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2016.05.14 Sat KISS PEACE Tシャツ・PEACE MARKETへの道9

KISS PEACETシャツ

2006年にKISS PEACE Tシャツの製作にあたって書いた詩です。

1947年、ぼくたちが生まれた年
日本国憲法が生まれた
ぼくたちがまだ小学生だったころ
街は戦争の傷跡を生々しく残していた
他人などかまっていられないはずの隣近所は
「こんなときはおたがいさまや」と
父親のいないぼくにも手をさしのべてくれた
農繁期になると、家のしごとがいそがしくて
学校に来ないともだちもいた
学校の先生の言うことと
親の言うこととどっちを信じるねん
親たちはまだ学校も民主主義も信じていなかった
ぼくたちこどもはちがっていた
「あなたがたは自由です。それはたいせつな権利です」
と教えてくれた学校にわくわくした
新しいニュースは学校がいち早く教えてくれた
それがミルクやパンを日本市場に進めるための
アメリカの食料会社の作戦だったこともあった
ドッジボールとハーモニカ
セミの合唱とNHKのど自慢
高校野球と真空管ラジオ
鉄条網と原っぱと布製グローブ
伝説の民主主義は圧倒的な明るさで
貧乏なこどもたちの未来を照らしていた

しばらくしてぼくたちは、中学生になった
1960年6月15日、日米安保条約をめぐって
全国で580万人のひとびとがデモをした
学生たちが国会突入をはかり警察官と衝突し
東大生・樺美智子さんが死んだ
そして学校はいつのまにか
ぼくたちに自由の大切さを教えなくなった
「権利よりも責任を、自由よりは公共を」
街はゆたかになろうとしていたが、
ぼくはすこしずつ学校がきらいになっていった

高校を卒業して、ふと気づいたら
いつのころからか、憲法も平和も
守らなければならないものになっていた
憲法は当時のアメリカに押し付けられたものだし、
軍隊を持たない平和なんてありえない
と、考えるひとたちもたしかにいた
そのひとたちと向かい合うとき、
憲法と平和を守るというだけで
わかりあえるはずはなかったのだと思う。
1947年の憲法はけっして守るものではなかった
それは人類が見つづける最後のせつない夢
理不尽な暴力で死んでいったひとびとのたましいが
すぐあとに生まれたぼくたちに残した
最後のせつない手紙だったのだ
ぼくたちはもう子どもではない
街は70年安保闘争へとつながるデモがくりかえされていた。

1995年の阪神大震災、地下鉄サリン事件
2001年9月11日、そしてまた、そしてと
世界の悲鳴はすでに限界点をこえている
1947年の民主主義では、世界の平和をつくれない
と、多くの人々が思うようになった
けれども、ぼくたちはもうひとつの真実を知っている
世界の平和は、武力でもまたつくれないのだ
ひとは武器を持つこともできるが、
楽器を持つこともできるのだ
ひとは銃弾を胸に撃つこともできるが、
歌で心を打つこともまたできるのだ
ひとは手で殴ることもできるが、
手をつなぐこともできるのだ
ひとは罵倒することもできるが、
キスすることもできるのだ
ひとはあきらめることもできるが
ゆめをみることもできるのだ
ひとはさべつすることもできるが
ともに生きることもできるのだ

キスすることは、いのちの重さにふれること
世界のかなしみにふれること
死んでいったひとびとのゆめにふれること
キスすることは、共に生きる勇気にふれること
世界のかがやきにふれること
いまを生きるあなたのゆめにふれること

夜があけるまえの、もっとも深い漆黒が
ぼくたちのからだとこころをつつむ
ぼくたちはいま、傷ついた世界に
たったひとつの地平線を描くため
ふたつのくちびるをつなぐ

平和にキス!

kisspeaceTシャツ


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2014.10.19 Sun さらば豊能障害者労働センター2 お店の運営で学んだこと

