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2012.12.27 Thu 姜尚中の講演

 12月22日、箕面市民会館(グリーンホール)で姜尚中(カン サンジュン)の講演会がありました。
 この講演は箕面市国際交流協会の20周年記念として催されたものですが、箕面で姜尚中の話が聞けるということで、とても楽しみにしていました。
 おそらく多くの方がそうではないかと思うのですが、わたしが姜尚中の名前を知ったのはテレビの深夜番組「朝まで生テレビ」に時々出演していたのがきっかけでした。
 この番組は田原総一郎が進行役を務め、政治・経済・社会の動きや問題を「いまいちばん旬」な政治家、評論家、ジャーナリストを招き、朝まで喧々諤々しあう刺激的な番組でした。
 周りで激論している中で田原総一郎が姜尚中に話をふると、物静かといえば聞こえがいいのですがどちらかというと辛気臭い語り口、結論をスパッと言わず、のらりくらりと話す彼に、他の出席者はいらいらしながらも反論を入れるタイミングをかわされる感じがとても印象的でした。
 それから彼の本をけっこう読みました。その中でも、深く考えさせられた本は「姜尚中の政治学入門」と、ベストセラーになった「悩む力」でした。
 「姜尚中の政治学入門」は「アメリカ」、「暴力」、「主権」、「憲法」、「戦後民主主義」、「歴史認識」、「東北アジア」の7つのキーワードを手がかりに今の日本の政治、社会の立ち位置を世界の近代の成り立ちに遡りながら書かれています。
 また、「悩む力」は世界を席巻する新自由主義の嵐が吹きすさび、格差は広がり、毎年3万人もの自殺者が出てしまう日本社会の中で過酷に生きざるを得ず、苦しむわたしたちに強烈なメッセージを届けてくれました。彼はこの本で、こうした苦しみを百年前に直視した夏目漱石とマックス・ウェーバーをヒントに、悩みを持つことはマイナスではなく、悩むことこそが生きる意味を見出す唯一の方法であると提唱しました。
 わたしは1982年に豊能障害者労働センターとの出会いから専従スタッフになりましたが、それまでわたしもその歯車のひとつだった高度経済成長から障害者が排除されてきたことを学びました。教育の場からも働く場からも排除されてきた障害者は富の再分配としての「福祉」の対象とされることで経済成長の最終電車に間にあった人もいたでしょうが、乗り遅れたままホームに立ち尽くす人たちも数多くいたのだと思います。
 ほとんどの障害者は親元にいるしかいのちをつなぐすべがなかった時代に、そのいのちをけずってでもあたりまえの市民として暮らしていこうとするひとたちとともに、豊能障害者労働センターは活動をつづけてきました。
 その活動の日々は年々増え続ける障害者の生活と働く場を切り開くために、お金をつくりだす日々でもありました。そんな毎日を過ごしている間に、いつのまにかわたしたちは自分が活動している小さな地域での事業から得るお金がどこから生まれ、どのような道を通り抜けてわたしたちの手の上に乗り、そのなけなしのお金が障害者の生活をかろうじて支えることでまたどこかに行ってしまう、そのプロセスに関心を持つようになりました。
 豊能障害者労働センターの設立の少し前、サッチャーやレーガンによる新自由主義の嵐が世界を吹き荒れました。日本では高度経済成長が終焉し、小泉政権になって20年遅れで実行されたその政策は簡単にいうとよくないのでしょうが、福祉が経済を圧迫する「大きな政府」から、福祉や社会保障を縮小する「小さな政府」への転換でした。
 実はわたしたちもまた、今までの福祉の充実は「富の再分配」でしかなく、ほんとうは再分配の対象とされるひとが「富の生産」の現場に参加していくことを求めてきました。
 「富の再分配」としての福祉に疑問を持つわたしたちの活動は新自由主義を主張するひとたちと一見変らないように見えますが、さまざまな事業をすすめてきた経験から、GDPに代表されるいままでの尺度で見ればマイナス成長でしかなくても、実は豊かで安心できる経済のシステムがあるのではないかと思うようになりました。
 わたしたちの実感を経済や社会のありかたとして提起してくれる学者や研究者はいないものかと思っていたところ、ポストモダンを模索する何人かのひとたちの一人として、姜尚中がわたしたちの前に現れたのでした。実際のところ、経済学からすれば専門の人ではないのかもしれないのですが、わたしたちの思う「助け合い経済」は経済の専門家からは相手にされず、かえって専門外の姜尚中の方がわたしたちの実感にぴったりくるところがあったのかもしれません。ですから、実際に会ったことも話したこともないのですが、自分の専門分野にかかわらず世界の今と日本の未来を思い、自分の人生から語る姜尚中になぜか親近感を持っていたのでした。

