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2017.10.09 Mon 演歌・歌謡曲とJポップにまたがるボーカリスト。「SINGER4」

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 島津亜矢のアルバム「SINGER4」が発表されました。ポップスのカバーアルバムで「SINGER」(2010年)、「SINGER2」(2013年)、「SINGER3」(2015年)につづいて4作目になりました。
 島津亜矢がかつてNHKのBS放送で演歌をはじめJポップの名曲を見事な歌唱力で歌い、「カバーの女王」という異名をとったことはすでに伝説になっていますが、それらの数々の名歌唱の内、主に演歌の楽曲を改めてレコーディングした果実が8作にもおよぶアルバム「BS日本のうた」シリーズです。
 しかしながら、彼女のレンジの広さはポップス、ロック、ジャズからシャンソン、R&Bにまで及び、その幅広い音楽性を表現する場は音楽番組では数少なく、出自の演歌を中心に構成する彼女のコンサートにおいて、ドレス姿でポップスの何曲かを歌うのにとどまっていました。
 演歌・歌謡曲においては20代後半にほぼ完ぺきな歌唱力を認められていた島津亜矢でしたが、ポップスも歌える歌手としても評価されるようになったのは、2000年に最初のアルバム「SINGER」を発表する前後からだと思います。
 それまでは演歌歌手とは思えない本格的なポップスを独自の表現力で歌っていましたが、なかなかポップスの聴き手に届かなかったこともまた事実です。
 島津亜矢はこのアルバムで、演歌とはちがってのびのびと歌を歌う喜びを感じていたと思います。というのも、演歌のジャンルでは毎年の勝負曲をシングルで発表し、アルバムはそれまでの代表曲を収録した全曲集でしかなく、ポップスのボーカリストやシンガー・ソングライターのオリジナルアルバムのようにテーマやコンセプトを持った音楽的冒険とは無縁です。
 その意味では唯一、「悠々~阿久悠さんに褒められたくて~」は特筆もので、アルバムが先行し、そこから「恋慕海峡」と「一本釣り」がシングルカットされました。すでに亡くなっていたとはいえ、稀代の作詞家・阿久悠の遺稿から選ばれた10曲を8人の作曲が書き下ろしたこのアルバムには、制作にかかわったひとたちの熱い思いが込められています。島津亜矢はこの珠玉10曲を一曲ずつ違う表情で彩り、豊かに肉付けしました。
 わたしはこのアルバムから、島津亜矢を演歌歌手にはあまり言わないボーカリストと呼ぶにふさわしいと思うようになりました。実際、このアルバムの一曲一曲はもとより、全体がひとつの組曲のように、悲しみや切なさや潔さがないまぜになった10人の女性の愛の物語がボーカリスト・島津亜矢によってよみがえり、語られるのでした。
 わたしはこのアルバムが発表された2011年のレコード大賞がこのアルバムを認知できず、どんな賞も与えなかったことはとても残念で、その不明を恥じるべきと思っています。
 それに対して「SINGER」シリーズは、ポップスのカバーアルバムではありますが、すでにそれぞれの時代の巷に流れ、わたしたちの記憶の底にまどろむ歌のかけらを掬い上げ、新しい物語として島津亜矢が語りなおし、歌いなおす「もうひとつのオリジナルアルバム」といっても過言ではありません。
 それだけに、どの歌を選び、どの順番に歌うのかがとても重要で、どんな歌でも歌ってしまう天才・島津亜矢だからこそ「こんな歌も歌えます」という安易な選曲ではなく、厳しいプロデュースと歌唱力が問われるシリーズだと思います。
 とはいえ、無数にある楽曲から十数曲を選ぶのですから、演歌歌手・島津亜矢が、ポップスを稀有の歌唱力で歌い上げるのにふさわしい、いわゆる「名曲」のカタログ主義が先行する選曲になっていたことも否めないと思います。
 実はそれが、ポップスを発表する場が少ないことと合わせて、演歌の出自を離れたボーカリストとしての島津亜矢がなかなか認知されなかった理由でもあるのかなと思います。
 もっとも、演歌歌手として30代にはすでに完成され、その後さらに熟成されたワインのように深く歌を詠む力と豊穣な表現力と、それを裏付けるテクニカルな歌唱力が認知されたのもごく最近のことではないかと思いますが…。
 ともあれ、「SINGER」シリーズは島津亜矢の多彩な才能に心酔し、彼女の音楽的冒険を望むひとたちの願いを叶えてくれるもので、わたしもそのひとりでした。
 1つのアルバムに15曲収録されていますので、今回の「SINGER4」で、すでに60曲のポップスのカバーを世に問うたことになります。
 今回の「SINGER4」はプロデュース、歌唱ともとくに力の入ったものになっています。
 一曲目から最後までの選曲は当初からがらりと変わり、没になったものも含めるとこの2倍近くの楽曲を歌い、そこからグレードを上げるために何曲も差し替えられ、この15曲になったようです。曲順、オリジナル歌手、発表年を記すとこのラインアップになります。
1.命の別名 中島みゆき 1998年
2.最後の雨 中西保志 1992年
3.じれったい 安全地帯 1987年
4.Honesty ビリー・ジョエル 1978年
5.難破船 加藤登紀子 1984年 中森明菜 1987年
6.落陽 吉田拓郎 1973年
7.YELL いきものがかり 2009年
8.はがゆい唇 高橋真梨子 1992年
9.恋人よ 五輪真弓 1980年
10.浅草キッド ビートたけし  1994年
11.サイレント・イブ 辛島美登里 1997年
12.見上げてごらん夜の星を 坂本九 1964年
13.魂のルフラン 高橋洋子 1997年
14.さよならの向こう側 山口百恵 1980年
15.Jupiter 平原綾香 2004年

