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2018.09.02 Sun 障害者雇用数の水増しは決して許されないけれど、その奥にあるもっと大きな問題は。

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 中央省庁や地方自治体が障害者雇用数を水増ししていたことが発覚し大きな問題になっています。厚労省が8月28日に公表した調査結果によると、国の33行政機関のうち、約8割にあたる27機関で計3460人の不適切な算入がありました。その結果、33機関のうち、法定雇用率(2.3%)を満たしていなかったのは27機関となり、平均雇用率は2.49%から1.19%に半減しました。水増し数が最も多かったのは、国税庁で1022.5人。次いで、国土交通省の603.5人、法務省の539.5人でした。さらに水増しは国だけでなく、地方自治体にもおよんでいます。
 障害者雇用数の水増しは障害者の権利を大きく損ねる行為であり、障害者雇用を促進すべき責任を負う公的機関の信頼を著しく傷つけるもので、決して許されるものではありませんが、この問題の奥には1960年に制度化された障害者雇用促進法自体に大きな問題があり、今回の事件はこの法律そのものの矛盾が生み出したものと言わざるを得ません。
 そもそもこの法律が定める法定雇用率の算出方法は、常用労働者数と失業者数の合計を分母とし、障害者の常用労働者数と障害者の失業者数を分子として算出するものですが、障害者の失業者数は職業安定所に求職の登録をした障害者に限ることになります。
 次に、今回問題になっている対象とされる障害者とは、ほぼ医療モデルにもとづく障害者の手帳(身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳)を所持している者となっています。
 ですから、今後の調査で手帳の有無を徹底的に調べれば調べるほど、関係省庁も企業もマスコミも、そのことが手帳を持つ人のみを障害者とすることを正義として、医療モデルで障害者をしばることの差別性には目を向けないことが明らかです。
わたしの少ない経験でも、自分からすすんで職安に求職登録をする障害者はほとんどいませんでした。むしろ「働きたい」という願望はあっても、障害者だから就職は無理だと自分も周りの家族も思ってしまい、職安に行くという発想がうまれてこないのが実情です。
 「手帳を持ち、職安に求職登録している障害者イコール働く意欲のある障害者」という一見まっとうと思える原則は、手帳を持っていてなおかつ特別な配慮がなくても自力で働ける障害者ということになり、対象となる障害者がかなり限られ、結果として致命的にほとんどの障害者を一般企業から排除してしまうのです。
 特別支援学校を卒業する時、ほとんどの障害者の進路は福祉作業所などで、一般企業への就職はおろか、職安も遠い存在です。
 ですから、国の期間で最も水増ししていた国税庁の最高責任者である麻生財務大臣の「障害者の数は限られているので、(各省庁で)取り合いみたいになると別の弊害が出る」という発言にいたっては、怒りを通り越してあきれてしまいます。このひとたちはかろうじて一般企業で働く障害者の苦しさも、一般企業への就労を拒まれてしまう数多くの障害者のくやしさも、ほんとうに何もわかっていないことをあらためて痛感します。
 麻生さん、省庁で取り合うになるような障害者雇用施策をやってみてください。職安に登録される障害者に加えて、福祉施設で生きがい程度の分配金を得るために利用料を払わされるたくさんの障害者をすべて雇い、ほんとうに省庁や企業が障害者を探さなければならないような施策をやってください。
 また一定以上の障害者を雇っていない企業に負担を求める「障害者雇用納付金制度」に基づき、2017年度に企業が国に支払った納付金(実質的には罰金で、なんと、国などは支払わなくてよいそうです)は293億円で、そのうち雇用の基準を上回る企業に支給された調整金は227億円で、66円億円ものお金が国に入っています。自分は罰金を払わず、一般企業から徴収した納付金も障害者雇用をすすめる企業に上積みはおろかすべてを支給しないとすれば、こんな政策がほんとうに実のある障害者雇用施策といえるでしょうか。
 問題は単に障害者雇用の数字合わせの水増しをしていることではなく、障害者に職場が求める職業的能力の基準を押し付け、そぐわない障害者には門戸を固く閉じるところにあると思います。障害者が職場の要求に合わせるのではなく、個々の障害者が働けるよう職場での介助や仕事上のアドバイスや送迎など、「障害者に職場を合わせる」合理的配慮を無視して持続的な障害者の雇用が進むはずはないのです。
 結局のところ障害者を雇用するのはあくまでも義務で、職場内で精神障害になった労働者をカウントにいれたりして法定雇用率に届くようにつじつまをあわせ、それでも到達できなければ納付金を支払えばよいというのが本音にあり、公共機関の場合は納付金も払わなければよいのですから、いろいろ面倒だと障害者を排除してきたのだと思います。
 
