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2018.09.14 Fri 川口真由美さんの歌は希望の歌・「コスタリカの奇跡」上映会と沖縄の心と箕面のひとびと

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20170225 川口真由美コンサート「ケサラ 」
20170225 川口真由美「今こそ立ち上がろう〜辺野古の日々」

 台風の影響でパソコンからのネット配信ができず、更新作業ができませんでした。
 その間に島津亜矢関連や、最近ファンになった政治学者の白井聡さんのことなど、書いてみようと思うテーマがいくつかたまっているのですが、今回は9日に箕面市のグリーンホールで開催された「箕面ピースフェスタ2018」について報告させていただきます。
 この催しはすでに10年の歴史をもっているそうです。10年前と言えばわたしはすでに箕面から離れていますが、豊能障害者在職時にお世話になった人たちもこの催しをずっと支えておられ、会場に行くと懐かしい顔がたくさんありました。もっとも相手からすればずっと箕面で暮らしているわけで、14年前に箕面を去ったわたしの方が珍しい顔だったと思います。
 映画「コスタリカの奇跡」を観るために箕面に住む障害者のKさんと待ち合わせをした2時にグリーンホールに着くと、ロビーでは「ピースマーケットのせ」に2年続けてきてくれた朝鮮舞踊団がひとりだけでしたが踊っていました。わたしはこの舞踊団のファンになっていましたので、偶然の幸運をうれしく思いました。
2時30分からは、「コスタリカの奇跡」を観ました。8月19日に能勢で開催した「コスタリカの奇跡」上映会の主催メンバーでしたので、この映画を観るのは今回で3回目でした。
 日本が1947年に日本国憲法で非戦と戦力の保持を放棄することを宣言した翌年の1948年、ラテンアメリカのコスタリカは軍隊を廃止しました。
 第二次世界大戦後、2つの国は同時に軍隊を放棄しましたが、その後大きく道は分かれ、いまや集団的自衛権のもとで「戦争ができる国」となった日本と対照的に、常備軍を持たずに国際機関での話し合い外交により、隣国のニカラグアとの国境紛争などの危機を乗り越え、軍事予算を社会福祉や教育にまわし、世界の中でも豊かな国とされるコスタリカ…。
 同じ時代に軍隊のない国をかかげ、70年の時を歩んできたコスタリカと日本が真逆の歴史を作ってきた、その違いはどこから来るのでしょうか。
 「コスタリカの奇跡」を観てはっきりしたのは、中米の小国コスタリカはいつもアメリカの圧力を受け、周辺国の侵略や内戦で実際に犠牲になった命もあり、軍隊を持つことそれ自体が内戦を引き起こした歴史があります。ですから軍隊を持たないことを決意したのには、為政者にとっても国民にとっても軍隊に脅かされないで平和な国を作りたいという切実な理由があったということです。
 それに対して日本はアジアと自国の兵士のおびただしいいのちを奪った果てに、国民を守るのではなく「国体」という国を守るためだけに沖縄、広島、長崎の人々のいのちを犠牲にしました。その反省からだけでなく、戦勝国アメリカの要求から非戦と武力放棄を受け入れざるを得なかったという側面もあったことでしょう。
 そして、そのアメリカの要求のもとで朝鮮戦争を契機にまた武力を持ち、軍備の拡張をつづけ、戦前から綿々と続く「選ばれし国」、敗戦を認めず終戦と言い換え、強国日本の復権を悲願としてきた勢力が戦後民主主義の平和と繁栄の裏側にかくれ、画策していたこともまた真実なのでしょう。
 明治維新から脈々と棲みつづけたその勢力が正体を現し平和と非戦を脅かし、憲法を変えようと牙をむいた今だからこそ、コスタリカの歩んで来た道に学ぶことは戦後直ぐにがれきの上で「二度と戦争はしない」と誓った先達の切ない決意と願いと祈りを受け止め、奪い奪われたあまたのいのちが立ち尽くしたままのあの日に立ち戻ることでもあります。
あの日からわたしたちもまた「軍隊のない国」をめざすもうひとつの歴史をつくることもできたことを、いやこれからもできることをこの映画は教えてくれました。
 「平和は夢に過ぎないのではありません。平和は骨の折れる努力なのです。平和はわたしたちの誰もが選択し、忍耐強く保持していかなければならない道。それはわたしたちが周囲の人々との小さな日毎のもめごとを平和的な方法で解決していくことなのです。平和はわたしたち一人ひとりから始まるのです。」
       コスタリカ元大統領オスカル・アリアス・サンチェス(1987年ノーベル平和賞授与)

