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2019.02.16 Sat リアルな体験から想像力による体験・朗読劇「忘れない吹田空襲1945Vol.2」

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 2月11日、吹田市のメイシアター小ホールで開かれた、朗読劇「忘れない吹田空襲1945vol.2」を観に行きました。2104年に発足した「吹田の空襲を語り継ぐ会」の上演によるもので、戦争の記憶を引き継いでいきたいと、吹田の戦跡を訪ねたり戦中体験の聞き取りなどの活動とともに、朗読劇をさまざまな所で上演されてきました。
 能勢のピースマーケットでも上演していただいたのですが、スタッフのわたしは観ることができずにいました。
 開演後、ゲストの長野たかしさんと森川あや子さんのライブがありました。この日は別のイベントでも声がかかっていて、かけもちで大忙しだったようです。
 長野さんたちのフットワークの軽さは、主催者の思いの深さからくるものなのでしょう、とても自然体で、世の中を憂いながらも道ばたの草花がくれる小さな希望をいとおしくすく上げる歌に心が救われるようでした。
 いつも歌われる「コップ半分の酒」は森川あや子さんが亡くなられたお父さんのお話を歌にしたもので、戦争によって傷ついたひとりの人間の心と体を通り過ぎてきた肉声は、どんな戦争の記録よりもなまなましく、時代も世代も超えて今も戦争は終わっていないことを実感しました。
 
 休憩をはさんで、いよいよ朗読劇が始まりました。この劇は戦時中、中学校教諭だった山内篤編「吹田空襲の記録-大阪空襲と吹田-」に収められた証言と吹田警察署長の日誌をまとめた冊子を原本にしています。1937年に制定された防空法は戦局がきびしくなるにつれて改訂され、「空襲から逃げるな、火を消せ」など、不条理で理不尽な命令を国家と軍部が強制する中、空襲の被害に至る吹田の人びとの暮らしぶりが克明に記録されているこの冊子の証言が、会の代表の真木みさおさんの作・構成・演出による朗読劇によって再構築され、次の世代へと受け継がれていくのでした。
 戦後生まれのわたしは、どこか戦前戦中の暮らしと切り離された感覚があり、リアルな戦争体験がないまま戦後の混乱期の記憶しかないのが実情です。
 わたしの母は戦前天保山の遊郭のそばで喫茶店を営んでいましたが、戦後すぐにJR千里丘駅の近くに引っ越して、料亭の中居さんをしているときに知り合った男との間に兄とわたしを生み、その後シングルマザーとして高校卒業までわたしと兄を育ててくれました。
 それが妄想なのか記憶なのか、今でもはっきりしないのですが、母がわたしを背負い、東海道本線のJR吹田から東淀川あたりの線路に入り、貨物列車が落としていったコークスを拾いに行くのですが、真っ暗なトンネルに入ると親子心中を試みるという悪夢が長い間わたしに付きまとっていました。母にそれとなく聞くと、実は私の兄がその頃不治の病と言われた結核性脊椎カリエスにかかり、片足を切断しなければならないという時に、わたしが裸電球の明かりが頼りなく揺れる部屋で、何本も蚊取り線香に火をつけ「おかあちゃん、部屋が明るなったやろ」と無邪気に笑うのを見て、親子心中を思いとどまったそうです。
 わたしが高校を卒業する時、どちらかというと悲しくて切なくて、いい思い出がほとんどなかったJRの沿線を離れ、大阪の岸の里近くのアパートを借り、高校時代の友人と共同生活を始めましたが、それも長続きせず、一人暮らしを始めた場所がJR吹田駅近くのアパートでした。
 朝早く、アパートの2階の窓を開けると吹田操車場へと続く貨物線路があり、蒸気機関車が車両の入れ替えなどをしていたと記憶しています。真っ青な空にもくもく白い煙が立ち上る風景は、人生への一歩もまだ踏み出せず、立ち往生していた足元の青春の青い淵から転落しないように必死に不確かな未来にしがみついていた19歳のわたしがいました。
 