 けれども、障害者が職場に来ることはそんなに迷惑でしょうか。実際に障害者をたくさん雇用している企業は、障害者が職場に来ることでいままで気づかなかった職場改善が進み、誰もが働きやすい職場になったと証言しています。わたしも長年工場で働いていましたが、職場になれていない新人や転属の社員が来るたびに、工程の見直しや冶具の改良などをすることで「生産性」が上がるのを体験してきました。それは事務職などでも同じだと思いますし、サービス業の場合などはお客さんによるかもしれないとしても、マニュアル通りのサービスよりその人にしかできない心のこもったサービスに満足するお客さんもいます。社会がそうであるように、働く現場もまた多様な個性や文化を持った人たちによる共生によって、豊かな労働環境と持続可能な目標設定が可能になるとわたしは思うのです。
 そして国も地方行政も障害のあるひともないひとも共に働く労働環境をつくるための施策をすすめてほしいと思います。そのためには、企業や公共機関への一般就労と、就労継続支援A型・B型の福祉的就労だけでなく、その間を埋める第三の雇用とも言える社会的雇用の制度化が求められます。社会的雇用とは箕面市の障害者事業所制度や滋賀県の社会的事業所制度のように、一般企業ヘの就労と同じ労働条件を保障しながら個々の障害者に寄り添い、より豊かな労働環境を提供する事業所に対して、継続的に就労支援を行うものです。
 箕面の障害者事業所制度はその上にさらに障害者が運営に参加することを事業所に義務付けていて、障害者のうずもれた多様な「職業的能力」を自発的に開発したり、障害者のアイデアやデザインを商品開発に生かしたり、また人権侵害を内部告発できる仕組みづくりなどに生かされています。
 サービスの利用者という形で福祉制度の枠の中に閉じ込められるのではなく、また一般企業のようにややもすると障害者を既存の労働現場に押し込めるのでもなく、障害当事者が事業所の運営を担う権利と義務を負う箕面の障害者事業所制度は、より理想に近い自立した働く場を提供できる優れた制度です。
 この制度の下で、箕面市では福祉的就労の場に閉じ込められるはずの障害者が豊能障害者労働センターのように市民生活の真ん中で生き生きと働いています。それどころか、豊能障害者労働センターの障害者ほど健全者スタッフに、そして箕面市民に頼りにされている障害者はいないと思います。お近くのひとならば、見学に行かれるとそのことがよくわかります。それは障害者の社会的雇用を制度化してすでに30年になろうとする、箕面市の先駆的な施策の果実でもあります。
 一見、福祉制度の枠の中では福祉的就労よりも助成金が高く見えますが、この制度の下での豊能障害者労働センターの自主事業は市内に3つのリサイクルショップと食堂と福祉リサイクルショップの運営と通信販売事業、箕面市広報の点訳業務などで9000万円の年商をたたき出し、障害者の給料をつくり出す、きわめてコストパフォーマンスの高い制度であることが証明されています。
 一日も早く、この制度が国の制度になることを求めつつ、あとひとつ、技術開発・商品開発力が弱い社会的事業所に技術提供する企業に報奨金を継続的に支給したり、障害者のアイデアを実用化する資金がない障害者事業所や社会的企業に資金を貸したり提供したり、さらには障害者事業所と一般企業が提携して開発する事業に助成するなど、この制度が国の制度になることでより充実した施策がどんどん生まれ、大きく夢は膨らみます。
 ともあれ、労働の在り方が多様化する今、何十年も前とおなじ労働の場をイメージした雇用促進法の制度疲労は明白で、今回の事件はそのことを国自らが証明してしまったのです。