 映画が終わり、ロビーに出ると川口真由美さんのライブがはじまりました。川口真由美さんは5月の「ピースマーケットのせ」に来ていただいたので、彼女の歌を聴くのは2回目でした。
 彼女の歌を聴いていると、ひとりのひとがもうひとりの誰かに必死に伝えたいと願い、その溢れる想いが歌になった時、その想いはひとの心をつなぐだけでなく、歌の中にたくさんの歌が生まれ、彼女の歌う場所と時間から遠く遠く、時には世界の果てにまで想いを乗せた歌が届くことがきっとあるのだと思わずにはいられません。
 彼女の歌が立ち上る場所はあるいは沖縄の辺野古であったり、高江であったり、あるいは数多くのひとが犠牲になった沖縄戦の現場であったり、沖縄で繰り返されてきた米兵による少女暴行の現場であったり、本土の平和と繁栄のためにいけにえにされてきた沖縄のひとびとの怒り、悲しみ、絶望であったり、世界のいたるところで子どもたちが明日への希望もなく暗い夜に膝を丸めている場所であったりすることでしょう
 明けることが決してないと思う暗闇から立ち上がり、たたかうことでしか切り開けないささやかな幸せや、自分を奮い立たせて明日への希望をたがやす世界中のひとびとと共に、彼女は歌い、歌いつづけ、いま北大阪の小さな町・箕面のグリーンホールのロビーに立ち、沖縄で何が起こっているのかを歌い、届かぬはずのひとびとの叫び声や願いや祈りを語ってくれるのでした。
 川口真由美さんは吟遊詩人というよりは日本の芸能の先駆者とも言われる河原乞食や門付けなど、差別されたり、理不尽な仕打ちを受ける人たちの日常のささやかな抵抗やたたかいの現場から立ちのぼり匂い立つ、 歌が生まれる瞬間にわたしたちをいざなう、ディーバなのだと思います。
 思えば人間が歌うことをおぼえた時から、歴史の書物には決して記載されなかったひとびとの記述されない歴史は歌によってわたしたちに伝えられてきたのだと思います。
 「ここが沖縄です。辺野古です。高江です」と彼女が手を広げた瞬間、わたしたちは空につながる沖縄に、辺野古に、高江にたどりつき、沖縄の心とつながりたいと願いながら彼女と一緒に歌い始めていました。
 箕面の地で長い間それぞれの道を歩みながらも共に手をつないできたひとたちが集い、北大阪の小さな町から世界のひとびとに平和への願いを届けようと語り、歌い、踊る「箕面ピースフェスタ2018」は、箕面市民だけでなく、近隣に住むわたしたちにもつながっていくことの楽しさと大切さを教えてくれました。
 わたしたちも2016年からはじめた「ピースマーケットのせ」をどうするか迷いながら、ふらふらになりながら開催してきました。先日、来年どうするか話し合い、開くことを確認したばかりです。箕面のこの催しとちがい、「ピースマーケットのせ」の実行委員はとても少なくて、実際のところ、続けていくのには体力も気力も限界にきているところもあります。
 しかしながら、箕面のひとたちがくれた勇気をたよりに、来年も開こうと思います。全国の小さな町や村で、ささやかであっても埃まみれであっても、あきらめないで希望の歌を歌い継ぐことが、この理不尽な政治や社会を穿ち、火中の栗を拾うことなのだと強く感じました。

