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2017.06.20 Tue 奪い合うより助け合い、疑うよりは信じあえる社会

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 共謀罪法案(「共謀罪」の成立要件を改めたテロ等準備罪を創設する改正組織犯罪処罰法)が6月15日早朝成立し、7月中に施行されることになりました。
 これからの日本社会の行方を大きく決めてしまう重要な法案を、国会の最大の役目である徹底議論をさけ、目前の政局とスキャンダル封じのために数の論理で押し切ってしまった政府・与党の暴挙は、それを許してしまったわたしたち国民すべての過ちとして、次の時代を担う子供たちの未来に取り返しのつかない傷跡を残してしまいました。
 政府は「共謀罪」の創設が2000年11月に国連総会で採択された「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」に批准するための措置であり、また東京オリンピック・パラリンピックを前にしてテロや犯罪防止に必要としています。
 しかしながら、条約の批准に「共謀罪」が必ずしも必要でないことが明らかになりましたし、また共謀罪の法を持つイギリスやフランスで多発するテロを防げなかったことをみても、この法律でテロが防げると本当に政府と与党が信じているとは思えません。
  「共謀罪」とか、「組織的犯罪集団」と聞けば、ほとんどのひとがその対象に自分がなることはなく、反対に政府が説明しているように「わたしたち一般市民をテロや犯罪から守ってくれるありがたい法律だと思われるかも知れません。
 しかしながら、わたしたちの身の周りで起きる理不尽なことは、なにも暴力団やテロ集団だけが起こすとは限りません。むしろ原発事故で今もまだ避難生活を続けるひとびとへの偏見や差別、米軍基地や自衛隊の基地を配備し沖縄を「国を守る」ための前線基地にしてしまう国家、森友学園や加計学園問題の数々の疑惑に応えることも明らかにすることもせず、真実を伝えようとするひとびとを愚弄し人格攻撃をする政府…、
 昔流行った鶴田浩二の歌ではありませんが「何から何まで真っ暗闇だ」と叫びたくなる理不尽な出来事が日常茶飯事となってしまっている現実があります。
 もちろん、すべてのひとが平和で豊かで幸せに暮らせる社会を実現するには遠い道のりを必要とするのかも知れません。しかしながら、わたしたちそれぞれが抱える問題は個別であるとともに、形はちがえども他のひとびとが抱える問題と重なっていることもまた、わたしたちは知っています。人類史上最大の死者と最悪の被害を出した第二次世界大戦の教訓から、日本社会も国際社会も暴力ではなく話し合い、奪い合うよりも助け合いによって平和で豊かな社会をつくりだす努力を積み重ねてきたことも真実ではないでしょうか。
 その道は時には行く手をはばむ霧に覆われ、寸断されることもたびたびありましたが、それでも一筋の光を求めて這い上がり、手をつなぎながら生きる大切さをわたしたちは学びました。
 戦時中の治安維持法のもとで隣同士や家族まで「信じること」より「疑うこと」を押し付けられ、国が認める人間にならなければならなかった先人たちの切ないメッセージこそが、曲がりなりにも戦後の民主主義を支えてきたのだとわたしは思います。

