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2013.10.30 Wed 恋する農園番外編・恐怖の稲刈り2

恋する農園

 10月28日の月曜日、一週間ぶりに畑に行きました。というより前回の続きで、Iさんの田んぼの稲刈りの続きです。
 前回、先週の日曜日と月曜日の稲刈りの様子を書きましたが、あれから台風があり雨も降り、作業がとまっていたところ、わたしは参加しなかったのですが日曜日に前回一緒に作業したSさんたちとIさん、そしてIさんの息子さんが作業し、かなり進んだようです。妻が様子を見に行き、「明日少しでもやっとくわ」と約束したそうで、その結果、わたしも行くことになりました。
 ほんとうは借りた畑の仕事をしたいのですが、稲刈りが終わらなければ畑どころではないと思ってしまう自分がトホホのホで、今日は絶好の稲刈り日和と張り切って作業を始めたのでした。
 実は稲刈りする田んぼは2つあり、今日はわたしたちの畑のすぐそばのもち米ばかりの田んぼの稲刈りをすることにしました。前回の田んぼのように迷うことなく、すべての稲を片っ端から刈り取ればよいので、サクサクと気持ちよく稲刈りができました。
 もっとも、雨のせいもあって下がぬかるみで、場所によってはかなり深く長靴がはまってしまって歩きづらいのが難点で、時々足をとられて尻もちをついてしまい、泥だらけになってしまいました。
 なんとか順調に稲刈り作業は進んだものの、妻の母親がデイサービスから帰ってくるまでに家に戻る時間を逆算していくと、このあたりで束ねていかないと干すところまでいかないと判断しました。刈り取った稲を束ねてひもでくくり、それをかける所も用意しながら作業していくと、ぎりぎりの時間になってしまいました。
 ふりかえって田んぼを見てみると6分の1ぐらいしか刈り取れませんでした。もう一つの田んぼも3分の1ぐらいしか済んでいないので、まだまだ先が長いと感じました。

 本来は小さな田んぼでも機械で刈り取る予定だったのですが、田植えの段階でもち米と普通の米が混じってしまったこと、機械を知り合いの農家から借りることになっていたのがうまくいかなかったこと、それに機械が借りれたとしても天候が悪くて田んぼがぬかるみ状態で機械が入りにくいことから、結局は昔ながらの手作業ですることになってしまいました。
 Iさんが働きに出ていることもあって稲刈りの計画を立てることができず、少ないながらも熱心なボランテイアの人たちがかかわっているにもかかわらず応援を頼むのが遅れてしまったことなど、いろいろな事情が重なってしまった結果が今の現状で、これを教訓にして、これからはIさんとボランティアのひとたちが早くからいっしょに計画を立てて行ければいいなと思いました。

 それでも、わたしだけでなくボランティアのひとたちみんなが田んぼに入るのがはじめての経験で、農家のひとたちの大変さを身に染みて感じることができました。
 ひとつの作物が自然の力を助けにしながら、同時に自然の力に逆らえないという逆説的な真実は、人間社会のありようを教えてくれていると思います。わたしはある時期、機械メーカーに勤めていた頃、「こうあったらいいな」と思う人間の欲望や夢を現実の機械や道具によって実現できることをすばらしいと思ってきました。今でもそれ自体はすばらしいことで、社会はそのようにして昨日よりも今日、今日よりも明日と進化してきたのだと思います。
 しかしながら、その一方で地震などの災害によって突然築き上げてきたものが破壊され、運不運や偶然で命が奪われ、命が助かるという、説明のできない理不尽で不条理な現実を前にして、ひとの夢や欲望の実現は何になるのか、幸せとは何なのか、そして、奪われた命と生き残った命のちがいは何だったのかと、大きな悲しみの中で次々と質問があふれるように押し寄せてきます。
 もとより、わたしはその質問に答える術をもちませんが、ひとつだけわかったと思うのは、人間の社会でもまた自然とのかかわりでも、自分の思い通りに物事は行かないこと、さらに言えばその「自分の思い」はほんとうに自分の思いなのか、良くも悪くも他者や社会や、もっと大きな命のリレーから託された伝言なのかも知れないと実感したことでした。
 長い間、人間の社会は工業的な考えやシステムで歴史をつくってきました。日本という社会に目をやっても工業化と近代化は一つのものでした。そして、農業などの一次産業は産業の中心から周辺へと追いやられてきました。さらに農業の再生は工業化しかありえないと大規模化や遺伝子組み換えなどが推奨され、TPPが日本全体の経済成長につながると言われます。
 しかしながら、能勢の誇る棚田農業など「小さな農業」は地産地消の担い手であり、食糧自給率が4割にも満たず、米などの穀物にいたっては3割にも満たない危機的な現状を救う担い手でもあると思うのです。
 さらに、わたしが最近こだわっているアントニオ・ネグリとマイケル・ハートによれば(あまり理解できていないのですが)、工業が社会のシステムの中心であった時代はすでに終わっていて、家事労働や介護労働や、感情や情緒などこれまでの近代化が追いやってきたものが社会のシステムの中心となっていくとされています。
 彼らの主張もまた、多少インターネットなどへの期待や夢の部分が多いかも知れませんが、わたしは世界の食糧メジャーが「種」を支配し、時には略奪しているという話を聞き、身近な暮らしの中で少しでも自分の作ったものを食べ、足らない部分の方が大半であっても作っている人の顔が浮かぶような農業の大切さを知るようになってきました。