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2018.04.11 Wed 予断を許しませんが今の対話への動きが広がることを願って、今年も「ピースマーケットのせ」を開催したいと思います。

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 「子や孫や次の世代のために誰も傷つくことのない平和な世界をつくりたい」と願う一人の高齢者住民の呼びかけから始まった「ピースマーケット・のせ」は2016年、2017年とたくさんの方々のご参加をいただきました。古来の市場(バザール)にならい、能勢の里山で平和を願うひとびとが集い、心と物と夢が行き交う市場(いちば)をつくりたいというわたしたちの想いを受け止めてくださった方々のおかげと感謝しています。
 今、世界では「より早くより遠く」と経済成長を夢見てひた走り続けた20世紀の町づくりから、「よりゆっくり、より近く」と成長なくしても「顔の見える心豊かな社会」へと、21世紀の町づくりのありようが模索されています。足元を見れば介護の手立ても移動手段もなくて外に出られないひと、心の疲れから家に閉じこもるひとも数多く、まずは暮らしの場でわたしたち住民が国や行政に頼るだけでなく、誰もが安心し、助け合って暮らせる町や村をつくりだすことが求められています。
 戦争のない平和な世界をつくりだし自然と共生する持続可能な社会をつくりだすことと、国籍や戸籍や障害や性的マイノリティなどで社会的少数者とされる人々の尊厳を守り、多様なひとびとが助け合って暮らせる地域をつくりだすこととは、深くつながっているのだと感じます。
 昨年からつづく朝鮮半島の緊迫した情勢の中、数多くの人々が心を固くし、不安と恐怖の夜を過ごしています。わたしたちもその例外ではありません。
 しかしながら、平昌オリンピックをきっかけに韓国と北朝鮮が話し合いのテーブルにつき、韓国特使団の平壌訪問をへて、南北首脳会談、米朝首脳会談が予定され、朝鮮半島の緊張緩和にむけての対話が実現しようとしています。さまざまな憶測が飛び交っていますが、わたしたちは北朝鮮もまた「朝鮮半島で誰も傷つかない、誰も傷つけない」という切実な願いを持っていることを信じたいと思うのです。
 一方で、世界で唯一の被爆を体験し、世界に先駆けて「二度と戦争をしない」と宣言し、東アジアの当事者としてなによりも話し合いで緊張を和らげようと呼びかけるべきわたしたちの国が、「圧力」一辺倒でアメリカの軍事戦略に積極的に参加し、北朝鮮の軍事力行使の標的となる道を選んでしまっていることに暗澹たる思いを持っているのは、私たちだけでしょうか。
 昨年、ややもすると「助け合いと話し合い」を願うこの催しをすることに心が折れそうになりましたが、予断を許しませんが今の対話への動きが広がることを願って、今年も「ピースマーケットのせ」を開催したいと思います。

PEACE MARKET・のせ2018
開催日:2018年5月20日(日)午前10時から午後3時30分
開催場所 能勢町淨るりシアター
内容:フリーマーケット、世界の民族料理、音楽、パフォーマンス国際NGO、環境NGOの活動紹介


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2018.02.06 Tue 辺野古のたたかいは民主主義の最後の砦か真の民主主義の最初の一歩か・沖縄県名護市市長選挙

