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2017.04.24 Mon 能勢を未来する!井戸端会議がはじまる。能勢町議会議員選挙に大平きよえさん当選!

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 4月23日に投開票された能勢町議会選挙で、大平きよえさんが当選を果たしました。341票と前回より110票ほど少なく、順位も9位と下位の当選ではありますが、400票以上の得票数の上位7名の候補者は公明党2人と、自民党系保守候補4人をふくむ各地区代表と言ってもよく、大平さんのように確固とした組織力のない町民手づくりの選挙で341票は誇っていい結果だと私は思います。
 前回の453票は新人の女性候補で、わたしの住む大票田の松風台を代表するイメージも重なりかなりの期待が寄せられた結果で、今回の得票数は実態にあったものだと思うのです。というのも、旧村地域の力が強い中で新興住宅地の松風台の地域代表というより、る能勢町全体の未来を生活者の視点・女性の視点から、町民参加で考える大平さんの提案が受け入れられるにはもう少し時間を必要とするのだと思います。
 今回の選挙の結果は、旧来の各地域主導の守りをがっちりと固めることを多くの町民が望んだ結果として厳粛に受け止める一方で、新しい風もまた吹き始める予感を感じさせます。
 ひとつは、400票以下の当選者が、「能勢らしく能勢を変える」ことを目指していることと、新しく誕生した若い議員が瑞々しい感性と行動力で能勢町の課題と立ち向かう意気込みに期待が持てるからです。彼女たち彼たちより年齢が高く経験も豊かな大平さんが、それぞれのめざす道は違っても、夢を語り合い、町民と共に切り開く未来を模索し、協働してくれることを願っています。その意味において、投票率が58.92パーセントと過去最低だったにも関わらず、無投票はよくないとぎりぎりに立候補した候補者が惜しくも落選したものの217票を獲得したことはいわゆる泡沫候補ではなく、しっかりとしたビジョンを持った立候補であったことは特記すべきことだと思います。
 投票用紙は小さな紙切れで、そこには投票した町民が能勢の未来を共に歩むべき違った候補者の名前が書かれているだけですが、それはまた我が町・能勢の未来からの手紙なのかも知れません。
 「能勢を未来する!里山井戸端会議」がはじまります。。

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2017.04.22 Sat 能勢町議会選挙と映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」

 1999年に制作され日本でも2000年に公開された映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は、アメリカを代表するギターリスト・ライ・クーダーが国際舞台から忘れられていたキューバの老ミュージシャン達と演奏、制作した同名のアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が大ヒットとなったのがきっかけで制作されたドキュメント映画です。
 ライ・クーダーの友人で「ベルリン・天使の詩」の監督・ヴィム・ヴェンダースによって、キューバ国外にほとんど知られていなかった老ミュージシャン一人一人の来歴、演奏・収録シーン、キューバの光景を織り交ぜたドキュメンタリー映画となっています。アムステルダム公演のシーンに始まり、カーネギーホール公演まで、海外公演の様子も映し出されています。
 彼らがカーネギーホールを最後に華やかな演奏旅行を終え、自由の女神と、そびえたつ繁栄の町・ニューヨークの夜景を見つめます。
 それまでの貧しいキューバの町並みと路地とこわれかけた建物を見続けてきた観客のわたしは、彼らがこのまま亡命するのではないかと思いました。
 若い頃はアメリカに経済的にも文化的にも支配されていた中で彼らの音楽があったはずで、久しぶりに繁栄するアメリカ文化に触れ、彼らの心がなつかしさとせつなさに埋め尽くされるのが画面から伝わりました。
 けれども、彼らはキューバに帰ってきます。そして、薄汚れた壁には「革命は永遠だ」という言葉がにじんでいるのでした…。
 わたしはなぜか、今回の能勢町議会議員選挙で、大平きよえさんの街宣車を見てこの映画を思い出したのです。
 大平さんの街宣車のスピーカーから聞こえてくるのは、この町に暮らす女性のとつとつとした訴えで、大平さんの演説もまた失礼ながら他の候補者の流ちょうな話し方とは程遠く、それがわたしには快く聴こえる以上に涙が出てきました。ずっと昔、箕面の八幡たかしさんや豊中の入部香代子さんの選挙をした時のことです。言語障害を持つ脳性マヒの障害者が街宣車や電話で訴えるのですが、何を言っているのかわからないのです。それでもひとが必死で何かを訴える時、多くの人に無視されても何人かのひとが必死でその話を聞こうとするのを目の当たりにし、まだまだ人の世は捨てたものではないと思ったものです。