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2012.12.27 Thu 姜尚中の講演

 12月22日、箕面市民会館(グリーンホール)で姜尚中(カン サンジュン)の講演会がありました。
 この講演は箕面市国際交流協会の20周年記念として催されたものですが、箕面で姜尚中の話が聞けるということで、とても楽しみにしていました。
 おそらく多くの方がそうではないかと思うのですが、わたしが姜尚中の名前を知ったのはテレビの深夜番組「朝まで生テレビ」に時々出演していたのがきっかけでした。
 この番組は田原総一郎が進行役を務め、政治・経済・社会の動きや問題を「いまいちばん旬」な政治家、評論家、ジャーナリストを招き、朝まで喧々諤々しあう刺激的な番組でした。
 周りで激論している中で田原総一郎が姜尚中に話をふると、物静かといえば聞こえがいいのですがどちらかというと辛気臭い語り口、結論をスパッと言わず、のらりくらりと話す彼に、他の出席者はいらいらしながらも反論を入れるタイミングをかわされる感じがとても印象的でした。
 それから彼の本をけっこう読みました。その中でも、深く考えさせられた本は「姜尚中の政治学入門」と、ベストセラーになった「悩む力」でした。
 「姜尚中の政治学入門」は「アメリカ」、「暴力」、「主権」、「憲法」、「戦後民主主義」、「歴史認識」、「東北アジア」の7つのキーワードを手がかりに今の日本の政治、社会の立ち位置を世界の近代の成り立ちに遡りながら書かれています。
 また、「悩む力」は世界を席巻する新自由主義の嵐が吹きすさび、格差は広がり、毎年3万人もの自殺者が出てしまう日本社会の中で過酷に生きざるを得ず、苦しむわたしたちに強烈なメッセージを届けてくれました。彼はこの本で、こうした苦しみを百年前に直視した夏目漱石とマックス・ウェーバーをヒントに、悩みを持つことはマイナスではなく、悩むことこそが生きる意味を見出す唯一の方法であると提唱しました。
 わたしは1982年に豊能障害者労働センターとの出会いから専従スタッフになりましたが、それまでわたしもその歯車のひとつだった高度経済成長から障害者が排除されてきたことを学びました。教育の場からも働く場からも排除されてきた障害者は富の再分配としての「福祉」の対象とされることで経済成長の最終電車に間にあった人もいたでしょうが、乗り遅れたままホームに立ち尽くす人たちも数多くいたのだと思います。
 ほとんどの障害者は親元にいるしかいのちをつなぐすべがなかった時代に、そのいのちをけずってでもあたりまえの市民として暮らしていこうとするひとたちとともに、豊能障害者労働センターは活動をつづけてきました。
 その活動の日々は年々増え続ける障害者の生活と働く場を切り開くために、お金をつくりだす日々でもありました。そんな毎日を過ごしている間に、いつのまにかわたしたちは自分が活動している小さな地域での事業から得るお金がどこから生まれ、どのような道を通り抜けてわたしたちの手の上に乗り、そのなけなしのお金が障害者の生活をかろうじて支えることでまたどこかに行ってしまう、そのプロセスに関心を持つようになりました。
 豊能障害者労働センターの設立の少し前、サッチャーやレーガンによる新自由主義の嵐が世界を吹き荒れました。日本では高度経済成長が終焉し、小泉政権になって20年遅れで実行されたその政策は簡単にいうとよくないのでしょうが、福祉が経済を圧迫する「大きな政府」から、福祉や社会保障を縮小する「小さな政府」への転換でした。
 実はわたしたちもまた、今までの福祉の充実は「富の再分配」でしかなく、ほんとうは再分配の対象とされるひとが「富の生産」の現場に参加していくことを求めてきました。
 「富の再分配」としての福祉に疑問を持つわたしたちの活動は新自由主義を主張するひとたちと一見変らないように見えますが、さまざまな事業をすすめてきた経験から、GDPに代表されるいままでの尺度で見ればマイナス成長でしかなくても、実は豊かで安心できる経済のシステムがあるのではないかと思うようになりました。
 わたしたちの実感を経済や社会のありかたとして提起してくれる学者や研究者はいないものかと思っていたところ、ポストモダンを模索する何人かのひとたちの一人として、姜尚中がわたしたちの前に現れたのでした。実際のところ、経済学からすれば専門の人ではないのかもしれないのですが、わたしたちの思う「助け合い経済」は経済の専門家からは相手にされず、かえって専門外の姜尚中の方がわたしたちの実感にぴったりくるところがあったのかもしれません。ですから、実際に会ったことも話したこともないのですが、自分の専門分野にかかわらず世界の今と日本の未来を思い、自分の人生から語る姜尚中になぜか親近感を持っていたのでした。