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 名護市長選挙は新基地建設に反対する翁長雄志知事ら「オール沖縄」勢力が推す稲嶺進氏が3選を果たすことができず、とても残念な結果になりました。
 辺野古新基地建設問題を最大の争点と掲げ、「基地と引き換え」の再編交付金に依存しない経済振興や教育福祉の充実を訴えた稲嶺進氏でしたが、辺野古沖での護岸工事を国が強引に進め、「もう止められない」との諦めムードをつくり、米軍普天間飛行場の辺野古移設問題を争点から外し、経済振興を前面に押し出した渡具知武豊氏に敗れてしまいました。
 公明党が前回の自主投票から今回は渡具知武豊氏を推薦、選挙戦に参戦したことや、菅官房長官や自民党の大物代議士や小泉進次郎氏まで投入し、徹底した組織選挙を展開した 結果、企業や団体などの組織固による期日前投票が4割を越えました。
 早速政府は5日、在日米軍再編への協力に応じて自治体に交付する「再編交付金」を巡り、支給が止まっている沖縄県名護市に交付する方向で検討するということです。
 「国に逆らうやつにはムチを、国に従順なやつにはアメを」という、とても分かりやすい仕打ちは、そもそも国の未来をデザインする「政策」などは存在しないのでしょう。
 苦渋の想いで投票せざるを得なかった名護市のひとびとの心情に思いをはせつつ、6割以上のひとびとが辺野古の基地建設に反対している事実を忘れてはいけないと思いますし、名護市や沖縄県の人々だけの問題ではなく、日本社会で生きるわたしたちの民主主義の危機であると強く思います。

 わたしは正直のところここ2、3年、「憲法カフェ・のせ」の学習会で学ぶまで、沖縄のことを知りませんでした。それまで、先の戦争で沖縄が本土防衛の犠牲になり、10万人とも12万人ともいわれる沖縄のひとびとが亡くなったことや、1972年の本土復帰、米兵による性暴力などを知っていましたが、それらをつなぐ沖縄のひとびとの度重なる長い苦難の歴史を知らずにいたこと、知ろうとしなかったことをとても恥ずかしく思います。
 古くは薩摩の琉球処分、そして本土防衛の犠牲になった沖縄戦、戦後の占領政策をへて日本が主権回復したとされる1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約によって、沖縄はアメリカを唯一の施政権者とする信託統治制度の下におかれました。当初は一部では日本の支配から解放され、独立する契機ととらえるひとたちもいたと言いますが、その後の沖縄は本州の基地が少なくなっていくことに反比例するように基地が増えていきました。(現在、在日アメリカ軍専用施設の7割が、日本の国土の0.6%の面積しかない沖縄に存在しています。また沖縄本島の2割、沖縄県全土1割を米軍基地が占めています)
 しかも、基地にされた土地は本州に比べて私有の農地が多く、土地を奪われることは職を失うことでありました。基地によって経済が潤ってきたではないかと言われますが、実際のところ沖縄県民の総所得に占める基地関係収入の割合は5%過ぎず、基地が沖縄経済を圧迫しているといっていいでしょう。
 平均年収全国ワースト1位、失業率と非正規雇用率全国1位と、沖縄県の経済と暮らしが他府県との間に地域格差がある理由の大きな一つに基地の存在があります。地域創生が叫ばれる中、国は地域での創意工夫を求めますが、これだけの面積を基地に奪われていては、観光を中心とする産業振興もままならないことでしょう。
 その上、民主主義の基本中の基本である「自分たちのことは自分たちで決める」という自己決定権までも奪われた上に、この72年間でアメリカ軍基地に関連する多くの事件・事故が起こり、そのたびに加害者のアメリカ兵が責を負うことも裁かれることもなく、沖縄のひとびとの人権はことごとく奪われてきました。一方、思いやり予算として施設にかかわる費用は日本政府が負担しつづけてきました。沖縄が法治国家・日本に所属する一地域であるとはとうてい言えず、信託統治の時代から本土復帰後現在に至るまで理不尽なことが72年も放置され、増殖されてきたことを痛感します。
 日本政府からもアメリカからも土地を奪われ、あたりまえの切ない夢も希望も未来も人権も、そして命までも踏みにじられてきた沖縄…。戦後すぐに生まれたわたしの生きて来た民主主義が、沖縄の人々を踏みにじり、その犠牲の上につくられた砂上の楼閣と言っても過言ではないと思い知りました。
 1972年の本土復帰は、信託統治という実質の植民地政策から解放され、平和憲法のもとで日本社会に復帰し、民主主義を取り戻すことと信じた沖縄の人々を裏切り、選挙の結果すら無視される実質の日本の植民地に代わっただけだったのでしょうか。