 ミシェル・フーコーは、「監獄の誕生~監視と処罰~」の中で、近代に入ると罪人の身体への直接的な体罰から、「罪人を隔離し、教育しなおす」という監獄のシステムが誕生したと書いています。そして、監視と矯正、調教というシステムは近代教育に適用され、犯罪を犯さず、社会に有用な人間に調教することを学校教育に求めるようになりました。
 フーコーはまた「狂気の歴史」で、社会に適応しないひとびとをかつてのように「阿呆船」に乗せて追放するのではなく、社会の周辺に精神病院をつくり、病者だけでなく政治犯や社会に適応できないひとびとを監視、調教するようになったと書いています。
 最近、朝日新聞でも取り上げられましたが、フーコーは近代の管理システムの起源をパノプティコンに見い出しました。
パノプティコンとは、イギリスの思想家ジェレミー・ベンサムが理想として設計した円形の刑務所施設で、フーコーはその仕組みを次のように説明しています。
 この刑務所の構造は中央に監視塔を設け,その周囲に円状の収容施設を配置します。囚人は他の囚人とたちきられ、常に監視者に姿をさらしているのですが、自分の方から監視する人間を確認できないようにされています。
 そこには監視する者を必要とせず、「いつも監視されている」と囚人が思うことで服従する究極の監視体制が実現できるのです。
 共謀法や通信傍受法、特定秘密保護法など、国を守るためとか、犯罪から一般市民を守るという名目で国家が個人を疑い監視する社会では、国家が監視することよりも、わたしたち国民自身が「助け合う」ことよりも「うたがう」ことによって分断され、疑心暗鬼の不安と恐怖にさいなまれる、社会全体のパノプティコン化と言えるでしょう。
 ほんとうに恐ろしいのは国家の暴力ではなく、その暴力のもとで身をかがめ、わたしたち自身が監視しあい、自分らしく生きることに絶望してしまい、いつのまにか「国家に守られるべき善良な国民」の側にしがみつくことにあくせくするようになることだと思います。
 ここまで突き進んだこの政権がやり残したことは、憲法を変えることだけでしょう。読者のいない小説、観客のいない一人芝居、相手のいないボクシング…、最後は強行採決で決めてしまえる圧倒的な力を持ってしまった孤独な政権は、助けてくれる友も相談できる友もないまま、1億2674万人の「自分らしく生きることを放棄した」わたしたちをどんな暗闇へと案内してくれるのでしょうか。
 政権末期に特有の数々のスキャンダルによって政権交代がなされてきた自浄作用が利かなくなってしまった今、国民の声が断末魔となり、かき消されてしまう前に立ち止まり、国家もわたしたちも殺戮と弾圧を繰り返してきた世界の歴史から学ばなければならないと思うのです。

「どんなに自由をうばわれても人間には最後にひとつだけ自由がのこる。それは自由になろうとする自由です。」(竹中労)

天童よしみ「風が吹く」(作詞・竹中労)

中島みゆき「異国」

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2017.05.22 Mon 自由を広げるための想像力が国家の監視の道具になる共謀罪の恐怖

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瀧口修造とアンドレ・ブルトン

 シュルレアリスムを日本に紹介し、アンドレ・ブルトンやマルセル・デュシャンなど現代芸術の先駆者と交流を持ち、戦後は大岡信、草間彌生、武満徹など他分野に渡り数多くの作家を育てた瀧口修造は1941年、シュルレアリスムの前衛思想を危険視され、治安維持法違反容疑で特高に逮捕、拘留されました。
 わたしは高校生の時、絵を描かない美術部員で「美術手帖」を愛読し、戦後の芸術をけん引した瀧口修造にあこがれていました。そして、その瀧口修造を危険人物とした特高とその背後の国家に、過去の事ながら恐怖を感じました。
 シュルレアリスムの理論的支柱だったフランスの詩人アンドレ・ブルトンは、当時の政治的変革をめざす国際共産主義に共鳴しながらも、政治的変革だけでは人間は解放されず、その政治的な力が人間を抑圧すると、後のスターリニズムを予言していました。
 瀧口修造もまた、政治的な変革よりも人間解放をめざす芸術に夢を膨らませていたのだと思います。当時の特高は共産主義革命による国家転覆を恐れていたのですが、彼らの監視の刃が政治的活動だけではなく、瀧口修造などの芸術家にまで向けられたことを、あらためて思い返さざるを得ません。
 今、さまざまな理由をつけて「共謀罪」を成立させようとしているこの国は、またしても国家に異議申し立てをしたり、国家の望む道徳律からはずれる自由な国民を危険人物とみなし、人間の心を牢獄に閉じ込めようとしています。
当時の国民の大半がおそらく知らなかっただろう瀧口修造を逮捕・拘束する国家の「想像力」にわたしは恐怖します。
わたしは共謀罪の本当の恐ろしさのひとつは、本来人間を解放する道具であるはずの「想像力」が監視の道具として国家にはく奪され、利用されることにあると思っています。
 そして、想像することが犯罪になるかも知れないという不安と恐怖は、わたしたちから想像力を奪い自由を奪うのと引き換えに、友人や親や妻子にすら猜疑心を持ち、自分の思いを他者に話さない、いや話せないまま口をつぐみ、国が用意する「善良な国民」という牢獄に閉じこもることになるのでした。
 芸術の中でも大衆芸術としての歌謡曲や芝居に押し寄せる抑圧は、大政翼賛会運動や国家総動員法のもと、軍による検閲や自主検閲により表現行為が狭められて行きました。
 共謀罪のターゲットは「危険な集団」で自分は守られる側にいると思っていたら、いつのまにか自分自身が「危険な人物」とされているという笑えない喜劇は、すでにはじまっているのだと思います。