 講演の内容にふれる前にすでに紙面を使ってしまいましたが、この日の講演は今回の衆議院選挙や尖閣問題、竹島問題と、キナ臭い状況の中で東アジア共同体構想など、彼の持論をあらためて聞けたらと思っていたのですが、主催者へのサービスもふくめてかなりソフトな内容でした。それでもわたしたちのこれからの活動に示唆をくれた講演でした。
 その中でも、「少子高齢化の社会では外国人をどんどん受け入れることで、経済においても文化においても、そしてこの街にくらす人々の暮らしも豊かになる」という提案は、まったくそのとおりだと思いました。わたしたちは外国人にかかわらず、障害者をふくめ、彼のいう「よそもの」が次々と新しい風を呼びおこし、その新しい風を受け入れていく街が、だれにとっても住んでよかったと思える街であるという確信を持っています。
 かつての国際化からグローバル化の流れは、富も貧困も情報も簡単に国境を越え、よくも悪くもわたしたちは世界とつながってしまいます。わたしたちが住む街から遠くはなれ、名前もわからない地域で起こった出来事が一瞬にしてわたしたちの暮らしに影響してしまう、途方もない時代を生きざるを得ないわたしたちは、一方でわたしたちのささやかな行動が世界を動かすきっかけになるかもしれない可能性もまた獲得できるのかもしれません。
 講演でも触れていましたが、サッチャー後のブレア政権のブレーンが考え、実行したイギリス社会の中での小さな改革がコミュニティビジネスを生み出し、世界各地の実践が重ねられることで、ソーシャルビジネスやソーシャルキャピタルといった「助け合い経済」が、まだメインストリームとはいえないですが確実に世界の経済に一定のエリアを持つようになってきていることは事実です。とくに東日本大震災を経験したわたしたちは、かつての経済成長神話にあともどりすることはできないのが現実だと思います。
 だからこそ、姜尚中が何度も話していた「開く」ということ。国を開き、街を開き、文化を開き、わたしたちの心を開くこと。ありったけの想像力をかきあつめて、さまざまなひとびとと文化を受け入れる「越境する力-多文化主義の未来」(講演のタイトル)に向かう勇気を、この講演からいただきました。
 帰りに会場で販売していた「続・悩む力」と「あなたは誰?私はここにいる」の2冊の新書を買い、いま読んでいるところです。
 それにしても姜尚中の肉声はあいかわらず魅力的で、いままたプライベートなこともふくめてバッシングにさらされながらも粛々と行動し、発言する姿勢に拍手をおくりたいと思います。
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2012.01.10 Tue 「坂の上の雲」から懸命に坂を下ろう

