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2017.05.22 Mon 自由を広げるための想像力が国家の監視の道具になる共謀罪の恐怖

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瀧口修造とアンドレ・ブルトン

 シュルレアリスムを日本に紹介し、アンドレ・ブルトンやマルセル・デュシャンなど現代芸術の先駆者と交流を持ち、戦後は大岡信、草間彌生、武満徹など他分野に渡り数多くの作家を育てた瀧口修造は1941年、シュルレアリスムの前衛思想を危険視され、治安維持法違反容疑で特高に逮捕、拘留されました。
 わたしは高校生の時、絵を描かない美術部員で「美術手帖」を愛読し、戦後の芸術をけん引した瀧口修造にあこがれていました。そして、その瀧口修造を危険人物とした特高とその背後の国家に、過去の事ながら恐怖を感じました。
 シュルレアリスムの理論的支柱だったフランスの詩人アンドレ・ブルトンは、当時の政治的変革をめざす国際共産主義に共鳴しながらも、政治的変革だけでは人間は解放されず、その政治的な力が人間を抑圧すると、後のスターリニズムを予言していました。
 瀧口修造もまた、政治的な変革よりも人間解放をめざす芸術に夢を膨らませていたのだと思います。当時の特高は共産主義革命による国家転覆を恐れていたのですが、彼らの監視の刃が政治的活動だけではなく、瀧口修造などの芸術家にまで向けられたことを、あらためて思い返さざるを得ません。
 今、さまざまな理由をつけて「共謀罪」を成立させようとしているこの国は、またしても国家に異議申し立てをしたり、国家の望む道徳律からはずれる自由な国民を危険人物とみなし、人間の心を牢獄に閉じ込めようとしています。
当時の国民の大半がおそらく知らなかっただろう瀧口修造を逮捕・拘束する国家の「想像力」にわたしは恐怖します。
わたしは共謀罪の本当の恐ろしさのひとつは、本来人間を解放する道具であるはずの「想像力」が監視の道具として国家にはく奪され、利用されることにあると思っています。
 そして、想像することが犯罪になるかも知れないという不安と恐怖は、わたしたちから想像力を奪い自由を奪うのと引き換えに、友人や親や妻子にすら猜疑心を持ち、自分の思いを他者に話さない、いや話せないまま口をつぐみ、国が用意する「善良な国民」という牢獄に閉じこもることになるのでした。
 芸術の中でも大衆芸術としての歌謡曲や芝居に押し寄せる抑圧は、大政翼賛会運動や国家総動員法のもと、軍による検閲や自主検閲により表現行為が狭められて行きました。
 共謀罪のターゲットは「危険な集団」で自分は守られる側にいると思っていたら、いつのまにか自分自身が「危険な人物」とされているという笑えない喜劇は、すでにはじまっているのだと思います。

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2017.04.28 Fri 核抑止力より 仲良くし力  ピースマーケット音頭ができました!

