争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

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2018.02.06 Tue 辺野古のたたかいは民主主義の最後の砦か真の民主主義の最初の一歩か・沖縄県名護市市長選挙

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 名護市長選挙は新基地建設に反対する翁長雄志知事ら「オール沖縄」勢力が推す稲嶺進氏が3選を果たすことができず、とても残念な結果になりました。
 辺野古新基地建設問題を最大の争点と掲げ、「基地と引き換え」の再編交付金に依存しない経済振興や教育福祉の充実を訴えた稲嶺進氏でしたが、辺野古沖での護岸工事を国が強引に進め、「もう止められない」との諦めムードをつくり、米軍普天間飛行場の辺野古移設問題を争点から外し、経済振興を前面に押し出した渡具知武豊氏に敗れてしまいました。
 公明党が前回の自主投票から今回は渡具知武豊氏を推薦、選挙戦に参戦したことや、菅官房長官や自民党の大物代議士や小泉進次郎氏まで投入し、徹底した組織選挙を展開した 結果、企業や団体などの組織固による期日前投票が4割を越えました。
 早速政府は5日、在日米軍再編への協力に応じて自治体に交付する「再編交付金」を巡り、支給が止まっている沖縄県名護市に交付する方向で検討するということです。
 「国に逆らうやつにはムチを、国に従順なやつにはアメを」という、とても分かりやすい仕打ちは、そもそも国の未来をデザインする「政策」などは存在しないのでしょう。
 苦渋の想いで投票せざるを得なかった名護市のひとびとの心情に思いをはせつつ、6割以上のひとびとが辺野古の基地建設に反対している事実を忘れてはいけないと思いますし、名護市や沖縄県の人々だけの問題ではなく、日本社会で生きるわたしたちの民主主義の危機であると強く思います。

 わたしは正直のところここ2、3年、「憲法カフェ・のせ」の学習会で学ぶまで、沖縄のことを知りませんでした。それまで、先の戦争で沖縄が本土防衛の犠牲になり、10万人とも12万人ともいわれる沖縄のひとびとが亡くなったことや、1972年の本土復帰、米兵による性暴力などを知っていましたが、それらをつなぐ沖縄のひとびとの度重なる長い苦難の歴史を知らずにいたこと、知ろうとしなかったことをとても恥ずかしく思います。
 古くは薩摩の琉球処分、そして本土防衛の犠牲になった沖縄戦、戦後の占領政策をへて日本が主権回復したとされる1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約によって、沖縄はアメリカを唯一の施政権者とする信託統治制度の下におかれました。当初は一部では日本の支配から解放され、独立する契機ととらえるひとたちもいたと言いますが、その後の沖縄は本州の基地が少なくなっていくことに反比例するように基地が増えていきました。(現在、在日アメリカ軍専用施設の7割が、日本の国土の0.6%の面積しかない沖縄に存在しています。また沖縄本島の2割、沖縄県全土1割を米軍基地が占めています)
 しかも、基地にされた土地は本州に比べて私有の農地が多く、土地を奪われることは職を失うことでありました。基地によって経済が潤ってきたではないかと言われますが、実際のところ沖縄県民の総所得に占める基地関係収入の割合は5%過ぎず、基地が沖縄経済を圧迫しているといっていいでしょう。
 平均年収全国ワースト1位、失業率と非正規雇用率全国1位と、沖縄県の経済と暮らしが他府県との間に地域格差がある理由の大きな一つに基地の存在があります。地域創生が叫ばれる中、国は地域での創意工夫を求めますが、これだけの面積を基地に奪われていては、観光を中心とする産業振興もままならないことでしょう。
 その上、民主主義の基本中の基本である「自分たちのことは自分たちで決める」という自己決定権までも奪われた上に、この72年間でアメリカ軍基地に関連する多くの事件・事故が起こり、そのたびに加害者のアメリカ兵が責を負うことも裁かれることもなく、沖縄のひとびとの人権はことごとく奪われてきました。一方、思いやり予算として施設にかかわる費用は日本政府が負担しつづけてきました。沖縄が法治国家・日本に所属する一地域であるとはとうてい言えず、信託統治の時代から本土復帰後現在に至るまで理不尽なことが72年も放置され、増殖されてきたことを痛感します。
 日本政府からもアメリカからも土地を奪われ、あたりまえの切ない夢も希望も未来も人権も、そして命までも踏みにじられてきた沖縄…。戦後すぐに生まれたわたしの生きて来た民主主義が、沖縄の人々を踏みにじり、その犠牲の上につくられた砂上の楼閣と言っても過言ではないと思い知りました。
 1972年の本土復帰は、信託統治という実質の植民地政策から解放され、平和憲法のもとで日本社会に復帰し、民主主義を取り戻すことと信じた沖縄の人々を裏切り、選挙の結果すら無視される実質の日本の植民地に代わっただけだったのでしょうか。