 1月8日の朝日新聞に興味深い記事が掲載されていました。一面の特集記事「エダノミクス VS.マエハラミクス」で、見出しに「経済成長、見切るか追及か」とあります。レーガノミクスが有名なように、何々ミクスとはいくつかの政策を組み合わせることでマクロ経済政策の目標を実現することと言っていいのでしょうか、その意味でエダノミクスとは枝野幸男の経済政策、マエハラノミクスとは前原誠司の経済政策と言えるでしょう。 やや漫画的にというか図式的ですが、その分興味を引く内容でした。
 経済政策といえば小泉政権の竹中平蔵が中心となって日本型の新自由主義、市場原理主義をすすめたことが思い出されます。「既得権にぶら下がって生き延びている企業は退場してもらっていい、グローバリズムの嵐に耐え、失われた10年を取り戻し、新たな成長を実現するために構造改革が必要だ」と彼らは言いました。
 そして、具体的に彼らがすすめた政策は、派遣労働者市場の規制緩和、郵政民営化など公的部門への民間企業の参加、そして「すべての政策に聖域はない」と社会保障、福祉施策の見直しをすすめました。もっとも、小泉政権の福祉施策はその直前に施行された社会福祉基礎構造改革に基づいてされたのですが、「改革なくして成長なし」とか「国民全員がいたみを分け合わないと日本は再生できない」とか、国民の多くがマインドコントロールされる言葉の魔力で、数多くあった批判を呑み込んでしまったのでした。
 そしていま、特に非正規雇用の労働者の急増や、製造企業の海外移転による国内製造部門の廃止や縮小、規制緩和によって生産性が低いと言われる産業や企業の撤退などによる雇用の悪化や所得格差が社会問題になっています。
 竹中平蔵さんたちは「それらの問題は改革が中途で止まったために起こってしまったのであって、そのままもっと先まで実行していたらグローバルな市場で通用する新たな成長が実現し、その結果雇用市場も社会保障もよくなっていた」と主張されています。
 わたしは小泉政権時、豊能障害者労働センターに在籍していましたが、小泉政権の福祉施策が福祉予算を削減し、福祉を切り捨てると言って反対したわけではありません。
 豊能障害者労働センターの設立時とほぼ同じく誕生したレーガン政権が打ち出した経済政策であるレーガノミクスは、いわゆる「小さな政府」政策で福祉予算の削減し、主に富裕層への減税、規制を緩和し投資を促進するなど、経済活動を自由な市場にゆだねると言う市場原理主義、新自由主義を掲げたものでした。そこでは「機会の平等」といわれるようにスタートを平等にしておけば、それ以後は本人、あるいは企業の自己責任であって「結果の不平等」があってもやむをえないという政策でもありました。
 小泉政権が進めた政策は20年遅れのレーガノミクスのもので、当時すでに新自由主義や市場原理主義の行き詰まりを指摘するひとたちもいました。

 障害者の問題でいえば、わたしは当時も今も「大きな政府」は福祉が充実させ、「小さな政府」が福祉を切り捨てるという議論にどうしてもなじめない気持ちがあります。わたしはそれよりも、そのどちらの主張においても福祉施策の対象となる障害者を「福祉予算を消費するひと」としかとらえていないことに失望します。なぜならどちらの場合も障害者を働く場から排除していることには変わりがなく、富の再分配の量やあり方で対立しているにすぎず、その前提として経済成長が不可欠であるとしている点でも変りがないと思うのです。
 わたしはこのブログで以前、稲葉振一郎と立岩真也の対談本について書いた時に、「機会の平等」と「結果の平等」に加えて「参加の平等」を訴えましたが、本当は平等という言葉は適切ではなく、本来の働く場や暮しの場、それをつつむ社会に障害者も参加したいと思っているだけではなく、障害者の参加がこの社会の未来に必要であると思っています。
 それはこの社会や職場の構成員にさまざまなひとが参加し、知恵を出しあい、助け合うことが必要であるだけでなく、高度経済成長期にあたりまえとされてきた高利潤の産業、輸出を中心に付加価値が高く生産性の高い産業を育て、そうでない産業は滅びるにまかせ、助成金や補助金でまかなうやり方ではだめだということです。グローバル化で生産性を求める企業は海外に出て行き、その富はもう国内には帰ってきません。
それならば、国内にいるわたしたちは取り残されるのではなく、グローバリズムの悪夢からめざめ、成長神話から解放されて、顔の見えるコミニュティが生みだす手ざわりのある市場をつくりだし、お金をゆっくりとまわしていくことができないのでしょうか。
 この市場では生産者と消費者ははっきりと分かれてはいず、食べ物の地産地消はもとより、たとえば障害のあるひともないひとも共に働き共に給料を分け合って暮らしていけるコミュニティがあれば、そんなにたくさんのお金を必要としないかも知れないのです。
 つまり、社会保障の対象となるひとの所得や働く場が確保できれば、経済成長による分配すべき富は減ったとしても、富の再分配としての社会保障費もまた少なくていいのです。
 数字だけ見ていると縮小していくようで活気のない社会のように見えますか、実はより多くのひとたち、障害者もふくめたさまざまな特徴、個性を持った人たちが社会に参加でき、ひととひととが助け合える活気にあふれた社会だと思うのです。

