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2016.10.29 Sat 内藤裕敬作・演出「演出家だらけの青木さん家の奥さん 豊中バージョン」

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 10月26日、大阪府豊中市立ローズ文化ホールに内藤裕敬作・演出「演出家だらけの青木さん家の奥さん 豊中バージョン」という芝居を観に行きました。
「青木さん家の奥さん」は大阪を拠点とする南河内万歳一座が1990年に初演し、その後この劇団はもとよりさまざまな劇団やプロデュースによって毎年と言っていいほど全国各地で上演されてきた作品で、脚本がなくほとんどがアドリブで「即興演劇の極み」とされている名作です。
 今回の公演は複数の地方公共団体が演劇公演を共同・連携する2016年度「公共ホール演劇ネットワーク事業」として実施されたもので、豊中の他、北九州、高知で10月に連続公演し、来年3月には長野県上田、新潟県魚沼の公演が予定されています。
最低限の設定の上で繰り広げられる自由すぎる舞台に、脚本・演出を担当する内藤や、劇団太陽族の岩崎正裕、東京デスロックの多田淳之介、田上パルの田上豊といった現代演劇界の第一線で活躍する演出家4人と、南河内万歳一座の俳優として活動する傍ら、自らも演出を手がける鈴村貴彦と荒谷清水に加え、それぞれの地域にゆかりのあるキャストが参加しました。豊中バージョンでは地元のオーディションで選ばれた、和、島勝美、福田和栄、松田榮子、凛霞が出演しました。

 舞台はビールケースが山と積まれたとある酒屋の倉庫。上手の端でギター演奏。新入りアルバイトは酒屋なのになぜか芋の芽を向いています。そこに先輩が現れては歌を歌い、横に座ると伝票を繰ってはプレゼントの芋を袋に入れます。「あっ、ない!」と突然叫び去っていきます。同じように4人の先輩が現れては歌を歌い「あっ、ない」と叫び去っていきます。
 次の瞬間、4人が同時に現れ、身体をぶつけながらなじりあいます。「伝票をどこにやった!」
 彼らは町内一の美人の「青木さん家の奥さん」の配達伝票を取り合っていたのでした。
 新人が「青木さん家の奥さんって、誰なんですか?」と訊きます。4人の先輩たちは、皆うっとりして答えます。
 「いいか、青木さん家の奥さんはな」「このご町内でナンバーワンの美人さんなんだよ」「出るとこ出てる、ひっこんどるとこひっこんでる、ボンボーンや!」「青木さん家の奥さんはな、僕の、夕焼け空なんやっ!」「いいや、青木さん家の奥さんはな、夏の女神さんさ!」「違う、青木さん家の奥さんはな……さびしいんだよ!」「ワリャええ加減にせえ!青木さん家の奥さんはな、……俺の海だ!!」
 酒屋の新入りアルバイトは、先輩たちの話を聞いているうちに、「僕も、青木さん家の奥さんとこに、配達に行きたい!!」と口走ってしまったために、先輩たちから「10年早い!」と叱られる。そして“青木さん家の奥さん”に、粗相のないように配達する方法”を特訓される…。
 いくつかの設定で伝言ゲームのように登場人物が話をつないでいくことで芝居が進んでいくのですが、そのほとんどがアドリブなので、どうしてもテンポが失速してしまいます。プロのベテラン役者であってもかなりの力技を必要とするのですから、今回のようにオーディションなどで選ばれた地元の役者はほんとうに大変だったと思います。
 しかしながら、前の人間が言ったセリフを受け取り、それに輪をかけたセリフで芝居のボルテージを上げようとするのですがそんなにうまくいくわけがなく、とっさに考えた挙句、たいがいはテレビのバラエティ番組でいうところの「はずしてしまう」ところがかえって新鮮で、芝居や演劇、物語が生まれ出る瞬間に立ち会い、役者と一緒にセリフを考えている自分がいて、不思議なドラマツルギーを感じました。
 この芝居は決められたセリフで構築され、決められたパフォーマンスを見せてくれる芝居の面白さと正反対のところに立ち、芝居の中で「青木さん家」に配達するリハーサルを延々と繰り広げることがこの即興劇の通し稽古のようなのです。
 とくに、芝居が進むにつれてリーダーのようにふるまう先輩の配達員を演じる内藤裕敬が、いつのまにかこの芝居の演出家になっていくようすがとてもスリリングな面白さをつくりだしていたと思います。
 そして、ドラマツルギーを求める芝居とは正反対に、現実の人生はそんなにドラマチックなものではなく、時にはつまづき時にはこけてしまい、時にはかっこう悪くだらしなく、その時に感じたことをすべて表す言葉など見つからず、時が経っていくことを残酷にも教えてくれました。