 1月28日、兵庫県の川西能勢口駅前のホールで開かれた「命どぅ宝!知ろう!感じよう!沖縄のこころ」という催しで講演された宮城恵美子さんのお話を聞き、そんな沖縄の歴史の果てに今の辺野古基地建設反対のほんとうの民意があり、今回の選挙結果に左右されることのない一貫した粘り強くあきらめない「たたかい」が沖縄のひとびとだけでなく、わたしたちの「たたかい」でもあることを強く感じました。
 実際のところ、日本政府とアメリカに蹂躙され、理不尽な暴力に耐え忍んできた沖縄のひとびとの堪忍袋が切れても不思議ではないところに来ています。歴史的に見ても、琉球処分からつづく植民地政策によって沖縄はむりやり日本社会に組み込まれ、固有の民族としての誇りを踏みにじられてきた結果が今の姿だとも思うのです。
 沖縄で何度も論議されてきた「琉球独立」がいつか現実のものになるかもしれないし、そうでなくても今までの「植民地政策」をあらため、沖縄固有の独立した文化と社会システムを補償しながら日本社会にとどまるという選択肢もあるかもしれません。
 あくまでもそうでなく、日本社会の一員として辺野古をはじめとする沖縄のひとびとの運動が継続されるとしたら、それはわたしたちもまた沖縄を排除することで加担してきた一員として、高度経済成長を謳歌してきた日本社会の民主主義の最後の砦でもあり、またそれは72年前に戻り、瓦礫の中にあったはずの希望と夢を沖縄の人々と共有し、世界の宝・日本国憲法をのもとで、ひとを傷つけることもひとに傷つけられることもなくしていく努力とともに生まれるほんとうの民主主義をわたしたち自身がつくることなのだと思います。
 沖縄の辺野古は基地建設は宮古島など先島の自衛隊配備とともに、東アジアにおけるアメリカの軍事戦略のもとで日本そのも全体が前衛基地となり、ある意味アメリカの植民地になる第一歩なのだと思います。

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2018.01.27 Sat 安室奈美恵、小室哲哉の引退と島津亜矢・時代が変わる大きな潮目。

