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2012.06.25 Mon 伊奈かっぺいさん、伊藤君子さん、ありがとうございました。

 昨日の「伊奈かっぺい&伊藤君子ライブ」は、ちょうど満席になり、立ち見のお客さんもなく、とてもいいライブになりました。
 わたしはロビーの担当でしたので、ライブの模様をすべて観ていたわけではなく、特に1部の伊奈かっぺいさんのお話の時はまだロビーの仕事がありましたので、残念ながらまったく観ることができませんでした。
ただ、時々ホールをのぞくといつも笑いが絶えない感じで、その笑いもどこかゆったりしていて、わたしたちが気づかないでいたり忘れてしまった小さなできごとを思い出させ、ちょっとした生きる勇気をもらった気がしました。豊能障害者労働センターの記録のために撮影したDVDで、ゆっくりと見せてもらおうと思っています。
 第2部の伊藤君子さんのライブは、すでにロビーの用事も終わっていましたので、ほぼ完全に見させてもらいました。
 以前にも書いてきましたが、ジャズボーカルと言えばおしゃれなライブスポットやラウンジなどをイメージしてしまうのですが、伊藤君子さんのジャズには大地があり、都会の歌でもダウンタウンのほこりに赤く光る夕陽をあびた下町が見えてきます。
 昨日のライブは津軽弁でも英語でも歌ってくれましたが、たしかに日本語で津軽弁ほどジャズにぴったりの言葉はないかもしれないなと思いました。津軽弁で歌うと、とてもかわいい声になり、その歌の語りは大勢のひとに語っているのではなく、ひとりのひとに語っているように聴こえるのです。そしてわたしたちは歌が生まれる瞬間、歌がひとりの心からもうひとりの心に伝わる瞬間に立ち会っているのだと気づくのでした。
 童謡「赤とんぼ」や「涙そうそう」など日本の歌をお客さんも一緒に歌い、会場がひとつになり、普通のジャズのライブとはかなりちがうあたたかいライブになりました。田中信正さんのピアノ、坂井紅介さんのベースもとても素晴らしい演奏でした。
 最後に伊奈かっぺいさんが登場し、かっぺいさんの曲「別離(へばだば)」を一緒に歌いました。

のめくてやぁ のめくてやぁ (夢中になって 夢中になって)
ただうぬうぬて のめくてやぁ (情熱集中 夢中になって)
ばしらいで ばしらいで (心騒ぎ 身が踊る)
たなこの際かげで ばしらいで (今この時だからと!)
なづぎばふつけだ ほぺたこねぱげだ (額に吐息を 頬と頬を寄せ)
きもちコちょしまし なしてやとちばれ (気持ちを翻弄する なぜ突然の終焉)
おらだてかちゃまし 泣きべちょはだげな (私も心情複雑 泣き顔見せるな)
あんつかあんつごと まみしぐしてろじゃ (少しばかりでなく心配 元気でいてほしい)
たげだばしげねば (ずいぶんと寂しくなるだろうか)
へばだばさ へばだばさ (別離だよ 別離だね)
へばだば へばだば (さようなら さようなら)

 意味はさっぱりわかりませんでしたが、まるで6月の雨のようにぽつりぽつりと、わたしたちの心に伊奈かっぺいさんと伊藤君子さんの声がしみ込んでいきました。
 ほんとうに素敵な歌でした。

 そして、アンコールで歌われた「りんご追分」は圧巻でした。
 伊藤君子さんは美空ひばりに憧れて歌手になり、最初は演歌でデビューされたそうです。わたしは以前、彼女のジャズには隠れこぶしがあると書きましたが、あながちまちがいではなかったと思いました。
 ラジオから流れ、5才ぐらいだった伊藤君子さんの心に届いた「りんご追分」は、昨日のライブで歌われたジャズのスタンダード曲にひけをとらない世界の名曲のひとつです。
 ジャズと出会い、海外のたくさんのプレイヤーと共演し、世界でもトップシンガーと評価されてきた伊藤君子さんの「りんご追分」は、今の演歌歌手のひとたちがどうしても美空ひばりに近づこうとするのとはちがい、この名曲もまた世界のさまざまな大地と海を渡って来て、子どもの頃にラジオから聴こえてきたあの「りんご追分」そのままに彼女の心に帰ってきたような、懐かしくも切ないジャズそのものでした。