 何度も書いてきましたが、豊能障害者労働センターが設立された1982年ごろは、国際障害者年をきっかけに変わりかけてはいましたが、障害者の問題を人権問題や社会問題としてではなく、「かわいそうなひと」への福祉活動の対象としてとらえる空気が多々ありました。ボランティア活動も「奉仕活動」といわれることもまだ残っていました。
 そして、社会を構成するかけがえのないひとりの市民として障害者を迎え入れることをめざした国際障害者年の「完全参加と平等」という垂れ幕だけはどこの市役所にも垂れ下がってはいたものの、一部のボランティアの人たちを除くと、ほとんどの市民は障害者と生活の中で出会うことがほとんどない時代でもありました。
 もちろん、制度が確立されていない中、福祉政策に裏付けられた助成制度も貧弱なだけでなく、助成制度の目的も未来への展望も、障害者をひとりの市民としてその市民権を獲得していくには程遠いもので、ほとんどの障害者が経済的な基盤を親元にたよらざるを得ませんでした。
 そんな現状の中で、一般企業が雇わない障害者の所得をつくりだそうと活動をはじめた豊能障害者労働センターでしたが、最初の事業である粉石けんの販売ではどうにもならず、毎週日曜日の募金活動でしのいでいたことは前回に書きました。
 その次にはじめたのがお店の経営で、たこ焼き屋、衣料品店、百円グッズの店、クリーニング屋、ファンシーグッズ、食堂、福祉ショップ、リサイクルショップと、1983年秋から現在にいたるまで、すでに閉めたお店もふくめると7つの場所で業態を変え、現在はリサイクルショップ3店と福祉ショップ、食堂の5店舗を運営しています。
 経営的には、障害者スタッフもふくめてそれまで商売をした経験がまったくなく、応援してくれるひとたちのアドバイスとまわりの商店の見よう見まねで、いわば「お店ごっこ」といってもいい状態でした。ですから、当時のまわりの商店がしのぎを削って運営していたことも、それでも成り立たずお店を閉めざるをえなくなった商売の厳しさもわかるはずもありませんでした。それでも、とにかく「継続は力なり」の言葉通り、細々ではありましたがお店を維持し、お店を増やしていきました。
 事業の開業資金や運営の維持費など、一般的な事業なら銀行融資による借入とそれを何年計画で返済していくかという事業計画を立てるのが本来の在り方ですが、そんな商売の常識はわたしたちにはまったくありませんでした。
 今でこそ、NPO法人化された他の障害者団体の場合には生活介護に対する国の制度にもとづく事業計画を立てなければならず、またそれに基づいた銀行融資が可能になっていますが、わたしたちには事業計画を立てるような経営力も経験も担保にできるものもなく、銀行の融資の資格に沿うものがありませんでした。
 銀行融資も望めず、少ない助成でかろうじてつながっていた箕面市からも当時は事業計画を求められもせず、つまりどこからも相手にされていないわたしたちは、自前のなけなしのお金から開業資金をあて、思いついた時に思いついた場所でそれぞれの障害者の希望をエネルギーにお店を開き、維持してきたのでした。
 その頃「トヨタの無借金経営」が話題になっていましたが、わたしたちもまたそれに匹敵する無借金経営でした。もっとも、わたしたちの場合は銀行が貸してくれないので自前の資金しかない完全無借金経営しかやりようがなかったのでした。おおざっぱな目標は立てるものの行き当たりばったりといえる経営で、他の福祉団体のような助成金運営でも介護報酬による運営でもなく、一般の小売業とおなじ一枚の服、一食のランチ、一枚のおむつを販売する事業収益で運営しようというものですから、たとえ借金しても返せる当てなどあるはずもありませんでした。
 そんな堅実で貧弱な経営でありながらもお店を続けていくことで、わたしたちなりのルールができて行きました。わたしは悪戦苦闘のお店の運営を通じて、そのルールが豊能障害者労働センターにとって大切なだけでなく、日本や世界の「もうひとつの経済」のありようを提案するひとつのアイデア・理念と考えるようになりました。
 最初の頃はサポートスタッフとして運営に参加し、今ではメインスタッフとして障害者が運営の責任を担う場になったこと、そのことは労働センターの活動の在り様にも重要な変革となったこと。
 公的な助成金や介護報酬による事業では専門の職員やボランティアなど、いわゆる「福祉」に囲まれてしまう障害者が、お店の運営を担うことで一般の市民のひとびとと直接対等に出会える場となったこと。それは講座をしたり啓発活動をするよりもはるかに意義のある啓発活動であること。
 最初は「福祉」に協力するカンパ(募金)活動のひとつとしてお店に来ていた市民のひとびとが、一般のお店と同じように商品の善し悪しやサービスなど、いろいろなアドバイスをしてくれるようになったこと。
なけなしのお金をつぎ込む分、経営の失敗は命取りとなることを自覚し、一般の融資条件とはまたちがう費用対効果を真剣に考えるようになったこと。
 経営の成果を利潤に求めるのではなく、どれだけ障害者の雇用と給料の向上に成果があるかをいつもかんがえるようになったこと。
 そして、それらのルールづくりはそのまま、豊能障害者労働センターが一般企業に就労できない障害者の働く場をつくり出し、給料をつくり出すことにとどまらず、障害者が中心になって参加、運営を担う社会的企業として組織変革し、障害者の問題をはじめとするソーシャルビジネスを進めていくことでもあることを学びました。