 今回の朗読劇の舞台はわたしの子ども時代と、断続的につながる青春時代をつらぬいていて、出てくる地名は昔慣れ親しんだものばかりでした。
 そして、わたしの切なくも悲しい物語が詰まったこの沿線の戦後の向こう側に、吹田空襲へとつながる戦前のひとびとのさらなる悲しい物語がいっぱい詰まっていて、戦前戦中戦後という歴史の年表ではすくい上げられない人々の無念と、子どもの頃のわたしの悲しみが深くつながっていることを教えてくれました。
 そんな思いでこの劇を見ていると、遠い昔の出来事と思える戦争体験や大阪大空襲、吹田空襲が過去の出来事ではなく、ほんの70年前の出来事で、がれきと煙に包まれた吹田とその周辺でかつて胸膨らませていた子どもたちのたましいが今もこの場所とわたしの心に漂い、立ち消えてしまった小さな希望を追い求めているように感じました。
 朗読劇という表現は初めての経験で、ダイアローグでもなくモノローグでもなく、時には群像になり、時には一人一人になり、表面的には無味乾燥な記録の言葉が血塗られたり泥まみれになったりして、セリフとは言えない役者の言葉が観客に突き刺さります。
 しいて言えば、観客とのダイアローグといったところでしょうか、その表現の力がベースとなった冊子の記録から、伝えなければならなかった真実を今の時代に再構築してくれるのでした。
 リアルに戦争体験を語れる人々が高齢になり、数少なくなってきている今、フィクションの力と想像力によって世代を越えて戦争体験が受け継がれ、2度と同じ道を歩いてはいけないと、この朗読劇から学びました。
 「吹田空襲を語り継ぐ会」のみなさん、ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。

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2018.10.14 Sun 劇団「でこじるしー」は管理からは生まれない友情と信頼が非日常をも超える超現実集団

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 10月27日、箕面市立メイプルホール小ホールで、「劇団でこじるしー」と楽団「まぜこぜん」の合同公演があります。
 「劇団でこじるしー」は箕面市障害者生活と労働推進協議会が運営する放課後等デイサービス&地域交流センター「さんかくひろば」から生まれた劇団です。
 「さんかくひろば」の卒業パーテイで寸劇上演をしたことがきっかけで、利用者とスタッフの有志、地域の人が参加し、「障害のある人もない人も集まってひとつの演劇作品をつくろう」というコンセプトをかかげたこの劇団は、2013年に旗揚げ公演をして以来、とくに障害のある子どもたちの飽きることのない芝居への情熱によって年を追ってパワーアップしてきました。
 障害者の芝居というと、その内容が愛と感動に満ち溢れたいわゆる「感動ポルノ」になりやすいところですが、この劇団にはそんな予定調和的な台本も演出もなく、障害を持つ役者のそれぞれの役割が実に絶妙で、日常性と非日常性が行ったり来たりしながら、日常も非日常をも超える超現実が垣間見えるわくわく感が芝居全体にあふれています。
 それはおそらく、学校の文化祭や福祉施設の発表会などとちがい、出演者が学校や福祉施設に管理されず、あくまでもその芝居を物語り、構成する登場人物を演じる役者としてわたしたち観客に圧倒的なパワーでせまってくるからです。
 身体表現と演技力もさることながら、役者全員が日常においても、また非日常の芝居においてもお互いを全面的に信頼していることが伝わり、この劇団がいい意味で徒党集団であることを証明しています。
 今回の芝居も、おそらく悪の集団と対決する「正義と友情」の物語が予想されますが、バトルありアクションありダンスありのドタバタ劇が繰り広げられることでしょう。