 1月28日、兵庫県の川西能勢口駅前のホールで開かれた「命どぅ宝!知ろう!感じよう!沖縄のこころ」という催しで講演された宮城恵美子さんのお話を聞き、そんな沖縄の歴史の果てに今の辺野古基地建設反対のほんとうの民意があり、今回の選挙結果に左右されることのない一貫した粘り強くあきらめない「たたかい」が沖縄のひとびとだけでなく、わたしたちの「たたかい」でもあることを強く感じました。
 実際のところ、日本政府とアメリカに蹂躙され、理不尽な暴力に耐え忍んできた沖縄のひとびとの堪忍袋が切れても不思議ではないところに来ています。歴史的に見ても、琉球処分からつづく植民地政策によって沖縄はむりやり日本社会に組み込まれ、固有の民族としての誇りを踏みにじられてきた結果が今の姿だとも思うのです。
 沖縄で何度も論議されてきた「琉球独立」がいつか現実のものになるかもしれないし、そうでなくても今までの「植民地政策」をあらため、沖縄固有の独立した文化と社会システムを補償しながら日本社会にとどまるという選択肢もあるかもしれません。
 あくまでもそうでなく、日本社会の一員として辺野古をはじめとする沖縄のひとびとの運動が継続されるとしたら、それはわたしたちもまた沖縄を排除することで加担してきた一員として、高度経済成長を謳歌してきた日本社会の民主主義の最後の砦でもあり、またそれは72年前に戻り、瓦礫の中にあったはずの希望と夢を沖縄の人々と共有し、世界の宝・日本国憲法をのもとで、ひとを傷つけることもひとに傷つけられることもなくしていく努力とともに生まれるほんとうの民主主義をわたしたち自身がつくることなのだと思います。
 沖縄の辺野古は基地建設は宮古島など先島の自衛隊配備とともに、東アジアにおけるアメリカの軍事戦略のもとで日本そのも全体が前衛基地となり、ある意味アメリカの植民地になる第一歩なのだと思います。

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2017.10.25 Wed 国の未来をどちらに託すべきなのか、わたしたち国民ひとりひとりに鋭く問いかけた選挙

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 衆議院選挙は自公与党の圧勝でした。
 今回の選挙は、安倍首相の突然の解散ではじまり、希望の党が安倍一強体制を覆す受け皿の政党として発足し、マスコミ情宣など小池さんの狙い通りの大きな風が吹いていたのが、民進党からの合流の候補者に対する「踏み絵」と「排除」から枝野さんが立憲民主党を立ち上げ、終わってみれば野党の分裂による自民党の圧勝と立憲民主党の「大躍進」という、予想もしなかった結果になりました。
 またもつづく安倍政権への権力集中が憲法の改正(改悪)をはじめ、国の未来にとって取り返しのつかない悪い結果を用意するのではないかと、不安に思う人々も少なからずいるのではないでしょうか。
「森友・加計」問題は旧来の自民党なら長期政権がもたらす疲弊として、事の真意は検察にゆだね、自らの自浄作用で政権交代していたはずです。それでも安倍政権が揺るがないのは、小選挙区という選挙制度の下では内閣の力が強く、自民党が政党としての自浄作用を発揮するどころか圧倒的な人数の議員もまた「寄らば大樹の影」と依存するだけで、自立軸を持ち、執行部と内閣にものを言えなくなっているのではないでしょうか。
思えば日本社会の悪しき慣習で、国会議員から隣人同士まで自分の意見を言ったり自分らしく生きることがますます難しくなっているように思います。