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 安室奈美恵の引退と小室哲哉の文春報道をきっかけにした引退。90年代を席巻したJポップをけん引した2人の引退は、時代の潮目が大きく変わろうとしていることを暗示していると思います。
 1970年代の阿久悠から80年代の松本隆を経て90年代の小室哲哉と、この3人はくしくも10年ごとに日本の大衆音楽を大きく変革した人たちですが、その中で小室哲哉はダンス音楽を持ち込むことで、まだ歌謡曲の域を完全には抜けきれなかったポップスに、世界に通じるまったく新しい若者文化を誘発したプロデューサーとしての才能が抜きんでた人だと思います。
 そして、小室哲哉の音楽が世間に躍り出ることになったのが安室奈美恵であったことを思うと、引退の理由はそれぞれ違い、特に小室哲哉の場合はすでにお腹いっぱいになっている「不倫騒動」が直接のきっかけになっているとしても、一つの時代がまた終わったという感があります。
 というのも、90年代は小室哲哉一色のように見えましたが、松本隆や松任谷由美など80年代の詩的でメロディアスな名曲が時代に溶け込んでいった時期でもあります。
そこから一方ではシンガー・ソングライターの本格的な台頭とバンドブームがあり、さらにはヒップホップが定着し、戦前から戦後の長い間、欧米の音楽に対するコンプレクスをばねにつくられてきた日本の音楽シーンがいい意味で自立し、成功体験はないものの世界の音楽シーンにデビューしたり、反対に世界を気にしないで自分の音楽を発表する若者が台頭してきました。
90年代末に現れた宇多田ヒカルによって自分の音楽的冒険が終わったと証言している小室哲哉はその時点でいつ引退してもおかしくなかったのだと思います。
 90年代の小室哲哉の音楽の巫女的存在だった安室奈美恵はリズム&ブルースやヒップホップなど、ブラックミュージックのにおいの強い音楽でトップスターになりました。実際は小室哲哉のプロデュースは1995年から2001年までで、それ以後は小室哲哉から離れてセルフプロデュースでヒット曲を連発するようになりました。
 引退ということで、いろいろなマスメディアが取り上げるのはどうしても小室哲哉プロデュース時代で、ほとんど彼女の歌についていけなかったわたし自身もなんとなくその時代に目が向きますが、今回彼女の活躍の歴史を振り返ると、むしろ小室哲哉から離れてからの方がその人気の絶大さもさることながら、音楽のクオリティもライブのパフォーマンスもはるかに優れていることを知りました。
 年代的にも15歳でデビューし、40歳までの25年間の中でも2001年からのセルフプロデュースの期間の方が長く、彼女の評価はすでに小室哲哉時代では測れないことを知りました。
 とくに、テレビへの出演をなくし、ライブ一本で活動を続けてきたことや、そのライブでもMCがなく、初めから終わりまで歌とダンスのパフォーマンスだけで桁違いの観客動員と、彼女の音楽に対するシンパシーを高め続けてきたことに、まさしく平成の歌姫と呼ぶにふさわしい存在であったことをあらためて知りました。
 引退表明後のベストアルバムもダブルミリオンとなり、史上初となる10代・20代・30代・40代の4つの世代でのミリオンを達成しました。
 わたしは島津亜矢のファンとして、どちらのファンの方々にもひんしゅくを買うかもしれませんが、ジャンルもファン層もセールスの規模もまるで違いますが、音楽に対する真摯な姿勢やライブを一番とする活動など、安室奈美恵もまた島津亜矢とつながる音楽の冒険の森にいたる果てしない道を歩んできたのだと思います。
 昨年の紅白への出場を最終的に受け入れたのも、引退のライブツアーに来れないファンためだとされていますが、そのあたりもファンへの感謝を持ち続け、決しておごらず愚直に歌を歌うことでしかその気持ちを表せないと考えるところや、ベストアルバムの収録曲を手抜きせずわざわざ歌いなおしたと聞くにおよび、島津亜矢の歌への覚悟と心情につながっていると思いました。ほぼ同時代をまったく違った道を歩いてきた安室奈美恵の歌心と音楽的冒険もまた、まだまだつづく島津亜矢の旅のリュックに大切にしまっていってほしいと思います。
 わたしはくわしく知る機会がないのですが、リズム&ブルースの奥底にある悲しみと怒りを感じる感性が安室奈美恵にあり、それは本土を守るために沖縄の人々を犠牲にし、戦後は沖縄を踏み台にした戦後民主主義の矛盾に育てられた少年少女の一人であったことと無関係ではないと思うのです。
 ともあれ、島津亜矢がたとえば「一本刀土俵入り」や「瞼の母」を歌う時、今までどちらかというと「男歌」としてとらえられてきましたが、わたしは生まれ育ちから決して「期待される親子像」や「期待される家族像」とは縁遠い人生を送らざるを得なかった青年(少年)、非情な世界で生きざるを得なかった青年のかなしさと、それでもなくさなかった純情を、凛とした立ち振る舞いと少し遠くを見つめる瞳にかくしてまっすぐに歌いきります。
 それはそのまま、これらの芝居を書いた長谷川伸の表現の核心でもあります。
 長谷川伸の世界から生まれ、語り継がれてきたこの物語は、島津亜矢の歌の中でもう一度、傷つきやすい少年時代の官能的とも言える心の叫びとなってよみがえるのでした。
 長谷川伸の描く義理人情の世界は、いつのまにかあまり表だったものではなくなりましたが、いまだに歌や大衆演劇などで語り継がれているのもまたたしかなことで、いま、もしかするとわたしたちの心の底で、もう一度長谷川伸を必要としているのかもしれません。
 島津亜矢の場合も安室奈美恵の場合も、受け継がれてきた先人たちの歌の中にある歴史を知らなくても、歌そのものが歌うひとにもその歌を聴くひとにもダイレクトに純な心に届けてくれるのだと思います。
 島津亜矢が最近また「一本刀土俵入り」をコンサートで歌っていると聴き、3月のフェスティバルホールで歌ってくれるかわからないのですが、とても楽しみにしています。
 先日のNHKのBS放送の「BS新にっぽんの歌」で久しぶりに「一本刀土俵入り」を歌いましたが、ユーチューブなどで若い頃から最近までの音源がたくさんありますが、今回の番組での「一本刀土俵入り」はより進化しているように思います。
 恩師・星野哲郎もそうでしたが、虐げられたり理不尽な悲しみに打ちひしがれているひとびとと同じ場所に立ち、その隠れた心情を歌うとき、島津亜矢の歌はもっとも輝き、もっとも遠くの心に届くとわたしは思います。