 今回の公演は楽団「まぜこぜん」との合同公演になっています。
 楽団まぜこぜんも「さんかくひろば」の利用者の「みんなで音楽をやりたい」という声をきっかけに活動をはじめた音楽サークルで、クラリネット、ハーモニカ、サックス、ピアノなど、それぞれの得意な楽器でさまざまなジャンルの曲を演奏します。楽団の名のとおり、いろいろな個性、いろいろな音色をまぜこぜにした楽しい楽団で、こちらもお楽しみいただけます。
 近隣の方で、お時間のあるかたはぜひご来場くださいね。

第8回公演劇団デコジルシーVS楽団まぜこぜん
2018年10月27日(土)14:30開場 15:00開演
参加協力金300円 小学生以下・介助者無料
箕面市立メイプルホール小ホール
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2018.09.23 Sun そうなんですね、無数の悲しみは満天に輝く星となって、やがて大きな希望とかわるのですね。劇団天然木豊能町公演

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 9月22日、豊能町西公民館の大会議室で開催しましたファミリー劇団・天然木の豊能町公演は50人のご参加をいただき、わたしたち里山の住民としては大成功でした。
 開場が1時半でしたので、スタッフは12時半に集合しました。天然木のしずくさん、りんかさんの会場入りが1時前だったこともあり、会場設営の後すぐにリハーサルがはじまりました。
 なにぶん音響(音効)もあらかじめ台本を送ってもらっていたもののぶっつけ本番でしたし、設営の手直しや音響への指示など、すべてのプロデュースをしながらのリハーサルでしたので大変だったと思います。てきぱきと指示する中で少しも嫌味のない彼女たちにわたしたちも緊張がほぐれ、スタッフみんなが彼女たちをまず大好きになりました。
 猛スピードでリハーサルが終わるとすぐ、彼女たちは会場の隅でストレッチなど体のトレーニングを始め、わたしたちに接するのとはちがった厳しい表情をかくしていて、さすがプロだと思いました。
 この日の公演はサプライズで2公演あり、最初の演目は「ばあちゃんのLOVE&PEACE」でした。ばあちゃんが九条の会を立ち上げたと聞き、孫娘のたま子と友達が会の集まりに遊びに行き、おばあちゃんやおじいちゃんの話を聞きます。青春時代の戦争体験や戦後の苦難、昔話を面白おかしく話し、「二度と戦争をしてはならない」と九条の会を立ち上げたばあちゃんに、世の中の役に立つために何をすればいいのとたま子が聞きます。
 ばあちゃんは「何でも自分の思うことを言い、したいと思うことをすること」と答えるのでした。
 ばあちゃんたちの思いと決意を、南アフリカ先住民の物語から「クリキンディの歌」と「憲法第九条」(の歌)に託し、素晴らしいハーモニーで歌い上げる二人に、涙ぐむお客さんもいました。
 「クリキンディの歌」は、森が燃え、生き物たちが我先に逃げる中、クリキンディという名のハチドリたちはくちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは炎の上に落とし、行ったり来たりしています。そんなことをしていったい何になるんだいと聞かれると、「私は私にできることをしてるだけ」。
 いま、福島で辺野古で、人知れずどこかでクリキンディのように働いている、世界中で誰かが…、「私は私にできることをしてるだけ」。
 この歌はいま、何をやってもむだと絶望してしまいそうになるわたしたちに、勇気をくれる応援歌になりました。
 「憲法九条」、この歌は憲法九条を歌にしたものです。まったなしになっている憲法改正(?)論議から、平和主義と戦力を持たないことを記した憲法九条に込められた思いを歌にしたものがCDになったり、ライブで歌われたりすることが多くなりましたが、中には憲法の前文や九条の条文そのものを歌詞にした歌もいくつかあります。
 わたしは憲法九条を変えるのは絶対反対ですが、ただ平和主義の裏にアメリカの覇権主義のもと沖縄や朝鮮半島、台湾を踏み台にしてきたことを知れば知るほど、とても悲しく思います。だから憲法九条はまやかしだというのではなく、だからこそ憲法九条をまずはこれらの地域をはじめとする東アジアの平和の実現のためにパワーアップしなければならないと思うのです。
 そんな思いも持ちながらも、憲法の条文そのものを歌詞にするのは音楽的に無理があるのではないかと思っていました。
 ところが、このミュージカルの物語の中でしずくさんとりんかさんのデュエットで聴く憲法九条は、ほんとうに不思議なんですが、何の違和感もなく心にひびきました。
 わたしは先の記事で日常会話から突然歌いだすミュージカルの違和感について書いたのですが、二人が歌う「憲法九条」はミュージカルの魔法というか、もともとの違和感が劇中歌の高揚感に逆転し、歌詞になりにくい固い言葉が反対に現実味を持ち、奇妙なバラードに生まれ変わるのでした。
 「限りない犠牲の果て 立ち上がった言葉よ 限りない悲しみの果て 立ち上がった言葉よ」
 昨日のホールとちがい舞台と客席がフラットで舞台用の大道具もなく、衣装ももんぺをアレンジしたもので、もちろんマイクを通さない生声とCDラジカセだけの、ほんとうに彼女たちの歌と身体表現だけで演じ切るこの公演はこの劇団の魅力を最大限に引き出し、観客の心を虜にしました。