 能勢町は消滅可能性都市として全国24位にランクされています。町を活性化し人口減少を食い止め、農業など地域の産業を興し雇用創出をはかる…、それらが急務であることは間違いないのかも知れません。
 しかしながら、日本社会全体で人口が減少していくとされている中、どの地域社会においても、他の地域から人もお金も流入させ、他の地域に人もお金も仕事も流出させない競争にのみ駆り立てられるのは、少し違うようにも思うのです。
 キューバの老ミュージシャンが華やかなアメリカから、貧困でも自分の町に帰ってきたのは我が町に誇りを持っているからなのだと思います。
 能勢町を支えてきた旧村と言われる地域の住民も、わたしのように能勢の自然に魅入られてやってきた新住民も、誇るべき我が町・能勢を愛する気持ちに違いはありません。
 そして、消滅可能性都市と認定される我が町・能勢は、そのような認定をする都市型の繁栄に憑りつかれた20世紀のビジョン、成長率ではかる豊かさではなく、わたしたち住民自身が里山能勢をささえてきた先人たちの知恵を生かし、生活者の目線で助け合える地域社会を町行政と町民と町議会の協働でつくりだす、いわば里山民主主義の入り口に立っているのではないでしょうか。
 大平さんはまさにそのことを一期目の町会議員としてこの4年間、「協働とは何か」と訴えてきたのだと思います。
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2017.04.20 Thu 監視しあう社会は孤独で悲しい暴力。「共謀罪」法案の成立をゆるしてはいけない。

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 「共謀罪」の成立要件を改めた「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案について、衆院法務委員会での本格論戦が19日スタートしました。
 最近は自民党が公明党との与党調整を終えた段階で法案が成立してしまうという、戦後の国会の歴史の中でも異常な状態になっています。これではかつての全体主義国家とかわりがなく、「めんどくさい」議論を重ねながら国会議事堂の外の国民の意見をくみ取り、審議を進める国会の役割を成していないも同然です。
 今の政権があやふやな支持率という「水戸黄門バッジ」をかかげ、森友学園問題の深い闇に隠された疑惑を解明する責任も努力もせずに過去のことにし、「テロ等準備罪」、そして緊急事態条項を憲法に組み込むことで政権の思うままに国の行方を決めてしまえるところまで駆け上がるのをとめられないとしたら、わたしたちの社会がもうすでに全体主義国家へと足を踏み入れてしまっている証明なのかも知れません。
 もちろん、それを止め本来の民主主義を取り戻そうと積極的に行動するひとびとが苦闘されていることもまた真実です。
わたし自身、黙っていれば国の施策に賛成するサイレントマジョリティとみなされ、国の思うままになるのをわかっていても、彼女たち彼たちのようにフットワーク軽く行動を起こせない自分自身を情けなく、その気持ちがますます無力感を深めるという悪循環に陥ってしまいます。
 わたしのように思っている人々がたくさんいるのではないか、そう思い始め、「わたしはこう思う」と書いてみようと、このブログやFACEBOOKに投稿するようになりました。
 思えば今「共謀罪NO!」と直接行動を起こしている人々もまた、街頭で集会でわたしのような「サイレントマジョリティ」に呼びかけているのですから、その「サイレントマジョリティ」自身が小さな勇気を振り絞り、「サイレントマジョリティ」に呼びかける方法として、このブログもあると思っています。

