかも知れません。その意味でも紅白のスタツフが島津亜矢に依頼する歌が彼女のオリジナルなのか、それとも昭和の歌を残すために美空ひばりの「乱れ髪」、「愛燦燦」を天童よしみと住み分けするのか、よりサプライズとして北島三郎の「風雪ながれ旅」か、まさかJポップの現役の歌手のカバーはないでしょうから洋楽をもう一度依頼するのか、注目されるところです。ある意味、その選曲が今年の島津亜矢の紅白の立ち位置を教えてくれるかも知れません。
 紅白出場は本人にとってファンにとってもうれしいことには違いありませんが、一方で彼女の歌手人生においてもっとも輝かしい足跡を残すことになるこれからの10年、紅白に囚われず彼女の想いのままに歌いつづけてほしいと願うばかりです。

 さて、随分時間がたってしまいましたが、TBSの音楽バラエティー番組「UTAGE!」に出演した島津亜矢について書いておこうと思います。
 今回はまず最初に島津亜矢、川畑要、三浦祐太朗がハーモニーを担当し、峰岸みなみ、TEE、二階堂高嗣のボイスパーカッションを担当し、スペシャルゲストの高橋洋子が「残酷な天使のテーゼ」をアカペラで歌いました。島津亜矢はアルバム「SINGER4」で高橋洋子の「魂のルフラン」をカバーし、卓越した歌唱力を発揮しています。というのも、彼女「瞼の母」や「大利根無情」など、宿命に抗いながらも破滅していく青年のはかない心情を歌える数少ない歌手で、ジャンルはちがっても演劇的で、滅びの美学がひとの心を打つこれらのアニメソングの世界は彼女のもっとも得意とするところです。
 3人のハーモニーは川畑要が証言していたようにキーが高く、島津亜矢がリードする形でボーカルを際立たせてその役割を見事に果たしました。このようなセッションに島津亜矢はほんとうに解放され、水を得た魚のように自由になれるのでしょう、楽しくてしかたがない様子でした。演歌ではなかなかハーモニーのある歌唱がなく、彼女の実力がわかりにくいのですが、Jポップのジャンルではリードボーカルはもちろんのこと、むしろ彼女の「ベース」の役割というか、音楽をつくる側での彼女のすごさを感じます。
 その次に歌ったのは、川畑要とのコラボでオフコース時代の小田和正の「言葉にできない」でした。「言葉にできない」は松任谷由美とならんで1980年代のニューミュージックをけん引した小田和正の、シンブルで切ない高音の歌唱が心に残る数多くの楽曲のひとつです。
 この歌は小田和正と同じような高音がきれいで歌唱力のあるひとたちのカバー曲の定番のようになっていますが、川畑要と島津亜矢の場合は少し趣がちがっていました。
 前にも書きましたが川畑要はR&B、ソウルミュージックを得意とするボーカリストで、島津亜矢はソウルミュージックの資質があり、この2人のコラボは島津亜矢の潜在能力を引き出すことに成功しています。
 川畑要をリードボーカルにして島津亜矢が演歌でつちかってきたうなりやこぶしがシャウトに変わり、横揺れのリズム感とハーモニーは川畑要のリードボーカルを引き立たせました。ともあれ、川畑要と島津亜矢の「言葉にできない」はニューミュージックではなく、まさしくR&Bになっていたと思います。
 すっかりこの番組の定番になりつつある川畑要と島津亜矢のコラボですが、最初は演歌歌手とのコラボということで川畑要も戸惑ったかもしれませんが、彼女のボーカリストとしての才能を認め、この頃は楽しみにしている節もあります。