 休憩をはさんだ第二部の「大矢野原に立って」は、婚活からつきあい始めた農村の青年と熊本市内からやってくる女性のふたりが、ある日のデートで自衛隊の演習場・大矢野原演習場に行く物語です。そこには青年の父親の他、戦争を体験した長老たちがテント小屋で演習を監視していました。大矢野原演習場は明治時代に日本軍によってつくられ、戦後米軍に占拠され、米軍が出て行った後は自衛隊の演習場となり、最近はオスプレイも参加する米海兵隊と陸上自衛隊の演習も行われています。
 ここでもじいちゃんたちの面白おかしく、実は悲惨な話は、彼女たちが実際に聴いた話が元になっています。あとの交流会で知ったのですが彼女たちは本当に聞き上手で、彼女たちのしなやかで純な心に触れた数多くのひとびとが思わず心の扉をあけ、長い間語ることがなかったことをしゃべってしまうのでしょう。それらの証言は書き言葉で文献に収められるのとはちがう臨場感を持った肉声で彼女たちの心を通り、やがてミュージカルとなっていくのです。
 そして、これらの証言を彼女たちが演じる若いひとたちの感性が受け止め、未来へとつながる希望の物語となることを暗示してミュージカルは終わります。あたかもそのあとはこのミュージカルを観たわたしたちが始めなければならないのだと…。
 そうなんですね、無数の悲しみは満点に輝く星となって、やがて大きな希望とかわるのですね。
 交流会では彼女たち自身の話を交えながらお客さんに質問すると、まっすぐな心で表現されたミュージカルに感動したお客さんが感想とともにご自身の戦争体験などを声を詰まらせながら話され、貴重な体験を共有できた交流会になりました。
 そんなお話を聞かせてもらうために開催したわたしたちにとっても、豊能町の人たちを中心に能勢町の人たちも合流し、これから一緒に助け合って活動を続けていこうと確認しあった、すてきな催しになりました。
 劇団天然木のしずくさんとりんかさん、ほんとうにありがとうございました。
 わたしたちはあなたたちからもらったこのプレゼントを大切にしていきます。
 また、大阪にきてくださいね。


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2018.09.19 Wed ファミリー劇団・天然木がやってくる