 ほんとうに、こんなライブを箕面で開くことができたことは大きな喜びとともに、わたしたちの誇りです。
 伊奈かっぺいさん、伊藤君子さん、田中信正さん、坂井紅介さん、その場に立ち会ってくださった500人のお客さんをはじめ、このライブにご協力いただいたみなさんに感謝します。
 そして、伊奈かっぺいさんと伊藤君子さんのライブを企画し、実現させた豊能障害者労働センターに敬意を表します。

 豊能障害者労働センター30周年記念イベントは、昨年の松井しのぶさんのカレンダー原画展と、今年の「伊奈かっぺい&伊藤君子ライブ」で終了となりました。
 わたしは2008年からふたたび豊能障害者労働センターの活動を手伝ってきました。そして、30周年記念イベント実行委員会に参加してからは、豊能障害者労働センターの事務所にもたびたび行かせてもらいました。
 今回のイベントでは、いつも労働センターのスタッフを急かせてしまい、あまりにもでしゃばりすぎたことを反省しています。
 豊能障害者労働センターを辞めてすでに9年がたち、今は若いスタッフがセンターの活動を支えています。今回のイベントでもみんながそれぞれの役割を果たしていて、たのもしい限りです。
わたしも7月3日の誕生日を迎えると65才になります。老いと折り合いをつけながら、残された時間をまだ見ぬ夢にかけるべく、次なる旅へと出発しなければと思いながら、今日も2時間ドラマの再放送ばかりをみてしまいました。反省。

別離(へばだば) 伊奈かっぺい・伊藤君子




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2012.06.17 Sun いよいよ来週の日曜日

 いよいよ来週の日曜日、豊能障害者労働センター30周年記念「伊奈かっぺい&伊藤君子ライブ」が開催されます。
 豊能障害者労働センターの新居さんから提案があったのが約8か月前だったと思います。
 それから、豊能障害者労働センター30周年記念イベントの実行委員会を中心に長い月日をかけた準備でした。
チケットを売り出したのが4か月前でした。伊奈かっぺいさんがあまり関西になじみがなく、伊藤君子さんもジャズが好きな方にはよく知られた方ですが、ジャズの敷居が高く、最初はなかなかチケットの売れ行きはよくありませんでした。豊能障害者労働センターを応援して下さる方々に協力を求めながら、少しずつ働きかけを続けてきました。
 その間、豊能障害者労働センターの内部では伊奈かっぺいさんや伊藤君子さんのCDを聴いたりする学習会を開くことで、このイベントをみんなのものにしてきました。
 そして、障害のあるひともないひとも全員でハガキ大のカードにひとりひとりの気持ちを伝えるメッセージ集をお二人に送りました。
 わたしは豊能障害者労働センターに在職中、数々のイベントを担当してきましたが、どれだけ出演者のことや映画のことをみんなのものにできたのかといえば、ほとんどできなかったと反省しています。その意味でも、現在の豊能障害者労働センターのスタッフはほんとうにすばらしいと思いました。
 そんな努力が少しずつ果実になって、いまでは関西ではあまり聴くことができない伊奈かっぺいさんのお話を聴ける稀有なイベントとして期待が集まり、ほぼ満席になることが予想されています。実行委員会の一員として、ご協力いただいてきたみなさんに感謝します。ほんとうにありがとうございました。
 あと数日ですが、18日に最後の実行委員会を開き、当日の運営について話し合うことになっています。
 チケットをご購入いただいたみなさん、当日のご来場を心よりお待ちしています。

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2012.06.08 Fri 恋する方言、夢見るコトバ

「伊奈かっぺい&伊藤君子ライブ」が間近にせまり、イベントまでの最後の豊能障害者労働センター機関紙「積木」に、ひとりでも多くの方のご来場を願って寄稿しました。
 前回に続いて2本目の原稿で、前回に書いたものはイベント特集号で、伊藤君子さんについて書きました。今回は伊奈かっぺいさんについて書きましした。
 もしかすると、このブログを読んでくださっている方にも豊能障害者労働センターの機関紙が届いているかも知れませんが、一足早く、ブログに掲載します。
 関西では珍しいイベントですので、お近くのかたはぜひご覧いただければと思います。ご来場をお待ちしています。

