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2018.02.06 Tue 辺野古のたたかいは民主主義の最後の砦か真の民主主義の最初の一歩か・沖縄県名護市市長選挙

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 名護市長選挙は新基地建設に反対する翁長雄志知事ら「オール沖縄」勢力が推す稲嶺進氏が3選を果たすことができず、とても残念な結果になりました。
 辺野古新基地建設問題を最大の争点と掲げ、「基地と引き換え」の再編交付金に依存しない経済振興や教育福祉の充実を訴えた稲嶺進氏でしたが、辺野古沖での護岸工事を国が強引に進め、「もう止められない」との諦めムードをつくり、米軍普天間飛行場の辺野古移設問題を争点から外し、経済振興を前面に押し出した渡具知武豊氏に敗れてしまいました。
 公明党が前回の自主投票から今回は渡具知武豊氏を推薦、選挙戦に参戦したことや、菅官房長官や自民党の大物代議士や小泉進次郎氏まで投入し、徹底した組織選挙を展開した 結果、企業や団体などの組織固による期日前投票が4割を越えました。
 早速政府は5日、在日米軍再編への協力に応じて自治体に交付する「再編交付金」を巡り、支給が止まっている沖縄県名護市に交付する方向で検討するということです。
 「国に逆らうやつにはムチを、国に従順なやつにはアメを」という、とても分かりやすい仕打ちは、そもそも国の未来をデザインする「政策」などは存在しないのでしょう。
 苦渋の想いで投票せざるを得なかった名護市のひとびとの心情に思いをはせつつ、6割以上のひとびとが辺野古の基地建設に反対している事実を忘れてはいけないと思いますし、名護市や沖縄県の人々だけの問題ではなく、日本社会で生きるわたしたちの民主主義の危機であると強く思います。

 わたしは正直のところここ2、3年、「憲法カフェ・のせ」の学習会で学ぶまで、沖縄のことを知りませんでした。それまで、先の戦争で沖縄が本土防衛の犠牲になり、10万人とも12万人ともいわれる沖縄のひとびとが亡くなったことや、1972年の本土復帰、米兵による性暴力などを知っていましたが、それらをつなぐ沖縄のひとびとの度重なる長い苦難の歴史を知らずにいたこと、知ろうとしなかったことをとても恥ずかしく思います。
 古くは薩摩の琉球処分、そして本土防衛の犠牲になった沖縄戦、戦後の占領政策をへて日本が主権回復したとされる1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約によって、沖縄はアメリカを唯一の施政権者とする信託統治制度の下におかれました。当初は一部では日本の支配から解放され、独立する契機ととらえるひとたちもいたと言いますが、その後の沖縄は本州の基地が少なくなっていくことに反比例するように基地が増えていきました。(現在、在日アメリカ軍専用施設の7割が、日本の国土の0.6%の面積しかない沖縄に存在しています。また沖縄本島の2割、沖縄県全土1割を米軍基地が占めています)
 しかも、基地にされた土地は本州に比べて私有の農地が多く、土地を奪われることは職を失うことでありました。基地によって経済が潤ってきたではないかと言われますが、実際のところ沖縄県民の総所得に占める基地関係収入の割合は5%過ぎず、基地が沖縄経済を圧迫しているといっていいでしょう。
 平均年収全国ワースト1位、失業率と非正規雇用率全国1位と、沖縄県の経済と暮らしが他府県との間に地域格差がある理由の大きな一つに基地の存在があります。地域創生が叫ばれる中、国は地域での創意工夫を求めますが、これだけの面積を基地に奪われていては、観光を中心とする産業振興もままならないことでしょう。
 その上、民主主義の基本中の基本である「自分たちのことは自分たちで決める」という自己決定権までも奪われた上に、この72年間でアメリカ軍基地に関連する多くの事件・事故が起こり、そのたびに加害者のアメリカ兵が責を負うことも裁かれることもなく、沖縄のひとびとの人権はことごとく奪われてきました。一方、思いやり予算として施設にかかわる費用は日本政府が負担しつづけてきました。沖縄が法治国家・日本に所属する一地域であるとはとうてい言えず、信託統治の時代から本土復帰後現在に至るまで理不尽なことが72年も放置され、増殖されてきたことを痛感します。
 日本政府からもアメリカからも土地を奪われ、あたりまえの切ない夢も希望も未来も人権も、そして命までも踏みにじられてきた沖縄…。戦後すぐに生まれたわたしの生きて来た民主主義が、沖縄の人々を踏みにじり、その犠牲の上につくられた砂上の楼閣と言っても過言ではないと思い知りました。
 1972年の本土復帰は、信託統治という実質の植民地政策から解放され、平和憲法のもとで日本社会に復帰し、民主主義を取り戻すことと信じた沖縄の人々を裏切り、選挙の結果すら無視される実質の日本の植民地に代わっただけだったのでしょうか。