 ここ何週間の、まったく予想もしなかった「恐怖の稲刈り」を体験しながら、こんな肉体労働をしながら無農薬有機農業にこだわるIさんをエライと思いました。

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稲刈り終えて、あらためてどれだけ進んだかなと写真を写してみました。帰り際にわたしたちの畑の様子を見に行くと、白菜はますます葉っぱを広げていました。種をまいた畝も立派に芽をふいていてうれしかったです。
ヤギのメイちゃんは作業の疲れを癒してくれます。

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2013.10.23 Wed 恋する農園・番外編 恐怖の稲刈り

 10月19日、2列目の畝ができあがり、3列目を大まかに耕しているうちに4時になり、妻の母親がデイサービスから帰ってくるまでに家に戻る仕度をしていると、畑の大家さんで、竹パウダーの共同事業のパートナーでもあるIさんと親しい農家の人が、すぐ横の田んぼのそばで何やら話し込んでいました。
 話の内容から、どうも稲刈りのことらしいと見当が付きました。まわりの田んぼどころか、わたしが通ってくる間のどこでもすでに稲刈りは終わっていて、Iさんの田んぼだけがまだ稲刈りをしていません。田植えが遅かったこともあるのですが、それが理由ではなく、稲刈りをする人手も機械もないということらしいのです。
 妻が言うには、ずっと前から稲刈りを手伝ってほしいとIさんから頼まれているのに、「いつやるの?」と聞くと、「それは人間が決めることではなくて、自然が決めることや」と、もっともらしい理由でなかなか日程を決めることができなかったようです。
 いくら自然が相手とはいえ、もともと自分と家族だけでははかどらないところを少ないボランテイアのひとに頼って稲刈りをするのなら、あらかじめ予定を立てて手伝いを頼まないとまずいと思うのですが、Iさんは現金収入を得るために今年の春から介護の仕事をしていて、そのことで頭が回らないようなのです。
 そうこう言っている間に、農家の仲間の人から「もう刈らないとだめになる」と言われ、Iさんが困っているのを横で見ていたら、ついつい、「ぼくにできることがあったら手伝おうか」と言ってしまうじゃありませんか。それに、Iさんの畑のボランティアを熱心にしている若いひとも見かけるので、他にも手伝ってくれるひとが結構いるような印象もありました。
 「明日は日曜日だから〇〇さんは仕事が休みだけど、雨だからできないし」とIさんは言い、ぼくはまたまた「それならもし雨でもするのなら電話してくれ」と言ってしまったのでした。
 翌日の朝、やっぱり電話がかかってきました。「雨が小ぶりの間に少しでもしておきたい」という話でしたので9時に行く約束をして、いそいでIさんの家の横の田んぼ、つまりわたしが借りている畑の隣に向かいました。
 ちょうどIさんと息子さんが田んぼに入ろうとしている時で、わたしも雨合羽と長靴の格好で田んぼに行き、「さあ、生まれてはじめての稲刈りだ」と意気込んでいくと、Iさんがとてもややこしい話を始めるのでした。
 「実は、田植えの時、わたしは仕事に行かなければならず、ボランティアのひとにまかせたために、もち米と普通の米が混じってるんです。それで、普通の米だけを刈り取るんですわ。その見分け方は…」。
 「エーッ!!、そんなご無体な」。初めて田んぼに入る人間にそれを見分けるのは難しすぎる、無茶苦茶や、と思い、「ぼくは束ねる方をしますわ」と、もっぱらIさんと息子さんが刈り取ったものを束にする仕事をさせてもらいました。
 息子さんは高校生なんですが、とても寡黙なひとで、もくもくと稲を選別して刈り取っていき、農家の子どもとはいえ、偉い子やなと感心しました。
 ともかくこの日は午後3時で昼ごはんも食べずに雨の中の作業を続けましたが、こんなへんで堪忍してと帰らせてもらいましたが、彼女たちはご飯も食べずにやりつづけたことでしょう(?)。