 南河内万歳一座は1980年10月、大阪芸術大学(舞台芸術学科)の有志により結成。「蛇姫様(作・唐十郎)」で旗揚げしました。唐十郎を尊敬する内藤裕敬の世代論を軸とする繊細な戯曲を時にはプロレス技も飛び出す集団演技のアンサンブルとダイナミックな演出により、爽快でパワフルな舞台をつくりだすことで定評があります。台本に忠実なセリフの一方で即興性も取り入れ、台詞を肉体から発想することにリアリティを求めるところは唐十郎と通じるところがあると思います。
 わたしは1980年代の初期の作品を何本か見ていて、「唇に聴いてみる」など通称「六畳一間シリーズ」に見られるような、高度経済成長を象徴する団地とニューファミリーの牢獄の中で大人になったかつての子どもたちが、なくしてしまった自分を探す切なくもノスタルジックな芝居に自分の人生を重ね合わせたものでした。
 そんな内藤裕敬が自分の演劇に行き詰まりを感じ、台本を書けなくなるスランプが結構長く続き、その中から芝居の設定だけを決め、役者がアドリブで芝居をする即興劇「青木さん家の奥さん」が生まれたと聞きます。
 そんな経験を経てからはより幅広い演劇の可能性を求めて勢力的に活動し、とくに今回のように大都市ではなく小さな町の公共ホールの活性化のためワークショップなど市民参加による「劇的なるもの」を求める活動へと進化してきたと思います。
 その最たる試みは滋賀県の知的障害者施設・あざみ・もみじ寮と出会い、寮生劇「ロビンフッドの冒険」ボランティアに参加、2006年「ロビンフッド・楽園の冒険」の作・演出を担当し、福祉の枠を超えたクリエイティブな障害者の演劇体験をプロデュースすることに結実しました。
 「僕らにとってとにかく強烈だったのは「彼らは天才だ」ということです。それは最初の出会いの時から感じていました。無意識であのパフォーマンスができるんですから、僕らの想像力を越えています。彼らは知らん顔して企んでるんじゃないかと疑いたくなります。もはや芝居の域を越えている。そういう意味で、役者としても吸収する部分が多かったです。」(内藤裕敬)

 「青木さん家の奥さん」は演劇の可能性を広げたきっかけになった作品で、その自由さとアナーキーさによって1990年のオリジナル初演から26年たった今でも毎年どこかで上演され、進化し続けているのでしょう。

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2016.05.02 Mon 唐組「秘密の花園」・人さらいならぬ心さらい