 カレンダーの制作販売は1984年、粉せっけんの販売をきっかけに集まっていた5団体ほどの障害者団体が共同で制作し、おのおのの地域で販売しようというものでした。
 当時の販売方法はそれぞれの団体が支援者や支援団体に協力をお願いし、障害者問題を訴えながら「カンパ商品」として販売するというものでした。
 豊能障害者労働センターにおいてもカレンダーの販売は一年の赤字を補てんし、残ったお金をみんなで年末一時金として分け合うための事業として出発しましたが、それだけではなく、地域でのお店の運営で学んだ労働センターの理念を、ちがう形で実行することでもありました。1984年当初は数少ない支援者を通じて販売していましたが、1988年からは今に続く通信販売の最初の商品として、狭い「福祉」の枠にとどまらず、広く一般市民に直接働きかける販売方法へと変わりました。
 そのことが豊能障害者労働センターの活動をより広く伝えることになり、わたしたちの経済活動の在り様や理念を大きく変えることになりました。
 このシリーズの次回はカレンダーの通信販売のはじまりと、その後の足跡について書きたいと思います。

 この記事は、わたしが豊能障害者労働センターに在職していた時に学んだ経済活動について考えるものであり、その活動の記述は必ずしも現在の豊能障害者労働センターの活動とはちがうところが多々あると思います。ご容赦ください。

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2011.07.25 Mon ありがとう、ガッツくんTシャツ人気です

ハワイアンチーム おそろいでガッツくん2
 豊能障害者労働センターが救援バザーと同時に企画しました被災障害者支援Tシャツは7月25日現在、3000枚を製作、販売することができました。
 販売を開始した4月以来、豊能障害者労働センター機関紙「積木」をはじめ、豊能障害者労働センターホームページでの案内にくわえて、被災障害者支援・ゆめ風金の協力で、ゆめ風基金の機関紙とブログで紹介されたことで、全国から注文が寄せられました。
 また読売新聞など、マスコミでとりあげられたことでより広く被災障害者支援Tシャツと豊能障害者労働センターの活動を伝えることができました。
 とくにガッツくんTシャツは個人の方はもとより、保育所や学校、福祉施設、時には一般企業から、「おそろいで着たいので」と、セットで注文して下さるケースも多く、そのおかげで1800枚をこえる人気となっています。
 最初の企画では、16年前の阪神淡路大震災の時に製作されたものが現在に通用するのか、不安もありました。しかしながら、反対に「なつかしい」、「どの被災地でも<上を向いて歩こう>が歌われるように、障害者の救援Tシャツはガッツくんですよ」と言って下さり、ほんとうにガッツくんを復刻させてよかったと思います。
 また今回は若い人が応援してくれました。前にも書きましたが、たまたまゆめ風基金のボランティアに来てくれた若い女性がガッツくんTシャツのことを知り、ご自身の知り合い、友だちにすすめてくれた他、インターネットを通じても呼びかけてくれたのでした。
 彼女のネットワークだけで100枚近くを販売してくれたのですが、そのうちのひとつ、ハワイアンのグループがハワイにたつ直前にガッツくんTシャツを購入し、おそろいで着てくれたうれしい写真がハワイから届きました。
 Nさん、そして、Nさんのよびかけに応えてくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。
そして時間を争うぎりぎりのところで間に合わせてくれたゆめ風基金のミュージシャンでもある加納ひろみさん、ごくろうさまでした。
ハワイアンチーム おそろいでガッツくん1

恋する経済&障害者市民事業 ともに生きるすべてのひとの希望をたがやすために

積木屋 豊能障害者労働センター

ガッツくんTシャツのお問い合わせ、お申し込みは
積木屋 豊能障害者労働センター きぼうのガッツくんTシャツ


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2011.07.21 Thu 国際歴史言語学会のロゴデザインを小泉祥一さんが製作!