 選ばれた楽曲は1970年代から2000年代までの日本を代表するボーカリストのヒット曲で、島津亜矢はオリジナルの歌唱が強く印象に残る楽曲にあえて挑戦するように意欲的、刺激的に歌っています。
 おそらく最近の島津亜矢の音楽シーンでの立ち位置から、本人もチームもこのアルバムがポップスのメインストリームに届けられる可能性を視野に入れて制作されているのではないかと思います。
 全体的にはその意気込みがうまくいったと思いますが、少し力みすぎで彼女には珍しく歌を読み違えているのかなと思う楽曲もあるように思います。もちろん、その印象はわたしの個人的な好みの問題で、おおむねそれはそれで新しい解釈による優れた歌唱と受け止められると思いますが…。
 ともかくも、このアルバムから伝わる島津亜矢の熱気は本物で、Jポップの分野に本気で足を踏み入れる覚悟が感じられ、演歌・歌謡曲とJポップにまたがるボーカリストとして広く認知されるきっかけになるアルバムだと確信します。
 それぞれの楽曲については、次から書いていこうと思います。

島津亜矢「SINGER4」
視聴できます。

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2017.09.19 Tue 島津亜矢と堂珍嘉邦の「美女と野獣」のコラボは大事件でした。

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 「ガンダム」の主題歌につづいて島津亜矢の直近のトピックはTBSの音楽フェス番組「UTAGE」に出演したことでしょう。
 しかも、ケミストリーの堂珍嘉邦とのコラボを、誰が想像できたでしょうか!
 「金スマ」出演以後、TBSの国民的音楽フェス「音楽の日」出演を経て、島津亜矢のポップス歌唱の評価が日に日にすそ野を広げる昨今ですが、さすがに堂珍嘉邦とのコラボは思いもしないことでした。
 5年ぶりに活動を再開したばかりのケミストリーは2月から復活ツアーを開始、テレビの音楽番組にも出演しています。島津亜矢も出演した7月18日のNHK「うたコン」ではヒット曲「Point of No Return」を熱唱し、奇跡といわれるデュオのハーモニーの復活に数多くのファンが酔い知れたのではないでしょうか。ちなみにこの日の放送は「エレファントカシマシ」も初登場し、ケミストリーとはまたちがい、エモーショナルで、どこかなつかしい50年代の歌謡曲のようなロックを聞かせてくれました。
 CHEMISTRY(ケミストリー)は1999年、テレビ東京のオーディション番組「ASAYAN」の男性ボーカリストオーディションで選ばれた川端要と堂珍嘉邦の2人により結成。デュオを選ぶという見地にたって選考された結果、個々の表現力と潜在能力の高さは勿論のこと、2人が一緒になったときの化学反応の素晴らしさから、デビュー当時のプロデューサーの松尾潔から「CHEMISTRY」と名づけられました。
 松尾潔といえば自身がパーソナリテイを務めるラジオ番組で島津亜矢の「I Will Always Love You」を絶賛し、ポップスやリズム&ブルースのファンに島津亜矢を紹介してくれた人ですが、一見冒険と思われる今回のコラボも直接はかかわりがないかもしれませんが松尾潔つながりで納得できました。
 それどころか、この番組のプロデューサーが島津亜矢を出演させ、なおかつ堂珍嘉邦と「美女と野獣」でコラボさせたことは快挙と言ってよく、どれだけの賛辞を寄せてもまだ足らないくらいの大成功の企画だったと思います。
 実際、二人のデュオはとてもすばらしいものでした。宴がコンセプトのこの番組らしく3組の舞踏会風のダンスの方が目立ちましたが、聴く人ぞ聴くというべきか、番組終了後の反響は半端なものではなかったようです。
 わたしもほんとうにびっくりしました。「音楽の日」の時は「I Will Always Love You」でしたので、わたしとしては一定の評価を得ている選曲で少し物足りないと感じたのですが、今回はミュージカルの名曲「美女と野獣」で、いきなり堂珍嘉邦とのコラボを堂々と歌い上げてしまったのですから。