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 そして、あくる日、Iさんは「8時になったら仕事に行かないと行けないので、その後の段取りを説明するので7時に来てくれたらうれしい」ということで、なんとか7時過ぎに行きました。
 前日に刈り取った稲の束をかける、専門的には「はさがけ」というのですが、家のまわりに竹を3段にぶらさげたり、ちょっとした場所を利用して竹を渡したりしました。
 「今日は3人のボランティアさんが来てくれる」と聴いて、神様仏様と思いました。それにきょうは妻も来てくれるので、昨日のような悲惨な目には合わないだろうとほっとしました。
 しばらくして、その3人がやってきました。この人たちも一度も田んぼに入ったことがない人たちでしたが、ほんとうにいい人たちでした。Iさんはわたしたちを引き合わした後、やはり3人にももち米と普通の米が混在していると説明し、その違いも説明し、そそくさと仕事に行ってしまいました。
 果たして、何も知らない、はじめてのボランティアだけで、それももち米に混在した普通の米だけを稲刈りするという、無茶苦茶な仕事が始まりました。
 わたしは選別に自信がなく、3人のうちのひとりともっぱらはさがけに徹していたのですが、後の2人は結構稲刈りをしていて、「すごいな」と思ったのですが、後で聴くと「この範囲はすべて刈り取っていい」と聴いていたということでした。
 昼休みを取り、妻が弁当を買い込んできたものをみんなで食べながら、Iさんとのかかわりをそれぞれ話しました。「こんな無茶苦茶なボランティアの求め方もないですよね」と言いながらも、どこかIさんの行き当たりばったりの中にも一生懸命に無農薬の作物をつくり、一生懸命に短大に通う娘さんと高校生の息子さんを育てている姿を見て、なんか応援しようと思ってしまうそれぞれの気持ちが伝わってきました。
 実際のところ、少ない人数ですが、ここにあつまってくる人たちはみんなとてもいい人たちで、誰かの私有の畑とか、誰かの収穫だとか、そんなことよりも、Iさんを応援しながら、Iさんの家の代々続いてきた田畑をみんなで守っていきたいと思ってかかわっている人たちばかりです。
 わたしもその仲間に入ってしまったのだと思うのですが、最近ずっとこだわっているアントニオ・ネグリの「コモンウェルス」(共の富)の、つつましやかな実践であると納得しています。
 ふりかえれば豊能障害者労働センターでの16年間も、障害者問題から始まる「共に生きる社会」への挑戦であったことを思いおこします。その時間がなんだったのか、つまりはわたしの人生はなんだったのかと問うにはまだ早いのかも知れません。その結果が貧乏であることしか残さないのか、これからの新しい人生から少しは答えが得られるかも知れないと思っています。 
 午後も同じ作業をつづけましたが、せめてサクサクと稲刈りできたらストレス解消になるのにと思いました。帰る時間になり、田んぼを見るとほんの一部しか刈り取れない状態です。この後、いったいどうなるんでしょうね。
普通の米だけを刈り取ったら、残りは機械を貸してもらって一気にするという話もあるのですが…。
 それに台風が来て、はさがけした稲が雨に濡れて重くなり、風も吹くと、素人がつくったものなのでひもが切れてつぶれてしまわないかと心配です。

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最後に少し時間をもらい、妻はわたしたちの畑の方に移り、わたしが作った畝にいちごを植えました。一冬をこの畑で過ごし、春に家の方に移すそうです。イナゴの餌食にならないように、すぐに網をかけました。
3列目の畝は少しおそくなってもいいものをと、えんどう豆や玉ねぎなどを植えるそうです。わたしにはそこのところがさっぱりわからず、勉強しなくちゃと思います。本来の畑仕事に入る前に、Iさんの田んぼの稲刈りの手伝いが入るかもしれません。