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 9月22日(土)午後2時より、豊能町の西公民館大会議室でフアミリー劇団「天然木」によるミュージカル「大矢野原に立って」が上演されます。
 ファミリー劇団・天然木は熊本県山都町を拠点に活動している家族劇団で、父(舞台美術)、母(脚本、音楽)、長女(振付)、次女(脚本)、弟(風呂たき)、弟(風呂洗い)の家族6人+αの大ちゃん(ベース、パーカッション、デジタルワーク)全員が役者でもあり、次々とオリジナルの新作劇を上演し、舞台すべてを自分たちでつくりあげる家族劇団です。
  ユニークな子育てとしても語られることも多いのですが、歌い踊り語る表現を通して子どもたちがアイデンティティを獲得し、舞台という「もうひとつの現実」によって家族の日常の共依存が昇華された劇団天然木は家族を越えた新しい家族のありようなのかも知れません。深い信頼でつながった劇団天然木のミュージカルは自由な表現と躍動感にあふれ、公演の先々でたくさんのこどもたちとおとなたちの心をわしづかみにしてきました。
地域のこと、平和のこと、憲法のこと、世の中のすべてのできごとを瑞々しい感性でとらえ、率直に表現するミュージカルはまさしく、子どもによる子どものための、そしてすべての大人のためのミュージカルです。
 今回の公演は、6月に沖縄辺野古のゲート前で上演された「大矢野原に立って」を観た大阪のMさんとIさんが感動し、ぜひ大阪に来てもらおうと、21日豊中、22日豊能町、23日高槻で上演することになったのでした。豊能町の公演は豊能町と能勢町の憲法カフェ、9条の会が集まった実行委員会が主催します。
「大矢野原に立って」のあらすじを少し紹介すると…、
 山都町で就農した克敏は婚活クラブで知り合った今野さんと交際中。彼女は今日も赤バスに揺られ、長靴持参で来てくれました。山道をのぼってついたところは陸上自衛隊大矢野原演習場。住民はテントを張り、日米合同軍事演習を監視し続けてきたのでした。
 若いカップルの他に地元の老議員や、話好きのおばあちゃん、克敏の父など、監視小屋に訪れる人々を、しずくさんとりんかさんが二人で演じ分ける楽しいミュージカルです。

 わたしはミュージカルにはなじめずにきました。タモリ氏が言うように、急に歌で日常会話をするなんてことはありえないのですが、そもそも表現行為は非日常の快楽によって成り立っているわけで、日常ではあり得ないことを確かなリアリティとするのが表現行為だともいえます。
 こんなことを思ったのは、ファミリー劇団天然木のテレビ取材でミュージカルの魅力をたずねられ、次女のりんかさんが「何をやってもゆるされるところだと思います。歌ってもいいし踊ってもいいし。だって日常生活で突然歌いだしたり踊り出したらなんだこのひととなるじゃないですか。でも(ミュージカルだったら)みんないつも出せない変なところがいいところになるのがいいです。」と答えていたからです。それはファミリー劇団「天然木」の魅力にとどまらず、あらゆる表現行為や社会のありようまでも見すえるとても深い言葉だと思います。
 1996年に結成されたこの劇団は、日常の家族関係とは別の場所・ミュージカルの舞台を子どもたちに提供してきたのでしょう。それはまた、家族関係のいさかいも舞台の中で昇華され、日々の暮らしも政治も自然の恵みも、同じ重さと楽しさで受け止められる、「子どもたちの民主主義」の場とも言えます。
 若い人の自死が減らない社会で、一方の天秤に切ない夢や儚い希望を乗せ、もう一方の天秤に決意の夜を乗せてしまう若い人たちにもし、子どもの頃から「何をやってもゆるされる場」が用意されていれば、子どもたちの息苦しさも社会の息苦しさもすこしは変わったかも知れません。
 戦時中の日本の治安維持法や旧ソ連のスターリニズムなど、権力者やその社会の体制を肯定賛美する表現行為(彼らはそれを都合よく大衆がわかる芸術と言いますが)以外は弾圧される不幸な時代に立ち戻らないために、わたしたちは「いつも出せない変なところがいいところになる」自由な表現とコミュニケーションの場を必要としていることを、劇団天然木は教えてくれます。
 劇団天然木は、わたしにはじめてミュージカルの魅力を教えてくれることになるでしょう。

劇団 天然木 - 公式ブログ 
KKTテレビに紹介された天然木 

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2018.05.03 Thu 闇夜の中で唐十郎がただひとつ「希望」をくれるとしたら少年少女の純愛。唐組「吸血姫」