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 「ピースマーケツト・のせ」のテーマソング、ピースマーケット音頭(世界仲良し音頭)ができました!
 「ピースマーケット・のせ」の実行委員会委員長・清州辰也さん(94歳)が作詞し、神戸のシンガーソングライター・加納ひろみさんが作曲しました。
 昨年の5月、わたしたちは心と物と夢が行き交う市場「ピースマーケット・のせ」を開きました。
それは能勢町内の新聞に折り込まれた一枚のチラシから始まりました。そこには高齢者住宅に住む清州辰也さんが、「孫や次の世代に戦争のない平和な世界を残したい!!」という、いのちを削ってまでも訴えようとする平和の願いが綴られていました。
清洲さんは1943年、20歳の時に学徒出陣し。南方軍に配属されました。1944年、フィリピンからベトナムへの輸送中、ボロ船のただ一隻の輸送船の機関が故障し漂流2週間、1000人余りの乗員が一滴の水も一粒の米もない絶飲食を強いられました。
敗戦をベトナムで迎え半年間の俘虜生活をへて1946年3月に帰国。大阪駅からは大阪城だけしか見えず、ひろがる一面の焼け野原に立ち、「戦争だけは二度としてはならない。」と強く決意したといいます。
戦後70年、第二次世界大戦による死者は5000万人とも8000万人ともいわれ、日本の地でもアジアの地でも理不尽に奪われたいのちが帰るべき故郷もなく、寄る辺ない夜と朝を漂泊しているというのに、世界は今また次の戦争の準備をし、他国の民を傷つけています。
軍事力を背景にした脅しの外交が国を守り平和への近道と考えた過去の過ちを忘れ、すべての国民を監視し、「国(国体)を守る」ためには多くの国民や一部の地域を犠牲にしてもかまわないと「前線基地」を沖縄に配備するわたしたちの国の姿は、戦争で犠牲になったおびただしいたましいが願い、清洲さんをはじめとする戦争を体験した人々が望んだ「未来」と言えるのでしょうか。
 軍事力を持たなければ国を守れないという観念にとりつかれた北朝鮮の止まらない暴走と、強大な軍事力で朝鮮半島を極度に緊張させるアメリカ…。その許しがたい行為の元で、数多くの人々が心を固くし、不安と恐怖の夜を過ごしていることに、心が張り裂けそうになるのはわたしたちだけでしょうか。
 世界で唯一の被爆を体験し、世界に先駆けて「二度と戦争をしない」と宣言したわたしたちの社会、東アジアの当事者としてなによりも話し合いで緊張を和らげようと呼びかけるべきわたしたちの国が、即座にアメリカの軍事戦略に積極的に参加し、北朝鮮の軍事力行使の標的となる道を選んでしまっていることを、わたしたちは許してしまっていいのでしょうか。
 わたしたちの国は沖縄を植民地としただけでなく、この国全体がアメリカの植民地になったと錯覚してしまうほどです。そしてバラエティと化した昼のニュース番組を他人事のようにぼんやり見ている自分自身の姿にうすら寒くなるのです。
 緊迫感と無力感に覆われる今だからこそ、わたしたちは「ピースマーケット・のせ」を開く意味がますます深くなったと思っています。
 
世界各地で紛争やテロが絶えない一方で、武力だけに頼らず紛争やテロをなくそうとする必死の努力もまた、日本をはじめ世界の人々によって進められていると信じています。
日本だけでなく、世界各地で異議申し立てをするひとびと、自由を求めて活動を続ける人々がいます。わたしたちもまた、「誰も傷つかない、誰も傷つけない」平和で安心できる社会を願って、彼女たち彼たちと青い空と心を共にしたいと思うのです。
「そんな甘い考えで、家族も国も自分も守れない」という声が大きくなっています。しかしながら、わたしは思うのです。
1962年、キューバに核ミサイル基地の建設が明るみになり、アメリカがカリブ海で海上封鎖、アメリカ合衆国とソビエト連邦との緊張が高まり、全面核戦争寸前まで達したキューバ危機が避けられたのは、最終的には当時のケネディ大統領とフルシチョフ首相との書簡のやりとりによる話し合いにあったことを…。
 ロバート・ケネディは著書「13日間 キューバ危機回顧録」で、「キューバ危機の究極的な教訓は、われわれ自身が他国の靴を履いてみる、つまり相手国の立場になってみることの重要さである。」と書いています。
 「武力なしで平和は守れない」という声高で乱暴な主張がもてはやされますが、武力によって平和が守られたことがないということもまた真実なのです。
そして、なによりも武力を行使してはいけないのは、その後の話し合いで平和が実現しても、一部の、いや多くの人々のいのちがその最初の武力によって奪われ、人々を傷つけてしまうことなのです。その事実を「多少の犠牲は仕方がない」と言い放つことは、決して許されないと私は思います。
 5月14日の「ピースマーケット・のせ」まであと2週間になりましたが、緊迫した状況の中で、里山能勢から声を限りに叫びたいと思います。

核抑止力より 仲良くし力
武器抑止力より 仲良くし力
21世紀は 仲良くし力
PEACE MARKETは 仲良し力
のせからのせのせのせまくれ
あっちでもこっちでものせまくれ
世界全部をのせまくれ のせまくれ
ハァイ ソレ ヨイショ

>「ピースマーケット音頭(世界仲良し音頭)」
作詞・清州辰也 作曲・加納ひろみ




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2017.04.24 Mon 能勢を未来する!井戸端会議がはじまる。能勢町議会議員選挙に大平きよえさん当選!