 5年ぶりにケミストリーの活動を再開させた川端要と堂珍嘉邦は、「歌うことがうれしくてしかたない」という感情がにじみ出て、ふくらみのある包容力と奥行きと陰影と説得力があり、以前から定評のある歌唱力によりセクシーさが増していると思います。
 以前のケミストリーは、たしかに歌唱力は群を抜いていましたが、わたしはどこか薄っぺらいものを感じていて、いかにもオーディションで選ばれ、最高のレベルにつくりあげられた、ややテクニック先行のお仕着せのデュオが歌わされているという印象をもっていました。
 事実、彼らもそこのところに引っ掛かりをもっていたようで、デュオとしての活動をいったん休止することになったのでした。2人は日本でもトップクラスのボーカリストですから、それぞれソロで活動しながら音楽以外にもさまざまな自己表現をしてきた5年間でした。
 そして今、2人は自らデュオとしての活動再開を熱望し、その名のごとく二人の声が反応し、「もうひとつの声」が立ち現れてくる奇跡のハーモニーを二人自身でつくりなおしたのでした。その意気込みと切実な音楽への渇望が彼らをよみがえらせ、テクニックだけでない新鮮な才能に満ち溢れた彼らの音楽の再出発はJポップ、そして日本の音楽シーンにとっても新鮮な風となることでしょう。
 そんな堂珍嘉邦は、島津亜矢の歌をどう受け止めたのでしょうか。ポップスのアーテイストとのコラボはいままでもなじみ深いものでしたが、ポップスを歌える演歌歌手という程度の前知識で臨んだリハーサルの段階で、彼は島津亜矢という振り袖姿のディーバの降臨に驚いたことでしょう。
 その驚きを隠した彼が、本番ではさらに一歩、島津亜矢と音楽の荒野に踏み込んでいく姿がありました。この歌はミュージカルの中で歌われる主題歌として物語の中に組み込まれているため、それなりのずば抜けた歌唱力のある歌手が歌えばミュージカルの中の名曲はなりえます。
 しかしながら、島津亜矢という異色のボーカリストを得た堂珍嘉邦は、この歌の誕生の場所をミュージカルの中にもとめず、あくまでもボーカリストとしての矜持のもと、島津亜矢とのサプライズの磁場に求めたのだと思います。
 それは人間が武器を発明するよりも早く、また言葉を発明するよりも早く、コミュニケーションと和解の道具として音楽を発明したように、稀代のボーカリストである彼は島津亜矢との交信・協働の音楽によって、「ケミストリー」の名のごとく、たぐいまれな化学反応を起こしたのでした。
 彼自身よみがえったばかりの堂珍嘉邦が、川端要以外のコラボで化学反応を起こすぐらいの衝撃と癒しと圧倒的な歌唱力と歌を詠む才能を持ち合わせた島津亜矢と歌い上げた「美女と野獣」は、誤解を恐れずに言えばセクシーで肉感的、そして実は音楽のもっとも大切なモーメントである「死」を内包した素晴らしい祝祭歌にまでたかめられたのでした。
 それにしても、島津亜矢にはほんとうにびっくりさせられます。彼女はこの番組もふくめてポップスの場では新人と言っていいでしょう。しかるに気負うことなく、バンドでいうベースのような役割で堂珍嘉邦の才能をいかんなく発揮させるだけでなく、堂珍嘉邦の誘いに応じて自らも化学反応してしまえるのですから。
 以前の「SONGS」では大竹しのぶとクミコに圧倒されたのか、中島みゆきへの過度な思い入れなのか、力の入りすぎた「地上の星」に少しがっかりさせられましたが、前言を撤回し、島津亜矢はポップスでも演歌歌手のエチュードを超えるパフォーマンスをすでに持っていることを示してくれました。とりわけ、今回はソロではなく、デュオで証明したのが大きかったと思います。
 この上は、ケミストリーのもうひとりのボーカリスト・川端要とリズム&ブルースやソウルミュージックで、もっと贅沢を言えば「島津亜矢AND CHEMISTRY」でオリジナル楽曲をどちらともかかわりの深い松尾潔・プロデュースでつくってくれたらと、途方もない夢を見てしまいます。
 これからの島津亜矢は、美空ひばりや石川さゆりがたどってきたように、ジャンルを超えてその稀有の才能を楽曲に昇華させる音楽の作り手を貪欲に探すことがますます必要になってきているのではないでしょうか。
 時代が島津亜矢に追いつこうとしているのに楽曲はなかなか追いつけない状態で、これまで通りの予定調和的な歌作りでは一気に増えたファンをがっかりさせるのではないかと心配です。