 講演の内容にふれる前にすでに紙面を使ってしまいましたが、この日の講演は今回の衆議院選挙や尖閣問題、竹島問題と、キナ臭い状況の中で東アジア共同体構想など、彼の持論をあらためて聞けたらと思っていたのですが、主催者へのサービスもふくめてかなりソフトな内容でした。それでもわたしたちのこれからの活動に示唆をくれた講演でした。
 その中でも、「少子高齢化の社会では外国人をどんどん受け入れることで、経済においても文化においても、そしてこの街にくらす人々の暮らしも豊かになる」という提案は、まったくそのとおりだと思いました。わたしたちは外国人にかかわらず、障害者をふくめ、彼のいう「よそもの」が次々と新しい風を呼びおこし、その新しい風を受け入れていく街が、だれにとっても住んでよかったと思える街であるという確信を持っています。
 かつての国際化からグローバル化の流れは、富も貧困も情報も簡単に国境を越え、よくも悪くもわたしたちは世界とつながってしまいます。わたしたちが住む街から遠くはなれ、名前もわからない地域で起こった出来事が一瞬にしてわたしたちの暮らしに影響してしまう、途方もない時代を生きざるを得ないわたしたちは、一方でわたしたちのささやかな行動が世界を動かすきっかけになるかもしれない可能性もまた獲得できるのかもしれません。
 講演でも触れていましたが、サッチャー後のブレア政権のブレーンが考え、実行したイギリス社会の中での小さな改革がコミュニティビジネスを生み出し、世界各地の実践が重ねられることで、ソーシャルビジネスやソーシャルキャピタルといった「助け合い経済」が、まだメインストリームとはいえないですが確実に世界の経済に一定のエリアを持つようになってきていることは事実です。とくに東日本大震災を経験したわたしたちは、かつての経済成長神話にあともどりすることはできないのが現実だと思います。
 だからこそ、姜尚中が何度も話していた「開く」ということ。国を開き、街を開き、文化を開き、わたしたちの心を開くこと。ありったけの想像力をかきあつめて、さまざまなひとびとと文化を受け入れる「越境する力-多文化主義の未来」(講演のタイトル)に向かう勇気を、この講演からいただきました。
 帰りに会場で販売していた「続・悩む力」と「あなたは誰?私はここにいる」の2冊の新書を買い、いま読んでいるところです。
 それにしても姜尚中の肉声はあいかわらず魅力的で、いままたプライベートなこともふくめてバッシングにさらされながらも粛々と行動し、発言する姿勢に拍手をおくりたいと思います。
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2012.01.10 Tue 「坂の上の雲」から懸命に坂を下ろう

 1月8日の朝日新聞に興味深い記事が掲載されていました。一面の特集記事「エダノミクス VS.マエハラミクス」で、見出しに「経済成長、見切るか追及か」とあります。レーガノミクスが有名なように、何々ミクスとはいくつかの政策を組み合わせることでマクロ経済政策の目標を実現することと言っていいのでしょうか、その意味でエダノミクスとは枝野幸男の経済政策、マエハラノミクスとは前原誠司の経済政策と言えるでしょう。 やや漫画的にというか図式的ですが、その分興味を引く内容でした。
 経済政策といえば小泉政権の竹中平蔵が中心となって日本型の新自由主義、市場原理主義をすすめたことが思い出されます。「既得権にぶら下がって生き延びている企業は退場してもらっていい、グローバリズムの嵐に耐え、失われた10年を取り戻し、新たな成長を実現するために構造改革が必要だ」と彼らは言いました。
 そして、具体的に彼らがすすめた政策は、派遣労働者市場の規制緩和、郵政民営化など公的部門への民間企業の参加、そして「すべての政策に聖域はない」と社会保障、福祉施策の見直しをすすめました。もっとも、小泉政権の福祉施策はその直前に施行された社会福祉基礎構造改革に基づいてされたのですが、「改革なくして成長なし」とか「国民全員がいたみを分け合わないと日本は再生できない」とか、国民の多くがマインドコントロールされる言葉の魔力で、数多くあった批判を呑み込んでしまったのでした。
 そしていま、特に非正規雇用の労働者の急増や、製造企業の海外移転による国内製造部門の廃止や縮小、規制緩和によって生産性が低いと言われる産業や企業の撤退などによる雇用の悪化や所得格差が社会問題になっています。
 竹中平蔵さんたちは「それらの問題は改革が中途で止まったために起こってしまったのであって、そのままもっと先まで実行していたらグローバルな市場で通用する新たな成長が実現し、その結果雇用市場も社会保障もよくなっていた」と主張されています。
 わたしは小泉政権時、豊能障害者労働センターに在籍していましたが、小泉政権の福祉施策が福祉予算を削減し、福祉を切り捨てると言って反対したわけではありません。
 豊能障害者労働センターの設立時とほぼ同じく誕生したレーガン政権が打ち出した経済政策であるレーガノミクスは、いわゆる「小さな政府」政策で福祉予算の削減し、主に富裕層への減税、規制を緩和し投資を促進するなど、経済活動を自由な市場にゆだねると言う市場原理主義、新自由主義を掲げたものでした。そこでは「機会の平等」といわれるようにスタートを平等にしておけば、それ以後は本人、あるいは企業の自己責任であって「結果の不平等」があってもやむをえないという政策でもありました。
 小泉政権が進めた政策は20年遅れのレーガノミクスのもので、当時すでに新自由主義や市場原理主義の行き詰まりを指摘するひとたちもいました。