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 「愛染病院の皆様方!お久しゅうございます。そして、本日はありがとうございます。よくお出でくださいました。」
 唐組・第61回公演【唐組30周年記念公園第一弾】、「吸血姫」は、高石かつえを演じる銀粉蝶の圧倒的な存在感と華やかさとあざとさにあふれた口上で始まりました。
 毎年この時期にやって来る唐組の芝居を観るのを楽しみにしてきました。わたしは状況劇場の時代の60年代後半の芝居は見逃してしまい、1974年の「唐版 風の又三郎」から毎年見てきましたが、1988年の状況劇場解散後、唐組旗揚げから30年になるのですね。
 状況劇場から唐組へと紅テントの演劇空間は微妙に変わってきましたが、唐十郎の芝居には目の前で繰り広げられる物語の展開の裏側に日本の近・現代史の暗闇が広がり、芝居の中で語られる事件や戦争や災禍がその暗闇の歴史のるつぼで再構成され、テント小屋の密室空間にせり上がってきます。
 テント小屋は母親の胎内のようですが、暖かかくて居心地の良い所ではなく、現在と過去が交錯し、かつてどこにでもあったはずの忘れられた場所、記憶の中にかくれていたもうひとつの町へと引きずり込まれる、なつかしくもおそろしい暗闇でもあります。
 わたしたちの日常で起こる理不尽な出来事や裏切り、新聞の三面記事に仕組まれた悪意が増殖し、現実原則から解放された物語は起こらなかった歴史のらせん階段を昇っては堕ちながら、少年少女の純情な夢を切り裂き、分け入ることで反歴史と呼べるもうひとつの歴史を呼び覚ますのでした。
  「吸血姫」は、1971年に状況劇場によって初演された芝居で、唐組による47年ぶりの再演でした。わたしは2002年に「新宿梁山泊」によって再演された舞台を観ています。その時は唐組の稲荷卓央、鳥山昌克、また状況劇場の怪優・大久保鷹が客演し、近藤結宥花、小檜山洋一など、当時の梁山泊の役者たちとともにこの芝居の奥深い荒野に身をゆだねるような刺激的な芝居だったと記憶しています。
 唐十郎の芝居にはいくつもの物語が同時進行し、それらが交錯しながらやがて一つの物語に収れんし、最後の最後にその物語さえもテントの密室から解放され、夜の闇に消えていくのですが、「吸血姫」の場合も1937年から38年にかけて一世を風靡した小説と映画「愛染かつら」を導入部としています。海の底に沈む「愛染病院」、そこは心の闇を抱えた者と死んだ人間たちが「あっち」というもうひとつの現実を生きつづけていて、献血車を差し向けては現実の街から歴史の生き血を何千年も吸い続けているようなのです。

 江ノ島愛染病院に働く高石かつえ(銀粉蝶)と白衣の天使隊は歌手デビューを目指し国際劇場で歌うことを夢見ている。病院長浩三と旧知のマネージャー花形は、かつえで一山当てようと目論んでいたが、かつえは徐々におかしくなっていく。そこに謎の引越し看護婦・海之ほおずき(大鶴美仁音)が人力車で登場し、天職を探す少年(福本雄樹)を保護する。彼女は関東大震災で焼け出された人々の姿が忘れられずさすらいをつづけていた。
 長期間不在であった病院長(大鶴佐助)は人妻(藤井由紀)を連れて戻る。狂言回しの中年男(久保井研)はある時は大陸浪人川島浪速となり、時間と空間の引っ越しをつづける引越し看護婦ほおずきは、関東大震災や満州の荒野を経て、古賀さと子、川島芳子と化身しながら永遠の少女に回帰していく。その過程で失われる「青春、愛、挫折、希望」。