堂珍嘉邦&島津亜矢「美女と野獣」・島津亜矢「イミテーションゴールド」(UTAGE)

CHEMISTRY「ユメノツヅキ」(松尾潔プロデュース・作詞)

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2017.09.11 Mon 映画「機動戦士ガンダム THE ORIGIN 激突ルウム会戦』の主題歌は、島津亜矢の今年の代表曲

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 島津亜矢の「異業種格闘技」(?)のブレイクは続き、今度はアニメソングを歌うことになりました。それも映画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 激突ルウム会戦』の主題歌「I CAN'T DO ANYTHING -宇宙よ-」を歌唱します。
 1979年以来、ロボットアニメの先駆者としてアニメファンを魅了してきた「機動戦士ガンダム」の初期作品の作画監督で、今回のシリーズの原作者でもあり、映画の総監督でもある安彦良和氏が数年前に聴いた島津亜矢の「I Will Always Love You」に衝撃を受け、異例の抜擢となりました。
 島津亜矢の歌声が心に残っていた安彦氏は、シリーズを手がけるに当たり起用を決意し、しぶるスタッフも説き伏せ「ここまでゴリ押ししたのは初めて」という強引さで話を決めたそうです。
 今春に行われたレコーディングには安彦氏も同席し、島津亜矢に「ガンダム」への思いを説くなど“機動戦士スピリット”を伝授し、演歌歌手という先入観をさけるため、「AYA」という名前で歌いあげました。
 アニメソングは国内にとどまらず最近の音楽シーンに欠かせないもので、アニメ映画の声優が歌も歌い、武道館やドームを満席にできるほど大きな市場になっています。
 わたしはアニメソングには疎く、好きな歌手は水樹奈々ぐらいでなんともいえないのですが、最近のアニメソングはアニメ映画の大ブームと呼応するようにエンターテインメント性が高く、大時代的で壮大なロマンを歌い上げるものが多いようです。
 わたしはその意味で、島津亜矢はアニメソングに向いていると思っていました。安彦監督が島津亜矢を抜擢したのはポップスにおける稀有な歌唱力によるものとは思いますが、それだけでなく、彼女の歌に大きな世界観を感じたのだと思います。
 事実、「山河」や「熱き心に」、「北の蛍」や「函館山から」など、彼女のようにこれらの歌に隠れている時代の風景をよみがえらせ、時代まるごと血肉で一枚のタブロー画を描いてしまえる歌い手さんは数少ないと思うのです。
 その意味ではカバー曲の場合はすでに一定の評価がある楽曲ですし、オリジナル曲の場合はあくまでも島津亜矢のためだけにつくられる楽曲ですが、今回の彼女の冒険は壮大な疑似世界観のもとでつくられたアニメを基盤にして、音楽的にも興行的にもしっかりしたコンセプトでつくられる音楽に、彼女がどうこたえるかということでした。
 映画が上映されている新宿ピカデリーの舞台挨拶での歌唱をユーチューブで聴きましたが、想像した通りの壮大な曲でした。
 実際のところ、わたしはアニメ映画にかかわらず戦争ものが苦手です。その理由は世界中でただひとつ、法律の下で合法的に人を殺すことのできる「国家」という存在が掲げる「正義」と「もうひとつの正義」が利権をうばいあい、時の権力者が陣地とりゲームのように兵士たちを動かし、殺し合いによっておびただしい血が流れ、果てしなく死体が積み上げる「戦争」が怖いのです。
 世界や地球を守るための正義の戦士たちの活躍は、物語が終わればその空想も終わるはずなのに、空想に入りこんだまま出て来られない人々が現実の中で戦争ゲームを繰り返す恐怖がわたしたちの社会を覆いつくしています。
 そのことを痛いほど知っているからこそ、戦記アニメではしばしば「戦争」の愚かさと失われたいのちへの哀悼と共に、ひととひとが愛し合い、助け合える平和な世界を願う祈りの歌が流れます。
 映画を見終えた人々がそれまでの荒ぶれる心をいやし、明日への希望を抱いて映画館の外の日常に戻っていくためのラストソングは、この一作では終わらない「ガンダム オリジン」シリーズの次作を熱望させるための仕掛けの曲でもあります。
 安彦監督は服部隆之氏に、「ホイットニー・ヒューストンに書くつもりで曲を書いて下さい。ホイットニーが歌える曲なら、島津さんは歌えます」と依頼したということでした。
 レコーディングの時、服部隆之氏は「いきなりメジャー級のパワーでやられちゃったね」と言ったそうです。
 実際、わたしははじめて島津亜矢にふさわしいオリジナル楽曲が誕生したと思いました。
 演歌・歌謡曲であろうとポップスであろうとジャンルにかかわらず、稀有の才能がようやく広く認知されるようになった島津亜矢の課題の一つは、オリジナル曲の貧困さがあるとわたしは思っています。