安室奈美恵「Hero」NHKオフィシャル・ミュージックビデオ

島津亜矢「一本刀土俵入り」

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2018.01.19 Fri アベノミクスは副作用のつよいカンフル注射。

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 若い人たちの間では、自民党は革新政党で野党は保守政党と思われているようです。
 自民党の宣伝がよく行き渡っていて、憲法をはじめ簡単に変えてはいけないはずのものを改革という名で積極的に変えるのは自民党で、既成の枠組みを後生大事に守り、変革しないのは保守ということらしいです。
 最近の自民党は安倍晋三氏による一強体制で自浄作用が働かなくなり、森友学園や加計学園問題もなんのその、圧倒的な数によってどんなことでも通してしまう暴走が、若い人たちの間では勇敢に政治を進めていると映るようです。
 大規模な金融緩和、拡張的な財政政策、民間投資を呼び起こす成長戦略という3本の矢で長期のデフレを脱却し、2パーセントの物価上昇と名目経済成長率3%を目指すアベノミクスが安倍政権の人気を支えていると言われています。たしかに前代未聞の大規模な金融緩和による円安効果と日銀の国債買いで、2008年のリーマンショック前を越える株価の上昇や企業業績が絶好調であることは事実です。
 しかしながら、これらは日本の政策が無関係とは思いませんが、新しい産業革命ともいわれる世界的な景気拡大によるものであることもまた事実です。そして景気拡大と株価上昇の恩恵を得ているのはグローバルな市場でしのぎを削る企業と日本の株式市場を動かしている海外投資家で、日本の国内で景気を実感できない人もたくさんいるのではないでしょうか。