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 4月23日に投開票された能勢町議会選挙で、大平きよえさんが当選を果たしました。341票と前回より110票ほど少なく、順位も9位と下位の当選ではありますが、400票以上の得票数の上位7名の候補者は公明党2人と、自民党系保守候補4人をふくむ各地区代表と言ってもよく、大平さんのように確固とした組織力のない町民手づくりの選挙で341票は誇っていい結果だと私は思います。
 前回の453票は新人の女性候補で、わたしの住む大票田の松風台を代表するイメージも重なりかなりの期待が寄せられた結果で、今回の得票数は実態にあったものだと思うのです。というのも、旧村地域の力が強い中で新興住宅地の松風台の地域代表というより、る能勢町全体の未来を生活者の視点・女性の視点から、町民参加で考える大平さんの提案が受け入れられるにはもう少し時間を必要とするのだと思います。
 今回の選挙の結果は、旧来の各地域主導の守りをがっちりと固めることを多くの町民が望んだ結果として厳粛に受け止める一方で、新しい風もまた吹き始める予感を感じさせます。
 ひとつは、400票以下の当選者が、「能勢らしく能勢を変える」ことを目指していることと、新しく誕生した若い議員が瑞々しい感性と行動力で能勢町の課題と立ち向かう意気込みに期待が持てるからです。彼女たち彼たちより年齢が高く経験も豊かな大平さんが、それぞれのめざす道は違っても、夢を語り合い、町民と共に切り開く未来を模索し、協働してくれることを願っています。その意味において、投票率が58.92パーセントと過去最低だったにも関わらず、無投票はよくないとぎりぎりに立候補した候補者が惜しくも落選したものの217票を獲得したことはいわゆる泡沫候補ではなく、しっかりとしたビジョンを持った立候補であったことは特記すべきことだと思います。
 投票用紙は小さな紙切れで、そこには投票した町民が能勢の未来を共に歩むべき違った候補者の名前が書かれているだけですが、それはまた我が町・能勢の未来からの手紙なのかも知れません。
 「能勢を未来する!里山井戸端会議」がはじまります。。

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2017.04.22 Sat 能勢町議会選挙と映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」

 1999年に制作され日本でも2000年に公開された映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は、アメリカを代表するギターリスト・ライ・クーダーが国際舞台から忘れられていたキューバの老ミュージシャン達と演奏、制作した同名のアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が大ヒットとなったのがきっかけで制作されたドキュメント映画です。
 ライ・クーダーの友人で「ベルリン・天使の詩」の監督・ヴィム・ヴェンダースによって、キューバ国外にほとんど知られていなかった老ミュージシャン一人一人の来歴、演奏・収録シーン、キューバの光景を織り交ぜたドキュメンタリー映画となっています。アムステルダム公演のシーンに始まり、カーネギーホール公演まで、海外公演の様子も映し出されています。
 彼らがカーネギーホールを最後に華やかな演奏旅行を終え、自由の女神と、そびえたつ繁栄の町・ニューヨークの夜景を見つめます。
 それまでの貧しいキューバの町並みと路地とこわれかけた建物を見続けてきた観客のわたしは、彼らがこのまま亡命するのではないかと思いました。
 若い頃はアメリカに経済的にも文化的にも支配されていた中で彼らの音楽があったはずで、久しぶりに繁栄するアメリカ文化に触れ、彼らの心がなつかしさとせつなさに埋め尽くされるのが画面から伝わりました。
 けれども、彼らはキューバに帰ってきます。そして、薄汚れた壁には「革命は永遠だ」という言葉がにじんでいるのでした…。
 わたしはなぜか、今回の能勢町議会議員選挙で、大平きよえさんの街宣車を見てこの映画を思い出したのです。
 大平さんの街宣車のスピーカーから聞こえてくるのは、この町に暮らす女性のとつとつとした訴えで、大平さんの演説もまた失礼ながら他の候補者の流ちょうな話し方とは程遠く、それがわたしには快く聴こえる以上に涙が出てきました。ずっと昔、箕面の八幡たかしさんや豊中の入部香代子さんの選挙をした時のことです。言語障害を持つ脳性マヒの障害者が街宣車や電話で訴えるのですが、何を言っているのかわからないのです。それでもひとが必死で何かを訴える時、多くの人に無視されても何人かのひとが必死でその話を聞こうとするのを目の当たりにし、まだまだ人の世は捨てたものではないと思ったものです。