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2013.10.23 Wed 恋する農園4

恋する農園

 台風26号が関東地方を襲い、伊豆大島では多くの被害をもたらしました。
犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。また、続く27号、28号が接近していて、とても心配です。
 10月16日は26号台風の影響で、能勢町でも雨風ともに強く、また台風がかなり遠くに行ってしまっているのに、長い時間風が強く、最近多発している竜巻かと心配するほどでした。
せっかく虫よけの網をかぶせたのが飛んでしまっていないかと、雨がやんだのを見計らって畑に行きました。
 ありがたいことにそんなに被害はなく、少しはずれたりしているところを直し、2列目の畝づくりに入りました。少し前に土を掘り起こすところまではしていたので、この日は耕しながら草の根っこを抜く作業を繰り返しました。最初は掘るところすべてに太い根が張りめぐらされていて、なかなか手ごわかったのですが、そのうちにその作業もなんとか終わり、その次は何度も何度も土を掘り返し、ならし、残っていた根を取り除き、土を細かくしていきます。
 それから有機石灰を混ぜながら、いよいよ畝をつくっていきます。まわりから土を上げていき、また上の方をならし、最後に残っている小さな草をぬいていくと、少しずつ畝の形ができてきました、
 最初の一畝はわたしが耕した後、妻が畝をつくったのですが、この日はひとりで、わたしの役割はあくる日に妻が苗を植える作業ができるように、少なくとも一畝を仕上げておくことでした。
 この作業ももちろんはじめてでしたが、とりあえずはできあがり、ほっとしました。畑作業をしていると思いのほかすぐに時間がたち、やり残してしまうことも多いのですが、この日は時間がまだ少しありましたので、3列目の畝の準備で、土を掘り起こすところまで仕事が進みました。
 時間がたつとともに台風の影響だった風もおさまり、晴れ間が出てきました。

 19日は、妻が娘の仕事の手伝いで箕面に行く日で、わたしは夕方に妻の母がデイサービスから帰ってくるまで、畑仕事に出かけました。いままで「能勢暮らし」のカテゴリーでは里山探索の記事がほとんどでしたのに、最近は畑仕事に追われています。
 そもそも、急に思い立ったのがTPPと消費税値上げのニュースからでした。もちろん、能勢に来た以上、いつかはこんな暮らしになると思ってはいたのですが、いちばんの理由は来年の春からは現金収入がなくなり、少しずつ減額される年金だけではなかなかきびしい生活になるので、お金を使わない暮らしに切り替えなければならないと思ったからでした。TPPの影響でますます安全な食べ物が手に入らないようになることもあります。
 というのはほとんど屁理屈で、たかだか市民農園よりは多少広い畑でそんなに収穫できるわけでもなく、また妻はそれなりのベテランではありますが、わたしはまったくの素人ですから、そんなに作物が取れるわけでもないでしょう。
 それでも、またまたおおげさに言えば、わたしの最後かも知れない「人生を変える」プロジェクトが始まった実感があります。
 その最初の事件がやってきたのは、その日の帰り際のことでした。
 そのことについては「恋する農園・番外編」として、次回に報告します。

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2013.10.23 Wed 恋する農園3

恋する農園
 畑仕事はせまりくる能勢の冬と競争するようにあわただしく、わたしはただただ土を掘り起こし、地中深く張る草の根を抜き取る作業を続けてきました。
 10月初めにやっとひと畝をつくり、苗を植えた後すぐに畑に行けなくて5日ほどたった10日に行ってみると、2つのことにびっくりしました。
 ひとつは苗を植えた日に持ってきていた虫よけ網が足りなくて全部覆えなかったところ、網をしなかったところの苗は見事にイナゴに食べられてしまっていました。さぞ、おいしかったのでしょうね、まるっきり細い茎だけになってしまったものもありました。
 もうひとつは、なんと網で覆ったところの苗はすでに苗とは言えないおおきな葉になっていて、さらには葉肉がいきいきした緑に光っていました。妻は「そんなことぐらいで驚いてちゃあかんやろ」というのですが、わたしはいままでまったく土にさわったことがなかったものですから、一週間前のひょろひょろしたたよりない苗が、「ボクハ ゲンキデスヨ」とはしゃぐように時を食べ、太陽という未来に向かって両手を広げているすがたに、ビギナーズとして感動したのでした。
 思えば8月末の土など見えず、背の高い雑草に覆われていたところを汗だくになりながら開拓(?)していた時には「いつになったら畑になるの」と、先の見えない何日かを悪戦苦闘し、太い根っこだらけの土を掘り起こし、やっとできたひと畝に見よう見まねで植えた苗が育っている…。おおげさだとわかっていても、書物で読むだけだった土の力、自然の力をはじめて体で感じました。
 長く眠っていた土が目を覚まし、その黒い裸身をおしげもなくさらけだし、太陽の光るベッドに横たわり、風の手紙を読み、生まれたばかりの苗をやさしく抱き、時にはいなごや虫までも誘う…、ほんとうに畑はエロスであふれているのだなと思いました。
 と、のんきなことを言ってる場合ではありません。喰われちまった苗を引き抜き、急きょまた苗を買ってきて植え直し、今度は全部を網で囲みました。