 彼に限らず、この番組の常連の島袋寛子、BENIや、アイドルの中で歌唱力が評価されている山本彩、高橋愛など、女性ボーカリストたちが島津亜矢の歌唱を熱心に聴いている様子から、おそらく司会の中居正広の後押しがあって出演することになったと思われる島津亜矢をボーカリストとして受け入れてくれたのではないでしょうか。その点でも、狭い演歌の世界のギルドにはばまれていた島津亜矢にとって自由に自分を表現できる場として、とても貴重な番組だと思います。
 さて、その後に歌った「White Love」は1997年のSPEED最大のヒット曲で、オリジナル歌手の元SPEEDの島袋寛子と島津亜矢、山本彩と柏木由紀の4人が当時のSPEEDのダンスもコピーしながらの異色のコラボとなりました。異色にしたのは何といっても島津亜矢の島袋寛子とのツインボーカルと振り袖姿でのダンスでした。
 1990年代、日本の音楽シーンを根底から変えてしまった安室奈美恵・小室哲哉コンビと双璧をなしていたSPEED・伊秩弘将のコンビは、相乗効果でダンスミュージックによるJポップ旋風を巻き起こしました。SPEEDは1996年のメジャーデビューからあっという間に頂上に上り詰めましたが、その中でも島袋寛子はデビュー当時小学生で、大人を凌ぐその歌唱力は圧倒的なものでした。
 わたしはダンスミュージックが苦手で、小室哲哉や伊秩弘将が席巻する音楽シーンにはとうとうなじめないままになってしまいましたが、その傾向は一過性のものではなく、確実に日本の音楽を変え、いまに続いていると思います。
 ともあれ、島津亜矢の「White Love」は思ったほどの違和感がなかったことも事実ですが、ただ、ソウルミュージックのような横揺れではなく、縦のりのダンスミュージックはその後にBENIと歌った安室奈美恵の「Don’t wana Cry」と同じく、さすがに島津亜矢には無理があると思いました。
 それは演歌歌手としての島津亜矢ではなく、ブルースからロックという流れの音楽よりも、ブルースからジャズ、あるいはブルースからR&Bの流れの方に島津亜矢の才能があり、その流れの底流に島津亜矢による「来るべき演歌」も流れているように感じるからです。
 しかしながら、出演者たちが視聴者のリクエストに応えてまさかと思う企画にチャレンジするのがこの番組のコンセプトのひとつで、今までの放送ではまだ「ポップス歌手をしのぐ驚異の歌唱力を持った演歌歌手・島津亜矢」という立ち位置でしたが、今回はじめて無茶ぶりともいえる企画にチャレンジさせてもらうことでこの番組のファミリーとして受け入れられたということだと思います。
 この番組はしっかりと出来上がったパフォーマンスではなく、常連の舞祭組のように、他の番組ではありえない最悪とも言えるパフォーマンスをも放送することで物議をかもすこともあります。「UTAGE!」では番組のホスト役という役割もあり、彼らが稚拙な中にも努力する姿がこの番組のウリにもなっています。
 ある意味、彼らの存在が出演歌手のプライドを捨てさせ、普通ならしないチャレンジをすることになるとも言えます。その中から、ありえなかった冒険やコラボから素晴らしいパフォーマンスが生まれることがあり、島津亜矢の場合はその中でも決して外さない信頼感が番組スタッフや中居正広にあるのでしょう。
 ちなみに、島津亜矢以外でとてもよかったのはTEEの「酒と泪と男と女」です。この歌は島津亜矢もアルバムに収録していることもあって、とても熱心にTEEの歌を聴いていました。この番組でよく披露するボイスパーカッションといい、癖になる声とそんなに熱唱しないのに聴く者の心に深く届くブルース・ホップシンガーと思いました。