 景気拡大と企業業績の好調の足元で、国税庁が昨年の9月28日に発表した2016年の民間給与実態調査よると、雇用形態による給与格差が4年連続で拡大していることが分かりました。
2012年の結果では、正規雇用者の一人当たりの平均年収が468万円、非正規雇用者が168万円と、その差は300万円でした。
 しかし、翌2013年には両者の差は305万円、14年には308万円と徐々に開いていき、今回発表された2016年は正規雇用の年収が487万円、非正規雇用が172万円と、安倍政権が発足した2012年より15万円ほど差が大きくなりました。
正規雇用者の平均年収は4年で19万円増えたにも関わらず、非正規雇用者は4万円しか上がっていません。非正規雇用者は昇給の幅が小さく、最近では人手不足による賃金引き上げを行う企業も多いが、こうした恩恵もあまり受けられていないのかもしれません。
 また、雇用形態と男女別に年収を見ると、最も年収が高い男性正規雇用(540万円)と最も年収が低い女性非正規雇用(148万円)とでは392万円の差が生まれていました。業種別の平均給与額では、「電気・ガス・熱供給・水道業」の769万円が最も多く、次いで「金融業・保険業」の626万円、最も少ないのは「宿泊業・飲食サービス業」の234万円でした。
 政府は現在の景気状況は「いざなぎ景気を超えた可能性が高い」と発表しましたが、雇用形態や業種別の給与格差は是正されるどころか、拡大していると言わざるを得ません。
 また、トヨタ自動車やホンダなど大手自動車メーカーが、期間従業員が期限を区切らない契約に切り替わるのを避けるよう、雇用ルールを変更していたと報じられました。
 2013年に施行された改正労働契約法で、期間従業員ら非正社員が同じ会社で通算5年を超えて働いた場合、本人が希望すれば無期に転換できる「5年ルール」が導入されましたが、企業側の要望を受け「抜け道」も用意され、契約終了後から再雇用までの「空白期間」が6カ月以上あるとそれ以前の契約期間はリセットされ、通算されません、
 改正労働契約法は2008年のリーマン・ショック後、大量の雇い止めが社会問題化したことから、長く働く労働者を無期雇用にするよう会社に促し、契約期間が終われば雇い止めされる可能性がある不安定な非正社員を減らすことが本来の目的でしたが、自動車メーカーをはじめとするグローバル企業は都合のいい労働者を確保するためにこの抜け道を利用したのです。
 一方、何十年に一度ともいわれる好景気の中で昨年の企業の倒産件数は微減で、なおかつ大都市圏では増加しています。負債総額は戦後最大の倒産になったタカタを除けば、中小企業の小口倒産が多く、特に飲食業の倒産が目立ちます。
 いままでの一般的な倒産の理由は販売不振や放漫経営による資金繰りの悪化などと別に、人出不足による倒産が増えています。景気が良くて忙しいのに給料が安くて労働者が辞めていき仕事をこなせないなど、経営基盤が弱くて人件費を上げられない零細・小規模倒産や自主廃業などが増えているといいます。
 安倍政権は景気拡大の果実がたまり続ける企業の内部留保から教育無償化のお金とともに、3パーセントの賃金アップを求めていますが、企業は応じるとしても正規雇用者にしか適用せず、4割となった非正規雇用者には自動車メーカーのように5年ルールの逃げ道を利用したり、場合によっては雇い止めという冷淡な行動に出ることすら考えられます。
 実際のところ、非正規雇用の年収が172万円で、正規雇用者と315万円の格差があり、非正規雇用の割合が多い女性の場合は148万円とさらに格差が広がっていることにがくぜんとします。この政権は「いつかあなたにも恩恵が来る」と言いながら働く国民を企業の想いのままにさせています。
 新自由主義の下で「企業は株主のもの」となり、グローバル市場を勝ち抜くためには労働者はいつでも雇い止めにできるようになりました。「企業は人なり」という言葉が遠い昔になってしまい、人件費は当たり前のように経営コストでしかないのです。
 ある意味、日本には国民国家の中の資本主義はすでになく、グローバルな資本主義の労働市場のひとつでしかないのでしょう。
 しかしながら、そんな流ればかりではない、一筋の光明もあります。それは、この人手不足の中で5年ルールを遂行し、正社員にしようとする動きもあるからです。それらの動きは、たしかに正社員にすることで人手を確保するという意味もありますが、それだけでなく、資本主義社会の企業においても「企業は人なり」、「企業は従業員のものでもある」という考え方が大小問わず経営者の中にも株主の中にもふたたび生まれてきているのだと思います。そうしなければ、品質偽装などで揺るぎ始めた日本の企業のクオリティーが危いこともまた事実だからです。
 そして、もう少し遠い視線で未来をみれば、成長神話から抜け出せずかなりきついカンフル注射を打ち続けるアベノミクスの副作用が雇用格差をさらに大きくする一方、どこかで膨らみきった風船が破裂する時が近づいていると思うのはわたしだけではないでしょう。
 当面、東京オリンピックの後にやってくるかもしれない経済の停滞が、これからの未来の普通になるのではないでしょうか。その時、「企業は人なり」とする企業にとって、人件費はコストではなく、経営の成果のひとつになることでしょう。
 それは、豊能障害者労働センターが1982年の設立以来、障害者の所得をつくりだすことで学んだ経営理念で、周回遅れだったその理念がいつの間にか世界のマネージメントの先端になっていると、わたしは信じています。
 わたし自身、豊能障害者労働センターのおかげで経済的には貧乏にはなりましたが、心は豊かになりました。アントニオ・ネグリではありませんが、貧困のネットワークこそ世界を変革するエネルギーになるのだと思います。

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2018.01.17 Wed 阪神阿淡路大震災から23年・わたしたちは2つの時間を生きている

