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2017.03.05 Sun 懐かしい荒野にそそり立つエロチックなピアノ・小島良喜のソロライブ

小島良喜

 5月のピースマーケット本体のチラシと、夕方のスペシャルコンサート「友部正人」のチラシがほぼ完成したころに、能勢町でただひとりの女性議員・大平きよえさんの選挙にむけた議員活動ニュース&リーフレットのチラシづくりと、怒涛のような毎日で、ブログ記事のための時間がつくれず、少し開店休業のようになってしまいました。
 それもようやく終わりましたので、少しずつ復活しようと思います。このブログは島津亜矢さんのファンの方々に支えられているところが大いにあるのですが、亜矢さん関連の記事ばかりとも行かず、これから実際の準備に入るイベント、コンサート、選挙にかかわることも書いていきますので、興味を持たれた方はそちらの方もお読みいただければ幸いです。
 忙しくしている間にも、2月4日は約2年ぶりに小島良喜のライブに友だち3人と行きました。今回のライブはソロライブで、ソロアルバムを出した記念ライブの意味もあったようです。
 この日は箕面の友人3人と出かけました。実をいうと開演前に近所の居酒屋で食べて飲んでおくとライブ会場での飲食よりも安くつくので、この日も早めに出かけ、近所の居酒屋で飲んでから会場に入りました。ほんとうに「セコイ」作戦で自分でも悲しくなりますが、なにぶんチャージ代とわたしの場合は帰りのバスもすでになく、能勢電の山下駅からタクシーで帰らなければならず、始末しても1万円はついてしまうのです。
 それはさておき、2年ぶりの小島良喜は、ほんとうに変わったなと思いました。昨年から始めたフェイスブックで彼の情報はよくわかり、また演奏も少しは聴いていますが、ライブで2、3時間彼のピアノに浸るとまったく違った感動があります。
 
 専門的な音楽のことはまったくわからないので、演奏のどこかが変わったとか、テクニックや表現力なども島津亜矢やSIHOのようなボーカリストについてならもう少し説明できるのですが、なにぶんピアノ演奏の場合、しかも今回のように小島良喜のソロとなると感じたことをうまく説明できません。
 ただ、素人の表現で書けば、いままで以上に小島良喜がピアノととても幸せな関係になったということでしょうか。そういえば「コジカナツル」時代に京都の「RAG」で少し話をする機会があり、その時に初めて彼と出会った1990年の「桑名正博」コンサートの仕込みと打ち合わせの間ずっと彼が「上を向いて歩こう」を演奏していたという話をすると、「それは覚えてないけれど、ピアノはそれぞれ違った人格を持っていてね。まずはピアノと仲良くならないと弾けないんだ」。それは専門的な言葉でいえば、それぞれのピアノの音やタッチの違いを知ることと、そのピアノに一番合った音響を探るためなのだろうと思います。
 ちなみに、アバウトで気取らず、「いい加減」に思える彼のトークからは想像できないこととして、いつも演奏の途中休憩の間に必ずもう一度ピアノ調律をするデリケートさと音に対する厳しさを持っていて、彼がどれだけピアノと仲良くなることを大切にしているかがわかります。2年ぶりにしかもソロのライブを聴き、あらためてより深くいとおしくよりエロチックにピアノに触れるようになっていました。