 さて、「共謀罪」や「テロ等準備罪」という言葉を聞いた時、わたしも含む多くの人々が自分とは無縁の犯罪集団、反社会的集団から自分を守ってくれる法案と思うのではないでしょうか。まさか、自分が知らない間に犯罪集団、反社会的集団の一員とみなされるとは思わないでしょう。
 しかしながら、戦前戦中の苦難の時代をくぐり抜けてきた人々の証言は、それをひっくり返すに十分すぎるものがあります。
 わたしの母は1911年(明治44年)、香川県に生まれました。勉強が好きで高等小学校に行きたかったらしいのですが、貧乏なのと女は勉強しなくてもいいということで断念せざるを得ず、広島の大店に一年間の年季奉公に出されました。それからの彼女の人生をくわしくたどることはできませんが、母親とともに大阪に出てきて、しばらくして海外航路の船員さんと結婚、夫がほとんど家に帰らない生活で、彼女は若くして大阪港近くの繁華街でカフェを営んでいました。
 しかしながら、経済的な基盤を支えていた夫が病死し、お店も親戚にとられ、戦争が近づく中でわたしと兄が育った今の摂津市に疎開しました。戦争が終わり、戦前のたくわえでタンスの着物を質屋に入れるタケノコ生活を経て、料亭旅館の仲居をしていた時にお客さんだった妻子あるわたしの父親と出会いました。彼女は兄とわたしを生み、しばらくの間は父親が家にやって来ましたが、父親の援助を受けず、焼き芋屋からはじめ、大衆食堂を営みながらわたしと兄を育ててくれたのでした。そして、わたしが小学生になる前に、「子どもの教育に悪いから」と、父親ときっぱり別れました。
 私と兄を育てるためだけに、女性としての幸せをすてて母親として生き続けた彼女の人生が幸せだったのかはわたしにはわかりませんが、母と兄とわたしが身を寄せてその日その日を食いつなぐ赤貧の日々もまた、わたしにとっては懐かしくも切ない思い出として今でもくっきりと焼き付いているのですから、きっと母にとってもまた幸せな日々だったと思いたいのです。
 「福祉の世話になったらあんたたちが肩身の狭い思いをする」と、髪振り乱し、片手に余るぐらいの薬を飲みながらわたしと兄を高校に行かせてくれた母親の深い思いに、晩年に十分に恩返しできなかったと後悔する一方で、わたしは彼女を誇りに思うのです。
 
 そんな彼女は、私と兄に政治の話は全くしませんでしたし、わたしたち子どもが話すと、「シッ!めったなことをいうもんじゃないよ。特高が聞き耳を立ててるかも知れないよ」とたしなめるように言うのでした。わたしが「おかあちゃん、もう特高警察なんかないよ」といっても、絶対に信じませんでした。
 わたしは子ども心に戦前戦中を生き延びた人々がわたしの想像もできないトラウマを抱えて戦後も生きているのだと感じました。戦後民主主義とか民主教育とかをそのままうのみにできない個々の心の澱み、教育勅語でこの国が天皇のものと教わり、治安維持法でいつ危険な人物とみなされ逮捕されるかも知れないという恐怖と、こんなに一生懸命子どものためにと必死に生きている女性が国に見守られるのではなく監視されているというマインドコントロールから抜け出せないでいることに、とても悲しく、怒りにも似た切なさを感じたものでした。そんな彼女だから、自民党を支持しているのかなと思っていたのですが、ある日「ここだけの話でいいふらしてはいけないよ」といいながら、当時の社会党を支持していることを知りました。
 わたしが「共謀罪」の施行を絶対に許してはいけないと思うわけは、ひとつはわたしたちを「守られるべき国民」とそれに危害を加える危険人物と分けることと、その選別と監視を国家ではなく、ひとりひとりの国民に押し付け、監視しあう社会にしてしまうことです。思えば昔も今も障害者は「保護し見守る」という名のもとに監視の対象となっています。ナチのユダヤ人大虐殺の前に障害者が毒ガス室に放り込まれたように、障害者は炭鉱のカナリアよりも過酷な歴史を経験しています。
 ひとりひとりが見張りあいをする社会は、看守がいなくても囚人が見張られていると思い、自分の行動を規制するのと同じだと思うのです。
 それは、本来、他者と出会うことで自分が何者かを知り、コミュニケーションと想像力で生きる喜びや助け合おうと思う気持ち、武力ではなく言葉と心のふれあいと身体のぬくもりで共に生きる社会や世界の平和をつくるあらゆる努力を根こそぎ捨ててしまう、悲しい暴力なのではないでしょうか。