 1960年代までなら歌謡曲全般がジャズから民謡、ポップスから浪花節まで、大衆音楽すべてを網羅した大きなジャンルでした。あの時代なら島津亜矢に楽曲を提供する作家諸氏も今のようなせせこましい観念にとらわれることなく、島津亜矢の才能に刺激されてさまざまな冒険と実験をしたと思います。
 多くの人々が「日本人の心の歌」と信じている「演歌」というジャンルは、実はせいぜい60年代後半から70年代にかけて歌謡曲から派生した比較的新しいジャンルです。
 島津亜矢が歌手として出発した80年代には70年代をピークに演歌は日本の大衆音楽の中のごく小さなジャンルになっていました。そこに世代論も交錯し、90年代から歌謡曲のほとんどがJポップに移行する中で演歌はますます偏狭な自己撞着におちいり、 音楽的な冒険のないまま独りよがりの日本人像に縛られてきたのではないでしょうか。
 音楽の作り手も歌い手も聴き手も冒険を望まず、次の歌詞も曲の一節もわかってしまうような音楽を漫然と作り続けている間に、「日本の音楽じゃない」とうそぶいていたポップスのジャンルでは若い人たちをターゲットにいつも新鮮で刺激的な楽曲をつくるソングライターが続々と出現しました。
 永六輔が作詞をやめた理由のひとつに、自分が聴きたい歌を歌い、自分が歌いたい歌を作る小室等や井上陽水の歌を聴き、これからはシンガー・ソングライターの時代だと思ったと証言しています。実際、80年代以降、時代を語る音楽のほとんどはポップスのジャンルから生まれているとわたしは思います。
 島津亜矢の受難はそんな時代に演歌歌手になり、その出自を生真面目に守りながら彼女自身も持てあます無尽蔵の才能が「歌とは何か」と彼女を追い詰め、歌の誕生の地へと導かれる宿命を背負ったことだとわたしは思います。
 彼女の歌手としての「大器」と、彼女に提供される楽曲の偏狭な世界との間で悶々とした長い年月は、恩師・星野哲郎を以てしても致し方なかったと思われます。それでも、稀代の詩人であった彼は、彼なりの演歌として「大器晩成」や「海鳴りの詩」などの作詞を通じて島津亜矢の未来を夢見てきたのだと思います。
 島津亜矢のファンの方々のバッシングを承知で言えば、わたしはいま彼女が歌っている「演歌」には、星野哲郎の詩に隠された思想や情熱が感じられません。たとえば星野哲郎の傑作「出世街道」では高度経済成長から突き飛ばされた若者が、滅びゆく美学を胸にドロップアウトする根拠のない覚悟が歌われています。
 最近はあいも変わらずの男女の結ばれぬ愛や、上から目線で道徳観を披瀝し、結局は今の社会を後追い的に肯定するだけの歌が目立ちます。星野哲郎の「兄弟仁義」、「風雪ながれ旅」や、「瞼の母」、「大利根無情」など、時代のアウトローでしかなかった人々の言葉にならない心情を、かつての演歌は代弁してくれていたはずです。
 そんな絶望的と言える島津亜矢の周辺が一変したのが今年でした。それはちょうど長い年月を地下活動で鍛えた歌姫が地上に現れたようなのです。松尾潔、松山千春、マキタスポーツ、そして多分中居正広、安彦良和と、島津亜矢を発見した各界のプロ中のプロが彼女の才能を広げたい、彼女の才能の行く末を見てみたいと彼女を応援し、プロデュースしたいと思う人々が現れたのです。
 ジャンルを超えて、これこそが星野哲郎が夢見てきたことなのだとわたしは思います。
 もちろん島津亜矢自身も長年のファンの方々も、これまで律義に守ってきた「演歌」を捨てることなどできないでしょう。「演歌」もまた、ようやく激動する時代を変え、丘みどりなど島津亜矢に次ぐ大器が育ちつつあります。
 わたしは、島津亜矢が演歌であろうとポップスであろうと、先に書いたアウトローの心情やかなわぬ夢を歌う、時代の歌姫になってほしいと願っています。
 そんな時に訪れた大きなチャンスが、ガンダムのアニメソングだと思います。安彦監督が映画のラストソングにふさわしい歌手として島津亜矢を抜擢したことは、偶然の出会いもさることながら、その深い洞察力に拍手を送りたいと思います。そうなんですよ、  島津亜矢はいま時代を歌い、時代を変えるほんとうに数少ない歌手なんです。
 それが証拠に、この難しい曲を難なく歌い、作・編曲の服部隆之などこれまでの楽曲提供とはちがう新鮮な曲想で綴る「ガンダム」の世界の奥深くに届く歌唱になっていると思います。
 これもまた、長年の島津亜矢ファンにバッシングされるでしょうが、わたしがもし紅白歌合戦のプロデューサーなら、迷うことなくこの歌を島津亜矢に歌ってもらうでしょう。
 それはこの歌が、島津亜矢にしか歌えないという切実な思いでプロデュースされた楽曲で、彼女が出会った数少ないほんとうのオリジナル曲だからです。
 最近のNHKの音楽番組のコンセプトにもっともぴったりしたもので、話題性、音楽的冒険、音楽の質、ともに今年の島津亜矢を象徴する楽曲だとわたしは信じます。