 少し誤解を招くかも知れませんが、ピアノをエロチックに感じるのは、わたしのピアノ体験から来る妄想なのかも知れません。
わたしが小学生の頃、同級生の女の子の家に何人かで遊びに行ったことがありました。私の母は今でいうシングルマザーで、妻子ある父との間に生まれた私と兄を育てるためにだけに生きようと父とも別れ、生活保護をとったらと勧めてくれた民生委員の好意を断り、大衆食堂を切り盛りしながら赤貧の中で私と兄を高校にまで行かせてくれました。
 貧乏な家の子である私は、裕福なその女の子の家の居間にあったピアノにびっくりしました。ピアノを知らないわけではありませんでしたが、豪邸と言える家の居間にパーソナルにあるピアノを見るのは初めてで、窓から差し込む光を背に黒光りするピアノが、どこかエロチックで胸騒ぎのする生物のように見えたのでした。
 それ以後、わたしにとってピアノは触れてはいけないエロチックな女体で、ピアノが欲望を象徴するアイコンとして登場する映画がいわゆるポルノ映画よりもエロチックに感じたものでした。
 小島良喜のピアノは、そんな私の子ども時代の性的妄想を呼び起こし、とくに今回のようにソロのライブでは、かつてのように時には暴力的なたたかいや革命への激しい熱情の海に挑むような演奏ではなく、とても静かな海で自分の愛する者と優しくつながり、いとおしく触れ合いながら、心の奥に隠してきた激しい熱情を高めあい、ピアノも誰も傷つけず、またピアノにも誰にも傷つけられることのない世界にわたしたちをいざなってくれるようでした。
 それを言い換えることになるのかわからないけれど、かつてブルトンが言った絶対の愛と呼んでいいのかも知れません。お互いの心とからだに隙間ができないように抱き合い求めあい、武器ではなく楽器(ピアノ)で至高の愛の扉をゆっくりと開けたその向こうにあるものは、人間が誕生した時からいつもそばにいてわたしたちを励まし、ここではないどこかをいつも教えてくれた音楽そのものなのでしょう。エロチックで静かで寛容ですべての欲望と絶望と裏切りをゆるし、半島が海をへだてて離れてしまったもう一つの半島に恋し続けているように、その夜の小島良喜のピアノソロを聴きながら、わたしもまた貧乏でしたが決して不幸ではなかった60年前の子ども時代の懐かしい荒野にそそりたつエロチックなピアノへの激しい恋心を思い出したのでした。

ピアニストを撃て
少女の母親が死んだ日もあの曲がきこえました
少女の父親が死んだ日もあの曲がきこえました
少女が学校で叱られた日もあの曲がきこえました
少女が少年に心をうちあけて わらわれた日もあの曲がきこえました
少女はピアニストを撃てとつぶやいて
じぶんの耳にピストルをあてました
                       「ピアニストを撃て」 寺山修司

小島良喜 Yoshinobu Kojima ピアノソロ My Foolish Heart

コジカナヤマ(島英夫). Truth In Your Eyes .Live at ミスターケリーズ 2014.1/28

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2015.02.27 Fri 小島良喜「ジャズと自由は手をつないで行く」

 2月24日、梅田のミスターケリーで「コジカナヤマ」のライブがありました。
 「コジカナヤマ」とは日本の音楽シーンをささえる小島良喜、金澤明、山木秀夫の3人のユニットです。わたしは「コジカナツル」(ドラムスが鶴谷智生)が結成以来、年に一度か二度ですが彼らのライブをずっと聴いてきました。2002年3月に結成されたこのユニットのライブをその年の7月に豊能障害者労働センターが企画主催し、開催しました。
 そのいきさつについては以前にも書いていますので今回は省きますが、3人に近藤房之助をゲストに迎えたこのライブは、北大阪の小さな障害者団体がミスマッチともいえる冒険を試みた刺激的なライブであったと自負しています。今でも彼らの主なライブ会場は100人ぐらいのライブハウスで、その小さな会場での一体感が大きな魅力の一つなのですが、わたしたちは彼らのライブ(コンサート)を1000人会場の箕面市民会館で開いたのでした。その当時の箕面市民会館は改装前で老朽化が目立ち、その上交通の便が悪く、桑名正博のコンサートをするために事務所を訪れた時、「プロなら絶対に選ばない会場です」と言われました。
 事実、高校の音楽祭や行政が主催する催しがほとんどの、いわば場末(悪い意味ではありません)の会場でコンサートをする大きな理由は、公的な助成が乏しい障害者団体が自前でお金をつくり出すには、少ない出演料で来てくれるミュージシャンの協力を得ながら、1000人クラスの会場にすることで料金を格安にすることでまとまったお金を生み出すしかありませんでした。
 しかしながら、それだけではなく、プロのイベント会社や芸能プロダクションではなく、市民が手作りでコンサートや映画界を企画し、箕面市民をはじめとする世代を越えた多くの方々に楽しんでもらえるイベントをしたかったこともあったのでした。
 小室等、長谷川きよし、桑名正博、山田太一、永六輔、筑紫哲也、映画「萌の朱雀」、「IP5」、「午後の遺言状」、「森の中の淑女たち」など、1987年から2003年まで、立て続けにジャンルを越えたイベントを続けることは実はとても苦しい活動でしたが、豊能障害者労働センターという存在を多くの方々に知ってもらうことができましたし、1995年以降は被災障害者支援「ゆめ風基金」にイベントの収益の中から寄付することもできました。
 「コジカナツル」はわたしがかかわった最後のイベントで、日本の音楽シーンをささえる一流のミュージシャンとはいえ、テレビ番組にいつも出演しているミュージシャンのように知られていないこともたしかで、情報宣伝はかなり苦しかったのですが、豊能障害者労働センターが企画したものは間違いがないという評価も得ていましたから、当日は彼らのコアなファンの応援もあり、850人ほどのお客さんに来ていただくことができました。
 このことは、豊能障害者労働センターのひそやかな誇りのひとつです。