 そんな閉塞した状況の中から突如として吹いた立憲民主党の風は、今回の選挙の思わぬサプライズとなりました。枝野さんたちが逆襲に出た、まるでドラマのようなどんでん返しは痛快で、自民党の中でも「えっ」と思った人たちがいたことでしょう。
 追い詰められたひとびとへの判官びいきというひとたちもいますが、わたしはちがうと思います。強大な自民党に対抗するための政権選択と言うよりも、風が吹いているところに合流して当選しようという旧民進党の候補者の姑息さが小池さんの「排除」の論理以上に目立ち、当時は有利とされる希望の党からの出馬を拒否し、筋を通すことを決意した立憲民主党の候補者たちに正義を感じた人々が次々と結集した結果だと思うのです。
 そして、立憲民主党が立ち上がるとすぐに、共産党が自党の候補者をとりさげても立憲民主党にラブコールを送り、市民と立憲民主党と社民党の共闘をすすめたことが立憲民主党への追い風になりました。
 現実主義者と自認するひとたちにいつも軽蔑されるけれど、政治のジャンルにも純情と情熱と救国の志をもって愚直に未来を切り開こうとする政治的結集が残されていることを、立憲民主党と共産党と社民党が証明してくれました。
 選挙が終わり、またぞろ野党の結集を進める動きがありますが、立憲民主党の枝野さんは「権力ゲームとは距離を置き、国民目線という軸をしっかりと守りながら進めていく」と述べ、早急な野党の結集には否定的な考えを示しました。
そして、民進党参院議員らを念頭に「永田町の内側の数合わせにコミット(関与)しているという誤解を(有権者に)与えれば、期待はあっという間にどこかに行ってしまう」と指摘。安易な党勢拡大に走らず、衆院の無所属当選者や民進党参院議員との連携にとどめるとしました。
 まったくもって、正しい選択だと思います。民進党のあいまいさが希望の党と立憲民主党に別れ、政治理念がわたしたちにわかりやすくなりました。これまでは不本意ながら民進党に投票してきた人もまた、自分自身の考えをはっきりと表明できる政党として、希望の党と立憲民主党に投票できたと思います。
 わたしは立憲民主党、共産党、社民党と市民との協働を支持しますが、これから立憲民主党が永田町の数の論理に野心を持ち、矜持を捨てることのないように願っています。わたしは共産党の支持者ではありませんが、共産党が議席を減らすことを覚悟して立憲民主党との共闘を猛烈に進めたことは忘れてはいけないと思います。もちろん、政治的なテクニックや戦略をあわせもちながらであることは当たり前のことですが…。
 わたしの住む大阪9区では共産党の立候補予定者が候補を取り下げ、各市町村の共産党の地方議員と市民派議員と市民の協働で社民党の統一候補者を立て、実にさわやかな選挙戦を戦いました。残念ながら届きませんでしたが、市民と各党との信頼関係が深まり、政治的現実を変える力もまた政治的経験やテクニックだけでなく、純情な政治的理念であることを教えてくれたのだと思います。
 だからこそ、政治家の安易な連携で自民党に抗するのではなく、国民との直接民主主義、街頭民主主義による国民運動によって、国会の外で自民党と対置することに期待します。
 60年安保を待つまでもなく、かつて「自民党をぶっつぶせ」と叫び、街頭で投票権を持たない国民に直接訴えることで社会的ムーブメントを掻き立て、自民党総裁になった小泉元総裁・首相の教訓を痛いほど学んだ自民党には、国会での数合わせよりも路地裏の運動に脅威を感じるはずです。