唐組「秘密の花園」

 4月29日、大阪南天満公園で唐組の芝居「改訂の巻『秘密の花園』」を見ました。
 毎年この時期にやって来る唐組の芝居を観るのを楽しみにしていて、ふりかえるとはじめて観た状況劇場の「唐版 風の又三郎」が1974年でしたから、状況劇場解散後、1988年の唐組旗揚げをへて現在まで、40年以上も唐十郎の芝居を観てきたことになります。しかも、いつまでたってもどの芝居でもほとんど物語の展開すらわからず、なんのことやらさっぱりわからないまま薄汚れた紅テントの中に引きこまれるのでした。
 このひとの芝居はおどろおどろしく見えて実はとてもせつない純情な物語ばかりです。その時々の役者が時にはエロチックに、時には悲劇的に演じ、体の奥の奥からせり上がるセリフと諧謔に満ちた笑い、狭い舞台を縦横無尽にかけめぐる役者の肉体と肉体のぶつかりあい、それらすべてが一筋のか細い純情な物語を綴るのでした。
 姉と弟、兄と妹の近親相姦を越えた深い絆、孤独な少年の夢から立ち上る日本の暗闇、看護師の白衣に隠された陰謀と裏切り、何世紀もの夜を通りぬけてきた純愛…。
 ひるがえるマントにロマンティズムを忍ばせて唐十郎がのぞかせてくれるものは、新聞の三面記事に仕組まれた悪意に満ちた世界に抗う少年少女の純愛で、その純愛は国家もわたしたちも忘れてしまいたい日本の歴史の暗闇に見捨てられた理不尽な出来事をよみがえらせるのですが、充満する紅テントの劇的空間が解体され、芝居が終わるとともに少年少女も純愛も引き裂かれ、街の闇に消えてしまうのでした。そして、芝居を見ているだけのはずのわたし自身も彼女たち彼たちの幻影と妄想とともに行方不明になってしまい、毎年わたしは昨年のわたしの純情を探しにまた、紅テントの中にもぐり込むのでした。
 さて、今年の芝居は「改訂の巻『秘密の花園』」。1982年に下北沢の本多劇場の杮落とし公演として行われた伝説的な作品で、それから何度も再演され、「改訂版」とついたのは1998年に書き直したものらしいです。
 舞台は東京・日暮里。坂の多い、沼や森も在る謎めいた町。駅前には、漆の大木が一本。不用意に触った人はかぶれてしまう。古アパートに住むキャバレーホステスの一葉(いちよ)に、アキヨシは毎月、自分の給料を届けている。アキヨシは一葉にプラトニックな思いをいだいていた。夫の大貫もアキヨシの割込みを容認。奇妙な三角関係は二年続いている。一葉とアキヨシの「手を握るだけで妊娠してしまう純愛」は、生まれる前の港で契りをかわしたからだと信じている。「きっと一緒だよ、向うに着いてもきっとね」と。
 訪ねて来たアキヨシは、駅前まで実姉と一緒だったがはぐれてしまったと言い、漆の木にかぶれたらしいと腕を見せる。暫くすると、実は縁談話があり、関西に転勤しなくてはならない、と切り出すアキヨシ。一葉は、お幸せにねと言い残し、共同便所に消える。しかし、いつまで待っても戻らない。様子を見に行ったアキヨシは、首吊り自殺している一葉を見付けるのでした。
 戸口に一葉に瓜二つのアキヨシの実姉・双葉(もろは)が立っていたのが一幕の終わりだったか二幕の始まりだったかおぼえていませんが、幕間にブラームスの弦楽六重奏がかかかり、不思議にこの芝居のためにつくられたようにぴったり合っていて、悲しくて切なくて美しい旋律がこの純愛悲劇の結末を暗示します。
 「一葉さんの中に、私を見たんでしょ。」と突き放した様子で言う双葉。(一葉と双葉を藤井由紀さんが演じています。)姉の双葉と一葉が入れ替わり、アキヨシが人妻一葉と純情な三角関係をつづけなから、姉の双葉と兄弟以上の恋愛感情を持ち、ここでも奇妙な三角関係にあったことがわかります。
 このあたりから唐十郎の妄想に次ぐ妄想がビュンビュン飛び、死んだはずの一葉とアキヨシが洪水に乗じてボートに乗り、「生まれる前に結ばれていた向こう岸」に行こうとします。一葉の夫もまた生まれる前の二人の純情に加担するように応援してすぐに、このひともまた便所で首をつってしまいます。物語の向こうに行こうとする一葉とアキヨシと、そこに猥雑な悪巧みでそれを阻止しようとする連中とのどたばたは、夫の首吊りをきっかけに時間が止まり、向こう岸とこちらとの間に結界のように糸がひかれ、純愛をたどる物語はふたつにひきさかれてしまうのでした。
 暗転の後、やはり古いアパートの一室。姉はアキヨシの縁談をすすめようとしますが、アキヨシはそこをはなれようとしません。「森の中の古いアパートの一室、あの秘密の花園があったはず…」。
 やがて妄想なのか幻想なのか姉・双葉は一葉にすれかわり、純愛の指輪を菖蒲に通す間にと便所に行った一葉は戻ってこず、便所の扉を開けると漆の木が立っていた…。アキヨシにかかった魔法が解けたように紅テントが解体され、彼方に一葉が美しい横顔をアキヨシと観客に見せながら、夜の闇に消えていくのでした。
  「これはなんだ、さっぱりわからん」とお叱りを承知で物語をたどってみましたが、わたし自身冒頭に書いたように「さっぱりわからん」のです。それでも魅かれてしまうのは、時代が変わり、街がさまざまな厚化粧を繰り返してもこの街の地下に、この地面の下にいくつもの見えない穴があり、そこでは決して忘れない、わすれてはいけないもの、決して変わらない、変わってはいけないものにあふれていて、唐十郎はそれらの事件や歴史をいくつもの物語、芝居にしてよみがえらせてくれるからなのです。彼の脳内実験室で培養されたそれらのすべてといっていい物語の数々は、忘れたはずのわたしたちを温かく迎えてくれて、いつまでも笑いながら手を振ってくれるのでした。
 こうして唐組の紅テントの切ない旅は突然掻き消え、わたしはまた大阪の街の闇に心をさらわれてしまいました。南天満公園は明日の統一行動の後、街頭パレードの行き先のひとつで、明日わたしは消えてしまった紅テントのあった場所に見えない穴を探すことになるのですが、決してその穴は見つからない事でしょう。
 それにしてもこれがあの「秘密の花園」なのか、似ても似つかない物語のように見えながら、少年少女が10年も封印されていた秘密の花園を見つけ、おとなたちのサビのついた現実認識を越えて新しい世界をつくり出す姿はどこかこの芝居と通じるものがあり、強いて言えば「秘密の花園」はちょうどシールズをはじめとする若い人たち行方を照らしてくれそうなのに対して、唐十郎の「秘密の花園」は決してその行方が決して希望に満ちたものではないかもしれないことを示唆しているようにも思います。