 1月28日、兵庫県の川西能勢口駅前のホールで開かれた「命どぅ宝!知ろう!感じよう!沖縄のこころ」という催しで講演された宮城恵美子さんのお話を聞き、そんな沖縄の歴史の果てに今の辺野古基地建設反対のほんとうの民意があり、今回の選挙結果に左右されることのない一貫した粘り強くあきらめない「たたかい」が沖縄のひとびとだけでなく、わたしたちの「たたかい」でもあることを強く感じました。
 実際のところ、日本政府とアメリカに蹂躙され、理不尽な暴力に耐え忍んできた沖縄のひとびとの堪忍袋が切れても不思議ではないところに来ています。歴史的に見ても、琉球処分からつづく植民地政策によって沖縄はむりやり日本社会に組み込まれ、固有の民族としての誇りを踏みにじられてきた結果が今の姿だとも思うのです。
 沖縄で何度も論議されてきた「琉球独立」がいつか現実のものになるかもしれないし、そうでなくても今までの「植民地政策」をあらため、沖縄固有の独立した文化と社会システムを補償しながら日本社会にとどまるという選択肢もあるかもしれません。
 あくまでもそうでなく、日本社会の一員として辺野古をはじめとする沖縄のひとびとの運動が継続されるとしたら、それはわたしたちもまた沖縄を排除することで加担してきた一員として、高度経済成長を謳歌してきた日本社会の民主主義の最後の砦でもあり、またそれは72年前に戻り、瓦礫の中にあったはずの希望と夢を沖縄の人々と共有し、世界の宝・日本国憲法をのもとで、ひとを傷つけることもひとに傷つけられることもなくしていく努力とともに生まれるほんとうの民主主義をわたしたち自身がつくることなのだと思います。
 沖縄の辺野古は基地建設は宮古島など先島の自衛隊配備とともに、東アジアにおけるアメリカの軍事戦略のもとで日本そのも全体が前衛基地となり、ある意味アメリカの植民地になる第一歩なのだと思います。

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2017.10.25 Wed 国の未来をどちらに託すべきなのか、わたしたち国民ひとりひとりに鋭く問いかけた選挙

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 衆議院選挙は自公与党の圧勝でした。
 今回の選挙は、安倍首相の突然の解散ではじまり、希望の党が安倍一強体制を覆す受け皿の政党として発足し、マスコミ情宣など小池さんの狙い通りの大きな風が吹いていたのが、民進党からの合流の候補者に対する「踏み絵」と「排除」から枝野さんが立憲民主党を立ち上げ、終わってみれば野党の分裂による自民党の圧勝と立憲民主党の「大躍進」という、予想もしなかった結果になりました。
 またもつづく安倍政権への権力集中が憲法の改正(改悪)をはじめ、国の未来にとって取り返しのつかない悪い結果を用意するのではないかと、不安に思う人々も少なからずいるのではないでしょうか。
「森友・加計」問題は旧来の自民党なら長期政権がもたらす疲弊として、事の真意は検察にゆだね、自らの自浄作用で政権交代していたはずです。それでも安倍政権が揺るがないのは、小選挙区という選挙制度の下では内閣の力が強く、自民党が政党としての自浄作用を発揮するどころか圧倒的な人数の議員もまた「寄らば大樹の影」と依存するだけで、自立軸を持ち、執行部と内閣にものを言えなくなっているのではないでしょうか。
思えば日本社会の悪しき慣習で、国会議員から隣人同士まで自分の意見を言ったり自分らしく生きることがますます難しくなっているように思います。