 そして、わたしにはまったく理解ができないのは、旧民主党政権時代の政策への極端な悪評のトラウマが蔓延していることです。わたしはそれ以前の自民党政権と安倍政権の間に挟まれた民主党政権は、わたしたち窮民にとっては決して自民党政権と比較して「大失敗」と言われるほどのひどい政権だったと思いません。
 確かに民主党がマニフェストに示した政策が実現しなかったことはたくさんありますが、そのどれもに猛烈に反対したのは自民党でしたし、公立高校無償化をはじめたくさんの政策がそのまま安倍内閣の手柄になっているところもあります。
 麻生内閣末期のリーマンショックによる世界的な金融市場の混乱と景気後退で最安値となった株価も、民主党時代には持ち直していました。アメリカが今日本が実施している超金融緩和政策をとり、民主党の金融政策は財政の健全さを保ったことから急激な円高・ドル安を招いたことで輸出産業が窮地に追い込まれたとされますが、東日本大震災の時には円高で助かった面もあったのではないでしょうか。その東日本大震災の対応がひどかったと言いますが、今になって明るみになった東電のひどさや、安倍政権の歴代の復興大臣の傲慢さをみれば、果たして自民党政権ならうまくいったのか大いに疑問です。
 激動の時代に膨れ上がる国の借金にしても、民主党のせいとは到底言えませんし、反対に「埋蔵金」を引き出すための事業仕分けが非難されるほどでした。
 そもそも安倍政権が大胆な金融政策で急激な円安誘導ができたのも、民主党時代の日銀の金融政策が欧米に追随しなかったことで可能になったともいえますし、「何もしなかった」とされる民主党政権は大企業に対してで、「コンクリートからひとへ」という政策理念は、もしかすると今もっとも必要なものなのかもしれません。
 ともあれ、長い間障害者の所得をつくりだす活動をしてきたわたしには、「国民の生活が第一」とする民主党の政策はとても身近に感じていました。
 立憲民主党の政治理念には、旧民主党の政治理念が受け継がれていると思います。自民党や内部留保をため込み、グローバルに利益追求する大企業の極端なバッシングに左右されず、それを信じる若い人たちの誤解を解き「まっとうな政治」、「うそをつかない政治」を提案する国民的議論の場をつくりだしてほしいと思います。

 圧倒的な勝利を勝ち取った自民党の選挙戦で、街頭演説の日程を知らせることにおびえ、親衛隊にガードされながら強弁する安倍さんと、かけつけた人々のすぐそばで政治家としての矜持を持ち、「立憲民主党はあなたのことです」と呼びかけた枝野さん…。
 二人の選挙戦のありようは、議席獲得数だけでは決して説明できず、一体わたしたちの未来、わたしたちの子どもの未来、国の未来をどちらに託すべきなのか、わたしたち国民ひとりひとりに鋭く問いかけた選挙でした。

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2017.10.22 Sun  あなたのために、あなたの未来のために、あなたの子どもたちのために、そして、この一票を獲得するために死んでいった人々のために…。

 いよいよ今日は衆議院選挙の投票日です。
今回の選挙では消費税や教育無償化、北朝鮮問題のただなかでの安全保障論議、憲法9条をふくむ改憲論議などが争点とされています。
 しかしながら、わたしは戦後当たり前に思ってきた平和憲法と民主主義の危機を前にして、わたしたち国民が国の未来を担う子どもたちにどんな社会を用意できるのかを考える選挙なのだと思います。
 選挙結果がどうなるのかが注目されますが、わたしはそれよりも投票率が50パーセントを割らないかとても心配です。とくに選挙権を得たばかりの18歳のひともふくめて、若い人たちの投票率が30パーセント代とすでに3分の1になっていることが、いちばんの危機だと思うのです。それほど政治は若い人に夢も希望も期待も届けられなくなっているからでしょう。
 おりしも、AKBのCD約600枚が山中に捨てられていた事件がありましたが、AKBの総選挙の投票権を求めるためだけに購入されたCDは、少女たちの歌唱力とはまったく関係のないところでランク付けするという人権侵害ゲームの残骸で、そこには音楽業界のひずみだけでなく、刹那的で非寛容な政治をふくむ今の社会のありようを証明していると思います。そんなにしてまで自分の好きなアイドルをAKBという小さな社会の中の上位に立たせたいと願う切ない気持を、今の政治が受け止めることができるはずはないのでしょう。
 しかしながら、「セカイノオワリ」やインディーズのバンドからジャニーズやAKBのアイドルまで、若いひとを虜にするムーブメントの方にこそ若い人の「政治的関心」があることは間違いなく、今の政治が彼女たち彼たちの心に届くビジョンをつくらなければその若者たちの未来も国の未来も救えないのだとしたら、わたしもまた途方に暮れてしまいながらもアタックする糸口を見つけなければと思います。