豊能障害者労働センター機関紙「積木」NO.233号掲載予定

恋する方言、夢見るコトバ
豊能障害者労働センター30周年記念イベント
「伊奈かっぺい&伊藤君子ライブ」に寄せて2

ヒロシマのカバ

 「ツネッコさん、ヒロシマのカバ、なかなか手に入らんかってん」。
 あなたはぼくの顔をみるなり、そう言いました。
 平田和也さん、ぼくはいま、2009年5月23日の朝、「平和を願う春のバザー」の準備をしていた時にあなたが言った言葉を思い出しています。「ヒロシマのカバ?」…。あなたはいつも思わぬ言葉を独特の語り口で話すので、ぼくたちはそれを「平田語」と名付けてきましたが、この時もその言葉の意味をすぐには理解できませんでした。
 その年の5月2日、忌野清志郎が亡くなりました。ぼくたちは彼と直接縁があったわけではありませんが、彼の存在をとても近くに思っていました。シンプルな言葉で、ある時は届かぬ愛を歌い、ある時はぼくたちをはげましてくれる彼の歌に勇気をいっぱいもらってきたのでした。豊能障害者労働センターはこの年、彼への追悼の意をこめて、RCサクセション時代の「COVERS」をBGMにしながら春のバザーを開きました。
 「ヒロシマのカバ」が「清志郎のカバーズ」だとわかった時、あなたが「平田語」で語る忌野清志郎へのあふれる想いが伝わってきて、ぼくは不覚にも泣いてしまいました。
 思えばあなたに限らず、山本さんも小泉さんも梶さんもみんな、いとおしい心を文法にしたひとり方言「○○語」を持っています。ほんとうに人間はみんな、コミュニケーションの狩人なんですね。

 2年前、はじめて伊奈かっぺいさんの話を聞きました。今回のイベントを共催する被災障害者支援「ゆめ風基金」の設立15年のイベントに出演されたのでした。
 ぼくはスタッフとしてその場にいましたので、じっくり聴けたわけではないけれど、何分間に1回は会場が笑いにつつまれたのを思い出します。
 かっぺいさんの笑いはいまテレビに出ている芸人さんたちのどこか暴力的な笑いとはちがい、話を聴いている間に心とからだの力が抜けて行き、気持ちが楽になって行きます。
 そして、笑って笑って笑い転げた後に、ぼくたちが見過ごしたり忘れてしまいそうなもの、役に立たないと思うものや日々の暮しの中の小さなできごとや感じたことが、実は人生の宝物だということをそっと教えてくれるのでした。

そしていつしか、「津軽弁」が母語で「標準語」とやらは「第一外国語」にあたるコトバとして現在に到る、とでも言えばわかりやすいであろうか。(中略)時に、母語でも伝えられない揺れる感情など、どうして外国語なんぞで伝えることができるでしょうか、だ。
           伊奈かっぺい(豊能障害者労働センター機関紙「積木」NO.232号)

人生を語るには、もう方言しか残っていない

 1998年にぼくたちが上映会を開いた映画「萌の朱雀」で、父親の死をきっかけに家族が山を降りる前夜、尾野真千子ふんする少女・みちるが、ほのかな恋心を従兄の栄介に打ち明けるシーンがありました。「栄ちゃん…。あんな、私な、栄ちゃんのことな、ほんまにすきやねん。でもな、行くわ、お母ちゃんと。」
 最近、NHKの朝のドラマ「カーネーション」で話題になった尾野真千子がまだ中学生で、この映画がデビュー作でしたが、栄介への恋、家族が身を寄せあって生きてきた山村暮らし、そのすべてとの別れを前にした哀しみと、それでも明日を生きようとする切ない決意が、彼女のぶっきらぼうな関西弁の奥にあふれていました。
 そうですよね。あの時のみちるの「すき」は関西弁でなくては成り立ちませんでした。

 かつて青森県出身の鬼才・寺山修司は「人生を語るには、もう方言しか残っていない」と言いました。寺山修司はぼくの青春時代、「家出のすすめ」などのエッセイや詩、演劇を通して数多くの刺激的なメッセージを送ってくれましたが、ぼくが受け取ったいちばんのメッセージは「逆転の思想」で、あたりまえとされているものを疑うことでした。
 世の中が一つの方向にヒステリックに向かい、ぼくたちをその暗闇に閉じ込めようとする時、もう一つの暗闇からそのたくらみをあばいてくれたのも寺山修司でした。
 ぼくは彼と出会っていなかったら別の生き方をしていたにちがいありませんし、おそらく障害者の友だちと出会うことはなかったと思っています。ぼくと同い年で寺山修司と同郷のかっぺいさんもまた、寺山修司の影響を受けたのではないかと想像しています。
 「努力は積み重ねるから崩れます」や「先生を尊敬しちゃいかんぞ」など、津軽弁を入り口にダジャレを連発し、笑いをつなぐ話の裏には深いメッセージがかくされていて、ぼくたちは面白おかしく津軽弁を楽しんでいる間にいつのまにか、かっぺいさんの思想に触っていることに気づきます。かっぺいさんもまた、世の中の大勢に呑み込まれることなく、自分の感じ方や自分の生き方を大切することを教えてくれているのだと思います。