 さて、それ以来何度も彼らのライブを聴いてきましたが、わたしは長い間「コジカナツル」というユニット、つまり鶴谷智生のドラムスが小島良喜のピアノにはぴったりだと思っていました。それはそれで間違ってはいないと思っていますが、昨年はじめて山木秀夫のドラムスによる「コジカナヤマ」のユニットを聴き、ドラムスが変わるとこんなにも変わるのかと、あらためてひとりひとりのミュージシャンの個性によって演奏の色合いというか匂いと言うか、駆け上る山や泳ぎ着く岸辺が変わることに驚きと感動をおぼえました。
 実際のところ、小島良喜と金澤英明は音楽的にとても深い友情(?)と信頼関係があり、金澤英明のベースがあれば小島良喜のピアノはどこまでも音楽の荒野を疾走することができるようなのですが、その分ドラムスの鶴谷智生にしても山木秀夫にしても、その濃密で黒い音楽空間に溶け込み、それ以上のパフォーマンスを発揮するのは至難のことのように思ってきました。
 だからこそ、鶴谷智生の刃が光るような切れ味と、少し冷たく青い朝空のような潔さがジャズよりロックよりのすそ野を広げ、小島良喜のピアノを若々しく華やかにしていたのにくらべ、山木秀夫のドラムスはある意味小島良喜と金澤英明の音楽を本来の大人の音楽に戻したように思います。もちろん、ドラムスの高速テクニックは断トツのものがありますが、それよりもこのドラマーは歌心のあるひとだと思います。
 以前に、「コジカナツル」は聴く者をここより他の場所に連れて行ってくれるのに対して、「コジカナヤマ」はこの場所自体を他の場所に変えてくれると書きました。それはもちろん、山木秀夫との化学反応がなせる業で、わたしの言い方ではよりジャズらしく、彼らの音楽の向こう側から海が押し寄せ、わたしの心をやさしく抱きしめてくれるようなのです。
 今回のライブは特に山木秀夫が高速テクニックで飛ばしつづけ、かつて鶴谷智生が暴走した時に匹敵するものでした。それでも、あくまでも彼のドラムスは激しいリズムの中でもメロディアスで、時にはセンチメンタルで、小島良喜のピアノがそれに呼応し、ブルーズよりに裾野を広げ、夕暮れのキラキラした海辺や暗闇に灯る街の灯のような懐かしさと暖かさを感じさせてくれました。
 バラード以外はどの曲もゆっくりとしたイントロの後、ピアノが扇動しドラムスが反応し、いつにもまして激しい演奏がつづくものですから、金澤英明が「たまにしかしないけれど、たまにしかできない」とあきれるほどで、お客さんを笑わせました。
 これがジャズなのか何なのかはわかりませんが、わたしは彼らの音楽を聴きながら、あらためてジャズはコミュニケーションと民主主義の音楽だと思いました。まずはひとつの音を出してしまってから相手を伺い、目を凝らし、笑いながら相手の心の言葉を聞き取り、誤解かも知れないけれどとりあえず次の音を出してみる、それを繰り返すことがコミュニケーションとなっていくのですが、彼らは決して歌わない、しゃべらない、彼らのコミュニケーションツールは言葉ではなく楽器なのでした。ましてや、問題を解決するために銃も爆弾も使わないのです。
 彼らにあるのは、ひとつの音を出すと必ず受け止めてくれるという信頼関係と対等性と自由がすべてで、政治も社会もそうであったらと思うものがすべて、たった3人の音楽の中にあることに感動します。
 まさしく、セロニアス・モンクが語ったように、「ジャズと自由は手をつないで行く」ことを実感した夜でした。