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2017.04.19 Wed 能勢町議会議員選挙はじまる!大平きよえ「能勢を未来する、里山井戸端会議」

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 豊能郡能勢町の町議会議員選挙が始まりました。昨日18日の告示から23日の投票日まで、ふだんは静かな能勢町も街宣車でにぎわっています。
 わたしは4年前は引っ越してきたばかりで彼女の選挙にはかかわらなかったのですが、それから後、すでに決まっていた学校の統廃合計画を思い直してくれたらという思いをブログに書いたところ、妻にすすめられてその文書の体裁を変えた要請文を能勢町の全議員に送りました。もともと返事を期待などしていなかったのですが、大平さんはそれにこたえてくれました。
 その後、この問題を主に財政面で問題を指摘した請願をもとに町議会が開かれた時、共産党の中西議員と大平さんの二人だけが意見を述べ、あとの議員は意見も何も言わず問答無用と玄関払いをしました。
 その時に大平さんの意見は、わたしが出した要請文書で書いた「統合することで競争ができ、学力向上が図れる」とする教育が、はたして21世紀をになうこどもたちの未来を明るくすることなのか」というものでした。こどもの未来を今の大人の社会の価値観で決めてしまうことへの逡巡を持ち、思いまどう中から施策を決定する勇気が、教育行政にもそれを策定する議会にも求められているとわたしは思います。
 それ以後、わたしは大平さんという議員が能勢町にいることがとても大切なことと思うようになり、彼女がもっとさまざまな問題に「思いまどう」ために、いろいろな情報を届けるようになりました。今年2年目を迎える「ピースマーケット・のせ」の実行委員に誘ったのもそんな思いからでした。
 当初、「いろんなフリーマーケットがあるけれど、ただ買い物するだけで終わり、思いを語り、つながっていかない」と批判的でしたが、5時間も話した末に、「買い物かごの中にも民主主義も自由も希望も夢もつまっている」と意気投合しました。
 そして、バザーが開かれるには平和でなければならない。そして、バザーにさまざまなひとびとが集うことが、平和をつくる遠くて近い道なのだと…。

 今回、わたしはリーフレットづくりに参加させてもらいましたが、そこでも作成を急がなければならない中で、「女性の視点を町行政に!」というところで、深夜に及ぶ議論をしました。彼女は議員になる前の三年間、男女共同参画を推進する「クレオ大阪東」の館長もされていたのですが、国や行政のいう男女共同参画が、長年能勢町の農業を支え、守ってきたひとびとの実感に届かないと言いました。もちろん能勢町だけではなく日本社会全体がまったく男女共同とは程遠く、わざわざ「女性がかがやく」と言わなければならない惨状なのですが…。
 わたしもまた国政でも自治体行政でも「女性の視点を行政に!」と声高に言われることに少し抵抗がありました。それはもちろん、わたしが(異性愛の)男であることと無縁ではないのかも知れませんが、「女性の視点」といった段階ですでに「男性社会」の支配を許し、男性社会が認める範囲でしか女性の視点を受け入れないということのように思えたのです。
 一夜明けた翌日、公約ともいえるマニフェストに彼女は次のように書いてきました。わたしはこの文章を読み、理論よりもはるかに現実的で、実際に社会を変えていくプロセスを見据えたものと共感しました。
 それが次の文章です。