 12日には、娘の家族が家に来てくれて、孫のYU太くんとひさしぶりにじいちゃん、ばあちゃんのまねごとをした後、妻の夫の車に乗せてもらい、畑を案内しました。
 妻の夫のKさんとはよくライブに行っていて、その時は彼の車に乗せてもらっているのですが、畑はバリアフリーとは程遠く、心苦しいのですがそばの道で待っていてもらいました。孫のYU太くんは生まれた時からゆっくりの子でしたが、2才と5か月を過ぎ、言葉もよく出るようになりました。この子は何事にも慎重な一方で、好奇心旺盛で、畑には大家さんのヤギがいたのですが、最初はお母さんやばあちゃんの後ろから手を伸ばして、やぎのお尻をさわっていたのですが、そのうち前に出てきて「ヤギサン カワイイ」と大喜びでした。ここのヤギはほんとうにおとなしく、人なつっこい人気者です。
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2013.10.07 Mon 恋する農園2

恋する農園2013107

 前回作業してから少し間が開いてしまい、また能勢の秋はとても短いので、耕しながら少しでも畝をつくり、すでに種をまくのは遅いので苗を植えることにしました。
 近所に「コメリ」という農業用のスーパーがあり、いままでも道具を買っては畑に行っていましたが、今回はいよいよ苗を買いに行きました。わたしは苗ひとつとってもほとんど何も知らず、妻の後ろをついていくだけでした。
 白菜15本、ブロッコリー5本を買い、自転車に積み、いざ畑へ!
 自動車に乗れないわたしたちは近所の人たちから、「車がないのによく能勢に引っ越した」と半分あきれられているのですが、ここでは電動自転車が大活躍で、妻などは鋤や鍬のような柄の長い道具まで信じられないほどの荷物を前後のかごに積み、走っています。
 畑につくとさっそく土を掘り起こし、長年の根っこを抜き、土を細かくしていくのですが、狭いと思っていてもいざ耕すとなるとなかなか大変で畑になりません。
 それでもなんとか一列の畝をつくり、買ってきた苗を植えました。いつもは年齢も考えずにコンピーターをさわり、ちょっとしたウェブを手作りしたりデータベースのプログラムをつくったりして、たまらないように見えてもストレスがあるようなんですが、土を掘り、草を抜き、畝をつくるというシンプルな作業はどこか体と心にやさしくて、癒されます。もちろん、これを仕事にされている人にとっては甘っちょろい感じなのはわかっていても、そこは許してもらいながらも楽しいひと時です。
 畑を借りている友人のIさんは立派な田畑を持っているのですが、今はシングルマザーで現金収入を得るために仕事に出なければならず、ボランティアの人たちの助けを借りながら無農薬の有機農法にこだわってお米と野菜を作っています。
 妻はそんなIさんと、生ごみを減らし、元気な土をつくる竹パウダー(竹を削り、細かい粉にしたもの)づくりの共同作業をしながら、少し家からは遠いのですが、同じ借りるならとIさんから有料で借りることにしたのでした。

恋する農園2013107

 不思議なもので、8月末に作業に入った時は畑になるのはいつのことやらと思っていましたが、まだ一列ですがごらんのように畑になりました。

恋する農園2013107

 次回、というか今日のことなんですが、キャベツの苗を10本買い、それら家でためていたねぎを植えようと思っています。
 それと、今日中になんとか2列めの畝ができたらと思っているのですが、なかなかてごわくて、どこまでできるかわかりません。
 一応、3列の畝はつくれるので、10月中には何とかしたいと思っています。
 それでは、行ってきます。

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