 能勢町は消滅可能性都市として全国24位にランクされています。町を活性化し人口減少を食い止め、農業など地域の産業を興し雇用創出をはかる…、それらが急務であることは間違いないのかも知れません。
 しかしながら、日本社会全体で人口が減少していくとされている中、どの地域社会においても、他の地域から人もお金も流入させ、他の地域に人もお金も仕事も流出させない競争にのみ駆り立てられるのは、少し違うようにも思うのです。
 キューバの老ミュージシャンが華やかなアメリカから、貧困でも自分の町に帰ってきたのは我が町に誇りを持っているからなのだと思います。
 能勢町を支えてきた旧村と言われる地域の住民も、わたしのように能勢の自然に魅入られてやってきた新住民も、誇るべき我が町・能勢を愛する気持ちに違いはありません。
 そして、消滅可能性都市と認定される我が町・能勢は、そのような認定をする都市型の繁栄に憑りつかれた20世紀のビジョン、成長率ではかる豊かさではなく、わたしたち住民自身が里山能勢をささえてきた先人たちの知恵を生かし、生活者の目線で助け合える地域社会を町行政と町民と町議会の協働でつくりだす、いわば里山民主主義の入り口に立っているのではないでしょうか。
 大平さんはまさにそのことを一期目の町会議員としてこの4年間、「協働とは何か」と訴えてきたのだと思います。
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2017.04.20 Thu 監視しあう社会は孤独で悲しい暴力。「共謀罪」法案の成立をゆるしてはいけない。

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 「共謀罪」の成立要件を改めた「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案について、衆院法務委員会での本格論戦が19日スタートしました。
 最近は自民党が公明党との与党調整を終えた段階で法案が成立してしまうという、戦後の国会の歴史の中でも異常な状態になっています。これではかつての全体主義国家とかわりがなく、「めんどくさい」議論を重ねながら国会議事堂の外の国民の意見をくみ取り、審議を進める国会の役割を成していないも同然です。
 今の政権があやふやな支持率という「水戸黄門バッジ」をかかげ、森友学園問題の深い闇に隠された疑惑を解明する責任も努力もせずに過去のことにし、「テロ等準備罪」、そして緊急事態条項を憲法に組み込むことで政権の思うままに国の行方を決めてしまえるところまで駆け上がるのをとめられないとしたら、わたしたちの社会がもうすでに全体主義国家へと足を踏み入れてしまっている証明なのかも知れません。
 もちろん、それを止め本来の民主主義を取り戻そうと積極的に行動するひとびとが苦闘されていることもまた真実です。
わたし自身、黙っていれば国の施策に賛成するサイレントマジョリティとみなされ、国の思うままになるのをわかっていても、彼女たち彼たちのようにフットワーク軽く行動を起こせない自分自身を情けなく、その気持ちがますます無力感を深めるという悪循環に陥ってしまいます。
 わたしのように思っている人々がたくさんいるのではないか、そう思い始め、「わたしはこう思う」と書いてみようと、このブログやFACEBOOKに投稿するようになりました。
 思えば今「共謀罪NO!」と直接行動を起こしている人々もまた、街頭で集会でわたしのような「サイレントマジョリティ」に呼びかけているのですから、その「サイレントマジョリティ」自身が小さな勇気を振り絞り、「サイレントマジョリティ」に呼びかける方法として、このブログもあると思っています。