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2014.08.18 Mon 林英哲と小室等と小島良喜とshiho

小室等さんと2014年8月11日
8月11日朝、高山陣屋前朝市にて。左からわたし、小室等さん、Fさん。

 ライブが終わった時には、すでに台風は通り過ぎたようで、空も少し赤らみ、雨も小降りになっていました。
 わたしはまだライブの余韻に浸っていました。思えば林英哲さんの太鼓はそれ自体に聴こえないメロディを奏でているようでしたが、その合いの手に時には激しく時には遠慮がちに雨や風が予期せぬメロディーでハーモニーを付けていたことが、太鼓が遠い彼方の記憶へと立ち去って行こうとする今、はじめて気づいたのでした。

 出演者も、とくにスタッフも片づけに忙しく、またとてもお疲れのところ心苦しく思いながら、来年のイベントの大枠について小室さんと林英哲さんのマネージャーのOさん、そして舞台関係のスタッフのSさんとお話しする時間をいただきました。
 Oさんはとても好意的で、舞台のパフォーマンスは絶対に落とさずに費用を抑える工夫を一緒に考えようと言ってくださいました。わたしたちも1000人を越える会場をいっぱいにできるように、これから1年かけてがんばることをお伝えしました。

 新大阪駅を出発し、40分遅れで名古屋に着いた時はどうなることかと心配しましたが、終わってみればとても幸せな気持ちになっていました。とりあえず高山駅まで戻ることにしてタクシーに乗り、運転手さんに教えてもらった居酒屋で飲んで食べて、早やめにホテルに入りました。11日の夜は、実はFさんとわたしは大阪のミスター・ケリーズに小島良喜、金澤英明にshihoを加えたライブに行くことになっていて、昼過ぎに高山駅を出発しなければならず、朝7時半にロビーで待ち合わせすることにしました。
 あくる日、7時半にホテルを出発し、まずは陣屋前の朝市に到着すると、まだお客さんは少ない中、取れたての野菜や漬物がずらりと並んでいました。ただ、あまりゆっくりもできず、高山の古い町並みへと移動しようとしていたら、なんと小室等さんが立っていました。ライブ会場では写真を写せなかったので、ここで記念写真を撮らせてもらいました。
 午前中しかおれないので、古い町並みを見ただけで終わりましたが、名物のみたらし団子、五平餅、飛騨肉の握りずしで、充分満足しました。わたしは実は44年前、新婚旅行で高山に来たのですが、陣屋や古い町並みはたしかにそのままなのですが、もうずいぶん前のことで懐かしさはなく、まったく新しく訪れた感じでした。
 おそらく、観光の町として、かなりの町づくりを進めた結果、とてもコンパクトにパックされている感じで、多少の「あざとさ」は感じられるものの、やはり観光客に親切な町になっていて、これはこれでいいのではないかと思いました。
 わたしの住む能勢はほとんど観光資源がありませんが、それでもやりようによっては里山に抱かれた町としてある程度の努力の余地があるような気もしました。