 朝日新聞の特集記事に戻れば、わたしはエダノミクスに依って立つことになります。記事にありますように、経済成長を至上としない経済産業相もめずらしいことですが、彼が司馬遼太郎の「坂の上の雲」になぞらえて、「坂の上の雲にたどり着き、もっと先に雲はないかとこの20年探してきたが、もうなかった」、「大企業中心の輸出型から、医療や農業など内需型へ産業を移す。なにより大切なのは働く場だ。より成熟した社会に向けて懸命に坂を下ろう」と言う時、わたしは決して彼が所属している民主党を支持しているわけではありませんが、原発事故の時に数多くのバッシングを受けたこの政治家がこの考え方をどのようにより理論展開し、実現していくのか、見守りたいと思います。
 そして、このことは政治家がどうするのかではなく、わたしたちがどんな社会を望むのかを問う問題なのだと思います。
 関連で同じ1月8日の内橋克人のインタビュー記事「貧困の多数派 歯止めを」も載せておきます。ずっと前になりますが、わたしが助け合う経済を考えるきっかけをつくってくれたのはこの評論家です。

2012年1月8日 朝日新聞朝刊1面 エダノミクス VS マエハラノミクス 上の1

2012年1月8日 朝日新聞朝刊3面 エダノミクス VS マエハラノミクス 上の2

2012年1月9日 朝日新聞朝刊3面 エダノミクス VS マエハラノミクス 中

2012年1月10日 朝日新聞朝刊3面 エダノミクス VS マエハラノミクス 下

2012年1月8日 朝日新聞朝刊4面 内橋克人「貧困の多数派 歯止めを」
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2011.07.03 Sun 湯浅誠さんのお話を聞いてきました。

 7月2日、大阪市立浪速区民センターで、NPO法人共生型経済推進フォーラム主催の「共生型の社会を探る」(~被災地の未来と、支え合う地域つくりを共に考える~)というシンポジウムが開かれました。
 湯浅誠さん(内閣府参与で震災ボランティア連携室長、元「派遣村」村長)が基調講演で被災地の復興はこれからの日本社会のあり方と結びついていること、「半福祉、半就労」という働き方を積極的に進めることで被災地をふくめた日本社会の就労問題への新しいアプローチの可能性を提案されました。その後のパネルディカッションでは法橋聡さん(近畿ろうきん地域共生推進室室長)さんをコーディネーターとして、「被災地の未来と、支え合う地域づくりを考える」をテーマに、勝部麗子さん(豊中市社会福祉協議会地域福祉課長、コミュニティソーシャルワーカー)、有井安仁さん(わかやまNPOセンター理事長)、斎藤縣三さん(共同連事務局長)に湯浅誠さんが加わり、それぞれのハネラーの方々の日常の活動のお話から被災地支援活動とのかかわりについて話され、議論されました。
 
 貧困問題が示す日本社会のありようをえぐり、その解決にむけた取り組みから新しい日本社会のすがたを提案してきた湯浅さんは、被災地ではいま2つの貧困があると言います。
 ひとつは家が壊れ、仕事をなくし、蓄えもない状態で生まれる新たな貧困ですが、もうひとつの貧困はもともとあった貧困、ワーキングプア、非正規雇用、請負、ホームレスなど、格差社会の底辺で少しずつ顕在化してきた貧困が、震災をきっかけに凝縮してあぶりだされると言います。
震災から4カ月になろうとする今、避難所に残されているひとびとはもともとの貧困をかかえている人が多く、幸か不幸か、震災前には見つからなかった人が、避難所にあつまったことでサポートの入り口になるチャンスも生まれています。
 そして、貧困から脱出するには地域で就労していく道筋を制度的につくりだしながら、それぞれの貧困に寄りそい、復興のプロセスで誰一人取り残されないよう(「社会的包摂」・ソーシャル・インクルージョン)きめ細かいサポートが求められます。
阪神淡路大震災ではそれをせず、多くの震災関連死(孤独死など)がありました。今回でもすでに起きていますが、これ以上犠牲者を生まないようにするのが、残されたわたしたちの役割なのだと思います。
 わたしたちの社会ではいままで、働くことと社会保障が併存しませんでした。ですから、日本の社会保障は年金に偏っています。働くか失業かの2つしかない労働観にもとづいた就労政策では被災地の地域雇用がまかなえるはずはなく、生活保護の受給を求めるひとが多くなります。日本全体の生活保護受給者の数は1952年と同じになっているそうです。
 わたし(湯浅さん)は一般就労と失業の間に、中間的就労とよべる就労を制度的に位置づけることを提案しています。そうすることで、働くことと社会保障が併存する仕組みが生まれ、失業を減らし、生活保護に頼らない生活が保障されるのです。
 たとえば障害者の就労について学ぶことで、その仕組みを考えることができます。
 障害者の場合、福祉、つまり社会保障と就労が併存しています。就労継続支援事業B型は福祉の方に重点があり、就労継続支援事業A型は就労の方に重点があります。このような柔軟な働き方がマイノリティの分野でなく、マジョリティになっていくことで「中間的就労」を制度化し、失業者を減らし、そんなに多くの給料でなくても助け合いながら暮していける共生型社会への一つのアプローチになるでしょうし、「無縁社会」をつくらない社会的包摂の取り組みを進める大切なものになると思います。

