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2012.11.19 Mon 最後の最後にもう一度、「天使たちへと ありがとう」

 おそらく桑名正博さんの追悼特集をごらんになった方でしょうか、このブログをフェイスブックで紹介してくださったようです。ここ3日ほどアクセス数が増えました。紹介いただいた方、またそれをきっかけにこのブログを訪れてくださった方々に感謝します。

 さて先月末から22本、お世話になった桑名正博さんへの追悼と感謝をこめて、1990年代のチャリティーコンサート「風の華」をふり返ってきました。豊能障害者労働センター機関紙「積木」の資料を順追ってたどってきて、あらためてわたしたちがあのコンサートを開いてこられたことが信じられないほどです。
桑名正博さんをはじめピアノの小島良喜さん、ブルースハープの妹尾隆一郎さんなど、出演してくださった方々が最高の演奏をしてくださったこと。毎年1000人を超えるお客さんに来ていただき、いつも喜んでくださったこと。桑名さんがいつもご家族といっしょに箕面に来てくださったこと。毎回の打ち上げにも必ず参加してくださり、いつも心あたたかくわたしたちをねぎらってくださったこと。そして、いつもわたしたちを応援してくださったこと…。
 今は交通機関をはじめとするバリアフリー化や福祉制度の進展など、あの頃よりはもう少し障害者に対する社会の理解はあるかもしれませんが、あの時代のわたしたちの活動は孤立無援でした。行政からの補助金もほとんどない中、箕面市内で3つのお店を運営しながらカレンダーの全国販売をはじめ、それらの売り上げから手元に残るなけなしのお金を障害のあるひともないひともみんなで分け合っていました。
 そんな時代に、社会福祉法人でもなく、今でいうNPO法人でもなく、行政でもなく、またいくつかの団体があつまって構成される実行委員会でもない、ほんとうに小さな障害者のグループが金銭的にも人的にも自分の背丈をはるかにこえる1000人会場でのコンサートを一度ならずも5回も開催できたのは、桑名正博さんという当代きってのロック・ボーカリストの魅力と、その頃わたしたちが持っていた印象とまったくちがう優しい心と、赤ん坊が泣こうが障害者が少し叫ぼうがおかまいなしという、アナーキーでアットホームな桑名さんたちの真のロックンロール魂と、それを圧倒的に支持してくれた桑名さんのファンの方々をはじめとするお客さんたちのおかげでした。
 センチメンタルでひとりよがりな思い出話である部分を色濃く持っていることを承知の上で、わたしたちにとっても、そしてもしかすると桑名さんたちにとってもこの時代の稀有のできごとだったこのコンサートの記録を残しておきたいと思っていたわたしは、できればもっと前に、桑名さんが元気に活躍されていた時にするべきだったと後悔しています。
 現在の豊能障害者労働センターはスタッフも大幅に変わり、すでにこのコンサートの記憶ははるか遠くにあり、記録資料も散逸していています。今回のTBSのニュース番組「Nスタ」や箕面FM「タッキー」の取材などで残存する資料をかき集め、なんとか取材に応じることができました。
 その中で、1991年のコンサートの模様を記録したビデオを見て、その時はじっくりとステージを見ることなどできなかったわたしは少し古いスタイルのロックに深く感動しました。小島良喜さんと妹尾隆一郎さんのトリオに、鬼頭径五さん、それに原田喧太さんと、その時代のアコースティックでは最高の演奏のひとつといってもいい、音楽的な冒険にあふれていました。トリオの演奏はもとより、当時20才そこそこだった原田喧太さんのギターはその才能をすでに開花させていました。
 ステージのラストで、当時のフレンドリーからのサプライズで食事券50万円と現金50万円をいただいた時は、桑名さんはうれしなみだをわたしたちと一緒に流してくれて、20年以上も前の映像を観ながら号泣してしまいました。
 あの箕面市民会館のステージで、涙を流しながら歌ってくれた桑名正博さんがたしかにそこにいたことを、桑名正博さんの魂が今でもわたしたちの心にかくれていることをあらためて深く感じるとともに、桑名正博さんがくれたわたしたちへの最高のプレゼントが「友情」という宝物であったことを、遅ればせながらもこのブログで記録することができてよかったと思います。
 最後に個人的なことを書かせてもらいますが、わたしの音楽遍歴は子ども時代の流行り歌からビートルズを経て、日本のロックやフォークへと移っていきましたが、桑名さんたちの音楽をそばで聴くようになってはじめて、音楽の持つ不思議な力を知ったような気がします。わたしは簡単に「音楽の力」を信じることはできないのですが、音楽もまた、おなかをふくらませることはできない、なくてもいいものだったのかも知れませんが、その一方でパンのみでは生きることができなかった人間の心をふくらませることができる「もうひとつの食料」として、太古の時代から手渡されてきた夢というリレーのバトンのひとつだったのかも知れません。
 日本にそうたくさんいなかったかも知れないボーカリストのひとりだった桑名正博さんの音楽への果てない夢は、彼とともに歩いてきたひとたち、そして彼の応援にささえられ、育てられた若いミュージシャンにひきつがれていることが、わたしたちに新しい勇気をくれることでしょう。