 障害者の問題でいえば、わたしは当時も今も「大きな政府」は福祉が充実させ、「小さな政府」が福祉を切り捨てるという議論にどうしてもなじめない気持ちがあります。わたしはそれよりも、そのどちらの主張においても福祉施策の対象となる障害者を「福祉予算を消費するひと」としかとらえていないことに失望します。なぜならどちらの場合も障害者を働く場から排除していることには変わりがなく、富の再分配の量やあり方で対立しているにすぎず、その前提として経済成長が不可欠であるとしている点でも変りがないと思うのです。
 わたしはこのブログで以前、稲葉振一郎と立岩真也の対談本について書いた時に、「機会の平等」と「結果の平等」に加えて「参加の平等」を訴えましたが、本当は平等という言葉は適切ではなく、本来の働く場や暮しの場、それをつつむ社会に障害者も参加したいと思っているだけではなく、障害者の参加がこの社会の未来に必要であると思っています。
 それはこの社会や職場の構成員にさまざまなひとが参加し、知恵を出しあい、助け合うことが必要であるだけでなく、高度経済成長期にあたりまえとされてきた高利潤の産業、輸出を中心に付加価値が高く生産性の高い産業を育て、そうでない産業は滅びるにまかせ、助成金や補助金でまかなうやり方ではだめだということです。グローバル化で生産性を求める企業は海外に出て行き、その富はもう国内には帰ってきません。
それならば、国内にいるわたしたちは取り残されるのではなく、グローバリズムの悪夢からめざめ、成長神話から解放されて、顔の見えるコミニュティが生みだす手ざわりのある市場をつくりだし、お金をゆっくりとまわしていくことができないのでしょうか。
 この市場では生産者と消費者ははっきりと分かれてはいず、食べ物の地産地消はもとより、たとえば障害のあるひともないひとも共に働き共に給料を分け合って暮らしていけるコミュニティがあれば、そんなにたくさんのお金を必要としないかも知れないのです。
 つまり、社会保障の対象となるひとの所得や働く場が確保できれば、経済成長による分配すべき富は減ったとしても、富の再分配としての社会保障費もまた少なくていいのです。
 数字だけ見ていると縮小していくようで活気のない社会のように見えますか、実はより多くのひとたち、障害者もふくめたさまざまな特徴、個性を持った人たちが社会に参加でき、ひととひととが助け合える活気にあふれた社会だと思うのです。

 朝日新聞の特集記事に戻れば、わたしはエダノミクスに依って立つことになります。記事にありますように、経済成長を至上としない経済産業相もめずらしいことですが、彼が司馬遼太郎の「坂の上の雲」になぞらえて、「坂の上の雲にたどり着き、もっと先に雲はないかとこの20年探してきたが、もうなかった」、「大企業中心の輸出型から、医療や農業など内需型へ産業を移す。なにより大切なのは働く場だ。より成熟した社会に向けて懸命に坂を下ろう」と言う時、わたしは決して彼が所属している民主党を支持しているわけではありませんが、原発事故の時に数多くのバッシングを受けたこの政治家がこの考え方をどのようにより理論展開し、実現していくのか、見守りたいと思います。
 そして、このことは政治家がどうするのかではなく、わたしたちがどんな社会を望むのかを問う問題なのだと思います。
 関連で同じ1月8日の内橋克人のインタビュー記事「貧困の多数派 歯止めを」も載せておきます。ずっと前になりますが、わたしが助け合う経済を考えるきっかけをつくってくれたのはこの評論家です。