 そんな閉塞した状況の中から突如として吹いた立憲民主党の風は、今回の選挙の思わぬサプライズとなりました。枝野さんたちが逆襲に出た、まるでドラマのようなどんでん返しは痛快で、自民党の中でも「えっ」と思った人たちがいたことでしょう。
 追い詰められたひとびとへの判官びいきというひとたちもいますが、わたしはちがうと思います。強大な自民党に対抗するための政権選択と言うよりも、風が吹いているところに合流して当選しようという旧民進党の候補者の姑息さが小池さんの「排除」の論理以上に目立ち、当時は有利とされる希望の党からの出馬を拒否し、筋を通すことを決意した立憲民主党の候補者たちに正義を感じた人々が次々と結集した結果だと思うのです。
 そして、立憲民主党が立ち上がるとすぐに、共産党が自党の候補者をとりさげても立憲民主党にラブコールを送り、市民と立憲民主党と社民党の共闘をすすめたことが立憲民主党への追い風になりました。
 現実主義者と自認するひとたちにいつも軽蔑されるけれど、政治のジャンルにも純情と情熱と救国の志をもって愚直に未来を切り開こうとする政治的結集が残されていることを、立憲民主党と共産党と社民党が証明してくれました。
 選挙が終わり、またぞろ野党の結集を進める動きがありますが、立憲民主党の枝野さんは「権力ゲームとは距離を置き、国民目線という軸をしっかりと守りながら進めていく」と述べ、早急な野党の結集には否定的な考えを示しました。
そして、民進党参院議員らを念頭に「永田町の内側の数合わせにコミット(関与)しているという誤解を(有権者に)与えれば、期待はあっという間にどこかに行ってしまう」と指摘。安易な党勢拡大に走らず、衆院の無所属当選者や民進党参院議員との連携にとどめるとしました。
 まったくもって、正しい選択だと思います。民進党のあいまいさが希望の党と立憲民主党に別れ、政治理念がわたしたちにわかりやすくなりました。これまでは不本意ながら民進党に投票してきた人もまた、自分自身の考えをはっきりと表明できる政党として、希望の党と立憲民主党に投票できたと思います。
 わたしは立憲民主党、共産党、社民党と市民との協働を支持しますが、これから立憲民主党が永田町の数の論理に野心を持ち、矜持を捨てることのないように願っています。わたしは共産党の支持者ではありませんが、共産党が議席を減らすことを覚悟して立憲民主党との共闘を猛烈に進めたことは忘れてはいけないと思います。もちろん、政治的なテクニックや戦略をあわせもちながらであることは当たり前のことですが…。
 わたしの住む大阪9区では共産党の立候補予定者が候補を取り下げ、各市町村の共産党の地方議員と市民派議員と市民の協働で社民党の統一候補者を立て、実にさわやかな選挙戦を戦いました。残念ながら届きませんでしたが、市民と各党との信頼関係が深まり、政治的現実を変える力もまた政治的経験やテクニックだけでなく、純情な政治的理念であることを教えてくれたのだと思います。
 だからこそ、政治家の安易な連携で自民党に抗するのではなく、国民との直接民主主義、街頭民主主義による国民運動によって、国会の外で自民党と対置することに期待します。
 60年安保を待つまでもなく、かつて「自民党をぶっつぶせ」と叫び、街頭で投票権を持たない国民に直接訴えることで社会的ムーブメントを掻き立て、自民党総裁になった小泉元総裁・首相の教訓を痛いほど学んだ自民党には、国会での数合わせよりも路地裏の運動に脅威を感じるはずです。

 そして、わたしにはまったく理解ができないのは、旧民主党政権時代の政策への極端な悪評のトラウマが蔓延していることです。わたしはそれ以前の自民党政権と安倍政権の間に挟まれた民主党政権は、わたしたち窮民にとっては決して自民党政権と比較して「大失敗」と言われるほどのひどい政権だったと思いません。
 確かに民主党がマニフェストに示した政策が実現しなかったことはたくさんありますが、そのどれもに猛烈に反対したのは自民党でしたし、公立高校無償化をはじめたくさんの政策がそのまま安倍内閣の手柄になっているところもあります。
 麻生内閣末期のリーマンショックによる世界的な金融市場の混乱と景気後退で最安値となった株価も、民主党時代には持ち直していました。アメリカが今日本が実施している超金融緩和政策をとり、民主党の金融政策は財政の健全さを保ったことから急激な円高・ドル安を招いたことで輸出産業が窮地に追い込まれたとされますが、東日本大震災の時には円高で助かった面もあったのではないでしょうか。その東日本大震災の対応がひどかったと言いますが、今になって明るみになった東電のひどさや、安倍政権の歴代の復興大臣の傲慢さをみれば、果たして自民党政権ならうまくいったのか大いに疑問です。
 激動の時代に膨れ上がる国の借金にしても、民主党のせいとは到底言えませんし、反対に「埋蔵金」を引き出すための事業仕分けが非難されるほどでした。
 そもそも安倍政権が大胆な金融政策で急激な円安誘導ができたのも、民主党時代の日銀の金融政策が欧米に追随しなかったことで可能になったともいえますし、「何もしなかった」とされる民主党政権は大企業に対してで、「コンクリートからひとへ」という政策理念は、もしかすると今もっとも必要なものなのかもしれません。
 ともあれ、長い間障害者の所得をつくりだす活動をしてきたわたしには、「国民の生活が第一」とする民主党の政策はとても身近に感じていました。
 立憲民主党の政治理念には、旧民主党の政治理念が受け継がれていると思います。自民党や内部留保をため込み、グローバルに利益追求する大企業の極端なバッシングに左右されず、それを信じる若い人たちの誤解を解き「まっとうな政治」、「うそをつかない政治」を提案する国民的議論の場をつくりだしてほしいと思います。