唐組「ひみつの花園」

ブラームス:弦楽六重奏曲 第1番 変ロ長調 Op.18 第2楽章
クラシックを知らないわたしは、亡くなってしまったKAさんと新宿梁山泊が演じる唐十郎の芝居を見に行った時、有名らしいクラシックが挿入されていて、彼女はすぐに「あれは・・・」と教えてくれました。そして、唐十郎の芝居の根底を支える文学や音楽、さらには歌謡曲まで幅ひろい憧憬の深さに触れるのも、唐十郎の芝居の楽しみのひとつだねと話したのを思い出します。
この芝居の場合も奥村チヨの「ごめんね…ジロー」と「岩崎ひろみの「すみれ色の涙」がブラームスと混ざり合い、なんとも甘酸っぱく切ない純愛物語に浸ってしまうのでした。
奥村チヨの「ごめんね…ジロー」
唐十郎の芝居で挿入される歌謡曲は芝居の水先案内人の役目を果たしていて、その時の時代の空気感を漂わせています。この歌も「秘密の花園」の純愛を彩る歌になっています。
岩崎宏美 「すみれ色の涙」
この歌の場合は「秘密の花園」の物語そのままに、当時の岩崎ひろみの清楚で一途な歌には少女のせつなくあわい恋心があふれ、年寄りの私の胸もキュンとなり、ろっ骨に涙が落ちるのでした。

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2015.05.05 Tue 唐組「透明人間」

唐組「透明人間」

 毎年、この時期に大阪から始まる「唐組」の春の公演を観に行きました。
 唐十郎の芝居を初めて観たのはわたしぐらいの年令からするとずいぶん後からで、「状況劇場」として大阪天王寺の野外音楽堂での「風の又三郎」でした。この頃は初期の黄金期以後の根津陣八、小林薫の時代でしたが、たしか台風がすぎた直後で、ほんとうに芝居があるのか問い合わせたことを覚えています。
 その時もいまも、わたしは紅テントの幻想的な密室空間での何かを思いつめた緊張感と、そうかと思えばダジャレを連発しながら早口のセリフで物語が強引に展開する不思議な物語に魅せられる一方、その芝居の本当の意味がよくわからないでいます。
 彼の芝居に魅入られたひとたちの多くはわたしと同じような感想で、中には「意味を求めても仕方がない」というひともいます。芝居に意味を求めるよりも、2時間ばかりの密室空間に閉じこめられ、芝居の終わりにその密室空間が解体され、巷の夜に放り出されるカタストロフィーに身を任せる瞬間こそが唐十郎の演劇体験だとするのもまた間違ってはいないのだと感じますし、そこから何を見出すかは観る者に任されているのだと思います。
 状況劇場から唐組へと紅テントの演劇空間は微妙に変わってきましたが、唐十郎の芝居には目の前で繰り広げられる物語の展開の裏側に日本の近・現代史の暗闇が広がり、芝居の中で語られる事件や戦争や災禍がその暗闇の歴史のるつぼで再構成され、テント小屋の密室空間にせり上がってきます。
 登場人物たちの「こだわり」とそのこだわりの故郷というべき日本の暗黒史の只中に放り込まれたわたしは、そのこだわりの物語があまりにも純情な物語なので、わたし自身もまた破局へと突き進む純情物語の「もうひとりの登場人物」と化してしまうのでした。
 そして、ひるがえる紅テントが去った後も、その純情物語の「その後」は巷の夜に放り出されたわたしの心のひだにべっとりとへばりついたままで、役者たちの顔と声から逃れられず、「その後」のつづきを求めてまた紅テントの中に迷い込むのでした。
 今回の公演は90年代の唐十郎の最高傑作といわれ、いままでタイトルも物語の展開も違う形で何度か再演されてきた「透明人間」の初演版でした。

 ある暑い日、僕の町内に「水を恐がる犬」の噂がひろがった。 保健所員・田口はふってわいた狂犬病騒動の調査にとり掛かった。 調べを進めていくうちに、ある煙だらけの焼きとり屋の二階にたどり着く……。 そこに間借りしている老調教師・合田とその飼犬・時次郎、同じくその焼きとり屋に居候する、合田の元軍用犬学校時代の同僚の息子・辻くんが、その元凶であった。 あまつさえその時次郎は、この騒ぎをよそに辻くんと散歩中だという。 そんなところへ野球広場の少年が咬まれたという一報が飛び込んできた。 町内は大騒ぎになり、母親は少年を連れてどなり込んでくる勢いだ。 ところが当の辻くんは、犬を野放しにしたままひとり帰り、店の何故かしゃべらぬ女店員・モモを相手に語り始めるのだった。 「浮かんで、行け、どこまでも逃げて行け。そして、又会う時、この水中花の誓いを忘れるな。おまえが、もう俺を忘れていても、俺は、また、この水中花に似たものを、おまえにかざそう。そしたらきっと俺と思え」 スーパーマーケットの前にできた水たまりは、いつか戦時中の福建省にあった演習地の沼へ。幻の沼は時空を駆け巡り、水が水を呼ぶ恐水幻想が雨降る焼きとり屋の二階にあふれだす。 透明人間はここにいたのか!