 平田和也さん、「ちがうことが力」と主張してきた豊能障害者労働センターはこの30年間、異端とされてきましたが、いまこそぼくたちはひとり方言の「○○語」で、語りつくせぬ思いを必死で語る勇気を持ちたいと思うのです。
 津軽の方言詩人・伊奈かっぺいさんと、奴隷としてアメリカ大陸に連れて来られたひとびとの過酷な生活と差別の中から生まれた音楽・ジャズの故郷へと案内してくれる伊藤君子さん…。ぼくたちはお二人の力をお借りし、豊能障害者労働センターの30年を支えてくださっているひとたちと「方言でしか語れないかけがえのない人生」を分かち合い、障害のあるひともないひとも共に生きる夢見る街を耕したいと思うのです。


コロンブスが新大陸を発見した1492年、文法学者のアントニオ・デ・ネブリハはスペインのイサベラ女王に言語による国家統一を提案します。その提案は実行され、国家が制定する統一言語による民衆支配をすすめる一方、植民地では先住民たちの言語を禁止し、統一言語による支配体制をつくっていきました。日本でも明治政府のもと学校や軍で標準語がすすめられ、各地の風土や生活から生まれた方言を話す者は劣等感を持たされたり、差別されるようになっていきました。そのような歴史を知ると、伊奈かっぺいさんたちによる方言の復権は人間の復権そのもので、とても意味のあることだと思うのです。

伊奈かっぺい&伊藤君子ライブのブログ
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2012.05.29 Tue 方言でしか語れない人生、方言でしか歌えない歌

「伊奈かっぺい&伊藤君子ライブ」まで、一ヶ月足らずとなりました。
 今回、豊能障害者労働センター機関紙「積木」編集部より、イベントに一人でも多くの方にご来場いただくためにと、原稿を依頼されました。わたしの文章でひとりでもイベントに来ようと思って下さる方がいらっしゃるかはまったく自信がありませんが、一生懸命書いてみました。
 この文章はこのブログに書いたものを加筆修正したもので、重複する部分があることをお許しください。
                                           

方言でしか語れない人生、方言でしか歌えない歌

豊能障害者労働センター30周年記念イベント
「伊奈かっぺい&伊藤君子ライブ」に寄せて1

わたしは街の子巷の子
 わたしがはじめて聴いたジャズは高校生の時で、大阪の地下街にある「萬字屋古書店」のラジオから流れてきたルイ・アームスロングの「聖者が街にやってくる」でした。
 時をたべた紙の匂いが充満する薄暗い空間に、「ヒュー、ヒュー」という雑音とともに風のように流れるどこか悲しさを秘めた陽気な歌声を、いまでもはっきりおぼえています。
 ルイ・アームストロングはジャズ発祥の地といわれるニューオリンズの、黒人が多く住む貧しい地域で生まれました。子供の頃にピストルを発砲して入所した少年院で、南北戦争に敗れた南軍の払い下げのコルネットを演奏することになったといいます。
 彼がピストルを捨てて楽器を持ち、ニューオリンズの袋小路から演奏をはじめたジャズは時と国境を越え、日本の北大阪の片隅でうごめく少年の心のとびらを叩いたのでした。
 子どもの頃、登校拒否児だったわたしは芸能雑誌の「平凡」や「明星」の付録にあった歌謡曲の歌詞で言葉をおぼえました。ラジオから流れる美空ひばり、春日八郎、三橋美智也の歌声と歌詞カードが国語の教科書でした。歌が生まれ、歌が流れる巷の空気や、ひとびとの暮しのにおいとともに届けられる言葉は、学校の教科書にはありませんでした。
 街にはまだなまなましい戦争の記憶が残されていました。コンクリートのがれき、破れた鉄条網、進駐軍のジープと米兵がくれたチューインガム、瓦のないバラックのお店、曇った空にぼんやりと浮かんだまま地面に降りて来なかった「福祉」…。真っ黒な土の上で、空だけは等しく時代を青く染め、わたしたちこどもは貧乏ながらも自由と希望と夢に縁取られた「戦後民主主義」の原っぱをかけめぐっていました。
 高校生になったわたしはどもりに悩み、学校の先生や親に対して必要以上に反抗的になり、心をちぢませていました。そんなわたしにも数少ない友だちができ、できたての梅田地下街に探検に行き、古本屋にもよく出入りするようになりました。
 歌謡曲しか知らなかったわたしには、ジャズはとてもふしぎな音楽でした。言葉の意味もわからず、いままで聴いたこともない音楽なのに、どこか懐かしいのです。その歌の向こう、船底のような古本屋の奥に浮かんだわたしの知らないアメリカの小さな街は、いつのまにかわたしが子どもだった頃に遊んだ路地へとつながっていくのでした。わたしは街の子巷の子、窓に灯りがともる頃…。子どもの頃にラジオから流れてきた美空ひばりの歌声が、アームストロングの歌声と重なりました。