小泉祥一 2011年7月25日から30日まで、大阪万博公園にある国立民族学博物館で、第20回国際歴史言語学会が開かれます。アジアではじめて開かれるこの国際会議のロゴマークを豊能障害者労働センター代表の小泉祥一さんがデザインするとともに、会議のロゴTシャツも製作し、会場で販売されることになりました。

 この会議の案内に、こう書かれていました。
「国際歴史言語学会とは、歴史言語学や言語変化をテーマとした国際学会です。いわゆる比較方法を用いた系統論等はもちろんのこと、類型論的視点からみた言語変化、社会言語学における共時的現象の分析や認知言語学におけるアプローチ、またコンピューターを用いた分析手法など、言語変化への幅広い分野からの発表が行われます。第20回は、アジア圏では初の開催となり、一段と幅ひろい分野で国際的に活躍する研究者が集まることが期待されており、さらに最終日には、国際シンポジウム「アジア・太平洋地域諸言語の歴史研究の方法―日本語の起源は解明できるのか―」を開催。日本語系統論への科学的アプローチの現状と課題についてじっくり討論します。」
 わたしは歴史言語学という学問があることも、その国際会議がすでに20回目になることも知りませんでした。かろうじて、この学問とは反するのだと思いますが、同時代の言語の構造や一般規則を考察する共時的な研究で近代言語学の礎を築いたソシュールから構造主義、フーコーへの流れを解説書でなぞった程度です。
ですから、この案内文を読んでもよくわからないのですが、とにもかくにも、国際会議のロゴを小泉祥一さんがデザインしたことを、ほんとうにすごいことだなと感激しました。
小泉祥一製作風景 ことの経緯は、昨年の年末に阪急箕面駅でTシャツのチラシをまいていたら、この会議の事務局を担当されている、国立民族学博物館民族文化研究部総合研究大学院大学の菊澤律子さんがたまたまそのチラシを受け取り、小泉さんのプラスWeTシャツのデザインに感動されたのがきっかけだそうです。菊澤さんはさっそくこの会議の略称である「ICHL」のロゴのデザインと、そのロゴを使ったTシャツの製作も依頼されたということです。
 この国際会議のホームページ(英字)ではロゴデザインを製作したアーティストとして小泉さんを紹介している他、ロゴTシャツも掲載されています。

 思えば、小泉さんのアーティストとしての出発は、1984年の「れんげや」の看板からでした。彼の描く線や形は、単に脳性まひ者の不随意運動からくる見かけの面白さだけではない、独特の力強さがありました。
1998年、豊能障害者労働センターの経営が行き詰った時、小泉さんのデザインで活路を開こうと製作されたプラスWeTシャツが多くの方に受け入れられた時は、豊能障害者労働センターのスタッフみんなが喜びました。それから、いろいろな障害者スタッフのデザインでオリジナル商品をつくることを続けてきました。
今回のお話を聞いて、長年にわたり障害者のオリジナルデザインにこだわってきたTシャツ製作の努力が、国際会議のロゴデザインをつくるまでになったことを、ほんとうにうれしく思います。
ICHLロゴTシャツ

国立民族博物館・第20回国際歴史言語学会(ICHL2011)
第20回国際歴史言語学会(ICHL2011)英文
カンファレンス・ロゴTシャツ紹介ページ
国立民族博物館研究スタッフ・菊澤律子
菊澤律子個人ページ
第20回国際歴史言語学会紹介記事2011年7月2日毎日新聞朝刊
豊能障害者労働センター
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2011.06.03 Fri 被災障害者支援Tシャツ すべての人の希望をともに耕すために

 以前にもお伝えしましたが、豊能障害者労働センターが被災障害者支援Tシャツを制作販売しています。ガツツくんTシャツ、耕すTシャツなど、被災地の障害者とつながり、「再生の中に共生を」と願う心をメッセージにしました。売り上げの1割を支援金とするこのプロジェクトはたくさんの方々のご協力をいただき、すでに1800枚を販売しています。