 大満足で帰ってきて、わたしとFさんは夜のライブでもう一人誘っていた箕面のSさんと阪急梅田駅近くで待ち合わせ、ライブ会場まで歩きました。いつものことなんですが、ライブ会場では最低1ドリンク1フードは注文しなければならず、それ以上飲み食いするととても高くつくので、ライブハウスのお店には申し訳ないのですが、あらかじめ早くに待ち合わせをして近所の居酒屋でお腹も飲み心も満たしながら時間をつぶし、いよいよライブ会場へと向かいました。
 この日はFried Prideのshihoとのトリオということで、会場は満席でした。shihoのボーカルは10年ほど前に京都のRAGで聴いて以来でしたが、その前の小島良喜と金澤英明の二人だけの演奏がとても良くて、ずいぶん楽しむことができました。
 大体がこの3人はとても仲良しで、ライブの前でもライブ中でも、とにかくいつも以上にご機嫌な小島良喜でした。ピアノもベースもメロディーとリズムが交錯し、この二人はどこか深い所で音楽を共有しているのだなと、あらためて思いました。
 ドラムスが入ると小島良喜がその共有する音楽からはみ出して暴走し、それをドラムスが受け止め投げ返し、新たに生まれた音楽の磁場でまた次のアドリブ(冒険)を始めるといった具合に白紙の時間にさまざまな色と光による風景を描き、金澤英明のベースがその地平線を弾き続けるといった演奏に、わたしはいつも心をわくわくさせながら聴いてきました。
 しかしながら、この夜の二人の演奏はどこか懐かしい匂いがして、「もうなにもかもわかってるよ」といった不思議な音楽的友情が感じられて、その幸福感が聴く者にも伝わり、いつもよりもなごやかで心豊かな時間にしてくれました。
 反対に、一転shihoが登場するとがぜん小島良喜のノリがフル回転し、shihoもまたそれを望み、楽しむといった具合で、shihoのボーカルはすでにふたりの楽器と対等な楽器となり、というより小島良喜のピアノを凌駕するかのような挑戦的な楽器となり、果てまた遠くへ遠くへと聴く者の音楽的な想像力を掻き立てるのでした。
 それにしてもshihoは、好き好きはあるかもしれないけれど、ほんとうにうまいと思いました。日本のみならず、世界のジャズ・ブルースシーンにおいても比類のないその声と歌唱力は10年前よりもさらに進化していました。
 ジャズ、ロック、ブルースの名曲とともに井上陽水の「リバーサイドホテル」や松田聖子の「赤いスイートピー」(だったと思います)といった日本の歌も歌いましたが、これはカバーというものではなく、たとえばモーツアルトやバッハ、ベートーベンをいろいろな交響楽団が演奏したり、ジャズをいろいろなアーティストが演奏し競ったりする感じで、まったくshihoでしかありえない歌唱力と表現力でした。
 最後に、今の世の中の雰囲気をふまえてでしょうか、ジョン・レノンの「イマジン」をshiho版で歌いました。

 前日に林英哲の太鼓で衝撃を受けた後に彼女たち彼たちの演奏を聴くと、とてもかけ離れているように思うのですが、かなり以前からたびたびやっている林英哲と山下洋輔のデュオを聴くと、案外林英哲と小島良喜というのも面白いのではないかと思いました。そしてまた、shihoのようなブルージーなカバーもあれば、島津亜矢のようなとてもナチュラルなカバーもあるなと思います。小島良喜と島津亜矢と言うセッションもなかなか興味深いものを感じます。しいて言えば、島津亜矢はshihoのように全部をつくりかえるようなカバーも実は軽々とできるのですが、そのように作り直すことをせずになおかつ独自の歌に変えてしまう、島津亜矢でしか歌えないカバーを歌っているのだと思います。一度時間とお客さんの受け入れる体制さえあれば、shihoが歌っているようなジャズやロックやブルースだけのCDやライブがあってもいいと思います。その意味で、演歌を出自とする島津亜矢はとんでもなく大きなレンジと可能性を持っていると思います。

Eitetsu Hayashi - Bolero 林英哲&山下洋輔 - ボレロ (FULL ver.)