2012年1月8日 朝日新聞朝刊1面 エダノミクス VS マエハラノミクス 上の1

2012年1月8日 朝日新聞朝刊3面 エダノミクス VS マエハラノミクス 上の2

2012年1月9日 朝日新聞朝刊3面 エダノミクス VS マエハラノミクス 中

2012年1月10日 朝日新聞朝刊3面 エダノミクス VS マエハラノミクス 下

2012年1月8日 朝日新聞朝刊4面 内橋克人「貧困の多数派 歯止めを」
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2011.07.03 Sun 湯浅誠さんのお話を聞いてきました。

 7月2日、大阪市立浪速区民センターで、NPO法人共生型経済推進フォーラム主催の「共生型の社会を探る」(~被災地の未来と、支え合う地域つくりを共に考える~)というシンポジウムが開かれました。
 湯浅誠さん(内閣府参与で震災ボランティア連携室長、元「派遣村」村長)が基調講演で被災地の復興はこれからの日本社会のあり方と結びついていること、「半福祉、半就労」という働き方を積極的に進めることで被災地をふくめた日本社会の就労問題への新しいアプローチの可能性を提案されました。その後のパネルディカッションでは法橋聡さん(近畿ろうきん地域共生推進室室長)さんをコーディネーターとして、「被災地の未来と、支え合う地域づくりを考える」をテーマに、勝部麗子さん(豊中市社会福祉協議会地域福祉課長、コミュニティソーシャルワーカー)、有井安仁さん(わかやまNPOセンター理事長)、斎藤縣三さん(共同連事務局長)に湯浅誠さんが加わり、それぞれのハネラーの方々の日常の活動のお話から被災地支援活動とのかかわりについて話され、議論されました。
 
 貧困問題が示す日本社会のありようをえぐり、その解決にむけた取り組みから新しい日本社会のすがたを提案してきた湯浅さんは、被災地ではいま2つの貧困があると言います。
 ひとつは家が壊れ、仕事をなくし、蓄えもない状態で生まれる新たな貧困ですが、もうひとつの貧困はもともとあった貧困、ワーキングプア、非正規雇用、請負、ホームレスなど、格差社会の底辺で少しずつ顕在化してきた貧困が、震災をきっかけに凝縮してあぶりだされると言います。
震災から4カ月になろうとする今、避難所に残されているひとびとはもともとの貧困をかかえている人が多く、幸か不幸か、震災前には見つからなかった人が、避難所にあつまったことでサポートの入り口になるチャンスも生まれています。
 そして、貧困から脱出するには地域で就労していく道筋を制度的につくりだしながら、それぞれの貧困に寄りそい、復興のプロセスで誰一人取り残されないよう(「社会的包摂」・ソーシャル・インクルージョン)きめ細かいサポートが求められます。
阪神淡路大震災ではそれをせず、多くの震災関連死(孤独死など)がありました。今回でもすでに起きていますが、これ以上犠牲者を生まないようにするのが、残されたわたしたちの役割なのだと思います。
 わたしたちの社会ではいままで、働くことと社会保障が併存しませんでした。ですから、日本の社会保障は年金に偏っています。働くか失業かの2つしかない労働観にもとづいた就労政策では被災地の地域雇用がまかなえるはずはなく、生活保護の受給を求めるひとが多くなります。日本全体の生活保護受給者の数は1952年と同じになっているそうです。
 わたし(湯浅さん)は一般就労と失業の間に、中間的就労とよべる就労を制度的に位置づけることを提案しています。そうすることで、働くことと社会保障が併存する仕組みが生まれ、失業を減らし、生活保護に頼らない生活が保障されるのです。
 たとえば障害者の就労について学ぶことで、その仕組みを考えることができます。
 障害者の場合、福祉、つまり社会保障と就労が併存しています。就労継続支援事業B型は福祉の方に重点があり、就労継続支援事業A型は就労の方に重点があります。このような柔軟な働き方がマイノリティの分野でなく、マジョリティになっていくことで「中間的就労」を制度化し、失業者を減らし、そんなに多くの給料でなくても助け合いながら暮していける共生型社会への一つのアプローチになるでしょうし、「無縁社会」をつくらない社会的包摂の取り組みを進める大切なものになると思います。