豊能障害者労働センターの30年はもうひとつのジャズだった
 4月13日の夜、豊能障害者労働センターの友だちと伊藤君子のライブに行き、彼女の歌を聴いていて、すでに半世紀をはるかに過ぎたジャズとの出会いを思い出しました。
彼女の歌はとても生々しく直接的で、歌が誕生した大地とそこで暮らすひとびとの姿が浮かび上がるようで、わたしはいつのまにかまだ見ぬ懐かしい風景に迷い込んでしまうのでした。そして、わたしはあらためて教えてもらいました。意味はわからなくても、直接聴く人の心とからだを震わせる圧倒的な「音楽」の力が伊藤君子の歌にはあることを、そしてまた、ジャズはそのように生まれた音楽であることを…。
 アフリカから奴隷として連れて来られ、母なるアフリカの大地に育まれた文化と言葉をうばわれた黒人たちが、抑圧と差別の中で時の闇をくぐり、支配者であるヨーロッパの文化とたたかい混じり合うことで生まれたジャズ…。ジャズはヨーロッパの標準英語では語れない、アメリカ黒人の方言とともに生まれたのでした。
4歳の時、ラジオから流れる美空ひばりの歌声に魅せられたという伊藤君子のジャズには、楽譜では表現できない日本人の「こぶし」とも「なまり」とも言えるものが、ジャズ発祥の地にあった土着的な匂いと奇妙につながっています。ですから、伊藤君子が津軽弁のジャズを歌うのは奇をてらったものでも企画ものでもなく、ジャズそのものの本質にせまるもので、最初は戸惑うお客さんも、どんどん歌に引き込まれていきます。

 1982年、わたしは豊能障害者労働センターと出会いました。箕面市桜井の古い民家に、現代表の小泉祥一さんと梶敏之さんがいました。街は決して彼らをあたたかく向かい入れたわけではありませんでした。普通に学ぶことも普通に働くことも普通に生きることも拒まれた障害者の切ないたたかいの場として、豊能障害者労働センターが設立されたのでした。それから30年、いまでは障害者37人をふくむ61人が活動を続けています。
 わたしは今回、豊能障害者労働センターが30周年記念イベントとして、伊奈かっぺいさんと伊藤君子さんに来ていただきたいと願ったわけがわかるような気がします。
方言でしか語れない人生のたからものを笑いの渦の中からそっと差し出してくれる伊奈かっぺいさんと、津軽弁はもとより、いろいろな個性がぶつかり重なりとけあっていくうれしさをジャズにたくして歌ってくれる伊藤君子さん。
 「ちがうことこそ力なり」と信じ、共に生きる街を夢見て、みんなでわずかな給料を分け合ってきた30年をふりかえりつつ、豊能障害者労働センターは未来をたがやす希望の歌を必要としているのだと思います。
そして、ささえてくださったみなさんといっしょにその希望の歌を歌いたいと願っています。当日のご来場を、心よりお待ちしています。
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2012.05.16 Wed 伊奈かっぺいさんのメッセージ

 来る6月24日、青森県出身で、「方言詩人」としてユニークな活動を続けておられる伊奈かっぺいさんが、箕面に来てくださることになりました。東北・関東を中心に活動され、人気を集める伊奈かっぺいさんが関西でトークイベントをされることは珍しく、津軽弁ジャズを歌う伊藤君子さんのライブとあわせて世代を超えてお楽しみいただける貴重なひとときです。労働センターのスタッフが伊奈かっぺいさんに出演依頼に行った時にあつかましくも、このイベントに向けての寄稿をお願いしました。東日本大震災後、連日のトークイベント等で走り回ったおられる状況にも関らず、ご快諾くださり、素敵な直筆で原稿を送ってくださいました。文字からにじみでる伊奈かっぺいさんの思いを皆様に伝えたくて、お届けすることになりました。
                     豊能障害者労働センター機関紙「積木」編集部より


伊奈かっぺいさんのメッセージ

伊奈かっぺいさんのメッセージ
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