映画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 激突ルウム会戦』の主題歌「I CAN'T DO ANYTHING -宇宙よ-」

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2017.09.04 Mon 「POWER」とPINKさんと加納ひろみさんとおーまきちまきさんと…。喫茶「どるめん」でライブ。

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さあ、輝く陽の光 たえまない水の流れに
生命の力が今よみがえるように 
ああ、限りない風の力
あかあか燃える木の炎
だけど原子力の炎とはさよならさ
    「POWER」ジョン・ホール 訳:PINK

 尼崎市・阪急園田駅近くの喫茶店「どるめん」に集まった20人ほどの観客を前に、加納ひろみさんは静かに歌い始めました。
 ギターの田中潤さんのギターは川の流れのように瑞々しく、ひろみさんのやや硬質で透き通る声はその川にこぼれ落ちた星のかけらのように、キラキラ輝くのでした。
 彼女が歌い続けている「POWER」は、1979年に発表されたジョン・ホールの名曲です。
 スリーマイル原発事故を機にアメリカで反核反原子力の運動が広がりました。そのきっかけのひとつといわれるニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンにて行われた「ノー・ニュークス・コンサート/NO NUKES」で、ドゥービー・ブラザーズ、ジェームス・テーラーと共にジョン・ホールが歌った彼自身の曲、「パワー/Power」は静かながら力強いメッセージソングとして存在感を示しました。
 この曲を訳詞して歌ったのがPINKさんでした。PINKさんは1970年代初頭、坂本洋さんがマスターをしていたロック喫茶「フリーク」を拠点に、ロックバンド「貧苦巣」を結成しました。
 1970年代初頭は、べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)など社会や国家に異議申し立てをする政治的な行動と、自分たちが聴きたい音楽を自分たちでつくり、自分たちで歌い演奏する音楽的活動が矛盾なく両立した蜜月時代でもありました。
 時代の風に吹かれながら、PINKさんはバンド解散後も「自分らしくあること、自由であること」をロックで表現してきました。
 2000年の秋深い時、彼がけん引した「20世紀の谷間舎」に誘い込まれるように49歳の若さで逝った彼は、「青春」そのものの輝きを最後まで心の奥にしまい込んだ人生を精いっぱい生きたのだと思います。
 PINKさんはオリジナル曲の作曲もさることながら訳詞に稀有の才能を発揮し、数多くの訳詞でロックの名曲を歌い、残してくれました。
 その中の一曲が「POWER」で、加納ひろみさんが2曲目に歌ったボブ・ディランの「時代は変わる」とともに、わたしも彼の演奏で何度も聴いた曲でした。
 スリーマイルから約40年、東日本大震災における福島原発事故から6年、世界がその教訓から原発の廃止を進める中で、唯一の核被爆国である日本は原発を再稼働し、原発依存の社会を捨てることをやめません。
 ジョン・ホ-ルさんからPINKさん、そして加納ひろみさんへと歌い継がれるこの歌が役割を終えるまで、原発のない時代を未来に届ける応援歌として、まだしばらくは歌い続けないといけないのでしょう。

 この日はジョイントライブで、加納ひろみさんの後、おーまきちまきさんのライブが始まりました。
 おーまきちまきさんの歌と演奏を聴くのは久しぶりで、それも今回のライブに参加した理由でした。
 加納ひろみさんもおーまきちまきさんもいろいろな市民運動のイベントに協力する機会が多く、わたしもまた主催者の一員としてや他の主催者が開いたイベントなどで、これまで何度も彼女たちの歌と演奏を聴いてきました。
 しかしながら、そういう場ではじっくりと彼女たちの音楽を聴くことになりにくく、とりわけ主催者の一員の場合は他のことに気を取られて、聴こえているのに聴いていないことが多いのです。
 今回たまたま情報が入り、久しぶりにお二人の歌をじっくりと聴こうと思い、友人も誘って参加したのでした。
 おーまきちまきさんは以前と同じアコーディオンの演奏と歌で、最近はピアニストHALMA GENとのユニット「はるまきちまき」で活動されることがおおいのですが、今回は久しぶりのソロで出演しました。
 この日は「東京キッド」、「アカシヤの雨に打たれて」、「死んだ男の残したものは」、「アメイジンググレイス」など、カバー曲を歌いました。
 彼女が選ぶカバー曲は懐メロではなく、がれきの上の青空だけをたよりに走り抜けてきた戦後という時代の記憶、町の記憶を隠していて、彼女が歌うと時代の路地を通りすぎていったそれらの歌がアコーディオンのメロデイーとともに、行きどころのない悲しみと儚い夢をよみがえらせます。やがてなつかしも物悲しい歌声は祈りとなり願いとなり、大きな希望となって、聴く者の心を癒してくれるのでした。
 ここでもまた、わたしは「歌は何時どこで生まれるのだろう」と思いました。そして二人の歌は決して華やかな舞台で生まれるのではなく、ちまたの喫茶店「どるめん」の貴重な本たちに囲まれた狭い床や、路上で生まれる叙事詩なのだと思いました。
 彼女たちの歌が生まれる時と場所に立ち会えた20人の人々と共に、わたしはその幸運に感謝しました。