 豊能障害者労働センターからのメッセージを転記します。

すべての人の希望をともに耕すために
  私たちは、昨年の10月から、2011の春に販売するTシャツのコンセプトをみんなで考えはじめました。
時代は、「孤族」といわれるように、自殺者年間3万人、人身事故で日々電車が止まるというように非常な閉塞感に直面していました。リーマンショック後、グローバルな「市場」経済に大きな課題があることを誰もが思いつつ、「にんげんの豊かさ」のためそれをどう超えていくか模索している状況がつづいていました。私たちの会議でも様々な意見が出されましたが、「希望を耕す」という言葉へとみんなの思いが重なっていき、2011年の活動テーマとなりました。「たのもしい仲間 一人一人の希望を耕すために」(積木223号 2011年2月10日発行)。ひとりひとりが、自分の暮らしを大切にしながら、その暮らしの中で社会とつながり活かされていると感じられる。
 人を排除する経済ではなく、「希望を耕す」経済へ、あふれる思いも、恋も、夢も受け止めてくれる経済、そんな思いを込めました。
 実はこのとき、この大きなテーマを受けとめる言葉を、私たちは、阪神淡路大震災の救援活動のときの言葉に重ねていました。
 「被災した障害者とともに希望をたがやすために 兵庫県南部地震障害者救援活動に あなたの力を貸していただけないでしょうか」(積木79号 1995年3月3日発行)。
 1995年、この言葉とともに豊能障害者労働センターは、全国からの障害者支援の救援物資のターミナルとなり、後日、地域での救援バザーを行いました。救援金を含む地域での様々な支援活動が後の「ゆめ風基金」へとつながりました。私たちは、「再生の中に共生を」という当時の思いに2011年のテーマを重ねたのでした。
 
 2011年3月、東日本大震災により、本当に多くの人のいのちと暮らしが失われ、寸断されました。震災の圧倒的な暴力に失われた暮らしのあまりの大きさに、私たちは、そして、日本中が引き裂かれる思いを経験しています。直接被災された方々の痛みに遠く及ばないとしても、私たちそれぞれの心に湧き上がってくるこの大きな痛みは、「にんげん」がつながっていることの証しかもしれません。
  「救援特別号」をお読みいただき、本当にたくさんの方々が支援金やバザー用品を全国各地からお送りくださり、心より感謝しています。私たちは今、みなさんの思いに勇気をいただきながら、五月の救援バザーに向けて準備をすすめています。
 さらに夏に向け、被災障害者支援を継続して行っていくために、私たちは、この春から販売するTシャツ三種をすべて、「東日本大震災被災障害者支援Tシャツ」として位置づけ、売上の一〇パーセントを支援金として「ゆめ風基金」に届けることを決めました。
 「きぼうのガッツくん」Tシャツは、一九九五年の阪神淡路大震災のあと、現地の被災障害者の人たちと市民の有志が、街と暮らしの再建を願いつながりを作っていこうと制作した「ガッツくんTシャツ」の復刻版です。「こころ」の象徴であるハートをかかげて走る人を、イラストレーターの湧嶋克己さんが描かれまし た。
 神戸発、多くの人の手で灯された希望の火を、今、東北関東の被災地へ届けたい。そんな一心で復刻し、代表・小泉祥一の「耕そう。希望を。」というメッセー ジと合わせ制作しました。
 「耕す」Tシャツは、代表・小泉祥一の書をもとにデザインし、「にんげん」の再生への歩みに願いをこめました。「大地があって、 空があって、街が息づき、人間がいきる。ともに生きる土台が、再生されることを、続いていくことを、心から願います」。
 「カルティベイトTシャツ」は、Cultivate(カルティベイト)=「耕す」の意味です。さまざまな人が集まり、大切にひとつの芽を育てていくイメージをデザイン化しました。
 また、秋には、毎年障害者の所得をつくりだすために販売してきたカレンダー「やさしいちきゅうものがたり」の売上げの一部も支援金に充てることを決めました。10月と11月に箕面市で松井しのぶさんのカレンダー原画展を催します。ぜひご参加ください。
 これからさらに、全国の障害者団体、グループの方々、たくさんの市民の方々と力をあわせ、被災障害者支援活動を継続し、「共に生きる」つながりを作っていけたらと願っています。本当の「復興」まで途方もなく困難な道のりです。
 すべての人の希望をともに耕すために。
 どうか、私たちの行動を、応援していただけないでしょうか。
「積木」NO.224 (2011年4月28日発行) <テキスト版>

豊能障害者労働センター
TEL:072-724-0324 FAX:072-724-2395
E-mail:info@tumiki.com 
オンラインショップ積木屋 http://www.tumiki.com/

わたしのホームページではTシャツの紹介の他、わたしが過去のTシャツ製作の時に書いたTシャツに関するエッセイを掲載しています。
被災障害者支援Tシャツ(恋する経済&障害者市民事業ネットワーク)
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