 最後の最後にもう一度、桑名正博さん、ほんとうにありがとうございました。
 「天使たちへと ありがとう」

桑名正博/ゴールデン☆ベスト 桑名正博-40th Anniversary- CD
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2012.11.17 Sat コンサート「風の華’97」を終えて

桑名正博コンサートメモリーズ
1997年8月23日発行、豊能障害者労働センター機関紙「積木」NO.101号より

豊能障害者労働センター15周年記念
コンサート「風の華’97」を終えて

桑名正博さん、そして応援してくださったみなさん、
ありがとうございました。

豊能障害者労働センター 平田和也

 豊能障害者労働センター15周年記念コンサート「風の華’97」 箕面市民会館へきてくれまして、どうもありがとうございました。
 いそがしところ桑名正博コンサートへきてくれてありがとうございました。
この桑名さんのコンサート、力がありました。人の集まりがどうなるんでしょうか?豊能障害者労働センターのスタッフは、心配でした。
 皆の笑顔ウキウキになった。本番は、桑名正博さんのノリかたすごいでした。おきゃくさんものりました。桑名正博さんも、たのしんだ。僕は、桑名正博さんのライブよかった。桑名さんのCDいい歌ですよ。
おかげさまで桑名正博さんのコンサートも、成功しました。ほんとうにどうもありがとうございました。
 桑名さんのコンサート終了後、豊能障害者労働センターのスタッフでうちあげをしました。桑名正博さんと河内淳貴さん、スタッフの方々、桑名さんの家族がうちあげにきました。僕は笑顔がうれしかた。このライブ心にしまいたいと思いますよ。来れなかった遠くの人にも桑名さんのコンサートのこと伝えたいです。桑名正博さんのバンドは1990年から1997年までにスタッフがかわった。労働センターのスタッフもかわった。
 その間の桑名さんの音楽はすごいでした。本当にどうもコンサート来てくれてありがとうございました。
 そして豊能障害者労働センターは15周年記念です。ぜひ豊能障害者労働センターきてくださいね。

 1997年7月 盛夏

桑名正博コンサート「風の華'97」
桑名正博コンサート「風の華'97」打ち上げ 平田和也さん

桑名正博コンサート「風の華'97」



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2012.11.17 Sat コンサート「風の華’97」を終えて 出演者、お客さんのメッセージ

桑名正博コンサートメモリーズ
1997年8月23日発行、豊能障害者労働センター機関紙「積木」NO.101号より

豊能障害者労働センター15周年記念
コンサート「風の華’97」を終えて
出演者、お客さんのメッセージ


このコンサートでもお客さんがアンケートにこたえてくださり、たくさんのメッセージを残してくださいました。また、豊能障害者労働センターホームページ「積木屋」の掲示板やメールでも、桑名正博さん、河内淳貴さんをはじめたくさんのメッセージをいただきました。そのごく一部で申し訳ないのですがご紹介します。

●今、家に着きました。ほんとうに昨日はご苦労さま、そして、ありがとう!
 またひとつ僕にとってかけがえのない思い出が増えました。うちのスタッフもいろいろ皆さんのお話を聞いて、初心を忘れないよう心して仕事をする気持ちになったようです。暑い日がつづきます。夏風邪などひかぬようにご自愛の程。
声のでない桑名正博より

●昨日はお疲れ様でした!!
 なんか、感動させる側の人間なのに、いっぱい感動させていただいて…今年の夏はきっと一生忘れないと思います。
 夕べはマサやんの声がOKだったら、もっといろいろ話をしていたかったんだけどね。今日はなんとか喋れてたんで、心配はいらないみたいです。ちょっと前に東京の自宅に着いたんだけど、みんなのパワーを貰ったせいか全然疲れてません。
 また呼んでね!!それから、僕もきっとマサやんも、僕らにできる範囲のことなら何でも協力するんで、気兼ねなく言ってください!!きっとだよ!!
 本当にありがとうございました。これからもっと暑くなると思いますが、みんな体に気をつけてがんばってや!!
河内淳貴