 この日は被災障害者支援「ゆめ風基金」のスタッフのMさん夫婦と一緒に行った関係で、加納ひろみさんもおーまきちまきさんもゆめ風基金の呼びかけ人ということもあり、ゆめ風基金の紹介をしてくれということになり、無茶ぶりされて何かと関係者の思われるわたしが話す羽目になりました。苦手中の苦手でうまく話せず、ひや汗をかいてしまいました。

加納ひろみ「ラブ・パラシュート」(ボレロコンサート2015)
「POWER」の音源はなく、彼女のオリジナルでこの日も歌ってくれました。

おーまきちまき 2015年1月3日釜ヶ崎越冬闘争はるまきちまきステージ1
おーまきさんの音源はたくさんあるのですが、この日に歌った歌はなく、別の音源ですが彼女の圧倒的な説得力を持った希望の歌でつつづられたライブの音源です。

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2017.08.28 Mon 「無法松物語~松五郎と吉岡夫人~」 「新BS日本のうた」島津亜矢特集で思うこと

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 「新BS日本のうた」の2週に及ぶ島津亜矢特集と「うたコン」で、寸劇&バラエティの順応力が問われた島津亜矢でしたが、「新BS日本のうた」の1週では山内恵介、三山ひろしとの丁々発止のかけあいと、少し見ている方が気恥ずかしいコミカルな演技でパフォーマンスの高さを示しました。
 彼女にとっては座長公演での本格的な芝居経験や「名作歌謡劇場」シリーズのせりふ回しなどベテランといっていい領域に来ていますから、どんな脚本でも大丈夫と言えます。
 ただし、何事にも手を抜かず真剣に取り組む彼女の長所が少し邪魔をして、前のめりの演技で間というか遊びがなく、ひとによればやや息苦しく感じるところもあったかもしれません。
 かつてはコロッケの番組の寸劇で、かなりかわいそうな役どころでお客さんの笑いを誘うことはあったものの、にわか仕立ての出し物でほとんど経験のない主役もしくは準主役でお客さんを笑わせる難しさに、内心はかなり緊張していたのではないかと思います。
 本格的な芝居とはちがい、バラエテイ特有の「ゆるさ」が求められるところで、意外にも山内惠介と三山ひろしにかなり助けられたように思います。
 若手ではあるものの、このふたりはデビュー当時からバラエティの場数を踏んでいて、主役の島津亜矢を見事にひきたてる芸達者ぶりを発揮していました。
 しかしながら、見方を変えると山内惠介も三山ひろしも、そして先輩格で人気が一番の氷川きよしもその芸達者ぶりは群を抜いていますが、それがかえって本格的な芝居には邪魔になるかも知れません。本格的な芝居の場合はダイアローグのせりふ回しと立ち回りが芝居のドラマを決定づけるのに対して、バラエティの寸劇では芝居のドラマはそれほど重要ではなく、お客さんを喜ばせるには適度なミスすら求められます。
 ですから、その癖がついてしまうと本格的な芝居をする時に物語をつくれなくなると思います。その意味では、島津亜矢は座長公演ではありますがここ2、3年に培った役者としての力量が、初めてのバラエティの主演という立場では違和感があったのだと思います。彼女のことですから、これからのブレイクの途上でバラエティへの順応力を身に着けるとは思いますが、役者としての心構えはなくさないでいてほしいと思います。
 一方、「新BS日本のうた」の2週目の中村美律子との共演による「無法松物語~松五郎と吉岡夫人~」はバラエティ色を払しょくした芝居になっていました。
 物語自体は中村美律子の歌謡浪曲「無法松の恋~松五郎と吉岡夫人~」がベースになっていて、その分しっかりした脚本があり、安心して観ることができました。
 大学生になった吉岡夫人の息子・敏雄が家を出て自立していった後に残された人力車夫・松五郎は、小さいころから父親代わりとなって敏雄を見守る心の底に、夫をなくした吉岡夫人への恋心を隠してきました。
 その敏雄が久々に帰ってくると聞かされ、果たせぬ恋心を断ち切り、敏雄の未来を祝し、これが最後とバチをたたく松五郎の胸の内を、島津亜矢は名曲「無法松の一生」と「度胸千両」、それぞれ本来の別々の曲として熱唱しました。
 久しぶりの男役で、島津亜矢の着流しは凛としていました。実際の役どころとして、新国劇の辰巳柳太郎のようにもう少し荒ぶれた雰囲気が求められるところでしょうが、おそらく十年以上も若い実年齢であることや、この番組が島津亜矢を主役(座長)にした特別な番組であることを考えると、その凛々しさに多くの人たちが満足したのではないでしょうか。
 それと、なんといっても中村美律子がすばらしかった。島津亜矢を引き立てながらも手を抜くことなく浪曲と楽曲の歌唱はもちろん、芝居も熱演し、島津亜矢をもっとも輝かそうと舞台をつくってくれました。