Fried Pride-リバーサイド・ホテル

コジカナshiho2014年8月11日
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2014.02.05 Wed 今夜の小島良喜のピアノは幸せなピアノでした。

kojikanayama

 1月27日、大阪梅田のライブハウス「ミスター・ケリーズ」で小島良喜、金澤英明、山木秀夫のライブに行きました。
 小島良喜は自身のピアノはもちろん、アレンジにもプロデュースにも定評があり、また井上陽水のツアーなど、数々のライブシーンやスタジオセッションで活躍するピアニストです。わたしは1990年に豊能障害者労働センターが主催した、今は亡き桑名正博のチャリティコンサートの時にはじめて出会いました。その時はロックのピアニストだと思いこんでいたのですが、2002年に再会した時にジャズのようなブルースのようなピアノを聴かせてくれて、音楽のことはさっぱりわからないわたしでしたが彼のピアノの虜になってしまったのでした。
 金澤英明は日野皓正グループでの活躍や自己のグループをはじめ数々の名ライブを生み出してきた日本屈指のベーシストで、この人が小島良喜に声をかけて鶴谷智生を加えたトリオ「コジカナツル」が誕生したと聞きました。
 最近は小島良喜と金澤英明にその時々のドラマーを加え、「コジカナ○○」というユニット名で演奏することもあり、今回は山木秀夫を加えたトリオで演奏しました。
 山木秀夫についてはほとんど知らなかったのですが、小島良喜と同じように福山雅治、井上陽水など数々の有名ミュージシャンのライブのサポートミュージシャンとして参加、レコーディングではB'z、中島みゆき、今井美樹、藤井フミヤ、Chara、山崎まさよし、電気グルーヴ、井上陽水、美空ひばり、CMその他多くに参加するなどロック、ジャズ、その他、あらゆるジャンルを越えて活躍されています。小島良喜と共演することも多いようで、わたしも井上陽水のライブなどで知らず知らずに聴いていたのかも知れません。
 この日は最近のライブ友だちで、よく曽我部恵一のライブに行ったり、島津亜矢にも一回一緒に行ったFさんと、元豊能障害者労働センターのスタッフで、豊能障害者労働センターが2002年に「コジカナツル」のライブをして以来、小島良喜と縁の深いMさんと3人で行きました。
 「ミスター・ケリーズ」には心苦しいのですが、ライブの時にあまり飲み食いするととても高くつくため、近所の居酒屋で一時間ばかり過ごしてから会場に入りました。
 高いテクニックで定評のある山木秀夫のドラムスで彼らの音楽がどう変わるのか、わくわくどきどきと少し緊張しながら演奏を待ちました。
 予定の時刻より少しおくれたかもしれませんが、ライブが始まりました。
 やはり、最初の音は小島良喜のピアノでした。ここ何年も鶴谷智生との「コジカナツル」の演奏ばかり聴いてきて、その中でもその時その時で印象が全然ちがっていたのですが、今回はそれ以上に違っていたように思いました。
 山木秀夫のドラムスが一番大きいのかも知れませんが、もちろん彼らひとりひとりの体調や今の音楽的な関心などに加えて、わたし自身の体調や音楽的な興味、さらにいえばもともと音楽のことなどほとんどわからない素人の印象など、とるにたらないことなのかもしれません。それでも、音楽はその時の演奏がどんなにすごいものであったとしても、演奏者や歌い手は半分しか音楽ができず、ひとりひとりの聴き手が後の半分を受け持つことではじめて音楽になるのだと信じて、感想を少し書いてみようと思います。
 「コジカナツル」はなんというか、3人がその時にあるパワーをさく裂させ、一人が爆走するとそれを止めるのではなく自分もまたさらに爆走することで折り合いをつけるような、切れ味のよすぎるナイフのような印象が強くあります。その場に立会うわたしたちは彼らのスリリングな演奏スピードから振り落とされた音たちの洪水におぼれながらも、向こう岸にある約束の地へといざなわれるのです。その至福の瞬間こそが彼らとわたしたちが共同でつくり上げた音楽なのだと思います。
 それにくらべて今回の演奏はとても「ゆるい」印象を持ちました。わたしは小島良喜がピアノにタッチした時、とてもなつかしさを感じました。それはまるで夕暮れの海辺のように、あるいはもうだれも住んでいない部屋に残された、セピア色に変色してしまったひとつの家族の写真のようでした。
 「ああ、今日の演奏は歌謡曲だ」と思いました。あるいは小島良喜が暮らしたニューオーリンズの路地に流れるジャズかブルースか…、とにかく今日はピアノもベースもドラムスも歌を歌ってくれるようだと思いました。
 小島良喜はとても楽しそうでした。そして、ピアノもまた楽しそうでした。同じ会場の同じピアノなのに、その時々で泣いているように思うことも、とても痛々しいと思うこともありましたが、今夜のピアノはとても幸せそうに思いました。
 その幸福感は小島良喜とピアノだけではなく、金澤英明にもベースにも、山木秀夫にもドラムスにも漂っていました。そして、そのしあわせな音楽は会場を満たし、わたしたちの聴く者の心にも満ち溢れました。
 どちらがいいとか比べられるものではありませんが、山木秀夫を迎えた今回のライブは聴く者をここより別の場所に連れて行ってくれるのではなく、わたしのいるこの場所を約束の地、音楽誕生の地にしてくれる、そんなやさしさにあふれたライブでした。
 そして、今夜のような「黒っぽい歌謡曲」を聴いていると、ミスマッチの極と思われるけれど、小島良喜のピアノと島津亜矢のボーカルも実現できるような気がするのです。
 島津亜矢のボーカルは楽器にするとアルトサックスなどの管楽器系で、小島良喜のピアノとはとても相性がよく、島津亜矢の演歌を小島良喜がアレンジすればどうなるのかとても楽しみですし、また島津亜矢のジャズボーカルの新しい魅力が小島良喜のピアノで見事に開花する伝説なライブになるに違いないと思います。
 そんな夢物語を本気に考えてしまう、とても歌心のある素敵なライブでした。