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 阪神淡路大震災から23年…。
 ずいぶん時が流れ、その後の時間がぼんやりとしているのに、23年前のあの時のことは些細なことまでくっきりと覚えています。
 わたしが住んでいた箕面市は神戸・阪神地区のような大きな被災もなかったのですが、それでも大きな揺れで一部の建物や部屋の中のものなどはひっくり返りました。
 当時在職していた豊能障害者労働センターの事務所はわたしの自宅に近く、その頃はまだ事務所で仮住まいしていた脳性まひの梶敏之さんがいて、夜の介護の人から電話があり、事務所の戸棚がひっくり返り、食器がたくさん割れたこと、その片づけはしたけれどもう仕事に出てしまうので、すぐに来てほしいと言われましたが、その後も激しく揺れるのが怖くて、生返事をしてまた布団にもぐってしまいました。
 妻にせかされ、やっと事務所に行くと、梶さんが入り口で待っていて、わたしと梶さんの間で、あれほど私の来るのを待ってくれたのはあの時だけでした。
 その日は仕事どころではなく、阪神方面から来ている障害者スタッフもいましたから、お互いの安否確認をし、全員運よく無事だったことを確認しました。
 それからの豊能障害者労働センターは被災障害者の救援物資のターミナルを引き受けた関係で、怒涛の日々が4月半ばまで続きました。
1月の末、わたしは救援物資を山と積んで運転してくれるスタッフとともにはじめて被災地に行きました。
 東灘地区で車から降りると、一面がれきの荒野で遠く所々に忘れられたようにビルのような建物が今にも崩れそうに斜めに立っているのがぽつりぽつりと見えました。
 目の前は屋根ばかりが建築図面の見取り図のように横たわり、あたり一面がかすみがかかったようになっていて、それはほこりが風に舞い、煙っているのだとわかりました。
 その煙ったほこりが、つい先日まで何百人何千人の人々がその屋根屋根の下で生きていた証なのだと思い、胸が締め付けられる思いでした。
 豊能障害者労働センターは1995年の被災障害者救援活動をへて、大きく変わりました。それまでは障害者の給料をつくりだすための自主事業を拡げることが一番でしたが、阪神淡路大震災の被災障害者の救援活動を通じて、社会福祉法人から自分たちのような任意団体まで運営の目的も利用する福祉制度の枠組も違っても、隣の町で困難な問題に苦しんでいる障害者の心と体の重荷を共に背負い、「みんなで幸せになる」ために、できるだけのことを助け合って生きていこうと思うようになったのでした。
 その想いは2011年の東日本大震災の時にはさらに大きな運動へとつながり、今の豊能障害者労働センターをつくったのでした。
 たしかに、ほかの障害者団体のように社会保険に入っていなかったり、NPO法人にもならず、組織体、事業体として未熟な団体かもしれませんが、そのために必要なお金を困っている仲間を助けるための救援活動、支援活動にまわしてしまい、年金のないスタツフの給料は約20年前から週5日で12万5千円のままで、青息吐息の運営を続けている豊能障害者労働センターは貧しい団体かもしれませんが、箕面市民だけでなく日本社会においても、また14年前に退職したわたしにとっても頼もしい存在だと思います。

 それはさておき、1995年1月17日からはじまった特別な時間は、何度も遠くに去っていきそうになりながらも、結局はわたしたちの心の底にへばりつき、5年、10年、20年、23年と忘れられないものになってきました。
 わたしたちはあの日からふたつの道、ふたつの時間を生きてきたのだと思います。
 ひとつはあの日以来、そのすぐ後のオーム真理教事件も合わさり、日本の社会が安全だという神話が壊れてしまいました。わたしたちは自分の身は自分で守らなければならなくなっただけではなく、自分が社会から安全な存在と見られるように努力しなければならなくなりました。実際時を追うごとに信じられない事件が次々と起こり、わたしたちはますます心の垣根を高くするしかありませんでした。
 あれから23年、心の垣根はとうとう国家レベルにまで高くなり、国家に守ってもらえるような国民になるために、戦争をしない国の憲法から戦争ができる国の憲法に変え、すぐ隣の朝鮮半島での武力衝突を避けるための話し合いよりも、武力で恫喝し、自衛隊の若者の命が犠牲になっても自分たちだけは安全な場所で安倍政権に守ってもらえると考えるまでになりました。
 けれども、わたしたちにはもうひとつの道があることも、あの大地震は教えてくれたました。それは「共に生きること」であり、「助け合うこと」なのです。
 あの日まではそれは道徳や倫理で「しなければならないこと」でした。けれども、あの日からつづく東日本大震災をはじめとする大きな災害を経験し、助け合うことの大切さや共に生きる勇気を持つこともまた学んだのでした。
 わたしたちは、どんな強力な武器よりも共に生きる勇気を育てること以外に「安全で平和な社会」をつくれないことを知っています。わたしたち人間は言葉も個性も希望も夢も国籍も民族も年代もちがっても、つながることができるのだということを。
 そしてそれはめんどうなことではなく、とてもうれしいことなのだということを…。
 残念ながら、まだわたしたちは助け合う勇気を十分に育てることができないのかもしれません。しかしながら、ひとは武器を持つこともできますが、楽器や鍬を持つこともできるのです。

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2018.01.06 Sat 2017年紅白 島津亜矢「ローズ」と竹原ピストルとエレファントカシマシとSEKAI NO OWARI