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2017.04.28 Fri 核抑止力より 仲良くし力  ピースマーケット音頭ができました!

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 「ピースマーケツト・のせ」のテーマソング、ピースマーケット音頭(世界仲良し音頭)ができました!
 「ピースマーケット・のせ」の実行委員会委員長・清州辰也さん(94歳)が作詞し、神戸のシンガーソングライター・加納ひろみさんが作曲しました。
 昨年の5月、わたしたちは心と物と夢が行き交う市場「ピースマーケット・のせ」を開きました。
それは能勢町内の新聞に折り込まれた一枚のチラシから始まりました。そこには高齢者住宅に住む清州辰也さんが、「孫や次の世代に戦争のない平和な世界を残したい!!」という、いのちを削ってまでも訴えようとする平和の願いが綴られていました。
清洲さんは1943年、20歳の時に学徒出陣し。南方軍に配属されました。1944年、フィリピンからベトナムへの輸送中、ボロ船のただ一隻の輸送船の機関が故障し漂流2週間、1000人余りの乗員が一滴の水も一粒の米もない絶飲食を強いられました。
敗戦をベトナムで迎え半年間の俘虜生活をへて1946年3月に帰国。大阪駅からは大阪城だけしか見えず、ひろがる一面の焼け野原に立ち、「戦争だけは二度としてはならない。」と強く決意したといいます。
戦後70年、第二次世界大戦による死者は5000万人とも8000万人ともいわれ、日本の地でもアジアの地でも理不尽に奪われたいのちが帰るべき故郷もなく、寄る辺ない夜と朝を漂泊しているというのに、世界は今また次の戦争の準備をし、他国の民を傷つけています。
軍事力を背景にした脅しの外交が国を守り平和への近道と考えた過去の過ちを忘れ、すべての国民を監視し、「国(国体)を守る」ためには多くの国民や一部の地域を犠牲にしてもかまわないと「前線基地」を沖縄に配備するわたしたちの国の姿は、戦争で犠牲になったおびただしいたましいが願い、清洲さんをはじめとする戦争を体験した人々が望んだ「未来」と言えるのでしょうか。
 軍事力を持たなければ国を守れないという観念にとりつかれた北朝鮮の止まらない暴走と、強大な軍事力で朝鮮半島を極度に緊張させるアメリカ…。その許しがたい行為の元で、数多くの人々が心を固くし、不安と恐怖の夜を過ごしていることに、心が張り裂けそうになるのはわたしたちだけでしょうか。
 世界で唯一の被爆を体験し、世界に先駆けて「二度と戦争をしない」と宣言したわたしたちの社会、東アジアの当事者としてなによりも話し合いで緊張を和らげようと呼びかけるべきわたしたちの国が、即座にアメリカの軍事戦略に積極的に参加し、北朝鮮の軍事力行使の標的となる道を選んでしまっていることを、わたしたちは許してしまっていいのでしょうか。
 わたしたちの国は沖縄を植民地としただけでなく、この国全体がアメリカの植民地になったと錯覚してしまうほどです。そしてバラエティと化した昼のニュース番組を他人事のようにぼんやり見ている自分自身の姿にうすら寒くなるのです。
 緊迫感と無力感に覆われる今だからこそ、わたしたちは「ピースマーケット・のせ」を開く意味がますます深くなったと思っています。
 