 パンフレットに書かれた「物語」はどこに行くやらわからないのですが、といって難解な芝居とは言い難く、大衆演劇と同じ人情小話が随所にちりばめられたわかりやすい物語でもあります。わたしがわかりにくいと思うのは物語の筋書きではなく、登場人物の「こだわり」の背景にある暗黒の歴史的事実と、その呼び水となるアイコンが何を意味しているのかと考え込んでしまうからです。
 その上で理解できないところがいっぱいあるのですが、芝居を観ながらわたしなりに感じたこの芝居の「こだわり」について、書いてみようと思います。
 唐十郎の芝居にはよく水がでてきます。初期の名作「少女仮面」ではひとりの男が水を飲み続けるシーンがありますが、この底知れぬ「渇き」は唐十郎自身の戦争体験が深くかかわっているように思います。それだけでなく、唐十郎にとって時には沼であったり池であったり海であったりする水は彼の劇的幻想の源泉で、「こだわり」という幻想の世界、「向こうの世界」への入り口で、唐十郎が元気に舞台に出ている時は必ず大きな水槽に潜るのがお約束でもありました。
 「透明人間」では降り続ける雨で町の下水管があふれ、スーパーマーケットにできた水たまりが戦時中の福建省にあった日本軍の軍用犬の演習地の沼へとつながって行き、それはめぐりめぐって焼き鳥屋の2階の大きな水槽へとつながって行きます。
 芝居は夏の暑い日、狂犬病とうわさされる犬を探して、保健所員の田口が焼き鳥屋の2階の押し入れに住むその犬の飼い主・合田を訪ねるところから始まります。そこで問題の犬は合田の元軍用犬学校の同僚の息子・辻と散歩中で、その途中少年が咬まれたというニュースが入ります。しかしながら少年を咬んだのは辻で、彼は犬を野放しにしたまま焼き鳥屋の2階に戻ってきます。
 辻の父親は戦時中福建省で犬の調教をしていて、モモという犬に人間と犬という以上の特別な愛着、人間の女を愛するに近い感情がありました。
 ある時、狂犬病が発生し、上の命令で調教した犬を殺害しなくてはならなくなりました。その時父は堪え難く、モモをこっそり逃がそうとしますが医務官に発見されてしまいます。医務官は「泥沼にオモリをつけた赤いダリアを沈め、その花をモモが取ってこれたら逃がしてやろう」と言います。ダリアを取れなくて浮き沈みするモモを見かね、父は沼に飛び込み、沈んでいるダリアをモモにくわえさせ逃がすのでした。「お前の事は忘れない!いつかきっと会おうな」と。
 話は現代に戻り、辻は父親の記憶の檻に閉じ込められていて、父親が逃がしたモモという名の女を探しては殺してきたらしくて、この焼き鳥屋にもモモという名前の女がいることを知ってやってきたようなのです。
 父親がモモと名付けた中国人娼婦と暮らしていた記憶を引き継ぎ、焼き鳥屋の店員モモと入れ替わったモモに似た娼婦と暮らす辻…。
 父親の記憶を物語るのは辻自身とモモに似た娼婦で、焼き鳥屋の店員モモは話ができず、ただ、「風は海から 吹いてくる 沖のジャンクの 帆を吹く風よ  なさけあるなら 教えておくれ わたしの姉さん どこで待つ」と、か細い声で歌う姿が保健所員の田口には愛おしく映るのでした。
 モモ似た娼婦がこの歌を中国語で歌い始めると、モモもまた中国語で歌い、この時、わたしはモモが中国人で、彼女もまた辻の父親の記憶を継承し、父親の愛した犬のモモでもあり、中国人娼婦のモモでもあったのだと思いました。
 この芝居では舞台上手の水槽が大きな役割をしていて、焼き鳥屋のモモは辻によって水槽に沈められ、辻もまた銃で撃たれ、胸から血ならぬ水を吹き出し、水槽に沈みます。
 そして、芝居の語り手でもあった田口もまた、心惹かれるモモが水槽からせり出し、彼女とともに水槽に消えていきます。
 このラストシーンには多くの観客がジーンときましたが、わたしはこの水槽が福建省の演習地の沼につながっていて、モモは田口を除く登場人物を日中戦争のさ中へと連れ戻したのかも知れないと思いました。そして田口がモモへの純愛によって日本と中国の暗闇の歴史をくぐりぬけ、現代のアスファルトに覆われた地下の水脈へとモモをもう一度連れ戻してくれることを願いました。