 湯浅さんのお話は、大きくみればまったくそのとおりだと思います。ただ、「中間的就労」のモデルとして障害者支援事業のA型、B型で説明されていましたが、ここはもしかすると湯浅さんの勘違いがあったのかも知れません。というのも、障害者自立支援法にもとづく就労継続支援事業はB型はもとより、A型でも福祉政策であって労働政策ではないと思います。もともとB型は生きがい対策だけで給料をともなわない授産施設や作業所に適用できるものですし、A型は福祉工場に適用されたものです。A型は雇用保険の適用や最低賃金の保障など労働行政と思われるかも知れませんが、あくまでもそこで「働く」障害者は福祉サービス利用者であり、事業所側はサービスの提供者になります。そのため、大きな問題になったのが利用者の一割負担の問題でした。当時は負担そのものが大きな問題となって目立ちませんでしたが、就労継続支援事業A型の場合、労働にかぎりなく近い形でありながら福祉サービスの受益者として位置づけられ、一割負担をせまられることになりました。
 もうひとつ、湯浅さんは障害者ひとりひとりにあわせたサービスとして個別支援計画を肯定的にとらえられていましたが、ひとりひとりの支援ニーズにあわせたサービスと言えば聞こえはいいですが、実は障害者を国の福祉サービスの枠内に閉じ込めてしまうとても危険なものであることは障害者運動がかねてより指摘するところです。わたしたちは障害のある人もない人も共に働き、給料を分け合う就労の場を求めているのであって、障害者を福祉サービスの対象とする「就労の場」を求めているのではないのです。
それでも、湯浅さんのお話はとても大切な提案で、一般企業への就労が困難なひとの中間就労を制度化していく中で、障害者就労も福祉サービスの枠内に閉じ込めるのではなく、福祉と労働の複合政策による第三の道をめざすチャンスになるのではないかと期待します。

 パネルディスカッションでは障害者運動の立場から、斎藤縣三さんがそのあたりをわかりやすく例を用いてお話しされ、参加者の理解を深めました。斎藤さんは近年障害者の就労問題から一歩踏み出し、湯浅さんとまったく逆の立場から社会的事業所の制度化とその推進を一貫して提案されてきました。社会的事業所とは障害者に限らず働きにくい立場におかれるひとびとが生き生きと働ける事業所で、そこでは障害のあるひともないひとも共に働き、ともに給料を分け合います。そんな働き方は湯浅さんの中間就労と同じで、被災地での就労をすすめる力となるだけでなく、被災地をいままでとはちがう、新しい日本社会のあり方を示す再生へと導くことを、力強く発言されました。
 勝部麗子さんは豊中市社会福祉協議会の活動として、しのびよる「無縁社会」とたたかい、小規模な福祉の大切さを形にした活動を報告されました。
 豊中市は阪神淡路大震災の被災地として、貴重な体験と課題を持っていました。避難所での公平平等の論理では今困っている人を助けられないと、必要なひとに必要な支援をとNPO活動やボランティア活動が生まれた16年前の経験がある一方で、復興の過程でコミニュニティがずたずたに分断され壊れていた姿も目の当たりにしてきました。
 その経験が今回の災害に充分には生かされていないと思いながらも、被災地とつながる支援のあり方はさまざまにあり、目的がはっきりしている学用品を救援物資として届けたり、被災地の地酒を飲む会を開きその収益を被災地におくったりと、ユニークな支援活動を企画実行されてきました。
 そして、被災地から疎開してきた11家族28人の被災者を訪問し、必要なものを届けたり池田、箕面の社会福祉協議会と共同で箕面温泉での被災者交流会を開いたりされました。その中で印象的なお話として、農業しかしてこなかった被災者から農産物をつくるために毎日触ってきた土をさわれない悲しみを聞き、地元の障害者団体などがしている園芸教室の講師になってもらったということでした。
 勝部さんは、大阪府が進めるコミュニケーションソーシャルワーカー事業の担い手として、個別のニーズに寄り添うことでいろいなサービスの隙間を埋めることの大切さをうったえられましたが、この考え方は湯浅さんが提唱され、国がモデル事業としてはじめているパーソナルワーカーとほぼ同じ活動で、連携することでより効果的な活動になることが期待されます。
 わかやまNPOセンター理事長の有井安仁さんのお話では、まずわかやまNPOセンターは多様な価値観や文化が尊重され共生できる社会をつくることをめざして10年になる民設民営のNPO活動を支援する組織で、和歌山県全域を対象としているとのことです。
 今回の災害では和歌山県下のNPO団体がわかやまNPOセンターに結集し、相互連携しながら被災地支援活動をするためのコーデイネートをしているとのことでした。被災地支援活動に携わる人は現在150人が登録していて、毎週水曜日に定例ミーティングを開いている他、毎月11日に現地報告会を開いています。
 とりわけ画期的なのは、一般の義援金ではなく、被災地の支援をするNPO団体の活動を支援する「支える基金」募金活動を展開し、200個の募金箱を一ヶ月単位で設置、回収し、累計2,374,295円の基金が寄せられたそうです。すでに第一回助成が終了し、4団体に各25万円の助成をし、現在第二回助成の選考中です。被災地支援とは言え地域を越えた支援活動を支援するこの活動は、息長く被災地とつながる支援活動として注目されています。