 圧倒的な勝利を勝ち取った自民党の選挙戦で、街頭演説の日程を知らせることにおびえ、親衛隊にガードされながら強弁する安倍さんと、かけつけた人々のすぐそばで政治家としての矜持を持ち、「立憲民主党はあなたのことです」と呼びかけた枝野さん…。
 二人の選挙戦のありようは、議席獲得数だけでは決して説明できず、一体わたしたちの未来、わたしたちの子どもの未来、国の未来をどちらに託すべきなのか、わたしたち国民ひとりひとりに鋭く問いかけた選挙でした。

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2017.10.22 Sun  あなたのために、あなたの未来のために、あなたの子どもたちのために、そして、この一票を獲得するために死んでいった人々のために…。

 いよいよ今日は衆議院選挙の投票日です。
今回の選挙では消費税や教育無償化、北朝鮮問題のただなかでの安全保障論議、憲法9条をふくむ改憲論議などが争点とされています。
 しかしながら、わたしは戦後当たり前に思ってきた平和憲法と民主主義の危機を前にして、わたしたち国民が国の未来を担う子どもたちにどんな社会を用意できるのかを考える選挙なのだと思います。
 選挙結果がどうなるのかが注目されますが、わたしはそれよりも投票率が50パーセントを割らないかとても心配です。とくに選挙権を得たばかりの18歳のひともふくめて、若い人たちの投票率が30パーセント代とすでに3分の1になっていることが、いちばんの危機だと思うのです。それほど政治は若い人に夢も希望も期待も届けられなくなっているからでしょう。
 おりしも、AKBのCD約600枚が山中に捨てられていた事件がありましたが、AKBの総選挙の投票権を求めるためだけに購入されたCDは、少女たちの歌唱力とはまったく関係のないところでランク付けするという人権侵害ゲームの残骸で、そこには音楽業界のひずみだけでなく、刹那的で非寛容な政治をふくむ今の社会のありようを証明していると思います。そんなにしてまで自分の好きなアイドルをAKBという小さな社会の中の上位に立たせたいと願う切ない気持を、今の政治が受け止めることができるはずはないのでしょう。
 しかしながら、「セカイノオワリ」やインディーズのバンドからジャニーズやAKBのアイドルまで、若いひとを虜にするムーブメントの方にこそ若い人の「政治的関心」があることは間違いなく、今の政治が彼女たち彼たちの心に届くビジョンをつくらなければその若者たちの未来も国の未来も救えないのだとしたら、わたしもまた途方に暮れてしまいながらもアタックする糸口を見つけなければと思います。

 最近映画にもなりましたが、1913年のイギリスで、エプソム・ダービーのレース・コースに1人の女性が身を投じた事件がありました。イギリスでの女性参政権を求める抗議の自死でした。実は彼女をふくむ女性たちの粘り強くかつ過激な人権運動があり、この事件はより社会に訴えようとした彼女のいのちをかけた行為だったのでした。当時は彼女たちの運動は迫害をうけましたが、1918年に35歳以上、1928年に21歳以上の女性の参政権が獲得されたのでした。
 世界ではイギリスもふくめて1900年から1920年代に女性参政権を求める運動が起こり、参政権を獲得しましたが、日本でも同時期に運動がすすめられました。
 1946年、戦後最初の選挙ではじめて女性の参政権が認められ、晴れ着をきた女性や、子供をおんぶした女性たちが投票所に駆け付けました。
 女性の参政権が戦後民主主義によって与えられたのではなく、さまざまな迫害をうけながら参政権獲得の運動が続けられた果てに獲得されたことを、わたしは最近まで知りませんでした。