 さて、「共謀罪」や「テロ等準備罪」という言葉を聞いた時、わたしも含む多くの人々が自分とは無縁の犯罪集団、反社会的集団から自分を守ってくれる法案と思うのではないでしょうか。まさか、自分が知らない間に犯罪集団、反社会的集団の一員とみなされるとは思わないでしょう。
 しかしながら、戦前戦中の苦難の時代をくぐり抜けてきた人々の証言は、それをひっくり返すに十分すぎるものがあります。
 わたしの母は1911年(明治44年)、香川県に生まれました。勉強が好きで高等小学校に行きたかったらしいのですが、貧乏なのと女は勉強しなくてもいいということで断念せざるを得ず、広島の大店に一年間の年季奉公に出されました。それからの彼女の人生をくわしくたどることはできませんが、母親とともに大阪に出てきて、しばらくして海外航路の船員さんと結婚、夫がほとんど家に帰らない生活で、彼女は若くして大阪港近くの繁華街でカフェを営んでいました。
 しかしながら、経済的な基盤を支えていた夫が病死し、お店も親戚にとられ、戦争が近づく中でわたしと兄が育った今の摂津市に疎開しました。戦争が終わり、戦前のたくわえでタンスの着物を質屋に入れるタケノコ生活を経て、料亭旅館の仲居をしていた時にお客さんだった妻子あるわたしの父親と出会いました。彼女は兄とわたしを生み、しばらくの間は父親が家にやって来ましたが、父親の援助を受けず、焼き芋屋からはじめ、大衆食堂を営みながらわたしと兄を育ててくれたのでした。そして、わたしが小学生になる前に、「子どもの教育に悪いから」と、父親ときっぱり別れました。
 私と兄を育てるためだけに、女性としての幸せをすてて母親として生き続けた彼女の人生が幸せだったのかはわたしにはわかりませんが、母と兄とわたしが身を寄せてその日その日を食いつなぐ赤貧の日々もまた、わたしにとっては懐かしくも切ない思い出として今でもくっきりと焼き付いているのですから、きっと母にとってもまた幸せな日々だったと思いたいのです。
 「福祉の世話になったらあんたたちが肩身の狭い思いをする」と、髪振り乱し、片手に余るぐらいの薬を飲みながらわたしと兄を高校に行かせてくれた母親の深い思いに、晩年に十分に恩返しできなかったと後悔する一方で、わたしは彼女を誇りに思うのです。
 
 そんな彼女は、私と兄に政治の話は全くしませんでしたし、わたしたち子どもが話すと、「シッ!めったなことをいうもんじゃないよ。特高が聞き耳を立ててるかも知れないよ」とたしなめるように言うのでした。わたしが「おかあちゃん、もう特高警察なんかないよ」といっても、絶対に信じませんでした。
 わたしは子ども心に戦前戦中を生き延びた人々がわたしの想像もできないトラウマを抱えて戦後も生きているのだと感じました。戦後民主主義とか民主教育とかをそのままうのみにできない個々の心の澱み、教育勅語でこの国が天皇のものと教わり、治安維持法でいつ危険な人物とみなされ逮捕されるかも知れないという恐怖と、こんなに一生懸命子どものためにと必死に生きている女性が国に見守られるのではなく監視されているというマインドコントロールから抜け出せないでいることに、とても悲しく、怒りにも似た切なさを感じたものでした。そんな彼女だから、自民党を支持しているのかなと思っていたのですが、ある日「ここだけの話でいいふらしてはいけないよ」といいながら、当時の社会党を支持していることを知りました。
 わたしが「共謀罪」の施行を絶対に許してはいけないと思うわけは、ひとつはわたしたちを「守られるべき国民」とそれに危害を加える危険人物と分けることと、その選別と監視を国家ではなく、ひとりひとりの国民に押し付け、監視しあう社会にしてしまうことです。思えば昔も今も障害者は「保護し見守る」という名のもとに監視の対象となっています。ナチのユダヤ人大虐殺の前に障害者が毒ガス室に放り込まれたように、障害者は炭鉱のカナリアよりも過酷な歴史を経験しています。
 ひとりひとりが見張りあいをする社会は、看守がいなくても囚人が見張られていると思い、自分の行動を規制するのと同じだと思うのです。
 それは、本来、他者と出会うことで自分が何者かを知り、コミュニケーションと想像力で生きる喜びや助け合おうと思う気持ち、武力ではなく言葉と心のふれあいと身体のぬくもりで共に生きる社会や世界の平和をつくるあらゆる努力を根こそぎ捨ててしまう、悲しい暴力なのではないでしょうか。

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