 湯浅さんのお話は、大きくみればまったくそのとおりだと思います。ただ、「中間的就労」のモデルとして障害者支援事業のA型、B型で説明されていましたが、ここはもしかすると湯浅さんの勘違いがあったのかも知れません。というのも、障害者自立支援法にもとづく就労継続支援事業はB型はもとより、A型でも福祉政策であって労働政策ではないと思います。もともとB型は生きがい対策だけで給料をともなわない授産施設や作業所に適用できるものですし、A型は福祉工場に適用されたものです。A型は雇用保険の適用や最低賃金の保障など労働行政と思われるかも知れませんが、あくまでもそこで「働く」障害者は福祉サービス利用者であり、事業所側はサービスの提供者になります。そのため、大きな問題になったのが利用者の一割負担の問題でした。当時は負担そのものが大きな問題となって目立ちませんでしたが、就労継続支援事業A型の場合、労働にかぎりなく近い形でありながら福祉サービスの受益者として位置づけられ、一割負担をせまられることになりました。
 もうひとつ、湯浅さんは障害者ひとりひとりにあわせたサービスとして個別支援計画を肯定的にとらえられていましたが、ひとりひとりの支援ニーズにあわせたサービスと言えば聞こえはいいですが、実は障害者を国の福祉サービスの枠内に閉じ込めてしまうとても危険なものであることは障害者運動がかねてより指摘するところです。わたしたちは障害のある人もない人も共に働き、給料を分け合う就労の場を求めているのであって、障害者を福祉サービスの対象とする「就労の場」を求めているのではないのです。
それでも、湯浅さんのお話はとても大切な提案で、一般企業への就労が困難なひとの中間就労を制度化していく中で、障害者就労も福祉サービスの枠内に閉じ込めるのではなく、福祉と労働の複合政策による第三の道をめざすチャンスになるのではないかと期待します。