次回はアルバム「SINGER5」について書いてみたいと思います。

川畑要&島津亜矢「言葉にできない」

「残酷な天使のテーゼ」UTAGE!版

BENI&島津亜矢「 Don’t wanna cry」
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2018.11.11 Sun 11月6日のNHK「うたコン」と、7日のTBSの人気番組「UTAGE!」に島津亜矢が出演

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 11月6日のNHK「うたコン」と、7日のTBSの人気番組「UTAGE!」と、島津亜矢が出演する音楽番組が2日連続放映されました。
 6日はフィリピン出身のBeverlyとのコラボでMISIAの「Everything」を熱唱しました。
 Beverlyはアメリカ、フィリピン等の音楽祭で数々の受賞歴を持ち、MISIA、AI、加藤ミリヤなどを手がけたプロデューサーが偶然耳にしたデモテープによって見出され、昨年に日本でのデビューを果たしたばかりですが、ハイトーンボイスを持つ世界レベルの実力派シンガーとして注目されています。
 「うたコン」にはすでに何度か出演していて、ハイトーンボイスと図抜ずばぬけた歌唱力で「うたコン」の視聴者にも強烈な印象を与えました。
 彼女はMISIAの「Everything」をカバーしていて、島津亜矢もまたアルバム「SINGER2」でMISIAの「逢いたくていま」を収録していますので、MISIAのバラードをソロで歌えるわけですが、そこをあえて2人のコラボにしたのはこの番組の編成チームの慧眼あってのことでしょう。というのも、島津亜矢のファンのひとりとしてソロで歌ってほしいという願いをはるかに凌いであまりあるパフォーマンスに、興奮を抑えられなかったからです。
 2人が時には対話し、時には一緒に音楽的冒険を楽しむ様子はその時その場でしか得られない特別の高揚感にあふれていました。Beverlyがやや抑えめの声量で見事なハーモニーをつけるところでは、島津亜矢がその音のやわらかいシャワーを浴びながらシャウトし、Beverlyが蓄えた歌心でハイトーンボイスを爆発させると、島津亜矢はその高音にかぶさるようなやや太めの高音で応え、2人がそれぞれソロで歌うとオリジナルのようなシンプルなロックバラードになるはずのこの歌が、もう少し心がざわざわしたR&Bやソウルのように聴こえてくるのでした。
 広い雪原に建つ教会で、雪は闇にまみれ彼方の光にこぼれおち、誰かを想い、想い続ける…。わたしはドラマの主題歌という役割をおろしたところから、この歌はより切なくより心を高めあう愛の歌として時代の数々の壁をすり抜けてきたのではないかと思います。
 それにしても、島津亜矢の歌は演歌にもポップスにもブラックミュージックの河が流れているように思います。そのことを、もしかすると一緒に歌ったBeverlyが一番感じていたと思えてなりません。彼女もまた素晴らしいボーカリストであることは間違いなく、彼女にしてみれば島津亜矢とのコラボは彼女の歌手人生の中でもまったくのサプライズとして、記憶に残るのではないでしょうか。
 そしてその化学反応を想像して「うたコん」のスタッフがこのコラボを企画演出したとわたしは思っています。「コラボ特集」といいながら、いずれも楽器演奏とダンスで、ボーカリスト2人のコラボがこの一曲だけだったことからも、特別の演出意図があったことがうかがえるのです。早くもその反響からネットではBeverlyの紅白出場の可能性がささやかかれていますが、わたしはむしろ島津亜矢の紅白出場を実現したいNHKスタッフの布石として小さな演歌枠での競合をさけ、ジャンルを越えたボーカリストとしての認知を図ったのかも知れないと我田引水の穿った見方をしています。
 他のコラボでは天童よしみと小松亮太のバンドネオンが特筆ものでした。バンドネオンの一人者で、タンゴの胸をかきむしられそうな切なくも激しくその場の空気を一新させる小松亮太の演奏に駆り立てられ、少しの違和感と緊張感で天童よしみが歌った「乱れ髪」は、いつも十八番の歌唱ではない新鮮な楽曲になりました。こんな天童よしみを聴くと、わたしはまた竹中労が彼女にプレゼントしたデビュー曲の「風が吹く」を思い出します。この歌はその後の天童よしみの演歌歌手としての苦しいあゆみと現在の栄光を俯瞰し、原点を忘れないようにと優しくも厳しく見守った竹中労の心が込められた一曲でしたが、彼はかつて演歌が人生の淵をさまようひとびとの心に深く届いていたルネッサンスを天童よしみに託していたはずです。
 それからずいぶん長い時をへて、ピアソラに代表されるタンゴの名手の小松亮太の演奏によっておかっぱ頭で全日本歌謡選手権に出場していた時の緊張感とみずみずしさがよみがえったようでした。

 翌日の7日のTBSの特別番組「UTAGE!」は、実は10月10日の収録で、9日には「うたコン」の生出演、11日は新潟でのコンサートがあり、過密スケジュールでファンの間でも出演を願う一方で時間的にも体力的にもむりなのではと危ぶまれていました。
 昨年の9月にこの番組で初登場し、ケミストリーの堂珍嘉邦と「美女と野獣」を歌って注目を浴びて以来、この番組の準レギュラーになった感がある中、スケジュールの都合で出演できないとなると、せっかくのブームの流れが途絶えるのではないかとわたしも心配でした。
 彼女もまたこの番組への出演を強く望んでいたはずで、テレビ画面からも目が少しはれぼったく疲れているようではありましたが、水を得た魚のようにとても楽しそうで、なによりも他の出演者も彼女をポップスのボーカリストとして受け入れてくれていて、残念ながら演歌のジャンルではよく似た演出をしてもこんな風に無条件に認めあえることはなかったように思うのです。
 とくに、島袋寛子やBENIなどの実力派のボーカリストが真剣に彼女の歌を聴く姿や、反対に彼女たちの歌唱を一つの音も聴き逃さない島津亜矢の貪欲な好奇心がうかがえて、多くの視聴者と同じく私にもとっても刺激的な番組となりました。振り返ればこの番組は今回で9回目となり、そのうち島津亜矢は最近の4回に出演していて、他の共演者との交流も深まっていると感じます。今回も島袋寛子のSPEED時代の大ヒット曲「White Love」を振り袖姿で歌い、ダンスまだ披露するというある意味とんでもない企画にも挑戦しました。他の共演者もこの番組でならありえない冒険もしてみたくなる、それが「UTAGE!」の最大の魅力なのです。
 今回の放送でも4曲すべてをコラボで歌いましたが、島津亜矢はリードボーカルだけでなく、むしろコーラスやハーモニーなど他の共演者とのコラボになると断トツの歌唱力を発揮できる歌手だと思いました。演歌でのコラボでもいわば楽器で言えばベースのように、後ろで音楽をつくることができる才能を垣間見せていましたが、この番組ではその才能が開花され、彼女の音楽的な冒険の視野がずいぶん広がったと思います。
 個々のコラボのことや、この番組のコンセプトについては次回以降に記事にしたいと思います。

島津亜矢&Beverly(2018年11月6日 NHK「うたコン」
37分55秒くらいから始まります。

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