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2013.08.28 Wed 8月21日のコジカナツル

 8月21日の夜、大阪西梅田のミスターケリーズに行われた「コジカナツル」のライブに行きました。以前は京都三条の「RAG」でのライブが多かったのですが、最近はミスターケリーズに来るようになり、大阪に住むわたしにはうれしい限りです、もっともわたしは2年前から大阪の最北端である能勢に引っ越したため、阪急から能勢電車の山下駅までほぼ最終電車でそこからはタクシーしかなく、以前よりはお金がかかるライブになってしまいました。
 コジカナツルとは、井上陽水、近藤房之助、Char、桑名正博といったアーティストが厚い信頼を寄せるピアニスト・小島良喜、
阿川泰子、渡辺貞夫、日野皓正などのグループで活躍後、現在、自己のトリオをはじめ数々の名ライブを生みだす日本屈指の最強ベーシスト・金澤英明、
そして今井美樹、布袋寅泰、ポルノグラフティー、福山雅治から槙原敬之、いきものがかり、さらには森進一、坂本冬美まで幅広いジャンルのアーティストのレコーディング、ツアー・サポート等でひっぱりだこの人気ドラマー・鶴谷智生、
 この3人が2002年から活動している刺激的なユニットです。
 わたしは1990年に豊能障害者労働センター主催による「桑名正博コンサート」に、今は亡き桑名正博さんの声掛けで来てくれた小島良喜との縁で、2003年にコジカナツルのライブを箕面市民会館で開く幸運を得ました。
 この時、わたしはユニット名を「コジカナツル」ではなく、「小島良喜トリオ」と勘違いをしてしまい、関西一円は言うに及ばず、豊能障害者労働センターの機関紙「積木」を通じて全国に間違ったユニット名で宣伝してしまっただけでなく、当日になってもその間違いに気づかなかったわたしは、「小島良喜トリオ」と書いた大きな看板まで作ってしまったのでした。
 普通ならこのとんでもない失敗が許されるはずもなく、ライブを中止されても仕方がないことですが、彼らはそんなことをまったく気にもかけず、許してくれたことを今でも感謝しています。と同時に、彼らにとってそんなことはほんとうにどうでもいいことで、「いかに楽しく音楽ができるか」、「どんな音楽的冒険ができるか」だけが大切なのだと知りました。彼らのプレーヤーとしての力量や経験からすれば、お客さんをそれなりに満足させる予定調和的なライブをこなすのは簡単なことですが、その程度のことなら彼らにとってこのユニットでやる意味はないのだと思います。
 音楽的な野心と好奇心にあふれる彼ら自身が「今日はどんな冒険ができるのか」と、内心わくわくしながらお互いの出方をさぐるように演奏をはじめ、「今日はそう来ますか」とか「あれ、そんなことしちゃうの」とか目と目で話し、ピアノとベースとドラムスであれこれしゃべりながら演奏を高めていくと、いつしかライブ会場から底抜けの夜空と眠る大地と黒く光る夜の海へと彼らと一緒にわたしたちも繰り出していくのでした。
 その時、彼らの音楽から生まれるものは限りない自由そのもので、わたしたちはありとあらゆる権威や拘束から解き放たれるのでした。
 そんな彼らだからこそ、わたしの飛んでもない失敗も懐深く許してくれたのだと、今は思っています。
 それはともかく、すこし前はコジカナツルとして関西に来る機会があまりなかった時期があったのですが、最近はよく来るようになり、ファンとしてはとてもうれしい限りです。
 