 パネルディスカッションでは障害者運動の立場から、斎藤縣三さんがそのあたりをわかりやすく例を用いてお話しされ、参加者の理解を深めました。斎藤さんは近年障害者の就労問題から一歩踏み出し、湯浅さんとまったく逆の立場から社会的事業所の制度化とその推進を一貫して提案されてきました。社会的事業所とは障害者に限らず働きにくい立場におかれるひとびとが生き生きと働ける事業所で、そこでは障害のあるひともないひとも共に働き、ともに給料を分け合います。そんな働き方は湯浅さんの中間就労と同じで、被災地での就労をすすめる力となるだけでなく、被災地をいままでとはちがう、新しい日本社会のあり方を示す再生へと導くことを、力強く発言されました。
 勝部麗子さんは豊中市社会福祉協議会の活動として、しのびよる「無縁社会」とたたかい、小規模な福祉の大切さを形にした活動を報告されました。
 豊中市は阪神淡路大震災の被災地として、貴重な体験と課題を持っていました。避難所での公平平等の論理では今困っている人を助けられないと、必要なひとに必要な支援をとNPO活動やボランティア活動が生まれた16年前の経験がある一方で、復興の過程でコミニュニティがずたずたに分断され壊れていた姿も目の当たりにしてきました。
 その経験が今回の災害に充分には生かされていないと思いながらも、被災地とつながる支援のあり方はさまざまにあり、目的がはっきりしている学用品を救援物資として届けたり、被災地の地酒を飲む会を開きその収益を被災地におくったりと、ユニークな支援活動を企画実行されてきました。
 そして、被災地から疎開してきた11家族28人の被災者を訪問し、必要なものを届けたり池田、箕面の社会福祉協議会と共同で箕面温泉での被災者交流会を開いたりされました。その中で印象的なお話として、農業しかしてこなかった被災者から農産物をつくるために毎日触ってきた土をさわれない悲しみを聞き、地元の障害者団体などがしている園芸教室の講師になってもらったということでした。
 勝部さんは、大阪府が進めるコミュニケーションソーシャルワーカー事業の担い手として、個別のニーズに寄り添うことでいろいなサービスの隙間を埋めることの大切さをうったえられましたが、この考え方は湯浅さんが提唱され、国がモデル事業としてはじめているパーソナルワーカーとほぼ同じ活動で、連携することでより効果的な活動になることが期待されます。
 わかやまNPOセンター理事長の有井安仁さんのお話では、まずわかやまNPOセンターは多様な価値観や文化が尊重され共生できる社会をつくることをめざして10年になる民設民営のNPO活動を支援する組織で、和歌山県全域を対象としているとのことです。
 今回の災害では和歌山県下のNPO団体がわかやまNPOセンターに結集し、相互連携しながら被災地支援活動をするためのコーデイネートをしているとのことでした。被災地支援活動に携わる人は現在150人が登録していて、毎週水曜日に定例ミーティングを開いている他、毎月11日に現地報告会を開いています。
 とりわけ画期的なのは、一般の義援金ではなく、被災地の支援をするNPO団体の活動を支援する「支える基金」募金活動を展開し、200個の募金箱を一ヶ月単位で設置、回収し、累計2,374,295円の基金が寄せられたそうです。すでに第一回助成が終了し、4団体に各25万円の助成をし、現在第二回助成の選考中です。被災地支援とは言え地域を越えた支援活動を支援するこの活動は、息長く被災地とつながる支援活動として注目されています。

 今回のシンポジウムは、被災地の復興プロジェクトの中でともすれば忘れられ、取り残されてしまう人々の存在が排除されることのない、共に生きるセーフティネットを市民の手でつくり、それを行政施策へとつなげていくことを課題として提起しました。そして新しい日本社会への再生は、「共に生きる」ためのさまざまな冒険から実現できることを確信し、今後の活動に有意義な集まりとなりました。

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2011.05.31 Tue 貧乏神と福の神

 1975年から25年も続いた人気番組「マンガ日本昔話」でも取り上げられた、「貧乏神と福の神」という昔話があります。

 むかしむかし、働き者の夫婦が住んでいました。働けど働けど生活はいっこうに楽になりませんでしたが、ふたりして一生懸命働いたので、その年の大晦日にはわずかながらお正月のお餅をつくことができました。
 すると天井の隅っこの方ですすり泣く声がするので、若者はびっくりして天井にあがってみると、やせ細ったヒゲぼうぼうの貧乏神がいたのです。
 なんでも貧乏神はこの家にずっと住んでいたが、今晩、福の神と交代するためこの家を出ていかなければならない。それで悲しくて泣いているというのでした。
 「元気をお出し!この餅とさかなをたらふく食べなさい。」と夫婦は貧乏神を励ましました。
 そこへ福の神がゆっくりと家の前までやってきました。「われこそ、福の神じゃ。この家に福を与えにやってきた。貧乏神はさっさと立ち去りたまえ。」
 「いやじゃ。この家からは一歩も離れないぞ。この家の主がずっといてもいいと言ってくれた」。
 貧乏神が出ていかないと言い張るので、貧乏神と福の神がとっくみあいのケンカになりました。負けそうになった貧乏神をふたりで加勢したので、福の神は負けてその場にバタンと倒されてしまいました。
 「こんな家には二度と来てやらないぞ。」と、福の神はプリプリ怒り、行ってしまいました。そして「打ちでの小槌」を忘れていきました。
 貧乏神が「これは、打ちでの小槌というものです。望みをかなえてくれます。何か欲しいものはありませんか」と言い、2人の望みをかなえてやると、「われは今日より福の神。」と言って屋根裏に戻っていきました。
 2人はその後も一生懸命働いて、末永く幸せに過ごしました。
 いっしょうけんめい働いたら「打ちでの小槌」が手に入り、金銀ざくざくお金持ちになって幸せにくらしたという、調子のいい話です。
 なけなしのお餅まで貧乏神にあげるというのは年貢をとことんとりあげることだろうし、きっとどこにもない「打ちでの小槌」という餌をぶらさげて民衆を押さえつけてきた支配の構造があぶり出される話でもあります。