●コンサートお疲れ様でした。
 いつもながら豊能障害者労働センターはいいスタッフばかりで、やってても気持ちがいいです。
 ミュージシャンもみんなも、皆さんによろしくとのことでした。これからも無理せずコンサートが続くといいですね。応援しています。
 これからもよろしくおねがいします。
アベノス 阿部浩典(桑名さんのマネージを担当)

●今夜は久しぶりに青春時代を思い出しました。桑名さんのやさしさがわかるすばらしいコンサートでした。ありがとうございました。
門真市 K・I

●すばらしいコンサート、ありがとうございました。ビートのきいた音楽やバラード調の音楽、とても楽しく聴かせていただきました。
 友人に誘われて初めて参加しましたが、次回もまた参加させていただこうと思います。障害者の方を大切にしてくださってありがとうございます。わたしも障害者の一人です。機会があれば、お手紙書かせていただきます。
豊中市 K・O

●正博さん、かっくよかったです。最高でした。他のコンサートにないアットホームな雰囲気がとても印象的でした。また、ぜひ参加させてください。15周年、おめでとうございます。
神戸市 E・I

●4年ぶりに来ましたが、今までで一番良かったと思います。バンドのバランスもとれていて、ヴァイオリンとギターとのかけあいがよかった。技術的にもすごい。
 「月のあかり」はやはり良い。何回聴いても良い。桑名さんはエリック・クラプトン以上だ。
箕面市 H・Y

●とても暖かいコンサートで感動しました。自分にできることで社会に参加していく大切さを感じました。今後のご発展をお祈りいたします。どうもありがとうございました。
神戸市 N・O

桑名正博コンサート「風の華'97」

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2012.11.16 Fri コンサートがわたしにあたえてくれたもの コンサート「風の華’97」を終えて

桑名正博コンサートメモリーズ
1997年8月23日発行、豊能障害者労働センター機関紙「積木」NO.101号より

豊能障害者労働センター15周年記念
コンサート「風の華’97」を終えて

 今回のコンサートは、労働センターの半分以上の人にとって、はじめての経験でした。何か月も前から準備しないといけないと、ばくぜんとわかっていても何からどうすればいいのかわからない、という状態の中で、機関紙を発送したり、チラシをまいたり、電話をかけたり…、手さぐりでとにかくすすんでいった4か月間。
 真っ白だった座席表が少しずつ埋っていくにつれて、みんなの気持ちも変わっていきました。 コンサートの担当者だったYさんの感想です。

コンサートがわたしにあたえてくれたもの
Y・M

 センターでみんなと一緒に働きはじめて11カ月目に行われた15周年記念のコンサート。私には11カ月以外の時の流れとみんなの思いはあまりわからなかったが、7月20日のコンサートが私にあたえてくれたものは大きかった。
 コンサートが始まり、当日券の販売もひと段落し、ホールから聴こえてくるくる音楽にひきつけられて中に入った。階段を上がりきった時に、体に響いてくる音楽とホールいっぱいのお客さんに「ウワー!」という思いでいっぱいになった。
 それまで前売り券などのチケットの販売を電話で受け付けてきた私としては、単純に電話で話をした人がほんとうにここに来ている、出会えているということがうれしかったのである。その時はじめて「ほんまにコーサートしてんやねー」という実感がわいてきた。
 コンサートの準備をしてきた4カ月間、いろいろな動きの中で、私の心は静かだった。この心はコンサートの一週間前からようやくコトコトと動きだした。それは自分でつくりだした都合のいいちっぽけな責任感のようなものと一緒に。しかし、そのおかげで私の心の中は、ひそかな張りつめた思いと、これからなにかくるという思いで少しうめられていた。
 そして、あとの残りをうめてくれたのが、現実に目の前にいるホールに来てくれた1000人くらいの人たちの姿と、さまざまな思い、桑名さんとバンドのメンバーがつくりだした大きな音楽だった。
 つくづく人にしろ音楽にしろなんでもそうだと思うのだが、実際に会って、聴いて、語って、知って、そして自分を知ることが大切だと思わされた。
 いっぱいにしてくれた心を「ドンドンドン」とたたかれて、忘れていたもの、伝えたいこと、笑うこと、充実感、新しく感じたこと、すきになったひとやことたち、いろんなものをふるいおとしてくれた。ほんとうにきもちよかった。4カ月前、こんな気持ちになれるとはおもっていなかった。
 自分基準表の中で、私は「やりきった」と感じている。だからこそ、こんな気持ちになれた。しかし、わたしがやってきたことよりも、やってもらったこと、得たもののほうが確かに大きかった。
 15周年に私はのっかって自分を少しみつけた。
 15周年に私はここにいた。