 明治44年生まれのわたしの母は、戦前結婚したものの夫と死別し、戦後、旅館の仲居をしていたころ妻子ある父と知り合い、兄と私を生みました。
 愛人であることを拒み、経済的援助を受けずにシングルマザーとして、わたしたちを育ててくれました。
 近所の工員さんを相手に、今でいうモーニングサービスでご飯とみそ汁を提供し、夜は深夜1時ぐらいまで働き、また嵐の朝を迎えるという暮らしで、片手に山ほど盛られた薬を飲み体を痛め、命を削りながら、わたしを高校まで行かせてくれました。
 そんな彼女は、わたしたち子どもが政治の話をすると、「シーッ」と声を潜め、「特高警察がひそんでいるから、めったなことは家の中でもいったらだめ」と起こるのでした。「おかあちゃん、いまもう特高なんかないで」といっても信じてくれませんでした。
 そんなわけで、わたしの家では長い間、政治の話はタブーでしたが、ずいぶん経ったある時、彼女が当時の社会党にずっと投票していたことがわかりました。
 それからまたずっとのち、私が20歳になり投票権を得たころ、当時すこし流行っていた投票拒否運動の話をして、傲慢にも知ったかぶりして「投票に行かないことで抗議する」とうそぶくとすごく怒り、「あんたはどこでそんなことを学んだか知らんけど、投票に行かないなんて絶対だめや」といいました。
 それ以上、その話はしませんでしたが、すでになくなって20年になりますが、その時の母親の気持ちを察すると涙が出てくるのです。
 たかが一票というけれど、戦前選挙権を与えられていなかった母親が感じていた世のなかの理不尽さを誰に話すこともできなかった悔しさを知る由もないのですが、世の中の在り方への意思表示を、はじめて投票用紙という小さな紙に書いたとき、彼女が何を思い何を夢見たのか…。
 いまでも、世界の国々で一票を投じるのにいのちがけという地域もあると聞きます。
 ですから、もしこの手紙を読んでくださったひとで、投票所の行かれていない方へのお願いです。
 投票しに行きましょう。あなたのために、あなたの未来のために、あなたの子どもたちのために、そして、この一票を獲得するために死んでいったたくさんの人々のために…。

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2017.10.07 Sat 理念の共有を熱い心に求める、これこそが日本の民主主義も日本国憲法も風前の灯にある「国難」に立ち向かう救国救民の政治的結集。