「女性の視点が行政に!」
長い歳月をかけてつくりあげられてきた「男性社会」の仕組みでは、視点に偏りがありました。上下関係が大事、実力や能力を重視、効率の良さ等が物事の基準となっていました。その結果、幼な子や高齢者、ハンディキャップを持った人たちが取り残されることも少なくありませんでした。こうした人たちが置き去りにされない社会にするには、「男性社会」に女性たちの視点を交錯させる「複眼」の社会こそ望まれます。
広範多岐な町の課題にしなやかに豊かに女性の視点を生かしていきます。

 この文章はわかりやすいですが、とても深い文章だと思います。「男性社会」自体をつくってきた人間社会そのものへの変革は、女性だけではなく、「幼な子や高齢者、ハンディキャップを持った人たちが取り残されない社会」への変革で、それはかつて「人権」というお題目からしか始められなかった「人権運動」へのわたし自身の反省をこめて、「女性の視点」から始める前にさまざまな人間の視点から始めようという大平さんの意志を素晴らしいと感じました。その意志はまた能勢町民のみならず、世界のひとびとに向けた意志なのだと思います。
 そして、地域のさまざま課題をさまざまな住民と話し合い、語り合い、問題を分ちあい、その切ない思いや願いを議会に届ける「能勢を未来する、里山井戸端会議」を開くことを決心し、約束する大平さんを応援します。oohira1.jpg


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2017.03.19 Sun 学校が限りなく「調教」の場ではなく、「学びあう場」でありますように。森友学園問題に想うこと2

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 ほぼ毎日、5月14日のピースマーケットスペシャルコンサート「友部正人」の情報宣伝と、チケット預けのお願いに明け暮れていますが、その間にも3月11日、森友学園問題の集会に足を運びました。
 豊中市曽根駅の近くに旧市民会館の建て替えでできたばかりの豊中市立芸術文化センターの多目的室で開かれたこの集会は瑞穂の国小学院問題を考える会が主催したもので、この問題が明るみになるきっかけとなった豊中市会議員・木村貢さんの報告と、「日本会議の研究」の著者・菅野完さんの講演という時の人おふたりの話が聴けるということで、わたしも友人と会場に足を運びました。
 この集会が企画された時からあれよあれよという間に次々と新しい事実が発覚し、国会での野党の追及とマスコミ報道があふれる渦中で、しかもこの日に森友学園の籠池理事長が小学校の申請を取り下げ、理事長をやめるというニュースも伝えられたこともあり、早くに会場に向かったのですがすでに会場は満席で、わたしもふくめて50人以上の人が入れませんでした。
話が聴けなかったのは残念でしたがこの問題がたくさんの人々の関心を呼び、今の政権の危うい暗闇が明るみになり、政権の暴走を止めるきっかけになればいいと思います。
 あの日からますます新事実が出て、ついに安倍首相が森友学園に100万円の寄付をしたという籠池氏の発言によって、それまでかたくなに籠池氏の証人喚問を拒絶していた自民党も積極的に証人喚問を求め、誰が真実を語り誰が嘘をついているのか物事の決着をつけようというところまで来ています。
 ただ、問題の本質は国の当初の鑑定価格9億5600万円より大幅に安い1億3400万円で売却されたという許しがたい事実をはじめ、国には過大な建築費で建築への助成金を高くし、大阪府へは認可を得やすいように過小な建築費で財政的な懸念を払おうとしたことなどの事実が、森友学園の働きかけがあるたびに実現したことに政治家の関与があったのか、もしなかったとしても安倍首相夫妻や稲田防衛大臣など国家の最高権力者が関わっている法人への配慮、忖度が働いたのかが問われています。
 首相からの100万円の寄付行為があったとしても、また森友学園とのかかわりに法的な問題がなかったとしてもそのことを利用した寄付集めや入園、入学の勧誘があったという事実に道義的な責任があることは間違いないわけで、だからこそそのかかわりや寄付行為を否定せざるを得ないのでしょう。
 安倍首相も稲田防衛大臣も自民党も、証人喚問で籠池氏の嘘や虚言癖(?)を認めさせて森友学園とのかかわりを否定することで幕引きを狙っているのでしょうが、あくまでも本質は8億円も値引きして特定の法人に土地を売り渡した信じられないことがなぜ起きたのかを明らかにすることだと思います。