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 昨年の紅白に出演した島津亜矢は「The Rose(ローズ)」を歌いました。
 第一部の紅組のトリで、前後にWANIMAと郷ひろみに挟まれて、教会風の舞台にいくつものバラが置かれ、本人は黒い振り袖姿で静かに歌いはじめました。
 バックに大人数の合唱団が控え、後半はゴスペル風のアレンジで熱唱しました。島津亜矢ファンのみならずその圧倒的な歌唱力はたくさんの心に届いたことでしょう。
 演歌歌手にとっては今でも紅白出場はそのまま営業に影響すると言われていますから、本来ならオリジナルの演歌や昨年のように美空ひばりなどの名曲のカバーが順当なところでした。
 しかしながら、島津亜矢が並外れた歌唱力で歌うポップスが評価され、昨年は大きな話題を呼んだことで、番組編成のチームはあえて彼女に洋楽を提案したのでしょう。
 その選曲にあたっても、多方面に驚きと共に高く評価されているホイットニー・ヒューストンの「I will always love you」のカバーが順当なところだったのでしょうが、ここでももう一歩踏み込み、島津亜矢の本質に迫る楽曲として彼女のポップスのアルバム「SINGER3」に収録されている「The Rose(ローズ)」を提案したのだと思います。
 わたしはかねてより島津亜矢がリズム&ブルースやソウル、ゴスペルなどを歌うと、「この人にはもともと黒人音楽のルーツが隠れている」と思わせるものがあり、不思議なことに大地の底を流れ、海をわたってやってきたその音楽が、彼女の出自である「演歌」と深くつながっていると思ってきました。
 それはかつて美空ひばりや浅川マキ、ちあきなおみなどの先人が切り開いてきた至高の音楽の荒野に、島津亜矢が到達した証でもあると思っています。
 ジャニス・ジョプリンをモデルにしたとされる映画「ローズ」の主題歌で、主演女優のベット・ミドラーが歌って大ヒットした名曲「ローズ」にゴスペルのコーラスを入れたのも、「結婚式でよく使われている」というだけではないと思います。
そこには島津亜矢に本格的なゴスペルを歌わせたいと願ったNHKの音楽番組チームの島津亜矢シンパのなせる業だったのだと思うのです。
 果せるかなその願いに見事に応え、島津亜矢は曲の入りはとても静かで、後半のゴスペルコーラスのパートでは黒人音楽の血がたぎるように体を揺らしながら、海の向こうの「密やかで切実な合図」を受け取るように歌い上げたのでした。
 島津亜矢の演歌の中にも脈々と流れている、「愛を必要とする心に届く音楽」はジャンルを軽々と超え、アメリカ大陸の長い歴史の底で声なき叫びを歌にしてきた黒人音楽のルーツとつながり、悲しみの中にも希望をさぐりあてる「ひとびと賛歌」になるのでした。
 もし、NHKの紅白チームが目先の流行だけでなく、「歌が生まれ、歌が眠る墓場」から立ち上る長大な叙事詩が時には演歌になり時にはリズム&ブルースになったりして、いつの時代にもひとびとをなぐさめ、勇気を与えるために届けられることを信じているとすれば、島津亜矢はそのことを体現する稀有の歌手として、演歌からジャズ、シャンソン、ブルースにいたるまでさまざまな音楽的冒険とともに紅白の出演を求められることでしょう。
 欲を言えば、せっかくゴスペルコーラスが入るのなら、もう一小節か二小節長く歌ってほしかった。そうすればゴスペルコーラスも島津亜矢ももっと一体化した素晴らしいものになったのではないでしょうか。あっけなく終わってしまったのは残念でした。
 それと、たいしたことではないですが、たしかテロップの日本語の訳は高畑勲で、映画「思い出ぽろぽろ」の主題歌「愛は花、君はその種子」というタイトルで都はるみが歌ったものになっています。わたしの好みでは直訳詩の方がこの歌らしいと思いました。
 高畑勲氏の訳では、自分の少女時代を振り返りながら精神的に自立してゆく女性の姿を描く映画にふさわしく、警句や予言、啓示など宗教的な黙示録のように自立しようとする女性の背中を押す歌詞になっています。
 直訳の方は「ある人は…」と続き、最後に「私は…」と歌う映画「ローズ」の内容になっています。ほとんど違いがないようですが、「思い出ぽろぽろ」の影響が強いのかわかりませんが、日本での数多くのカバーがどこか重々しくやや説教臭いのが気になります。
 ところが、日本での本家・都はるみの歌はほんとうにさりげなく、遠慮がちにとつとつと歌っています。都はるみもまたこぶしとうなりの演歌歌手とされていますが、ずいぶん前からさまざまなジャンルの音楽を歌ってきた歌手で、高畑勲はおそらくそんな全方向的な都はるみに「ローズ」のカバーではなく、「思い出ぽろぽろ」の主題歌としてこの歌を歌ってほしかったのでしょう。
 ベット・ミドラーも島津亜矢も、この歌を歌うときに陥りがちな教訓調ではなく、さまざまな悲しい出来事を通り過ぎてきた後のがれきに咲く一本のバラに、最後かもしれない愛を手繰り寄せる切ない女の心情を歌っていると思います。