 いつのライブでも、結局は「よかった、すごい」という感想しかないのですが、今回もまた、すばらしい時間にしてくれました。
 前回の時は鶴谷さんが爆裂しましたが、今回は特に3人とも楽しくて仕方がないという印象でした。とくに小島さんはやっぱりこのひとたちと音楽やってる時がいちばんしあわせなんだなと思いました。それを証明するように、鍵盤へのタッチがとてもやわらかで、いつもならもう少し行き過ぎてしまって、それを鶴谷さんが「負けへんで」とやり返し、金澤さんが「こまったもんだ」と舵をとる、といった場面があるのですが、この夜はどこかお互いの居場所を確かめるようにしてお互いを高めあうような信頼感にあふれていたように思います。
 何度も聞いた曲がほとんどなのですが、聴きなれたテーマとコード進行を後にして毎分毎秒、一瞬一瞬の音たちはひとつとして同じものはなく、あたかも画家が沈んでいく夕日を描こうと変わりゆく無数の色を塗り重ねていくうちに、やがて夜になりキャンバスが真っ黒になってしまうように、彼らの音楽もまた時間のキャンバスに無数の音たちを重ねていくうちに、いつか白い闇だけがわたしたちの心のもっとも柔らかいところに残るのでした。これを「ジャズ」とよんでもいいのだと、わたしは思いました。
 彼らの音楽を旅している間、わたしは同じような経験をしたことがあるのを思い出していました。それはもうかなりの昔、箕面市民会館に山下洋輔がやってきた時でした。ずいぶん前のことですが、船底のような箕面市民会館に押し寄せる音の洪水は、わたしがはじめて生で聴いたジャズでした。
 そして、その時に感じたことを今回のコジカナツルを聴きながら思い出していました。
 楽器のできないわたしのひがみかもしれませんが、ひとは楽器を持つことで自由になれるとともに、楽器を持つことでなくしてしまう自由もあるということです。そのひとつは音楽の源流にある「肉声」というものかもしれません。だからこそジャズの先人たちは時間のタブローと化してしまう危険とたたかうことからアドリブを発明し、いろいろな格闘をしてきたのだと思います。
 コジカナツルもまた、それらの先人たちのように、これからも音楽的な冒険をしつづけることでしょう。あの「15少年漂流記」の少年たちのように、あるいはあのジョン・シルバーのように…。

 つい報告とお礼が遅れてしまいましたが、いつのまにかこのブログのアクセスが10万を突破しました。
 みなさん、ほんとうにありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

コジカナツル「"F"」

ラグインターナショナル製作・ラグマニアレーベル「コジカナツル・3」 試聴できます。

「コジカナツル」のCDは豊能障害者労働センターでも販売しています。


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