 それはそれとして、わたしが心配なのは多くの方が指摘されているように、森友学園が運営する塚本幼稚園での教育勅語の暗唱などいわゆる右翼的な教育を受けている子どもたちの未来です。
かつてある思想家は「近代国家にとって学校と刑務所はまったく同じである」と言いました。近代以前は処刑・刑罰してきた罪人を、近代国家は刑務所で調教することで国家に従順な人間に作り変えるようになり、その考え方を子どもたちにも適用し、学校がつくられたというのです。
 こんなことを言えば、子どもたちの未来をより良いものにするために一生懸命の先生など、教育に従事されている真摯な方々に叱られるでしょうが、実際のところ学校がほんとうに子どもたちの学びあう場として存在することはまれで、国家による調教という教育システムが子どもたちを管理していることもまた事実だと思うのです。
 また、刑務所の例は極端かもしれないですが、多かれ少なかれ大人もまた国家の管理システムの中でしか「与えられた自由」を獲得できていないのかも知れません。
 わたしはどもりの対人恐怖症で、集団の中で一つのことをみんなと同じようにする社会性がなく、泣きわめいて幼稚園に行くのを拒否しただけでなく、小学校の1年は3学期しか行かず、2年、3年も休みがちで、今で言う不登校の引きこもりでした。どもりを笑われた記憶はいまだに心の奥に隠れていて、わたしが言葉にこだわるのも、またまとまった話をマイクを持って話したりできないことも、子ども時代のトラウマから逃れられないのが原因です。
 ですから、塚本幼稚園の子どもたちがこれから長い人生を生きていくうえで、この幼稚園で刷り込まれた「教育」という名の「調教」がどれだけ心の重荷になっていくのかと思うと、とても心が痛むのです。マインドコントロールがとけないまま、自分は周りの人よりも「すぐれた人間」と思って他人を差別したり、トラウマから脱出できないでもがき苦しんだり、ひとによって絶望の果てに自ら命を絶ってしまうひともいるかも知れません。
 わたしは塚本幼稚園や、つくるはずだった瑞穂の国記念小学校が「右翼教育」を子どもに押し付けていることだけが問題ではなく、そもそも大人が子供を自分の思うままに支配し、理解できるとは思えない「教育勅語」を丸暗記・唱和させること自体の暴力を絶対に許してはいけないと思うのです。しかしながらそんな「偏った」ことができるのは、国家が子どもたちの「学びあう場」を保障するのではなく、刑務所の調教システムと変わりない「教育」システムを子どもたちに押し付けているからなのだということを、忘れてはいけないと思います。
 そして一般には子どもたちは卒業することで学校から解放されますが、障害をもった子供たちの多くが学校を卒業してからまたもうひとつの訓練の場で「卒業」のないまま生きざるをえない現実もあります。
 障害を持たない子どもたちにも一生卒業できないかも知れない塚本幼稚園での特別な教育(彼らの主張では素晴らしい教育)から子どもたちが自分を取り戻し、卒業できるように、わたしたち大人は長い時間をかけて彼女たち彼たちの未来を(干渉せず)見守って行かなければと思うのです。

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