世界各地で紛争やテロが絶えない一方で、武力だけに頼らず紛争やテロをなくそうとする必死の努力もまた、日本をはじめ世界の人々によって進められていると信じています。
日本だけでなく、世界各地で異議申し立てをするひとびと、自由を求めて活動を続ける人々がいます。わたしたちもまた、「誰も傷つかない、誰も傷つけない」平和で安心できる社会を願って、彼女たち彼たちと青い空と心を共にしたいと思うのです。
「そんな甘い考えで、家族も国も自分も守れない」という声が大きくなっています。しかしながら、わたしは思うのです。
1962年、キューバに核ミサイル基地の建設が明るみになり、アメリカがカリブ海で海上封鎖、アメリカ合衆国とソビエト連邦との緊張が高まり、全面核戦争寸前まで達したキューバ危機が避けられたのは、最終的には当時のケネディ大統領とフルシチョフ首相との書簡のやりとりによる話し合いにあったことを…。
 ロバート・ケネディは著書「13日間 キューバ危機回顧録」で、「キューバ危機の究極的な教訓は、われわれ自身が他国の靴を履いてみる、つまり相手国の立場になってみることの重要さである。」と書いています。
 「武力なしで平和は守れない」という声高で乱暴な主張がもてはやされますが、武力によって平和が守られたことがないということもまた真実なのです。
そして、なによりも武力を行使してはいけないのは、その後の話し合いで平和が実現しても、一部の、いや多くの人々のいのちがその最初の武力によって奪われ、人々を傷つけてしまうことなのです。その事実を「多少の犠牲は仕方がない」と言い放つことは、決して許されないと私は思います。
 5月14日の「ピースマーケット・のせ」まであと2週間になりましたが、緊迫した状況の中で、里山能勢から声を限りに叫びたいと思います。

核抑止力より 仲良くし力
武器抑止力より 仲良くし力
21世紀は 仲良くし力
PEACE MARKETは 仲良し力
のせからのせのせのせまくれ
あっちでもこっちでものせまくれ
世界全部をのせまくれ のせまくれ
ハァイ ソレ ヨイショ

>「ピースマーケット音頭(世界仲良し音頭)」
作詞・清州辰也 作曲・加納ひろみ




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2017.04.24 Mon 能勢を未来する!井戸端会議がはじまる。能勢町議会議員選挙に大平きよえさん当選!

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 4月23日に投開票された能勢町議会選挙で、大平きよえさんが当選を果たしました。341票と前回より110票ほど少なく、順位も9位と下位の当選ではありますが、400票以上の得票数の上位7名の候補者は公明党2人と、自民党系保守候補4人をふくむ各地区代表と言ってもよく、大平さんのように確固とした組織力のない町民手づくりの選挙で341票は誇っていい結果だと私は思います。
 前回の453票は新人の女性候補で、わたしの住む大票田の松風台を代表するイメージも重なりかなりの期待が寄せられた結果で、今回の得票数は実態にあったものだと思うのです。というのも、旧村地域の力が強い中で新興住宅地の松風台の地域代表というより、る能勢町全体の未来を生活者の視点・女性の視点から、町民参加で考える大平さんの提案が受け入れられるにはもう少し時間を必要とするのだと思います。
 今回の選挙の結果は、旧来の各地域主導の守りをがっちりと固めることを多くの町民が望んだ結果として厳粛に受け止める一方で、新しい風もまた吹き始める予感を感じさせます。
 ひとつは、400票以下の当選者が、「能勢らしく能勢を変える」ことを目指していることと、新しく誕生した若い議員が瑞々しい感性と行動力で能勢町の課題と立ち向かう意気込みに期待が持てるからです。彼女たち彼たちより年齢が高く経験も豊かな大平さんが、それぞれのめざす道は違っても、夢を語り合い、町民と共に切り開く未来を模索し、協働してくれることを願っています。その意味において、投票率が58.92パーセントと過去最低だったにも関わらず、無投票はよくないとぎりぎりに立候補した候補者が惜しくも落選したものの217票を獲得したことはいわゆる泡沫候補ではなく、しっかりとしたビジョンを持った立候補であったことは特記すべきことだと思います。
 投票用紙は小さな紙切れで、そこには投票した町民が能勢の未来を共に歩むべき違った候補者の名前が書かれているだけですが、それはまた我が町・能勢の未来からの手紙なのかも知れません。
 「能勢を未来する!里山井戸端会議」がはじまります。。