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 小池氏が民進党議員に希望の党の公認条件に「憲法改正」や「安全保障」、「外国人参政権」など10項目の政策協定書を作成、署名を求め、リベラルな候補者を排除することが明らかになり、その動きから枝野氏がリベラルな候補者の結集軸として「立憲民主党」を結成しました。
 共通の理念を求める小池氏たちの行動は当たり前のことなのかもしれませんが、民進党候補者に混乱と反発を招いただけでなく、数多くの人たちに違和感を与えたのも事実だと思います。
 もちろん、民進党内で前原氏が説明した「全員参加」と話がちがったことが大きな要因だと思いますが、わたしはそれ以上に小池氏や若狭氏の発言や「踏み絵」から、「安倍一強」体制よりもさらに危険なファシズムのにおいがして、とても不快に思うのです。
 とくに若狭氏が政策協定書を提出する候補者に対して「私は検事、永く人の嘘を見抜いてきた。私が面接する」という発言には驚きを通りこして恐怖を覚えます。
 徳川幕府によるキリスト教信者への「踏み絵」に例えられる「面接」に、民進党の候補者がどれだけの屈辱感を隠してその「踏み絵」を踏んだのか、想像すると胸が痛くなります。
 党の理念は党の綱領に示され、その綱領のもとで党員が結集してこそ政党が成り立つはずが、わざわざ政策協定書を提出させるだけでなく、面接までして「嘘を見抜く」と言い放つ若狭氏の発言は、会社の新入社員の採用試験どころか容疑者の取り調べ以外の何物でもありません。そんな傲慢な発言ができるのも「小池旋風」に酔いしれているからで、民進党の候補者を上から目線でしか見ず、これからともに戦う仲間として受け入れようとは思っていないのが明らかです。
 そして、このような暴力的な選別・排除は、踏み絵を踏む候補者を応援する人々と、なによりも前職の候補者の場合は彼女・彼に投票し、「国の未来」を託した人々が本人の後ろに前にそばに周りにいることを無視しています。
 それは、安倍さんが都議選の街頭演説で、政権に批判的な聴衆に対して「こんなひとたちに負けるわけにはいかない」と発言したこととつながっています。
 「こんなひとたち」とは、リベラルな候補者を応援したり、そのひとに一票を投じるひとたちであり、小池さんや若狭さんが排除したものは、リベラルな候補者だけではなく、彼女・彼とともに安倍さんや小池さんとはちがう理念を政治に求めるひとたちも排除したのではないでしょうか。
 枝野さんは、小池氏のリベラルつぶしがあからさまになり、自民党にも希望の党にもくみせず、共産党や社民党と連携するリベラル政党を熱望するひとびとの声に後押しされて、ほんとうにぎりぎりの段階で決断し、「立憲民主党」を立ち上げたのだと思います。わたしはその勇気に敬意を表したいと思うのです。
 また、立憲民主党の立ち上げにすかさずエールを送り、共闘をよびかけた志位さん率いる共産党にも、同じく連携する社民党にも敬意を表します。
 希望の党が政治理念を共にする仲間とするのに綱領では物足りず、政策協定書に頼るのに対して、立憲民主党も共産党も社民党も理念の共有を熱い心に求める、これこそが日本の民主主義も日本国憲法も風前の灯にある「国難」に立ち向かう救国救民の政治的結集であると思います。
 立憲民主党の立ち上げ発表後、ツイッターのフォーロー数は10月6日現在で約13万4千に達し、政党の中でトップに躍り出ました。民進党から希望の党に多数が合流する中、安全保障関連法反対などの主張を変えない政治姿勢がフォロワーの急増に結びついたとみられています。一方、希望の党のフォロワーは約4900にとどまっています。
 衆院選で実際の得票につながらないかも知りませんが、「小池旋風」のようなハードな風に対して、地道ながら国の未来と民主主義の危機にひそやかに行動を起こそうするサイレントマジョリティの静かな風に一縷の夢を託し、ほんとうの「希望」を求めたいと思うのです。

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2017.09.27 Wed 人類が最後に罹るのは、希望という病気、そして「希望の党」は日本人がかかる最後の病気なのかもしれません。。

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 「人類が最後に罹るのは、希望という病気である」(サンテクジュベリ&寺山修司)という名言がありますが、それをもじって言えば、日本人が最後に罹るのは、「希望の党」という病気なのかもしれません。
 「希望の党」が旗揚げ会見してまもなく、午後には民進党との合流に向けて最終調整段階と報じられました。安倍・自民党の一強体制を破るための受け皿とは、結局のところ「もうひとつの保守」でしかないのでしょう。
安倍首相の自己保身解散を待ってましたとばかりに用意周到にイベントを仕掛け、世論の反応を確かめながら着実にその存在感を高める小池さんは、ほんとうに恐ろしい(?)政治家です。
 「希望の党」の暴風に飲み込まれ、 安倍政権のもとで日本の民主主義が著しく損なわれ、その一強体制を破るために民進党と共産党など野党が統一候補者をたてようとする野党共闘は難しくなりました。それにしても、民進党にはがっかりを通り越して絶望します。
安倍一強よりおそろしい、日本会議を背景にした「翼賛」政治が始まるのかもしれません。明けることのない闇夜の政治は、やがてわたしたちひとりひとりの暮らしや願いや夢にまで静かに触手をのばすことでしょう。
 政界再編やあわよくば政権交代と、政党や候補者や運動員という選挙のプレイヤーだけが騒ぎ、有権者であるわたしたちはワイドショーのご隠居談義をききながら、人格もなく支持率や当確予想のパーセントという数字でしか見られていない理不尽さに、心が震えます。
 そんなわたしたちに何ができるのか、ほんとうにわかりません。
わかりませんが、少なくともみんな選挙に行きましょう。国の未来が、民主主義が危機に瀕している今、戦後すぐの選挙のように70パーセントを超える投票率で、国の未来について考える選挙になってほしいと思います。

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