 わからないことがまだまだたくさんあります。水中花が父親と愛犬モモが沼の中で赤いダリアを手に取って誓った「生き延びよ」というアイコンであったことは少しわかりましたが、タイトルになっている肝心の「透明人間」が何を意味しているのかわかりません。
 「『透明人間』と言う題名は自らが成し得ぬ事を託す存在、そしてラストでは自ら透明人間になって成し得なかった事を成そうとする意思を示す。この戯曲、前回は「水中花」と題されて公演された。水中花は辻とモモの絆でもあり宿命。モモの歌は現代と15年戦争を繋ぐタイムマシンであり、犬と人間・日本と中国の変換装置でもある。」という、すばらしい劇評をみつけましたが、正直わたしはよくわからないのです。
 ただ、田口が「夜のひさしに当たる五月雨は、誰の涙かっていう。――あれは透明人間が歌っていたんじゃない。孤独な男の歌だった」というセリフが、モモが歌うこの歌とともに、いつまでも心に残っています。

 やっぱり唐組の芝居はいくら筋書きを書いても「ネタバレ」とは程遠く、わからなくてせつなくて心痛くて、それでいて乾ききった日常生活の床をスパッとめくり、血と汗にぎり、少年少女のように心を震わせる、わたしにとって年に一度の栄養ドリンクのようです。とても大好きな劇団です。

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2014.10.06 Mon 「劇団どくんご」

 10月2日、大阪の扇町公園にテント芝居「劇団どくんご」を観に行きました。
 わたしは最近は年に一度やって来る「唐組」以外はほとんど芝居を観ていません。今年はじめて蜷川幸雄の芝居を観たのも唐十郎の作品だったからで、商業演劇とか小劇場とかの区別に関係なく、ほとんど芝居を観なくなってしまいました。
 唐十郎の芝居についてはこのブログで少し書いてきましたが、あまりよくわからないままテント小屋の劇的空間とほとばしる言葉が猛スピードで紡ぐドラマツルギーが、少し年代は上でもわたしの生きて来た時代の忘れ物のようで、「これだけはみなくっちゃ」と思ってしまうのです。

 「劇団どくんご」は1983年代に結成され、すでに30年の歴史があり、全国数十か所をテント小屋で旅公演を続けているのはこの劇団だけといいます。
 わたしはこの劇団のことをまったく知りませんでした。1980年代、つかこうへいや野田秀樹も見逃してきたわたしは、「劇団どくんご」についても名前すら知らなかったのでした。
 実はその前日、1970年代から日本の障害者運動を牽引してきた楠敏雄さん(2月19日死去)を偲ぶ会があり、全国から700人の人たちが参加しました。わたしは被災障害者支援「ゆめ風基金」のスタッフとして参加させていただいたのですが、その時にいつもお世話になっている埼玉のYさんからのお誘いで、観に行くことになったのでした。この劇団が埼玉の学生劇団として結成されたこともあって、なにかと縁が深く、Yさんは演出家とも親しいようでした。
 