 今回のシンポジウムは、被災地の復興プロジェクトの中でともすれば忘れられ、取り残されてしまう人々の存在が排除されることのない、共に生きるセーフティネットを市民の手でつくり、それを行政施策へとつなげていくことを課題として提起しました。そして新しい日本社会への再生は、「共に生きる」ためのさまざまな冒険から実現できることを確信し、今後の活動に有意義な集まりとなりました。

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2011.05.31 Tue 貧乏神と福の神

 1975年から25年も続いた人気番組「マンガ日本昔話」でも取り上げられた、「貧乏神と福の神」という昔話があります。

 むかしむかし、働き者の夫婦が住んでいました。働けど働けど生活はいっこうに楽になりませんでしたが、ふたりして一生懸命働いたので、その年の大晦日にはわずかながらお正月のお餅をつくことができました。
 すると天井の隅っこの方ですすり泣く声がするので、若者はびっくりして天井にあがってみると、やせ細ったヒゲぼうぼうの貧乏神がいたのです。
 なんでも貧乏神はこの家にずっと住んでいたが、今晩、福の神と交代するためこの家を出ていかなければならない。それで悲しくて泣いているというのでした。
 「元気をお出し!この餅とさかなをたらふく食べなさい。」と夫婦は貧乏神を励ましました。
 そこへ福の神がゆっくりと家の前までやってきました。「われこそ、福の神じゃ。この家に福を与えにやってきた。貧乏神はさっさと立ち去りたまえ。」
 「いやじゃ。この家からは一歩も離れないぞ。この家の主がずっといてもいいと言ってくれた」。
 貧乏神が出ていかないと言い張るので、貧乏神と福の神がとっくみあいのケンカになりました。負けそうになった貧乏神をふたりで加勢したので、福の神は負けてその場にバタンと倒されてしまいました。
 「こんな家には二度と来てやらないぞ。」と、福の神はプリプリ怒り、行ってしまいました。そして「打ちでの小槌」を忘れていきました。
 貧乏神が「これは、打ちでの小槌というものです。望みをかなえてくれます。何か欲しいものはありませんか」と言い、2人の望みをかなえてやると、「われは今日より福の神。」と言って屋根裏に戻っていきました。
 2人はその後も一生懸命働いて、末永く幸せに過ごしました。
 いっしょうけんめい働いたら「打ちでの小槌」が手に入り、金銀ざくざくお金持ちになって幸せにくらしたという、調子のいい話です。
 なけなしのお餅まで貧乏神にあげるというのは年貢をとことんとりあげることだろうし、きっとどこにもない「打ちでの小槌」という餌をぶらさげて民衆を押さえつけてきた支配の構造があぶり出される話でもあります。

 それでもわたしは、この話に可能性を見つけています。最後に手に入る「打ちでの小槌」は別にして、わたしたちがつくりだし、つながっていこうとしている「障害者市民事業ネットワーク」はまさしく貧乏神の経済、貧乏神の思想なのだと思います。
 それに対してお金がお金を生み、世界各地で貧乏を再生産することで富が蓄積されていくグローバル経済は福の神の思想なのかも知れません。
 この物語ができた背景はその頃の支配構造そのものであるとしても、貧乏神のいとおしさと福の神の傲慢さに表現されているものは「助け合い」の思想、文化だとわたしたちは思います。だからこそこの物語はきっと多くの民衆によって支えられつくりかえられ、伝えられてきたのだと思います。
 そして、わたしたちはわたしたちなりに「貧乏神の経済」を実現していきたいと思います。わたしたちには、福の神が忘れていった「打ち出の小槌」はありません。「打ち出の小槌」がなくても、つつましやかであっても、貧乏神の経済が助け合いの文化に支えられ、生きがい、夢、恋、友情がいっぱいつまった豊かな経済であると信じて、新しい出発をしようと思うのです。

経済もまた夢を見る、貧乏神と福の神(恋する経済&障害者市民事業ネットワーク)
豊能障害者労働センター


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