 最近映画にもなりましたが、1913年のイギリスで、エプソム・ダービーのレース・コースに1人の女性が身を投じた事件がありました。イギリスでの女性参政権を求める抗議の自死でした。実は彼女をふくむ女性たちの粘り強くかつ過激な人権運動があり、この事件はより社会に訴えようとした彼女のいのちをかけた行為だったのでした。当時は彼女たちの運動は迫害をうけましたが、1918年に35歳以上、1928年に21歳以上の女性の参政権が獲得されたのでした。
 世界ではイギリスもふくめて1900年から1920年代に女性参政権を求める運動が起こり、参政権を獲得しましたが、日本でも同時期に運動がすすめられました。
 1946年、戦後最初の選挙ではじめて女性の参政権が認められ、晴れ着をきた女性や、子供をおんぶした女性たちが投票所に駆け付けました。
 女性の参政権が戦後民主主義によって与えられたのではなく、さまざまな迫害をうけながら参政権獲得の運動が続けられた果てに獲得されたことを、わたしは最近まで知りませんでした。

 明治44年生まれのわたしの母は、戦前結婚したものの夫と死別し、戦後、旅館の仲居をしていたころ妻子ある父と知り合い、兄と私を生みました。
 愛人であることを拒み、経済的援助を受けずにシングルマザーとして、わたしたちを育ててくれました。
 近所の工員さんを相手に、今でいうモーニングサービスでご飯とみそ汁を提供し、夜は深夜1時ぐらいまで働き、また嵐の朝を迎えるという暮らしで、片手に山ほど盛られた薬を飲み体を痛め、命を削りながら、わたしを高校まで行かせてくれました。
 そんな彼女は、わたしたち子どもが政治の話をすると、「シーッ」と声を潜め、「特高警察がひそんでいるから、めったなことは家の中でもいったらだめ」と起こるのでした。「おかあちゃん、いまもう特高なんかないで」といっても信じてくれませんでした。
 そんなわけで、わたしの家では長い間、政治の話はタブーでしたが、ずいぶん経ったある時、彼女が当時の社会党にずっと投票していたことがわかりました。
 それからまたずっとのち、私が20歳になり投票権を得たころ、当時すこし流行っていた投票拒否運動の話をして、傲慢にも知ったかぶりして「投票に行かないことで抗議する」とうそぶくとすごく怒り、「あんたはどこでそんなことを学んだか知らんけど、投票に行かないなんて絶対だめや」といいました。
 それ以上、その話はしませんでしたが、すでになくなって20年になりますが、その時の母親の気持ちを察すると涙が出てくるのです。
 たかが一票というけれど、戦前選挙権を与えられていなかった母親が感じていた世のなかの理不尽さを誰に話すこともできなかった悔しさを知る由もないのですが、世の中の在り方への意思表示を、はじめて投票用紙という小さな紙に書いたとき、彼女が何を思い何を夢見たのか…。
 いまでも、世界の国々で一票を投じるのにいのちがけという地域もあると聞きます。
 ですから、もしこの手紙を読んでくださったひとで、投票所の行かれていない方へのお願いです。
 投票しに行きましょう。あなたのために、あなたの未来のために、あなたの子どもたちのために、そして、この一票を獲得するために死んでいったたくさんの人々のために…。

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