 それでもわたしは、この話に可能性を見つけています。最後に手に入る「打ちでの小槌」は別にして、わたしたちがつくりだし、つながっていこうとしている「障害者市民事業ネットワーク」はまさしく貧乏神の経済、貧乏神の思想なのだと思います。
 それに対してお金がお金を生み、世界各地で貧乏を再生産することで富が蓄積されていくグローバル経済は福の神の思想なのかも知れません。
 この物語ができた背景はその頃の支配構造そのものであるとしても、貧乏神のいとおしさと福の神の傲慢さに表現されているものは「助け合い」の思想、文化だとわたしたちは思います。だからこそこの物語はきっと多くの民衆によって支えられつくりかえられ、伝えられてきたのだと思います。
 そして、わたしたちはわたしたちなりに「貧乏神の経済」を実現していきたいと思います。わたしたちには、福の神が忘れていった「打ち出の小槌」はありません。「打ち出の小槌」がなくても、つつましやかであっても、貧乏神の経済が助け合いの文化に支えられ、生きがい、夢、恋、友情がいっぱいつまった豊かな経済であると信じて、新しい出発をしようと思うのです。

経済もまた夢を見る、貧乏神と福の神(恋する経済&障害者市民事業ネットワーク)
豊能障害者労働センター


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2011.05.27 Fri 被災地の障害者作業所とつながっていくために

 昨日、京都府相楽郡の相楽作業所で「東日本大震災関西障害者応援連絡会」の会議があり、参加させていただきました。
 相楽作業所は16年前の阪神淡路大震災で、豊能障害者労働センターが障害者救援活動の救援物資ターミナルを担当した時、救援物資を何度も運んでくださったことを思い出します。今回の震災でも相楽作業所と京都、奈良のグループが集まり、被災地の友人グループの紹介で福祉避難所に入り、支援活動をされてきました。
 昨日の会議は現地の支援活動の報告と今後の活動について話し合われ、わたしは「ゆめ風基金」の事務局長が会議に出席するのに同席させていただきました。
 「直後の支援活動は知り合いや友人などそれまでにつながりのある所から支援を始めないと、いま困っているひとたちを助けられない」と現地にいち早く入り、支援活動をして来られた行動力に頭が下がりました。

 今後はいままでの支援活動をつづけながら新しい支援として、被災地で障害者作業所が作っている商品をネットワークでの販売を始めることになり、すでに会議室の横の和室に宅配便の段ボールがいっぱいありました。このグループは何をするにもフットワークが軽く、福島県の作業所が風評被害で困っていると聞くと、すぐに現金で商品を買って来た他、岩手にも商品販売のために調査に行き、商品カタログといっしょにたくさん送ってもらったそうです。
 テレビなどで被災地支援の一つとして被災地物産フェアーやイオンなどが支援プロジェクトをはじめたと報道ざれていますが、わたしたちは被災地の復興の過程で障害者や高齢者が対象となるのではなく、復興の担い手として参加していくことの大切さを訴えていきたいと思います。
 障害者作業所の物づくりは長い間「福祉」の枠の中でしかとらえられて来ませんでしたが、実はいま注目されつつある「社会的企業」の経済活動として評価される時が来るとわたしたちは思っています。今度の復興は、日本社会全体のありようが問われる中で進めなければなりませんが、障害者が福祉の対象ではなく、福祉の担い手として、さらには社会の構成員として参加していくことで、よりやわらかく豊かな社会を実現する役割を果たすひとつの方法として、まずは被災地の障害者作業所の物づくりを支援していくことが必要ではないでしょうか。