桑名正博コンサート「風の華'97」
桑名正博コンサート「風の華'97」打ち上げ


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2012.11.16 Fri 座談会 コンサート「風の華’97」を終えて その2

桑名正博コンサートメモリーズ
1997年8月23日発行、豊能障害者労働センター機関紙「積木」NO.101号より

豊能障害者労働センター15周年記念
コンサート「風の華’97」を終えて
豊能障害者労働センタースタッフによる座談会 その2

●そして、コンサート当日!!
K 今回のコンサートって、ほんとにひとりひとりがそれぞれに、何か感じることのできたコンサートやったもんね。
H うちらもそうやし、帰っていくお客さんがいい顔してたよね。
M あーそれ。すっごい思う!もう感激してしまった。
コンサート終わってドアのところであいさつしてた時さ、お客さんがみんなこっち向いてくれるねん。ほんで「ありがとう」とか言うてくれるねん。
こっちが「ありがとう」やのに、なんかもうめっちゃうれしいやんかあ(おもいっきり力をこめて!)、ほんでみんな、ほんますっごい、いい顔してはったの見てうれしかったあ。
なんかそん時に、あーこのコンサートやってほんまによかったなあって思ったー。(大阪弁の嵐で一部変えています。)
H そうやねえ。みんないい顔してたよねえ。

●何がかけてもできなかった
K 今年は、労セン(豊能障害者労働センター)の15周年でさ、なにかイベントをやろうっていう話をしてたでしょ?それで、コンサートをするっていう話になったけど、専従に新しい人が多くて、自分たちがコンサートをするというイメージがわきにくかったと思うねん。
 どちらかっていうと、古株の方からやりたいっていう意見がでた感じやったでしょう。ほんとうはちゃうねんけどね。自分は、今までに主にバザーの担当をしてきたから、コンサートのイメージがなかなかわかなかったんよね。
H そうやねえ。バザーは、ある程度の予定みたいなもん立てれるし、チラシまいたら、「バザー用品出してくれる」っていう電話がかかってきたりするけど、コンサートの場合、チケットが売れてるかどうかっていうのにかかってくるし、なかなかチラシまいたところで、すぐに反応ってかえってけえへんしなあ。
全員 うんうん。(みんな大きくうなずく)
K 今回はコンサートの一週間前に、Tさんのお母さんが危篤の状態になられて、もうあとは、自分らで全部やっていかなあかんと思ったとき、すごくパニックになっちゃったもんね。自分らだけで1000人近いお客さんに対して、きめ細やかな対応ができるとかさ…。
H うん、それはあったよね。
K それからコンサートを経験したメンバーと話し合って何とかなるよねってみんなが、ピリっとしたもんね。
N うん、ほんま。一週間前からみんなの空気がかわったきたもんね。今回、何がかけてもできへんかったやろうし、終わった後に、ほんまによかったねえって言われへんかったと思う。
 みんながみんな、いろんなこと思ったりして、それがどんどん大きくなって当日をむかえたやんか。そういうのがたくさん重なってコンサートが終わったときに「ああ、ほんとによかったあ」って思えたんやと思う。
全員 うんうん。
K いろいろあったけどほんとによかったよねえ。
H ほんまやねえ。
M すごいいろんなこと経験できたよねえ。Nさんなんか影アナ(舞台袖でアナウンスすること)やっちゃったもんね。おつかれさま。
N そうやねん。せりふ(?)をロビーで10回練習してんで。
H えー。あんたそんなことあったん?(笑)
N あるよー!(笑い)
S 上手に言えてたやん。(笑)
M ほんまほんま(笑)。なんかさ、こうやって話してるとそん時思ったこととかいろいろと、どんどん思い出してくるもんねえ。
K ほんまやねえ。

と、まだまだにぎやかに座談会はつづくのでした…。
おしまい

桑名正博コンサート「風の華'97」

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