 この芝居の最初の見どころは一幕の終わりに、謎の引っ越し看護婦・海之ほおずきが人力車に乗って登場する場面です。それまでの高石かつえを中心にした芝居が一瞬にして止まり、まったく異次元の芝居が突如現れます。この役を演じる役者は演じるというよりは芝居の始まる前からすでに謎の引越し看護婦・海之ほおずきに乗り移られているのです。
 生電球の照明のもとで純白の白衣を着たほおずきのどこか切羽詰まっていて、この芝居の行方を知ってしまったような冷たく透明なセリフ回しにわたしたち観客は思わず息をのみます。2002年の新宿梁山泊の芝居では近藤結宥花が演じ、わたしは一目で彼女のファンになったものです。伝え聞くところによると、状況劇場の初演はやはり李礼仙で、おそらく彼女は決してこの役を他の役者に譲ることはなかったでしょう。
 今回、この役を演じたのは唐十郎の長女の大鶴美仁音で、ときおり他の役者に押されてしまう場面もありましたが、時代を引っ越す少女の初々しさがせつなく記憶に残る演技でした。そして、びっくりしたのは院長の浩三を演じた唐十郎の長男の大鶴佐助で、役者・唐十郎のDNAを存分に発揮した演技だったとわたしは思います。
 この芝居の初演が1971年だったことは象徴的だと思います。70年安保の荒々しく暴力的な時代の波が足早に通り過ぎ、若者たちをはじめひとびとがそれまでとはちがう別次元の価値観に戸惑いながら、おそるおそるもう一度街に出始めた時代でした。街の至るところにあった「戦後」は少しずつその影さえも消えていき、右も左も高度経済成長という巨大なジェットコースターに振り落とされそうになるのを必死でこらえながらサラリーマンになっていった時代でした。
 わたしのように政治的関心の乏しい者であっても、70年安保が残していった宿題の大きさにどのように向かい合うのかと心をざらつかせていたころ、世の中はそんなことはまったくなかったかのように欲望をかりたて、わたしたちを孤独な牢獄にとじこめていくのでした。わたし個人もヒッピーのような暮らしから脱出し、絶対にありえないと思っていた結婚をし、まだ町工場に近かった会社で働き始めました。
 そんな時代の裂け目に、唐十郎は切ない青春も、無垢な愛も、言い訳ができる挫折も、人間が最後にかかる病気と言われる希望も、由比正雪の戯曲ではありませんが「てけれっつのパ」と笑い捨ててしまいました。
 彼は静かになっていく街のいたるところに赤テントという異空のシェルターをつくり、戦後の民主主義の下でアスファルトに固められたがれきの底から、1923年の朝鮮人虐殺を引き起こした関東大震災を呼び起こし、1931年の満州事変のまっただ中の暗い幻想にわたしたちを放り投げるのでした。それらはこの日本社会が封印してきた病の歴史で、愛染病院に蓄えられた血と暴力と犯罪の歴史なのだと思います。
 そして、闇夜の中で唐十郎がただひとつ、わたしたちに「希望」をくれるとしたら、彼の芝居に必ず登場する少年少女の純愛で、それこそが歴史をたがやす鍬であることでしょう。
 唐十郎の初期作品の劇中歌は小室等・作曲が多く、名作が数多くあります。おそらく「吸血姫」の劇中歌は小室さんだと思うのですが、わたしが大好きな歌があります。ひとつは「ほおずきの歌」、もうひとつは「夏の海辺に」で、ほおずきの歌は「唐ゼミ」公演のユーチューブがありました。この芝居のテーマ「夏の海辺に」は適当な音源がなく、歌詞を紹介します。

夏の海辺に行った時
まだ見たこともないものを見た
遊びなれた砂浜に
病院が一つ立っていた
門という門は閉ざされ
窓という窓にクギ
塀を乗り越えやさしい花々の咲き匂う
中庭に降りると
そこに俺の見たものは一面の墓
花々に囲まれた墓石ばかり
しかも
白ずくめの看護婦たちが
あたりをさまよい
おいらの希望を愛に染めた

《劇中歌集》8.ほおずきの歌 劇団唐ゼミ

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