 わたしはかねてより、全国の障害者団体が作っている商品をそれぞれの地域で販売するだけでなく、生産余力がある時に他の地域で販売していくようなネットワークができないものかと考えてきました。この震災をきっかけにして、被災地の作業所がつくる商品からそれを実行したいと思っています。
 すでに豊能障害者労働センターでは5月14日の「障害者救援バザー」で宮城の作業所の商品を販売し好評を得たところで、これからの通信販売や移動販売などでより広げようとしています。
 これらの作業所はほとんどが福祉法人で、障害のあるひともないひとも共に給料を分け合っている豊能障害者労働センターとは福祉制度上の位置づけも運営の在り方もまったくちがいます。しかしながら、これらの商品の販売による収益は「授産分配金」とか「工賃」とかいわれ、障害者の手にお金がのることもたしかなことです。
 そこで運営のちがいをこえて被災地の障害者作業所の方々とネットワークを組み、他の地域のグループにもよびかけて作業所の復興に参加していきたいと思っています。

 しかしながら、この活動をより広げるためには解決しなければならない問題があります。
 豊能障害者労働センターは地域で7つのお店を運営してはいるものの、対面販売だけではそんなに多く販売できないのが現状です。豊能障害者労働センターは地域での日常活動だけでは給料をつくりだせないため、通信販売でオリジナルのTシャツや雑貨を販売しています。被災地の商品の場合、とくに加工食品は2割程度の利益しかなく通信販売では送料で利益がなくなるか赤字になってしまいます。「被災地支援だからそれでいい」という考え方もありますし、現に豊能障害者労働センターでは救援バザーの売り上げはすべて支援金にしています。
 けれども、豊能障害者労働センターでは通信販売など事業の収益をみんなの給料としてわけあって暮らしていて、利益がなかったり赤字になることは許されないのです。
 それらの問題をこえて、障害者が作業所での生産活動に参加するだけでなくそれを販売したりその事業のマネージメントもにない、グループ全体の経営までもになう豊能障害者労働センターが息長く被災地の障害者作業所の商品を販売していくことは、被災地の復興だけではなく実は日本社会全体の在り方をも提案する一つではないかと思うのです。

 そこで、わたしの夢ですが、たとえば利益率が低い商品の場合は対面販売もつまりお店での販売や地域での物産展を始めとするイベント販売にシフトしなければなりません。
 そこで、被災地障害者市民事業支援基金を設立し、被災地にいくつかお店を開く。その店員を被災地の障害者がになう。
 つぎに、全国のデパート、量販店に協力してもらい、販売スペースを有料無料で貸していただき、被災障害者市民事業物産展や物産コーナーで販売する。そのスタッフに障害者も担う。
 宅配便業者に協力してもらい、送料を安くしてもらえないか。
 通信販売の会社にも協力してもらい、カタログ上での被災障害者市民事業物産展や物産コーナーをつくってもらえないか。
 それらにどうしてもコストがかかる場合、公的助成金を要望する。助成金に頼るのかと言われると思いますがそれはまちがいで、この助成金は障害者の就労のための助成金であり、生活保護に頼らないで障害者の自立生活をすすめるためにも、また通常の福祉助成金のように管理費につかわれるのではなく障害者の所得を保障していくためにも、もし事業仕分けに対象になった場合、ていねいに調査すればもっと大きくしていかなけれはならないものと評価されるはずです。
 しかしそうなると、障害者作業所の生産能力をこえてしまわないか。そうなれば、いよいよ生産メーカーの協力を得て、共同生産体制をつくれないか。
 これらの活動を通じて、いつも障害者が工場や市場や暮しの場にいることになり、被災地から新しい日本の社会の風景の一つがみえるのではないかと思うのです。
 
 少し夢が妄想になってきましたが、もしかすると思わぬところで応援してくれる人や会社やグループが声をかけてくれるかもしれません。
 夢は大きく、行動は地道に、できることから始めていけたらと思います。
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