 こんな風に書いてくると、今年は名古屋だけになった芝居を観たくなります。もっとも、今年は座長公演がなかった分、歌手本来の活動に専念することができたことがブレイクにつながったことも事実でしょう。
 歌手としての可能性をもっと広げることが彼女の本来の活動であるならば、今年のようにジャンルの幅を広げた音楽番組への出演や中島みゆきリスペクトコンサートへの出演などで彼女の認知度を一段と高め、活躍の場をどんどん広げていくことが彼女自身にとっても、また長年のファンの方々にとっても望ましいことに違いありません。
 しかしながら、「会津のジャンヌ・ダルク~山本八重の半生~」、「獅子(ライオン)の女房~阪田三吉の妻・小春の生涯~」、山本周五郎原作の「おしずの恋」、「お紋の風」と、2012年から続いた座長公演で、役者・島津亜矢の演技力は歌手・島津亜矢の歌唱力に劣らず進化しました。あくまでも座長公演という領域の中ではありますが、共演者やスタッフみんなで作り上げる芝居の面白さに目覚めた彼女は、共演者とのダイアローグに鍛えられながら芝居の中の登場人物の心にたどりつくのでした。
 もちろん、その道のプロの役者のような存在感と演技力を望むのはむずかしいことは事実ですが、持ち前の冒険心と向上心とたゆまぬ努力によって、歌手としての稀有な才能が芝居の世界でも花開いたのだと思います。
 そして、芝居の世界で開花させた才能は彼女の歌を飛躍的に豊かなものにしました。特に演歌・歌謡曲の分野で、いつのまにか声量と歌唱力だけではなく、有史以来、生まれては消えていった無数の歌たちの誕生の泉から、そのいとおしいたましいを掬い上げることを許された数少ない歌手のひとりになりました。
 大切な時期に到達した島津亜矢にとって、体はひとつで時間も限られた中では難しいことでしょうが、わたしはまた島津亜矢の芝居を観たいと思っています。
 とくに「おしずの恋」、「お紋の風」など、市井に生きる庶民への暖かいまなざしと深い愛を生涯にわたって描き続けた山本周五郎の小説に登場する女性のいじらしさ、けなげさ、「いさぎよさ」は島津亜矢がもともと持っているもので、演技する前にすでになじんでいる感じでぴったりだと思います。
 山本周五郎の人情小説はつつましく生きる江戸時代の庶民の心情をつづる一方、時の権力の理不尽さに対する怒りもまたよく描いていて、時代を越えて庶民とともに生き、庶民を励ましてきました。
 戦後72年、焼け跡から高度経済成長ははるか遠くに去り、もうやってくることはなさそうな経済成長を無理やり起こそうと政治家は躍起になっています。「一億総活躍」という掛け声のもと、多くの人々がまだ経済成長の幻影を忘れられないまま底のない泥沼に足をすくわれている今、ふたたび山本周五郎の小説や生き方によりどころを求める人たちが増え、再び一大ブームがやってきたのではないかと思います。
 そして島津亜矢の歌もまた山本周五郎や長谷川伸など、戦後の資本主義が捨ててきた人情を次の時代に届けるすばらしい使命をもっていると思います。
 「おしずの恋」、「お紋の風」の脚本・演出は六車俊治氏で、島津亜矢を役者として大きく成長させた功労者です。この人は島津亜矢の生き方、その矜持に山本周五郎の小説の世界を見ている人で、ひとりの人間として、ひとりの女性としての島津亜矢の魅力のすべてを引き出してくれました。「島津さんの歌声に感じる悲しさ、しかし、明るい力強さ、そしてそのまっすぐな心」を見出した六車氏の演出で、山本周五郎原作の珠玉の芝居を観たいものです。

島津亜矢・中村美律子「無法松物語~松五郎と吉岡夫人~」 

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