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2017.04.22 Sat 能勢町議会選挙と映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」

 1999年に制作され日本でも2000年に公開された映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は、アメリカを代表するギターリスト・ライ・クーダーが国際舞台から忘れられていたキューバの老ミュージシャン達と演奏、制作した同名のアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が大ヒットとなったのがきっかけで制作されたドキュメント映画です。
 ライ・クーダーの友人で「ベルリン・天使の詩」の監督・ヴィム・ヴェンダースによって、キューバ国外にほとんど知られていなかった老ミュージシャン一人一人の来歴、演奏・収録シーン、キューバの光景を織り交ぜたドキュメンタリー映画となっています。アムステルダム公演のシーンに始まり、カーネギーホール公演まで、海外公演の様子も映し出されています。
 彼らがカーネギーホールを最後に華やかな演奏旅行を終え、自由の女神と、そびえたつ繁栄の町・ニューヨークの夜景を見つめます。
 それまでの貧しいキューバの町並みと路地とこわれかけた建物を見続けてきた観客のわたしは、彼らがこのまま亡命するのではないかと思いました。
 若い頃はアメリカに経済的にも文化的にも支配されていた中で彼らの音楽があったはずで、久しぶりに繁栄するアメリカ文化に触れ、彼らの心がなつかしさとせつなさに埋め尽くされるのが画面から伝わりました。
 けれども、彼らはキューバに帰ってきます。そして、薄汚れた壁には「革命は永遠だ」という言葉がにじんでいるのでした…。
 わたしはなぜか、今回の能勢町議会議員選挙で、大平きよえさんの街宣車を見てこの映画を思い出したのです。
 大平さんの街宣車のスピーカーから聞こえてくるのは、この町に暮らす女性のとつとつとした訴えで、大平さんの演説もまた失礼ながら他の候補者の流ちょうな話し方とは程遠く、それがわたしには快く聴こえる以上に涙が出てきました。ずっと昔、箕面の八幡たかしさんや豊中の入部香代子さんの選挙をした時のことです。言語障害を持つ脳性マヒの障害者が街宣車や電話で訴えるのですが、何を言っているのかわからないのです。それでもひとが必死で何かを訴える時、多くの人に無視されても何人かのひとが必死でその話を聞こうとするのを目の当たりにし、まだまだ人の世は捨てたものではないと思ったものです。

 能勢町は消滅可能性都市として全国24位にランクされています。町を活性化し人口減少を食い止め、農業など地域の産業を興し雇用創出をはかる…、それらが急務であることは間違いないのかも知れません。
 しかしながら、日本社会全体で人口が減少していくとされている中、どの地域社会においても、他の地域から人もお金も流入させ、他の地域に人もお金も仕事も流出させない競争にのみ駆り立てられるのは、少し違うようにも思うのです。
 キューバの老ミュージシャンが華やかなアメリカから、貧困でも自分の町に帰ってきたのは我が町に誇りを持っているからなのだと思います。
 能勢町を支えてきた旧村と言われる地域の住民も、わたしのように能勢の自然に魅入られてやってきた新住民も、誇るべき我が町・能勢を愛する気持ちに違いはありません。
 そして、消滅可能性都市と認定される我が町・能勢は、そのような認定をする都市型の繁栄に憑りつかれた20世紀のビジョン、成長率ではかる豊かさではなく、わたしたち住民自身が里山能勢をささえてきた先人たちの知恵を生かし、生活者の目線で助け合える地域社会を町行政と町民と町議会の協働でつくりだす、いわば里山民主主義の入り口に立っているのではないでしょうか。
 大平さんはまさにそのことを一期目の町会議員としてこの4年間、「協働とは何か」と訴えてきたのだと思います。
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