 開場が午後7時、開演が7時半で、この日は仕事が休みでしたので余裕をもって4時過ぎのバスに乗り、能勢電鉄、阪急電鉄と乗り継ぎ、大阪梅田から歩いて現地に着いたのが6時でした。テント小屋と言うよりは夏に氷を食べれる茶屋という趣で、中から直前の稽古の声が聞こえてきて、唐組のテント小屋とは雰囲気がちがっていました。後からもっと感じることになるのですが、どうもこの劇団は小屋の中と外にいわゆる「結界」を設けないスタイルのようです。テント芝居では常識となった芝居の最後にテントの幕をはずし、公園などの下界があたかも芝居の彼方にあるような倒錯のもとで、テントの密室からドラマツルギーが解き放たれるような演劇ではなく、芝居の観客にも公園で遊ぶ人にも通行人にも芝居のネタを見せてくれるという意味で、直前の稽古自体がすでに芝居のひとつであるようでした。
 小屋の前に立っている関係者らしき人(その人が演出家でした)に、開場時間を確かめておいて、近くにある大阪天満の商店街をぶらぶらして時間をつぶし、いざもう一度テント小屋へと向かいました。
 小屋の中は土間席ではなく階段席になっていて、この日は一段席を増やしたりするほどの満席でした。
 さて、芝居がはじまってすぐに、この芝居は筋を追っても仕方がないとあきらめました。もともと一本の筋のある芝居ではなく、5分から長くて10分ぐらいの主に一人芝居、時には何人かが登場してもそこにあるのはダイアローグではなくモノローグ、つまり一人芝居が何の関連も脈絡もなく続くのでした。これまではひとりひとりの役者が一人芝居を持ち込んで、それを演出家がつないだり切ったりする感じだったようですが、今回は脚本らしきものがあったようです。といっても、それはジャズでいうコード進行や「宇宙」というテーマを約束するだけで、役者はその約束事のもとに即興わ交えながらつぎつぎと芝居をリレーしていったように思います。
 ひとつひとつの場面の背後にはポンチ絵が描かれた一枚の布がロープで張られていて、ひとりの役者が芝居をしている時、他の役者たちはその布を張り替えたり、いらなくなった布や小道具を片づけたり、舞台らしきスペースの袖で見ていたりと、それらの行動がこの芝居に組み込まれている演技のようです。
 日常にころがっている言葉や事柄が短い場面ひとつひとつの中で非日常、つまり劇的なものに変貌するのですが、彼らはそれらが物語を喚起する前に、あるいはカタストローフをともなうドラマになる前に彼ら自身の手で背後の布を入れ替え、役者を入れ替え、まったくちがった物語へと瞬間移動するのでした。ドラマツルギーの否定の繰り返しといえば、たしかにこの芝居は私の少ない芝居体験から言えば唐十郎とはまったく正反対の、寺山修司に似ているのかなと思いました。
 これでもかとたたみかけるエンターテイメントにあふれた芝居はよくも悪くも劇的瞬間のカタログのようで見ていて退屈しませんでしたが、そのぶん、「もうひとつの時間」が持続せず、わたし自身がその芝居の荒野に迷い込み、行方不明になる恐怖を味わうことはできなかったように思います。しかしながら、寺山修司のようにどんどん大がかりの装置(それは社会の権力行使装置のようでした)を用意しなくても、小さなテントとそのまわりの街を舞台にすぐれて現代アートのようなポップなイメージをつくりだすことに成功していたように思いました。
 個人的には、わたしはこの芝居を観ている間ずっと、かつて豊能障害者労働センターのスタッフで、後に豊中の障害者団体・エーゼットに移ったSさんや、神戸で「トア・ロード」という飲み屋をやりながら道端に落ちているガラクタを使ったアートで家を飾っていた才能あふれるMさんを思い出しました。二人ともある日、薬の飲み間違いか飲みすぎかよくわからないまま死んでしまいました。かつて伊丹十三が寺山修司のことを「芝居をしていなければ彼は自殺するかも知れない」と言いましたが、そういう彼自身が自殺してしまいましたが、とにかくこの芝居を観ていて、もし彼らがこの芝居に出ていたり、またこの芝居の劇的瞬間と出会っていたら、もしかすると彼らは死ななくてよかったのではないかと思いました。
 それほどこの芝居は、だれもがもっている精神の暗闇を笑い飛ばす精神安定剤でと思ったのでした。
 そういえばずいぶん昔、Sさんの車に乗せてもらった時、「月に一度、宇宙からあいつがやってくる」とSさんが言いました。わたしが「どこに来るの?」と尋ね、「いつもの荒野に」と答えたSさんのひとみにどんな荒野が映っていたのかを、わたしは確かめることができませんでした。
 ともあれ、知り合いに勧められなかったら、こんな不思議な体験をすることはできませんでした。「劇団どくんご」…、小さなサーカスのように、あるいは一風変わった大衆演劇のように、わたしの心に「もう一度みてみたい」という気持ちを残して去って行きました。

明日はNHK歌謡コンサートに島津亜矢さんが出演し、「帰らんちゃよか」を歌います。次回はそのことに関連した記事を書くつもりです。

劇団どくんごweb
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2014.05.08 Thu 唐組「桃太郎の母」

唐組「桃太郎の母」

 唐組の「桃太郎の母」を観ました。毎年春、大阪から始まる唐組の芝居を観るのがわたしの楽しみのひとつで、1988年に状況劇場解散後、唐組が結成された最初の頃から観てきました。
 実をいうと唐組の芝居は毎回ほぼ理解不能で、テント小屋に充満する言葉と汗とつばとひやりとした空気と黄色い光と暗闇におぼれそうになりながら、あっという間に過ぎ去ってしまい、そのあらすじもはっきりと思い出せません。
テント小屋は母親の胎内のようですが、暖かかくて居心地の良い所ではなく、芝居が始まる前のたどりたどればどこまで行くのかわからない時の鉄路を疾走して今着いたばかりの場所、かつてどこにでもあったはずの忘れられた場所、芝居が始まればあっという間にわたしを記憶の中にかくれていたもうひとつの町に連れもどす、なつかしくもおそろしい暗闇でもあります。
 そこでくりひろげられるいくつもの物語はあっちにもこっちにも飛び散るのですが、そんな喧噪の真っただ中で時には姉と弟、兄と妹、時には幼馴染など、過去からの深いつながりをひきずり、お互いに思いやる純情な心の震えが芝居の空間からあふれ出る時、テント小屋の冷たい密室が切なくもあたたかいセンチメンタルな風に包まれます。
 芝居の最後、密室だったテント小屋の舞台が解放されると、現実の町のあたたかい暗闇にすべての物語が飲み込まれ、観客であるわたしもまた母親の胎内から生まれてきたばかりの赤子のように、夜のとばりに放り出されるのでした。
 今回の「桃太郎の母」は1993年に上演された芝居の再演で、小説にもなり、また林海象の映画「海ほうずき」にもなった物語ですが、2幕の芝居は唐組らしくとてもテンポよく疾走してしまうので、やはりほとんどわかりませんでした。しかしながら、先ほども書いた純情な心のふるえがべったりとわたしの心の壁にへばりついたまま落ちないので、わたしなりに感じたことを書いてみようと思います。