 視聴率は芳しくなかったようですが、今回の紅白はそれなりのグレードを保った音楽バラエティ番組になっていたと思います。たしかに年に一度のお祭りと考えれば、紅白もまたバラエティ番組になっていくのは仕方がないことなのでしょう。
 その中でも竹原ピストルはアコースティックに歌の直接的な言葉が聴く者の胸に突き刺さる快感を共有することに成功していましたし、エレファントカシマシは過酷な日常や時代を乗り越える「友情」をいつも通りに歌ってくれました。また「SEKAI NO OWARI」は「世界の終わりから始めてみよう」という想いが込められたバンド名にふさわしく、自分らしく生きることの難しさを抱える若者に、「そのままで大丈夫」と勇気づける音楽を届けてくれました。
 さらに、今年もっともびっくりしたのは三浦大知でした。一年以上前になりますが、古館一郎が報道ステーションを降板した後のフジテレビ系の番組で、島津亜矢と競演してしているのを見たのがはじめてでしたが、その後の音楽番組での出演を見て、「ああ、日本にもマイケル・ジャクソンと太刀打ちできるダンスミュージックのエンタ-テイナーがいたのだと思いました。1987年生まれ、くしくも安室奈美恵も所属していた沖縄アクターズスクール出身で9歳でプロデビューし、2005年にソロデビューしていると知りました。もともとダンス音楽には興味がないわたしにはほとんどなじめないジャンルではありますが、アイドルグループのダンスとは全く別次元の「キレ」のあるダンスは舞踏に近いものを感じました。紅白では何といっても音楽なしで踊る「無音ダンス」にびっくりしました。日本の音楽シーンは別にして、世界の音楽シーンで活躍できるもっとも近い存在だと思いました。
 「いきものがかり」が休憩中で少し寂しく思いますが、もっとも1960年代の歌謡曲に近い存在と思っている桑田佳祐の「若い広場」もノスタルジーにあふれたステージでした。
 ここに挙げた人たちは演歌とは遠い存在ですが、わたしにとって島津亜矢と同じ匂いを感じるひとたちで、その匂いとは先ほど書いた「音楽は愛を必要とする心に届く」ことを体現している人たちで、その中には島津亜矢に楽曲提供してもおかしくない人たちがいます。
 今年の島津亜矢に期待するものといえば、演歌でもなんでもいいのですが、百花繚乱の様相を呈してきた音楽の作り手たちに固定観念を持たずに楽曲を提供してもらうプロデュースをぜひ進めてもらいたいと願っています。
いま、Jポップと呼ばれているジャンルはすでに歌謡曲と同義語でもあり、演歌・歌謡曲を作りたいと思っているソングライターがけっこういると思うのです。
 「ローズ」を聴き、太平洋を行き来する音楽の冒険を島津亜矢と一緒にしたいと思うソングライターの出現を待ち望んでいます。
 ところで、島津亜矢は竹原ピストルと話ができたのでしょうか。島津亜矢は紅白前のインタビューで竹原ピストルの生歌が聴けることを楽しみにしていると話していました。
 島津亜矢の感性の鋭さは、早くから竹原ピストルを見つけていたのですね。

島津亜矢「The Rose」

ベット・ミドラー「The Rose 」日本語訳付き

竹原ピストル / よー、そこの若いの(2015/11/25 LIVE at 吉祥寺Planet K)

エレファントカシマシ - 今宵の月のように & 俺たちの明日- ap bank fes 10 LIVE.

SEKAI NO OWARI 「RAIN」 Short Version PV 主題歌映画「メアリと魔女の花」

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