――悶(ほん)……「さわぐ」という意味を持つ粉。飲むと何年も姿を消す、そしていったん帰ると聞いたこともない体験をほのめかすという。別名、桃太郎の母――
 1990年4月7日、女子大生・真理子、台南、高雄にて消息を断つ。行方切れて5日後、母元に一通の手紙あり。「待ってて、母さん、私の息を届けます」
それから3年――。
そのころカンテン堂は、勝手に募集した助手・まりこと共に、台湾での調査を終えた。そこで真理子の台湾渡航の目的である卒論研究に突き当たる。それは、博山炉の、いわやを持ち上げている細い管。その隘路。<風はここを吹いてくる。この風に当ると、女はなぜ妊娠するのか>であった。
真理子の足取りと、桃太郎の母。まりこから真理子へ贈られたアンモナイト。真相はその中にある……!!
「息」は隘路をめぐる。
代わる代わる訪れる隘路をくぐり、まりこと名のる女とカンテン堂は、真理子の「息」を求めて奔走する。
日本と台湾を駆け抜けた原始睡眠の果て、唐十郎・博山炉ロマンチシズム!!

 これはこの芝居のパンフレットに書かれたあらすじのような宣伝文句のようなものから抜粋しました。
 これを読んでもさっぱりわからないのですが、この物語が1990年に実際に台湾で起きた日本人女子大学生殺人事件を題材にしたものであることはわかります。
 唐十郎は新聞の小さな記事から一気に物語を増殖させる天才ですが、当時のワイドショーの格好のネタになったこの事件に唐十郎が関心を持ったのは、被害者の女性が事件の直前に母親にはがきを出していたことにあるのでしょう。
 理不尽で許しがたい事件に巻き込まれ、亡くなった一人の女性が出した母親への最後の手紙の内容をわたしは知りませんが、唐十郎はそれを「息」に変え、さらにその息を海ほうずきとした時、その化学反応は台湾の歴史と日本との複雑な関係と、中華圏にとどまらず日本においても今も根強く続く神仙(仙人)思想、とりわけ女仙たちを統率する聖母・西王母と、西王母が住むとされる世界の中心にそびえる崑崙山(こんろんさん)を模した博山炉(はくさんろ)、古代の中国や日本で長寿・不老不死をもたらす不思議な実、破邪の力を持つ神聖な果実として扱われてきた桃、そして当局が取締りを強化しつづけても絶えることのない覚醒剤や媚薬にまで想像力を広げ、ついには清濁混在した台湾と日本の歴史を、真理子がベレー帽に隠した海ほうずきに浮かび上がらせたのだと思います。
 そして、「実在の事件をねじまげ、被害者の女性への人権侵害」ともとられかねない物語の中に、実は亡くなった女性への深い哀悼が込められていると私は思います。唐十郎はとても優しい、悲しいまでの優しさで、この女性の失われた命を一方の天秤皿にかけ、もっう一方の天秤皿に猥雑で喧噪に満ちた時代の中で非業の死をとげた命をいつくしみ、三千年の命へとみちびく西王母(「桃太郎の母」)の伝説のすべてを乗せたのではないでしょうか。
 わたしは「桃太郎の母」という題名がとても不思議だったのですが、芝居を観た後、日本のおとぎ話に登場する桃太郎やかぐや姫や一寸法師(この芝居では探偵・灰田のライバル)など、柳田国男が「小サ子」と称したヒーローやヒロインはおじいさんが別の女性と交わってできた私生児なのか、それともキリスト教の聖母マリアともちがい、川や竹など生きとし生けるものの源泉をつかさどる自然そのものを母とするのかと考えました。
 そして、この芝居の登場人物が持つてんでばらばらに見える物語と饒舌な言葉の奥から、真理子とまりこの心の交換の中から、さらには昔懐かしカンテン棒で迷推理をするさえない探偵・灰田のロマンチズムの彼方から、静かで無垢で切ない命のリレーのバトンを渡されたような気がします。

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石田英一郎・著「桃太郎の母」
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