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争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

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2018.12.11 Tue  歌いながら醒めよ、もっと歌を! 美空ひばりのクレオール音楽を引き継ぐ宿命を負う島津亜矢

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 11月25日の日曜日の夜、NHK・BS放送「新・BS日本のうた」に島津亜矢が出演しました。わたしはこの日出かけていて、録画を取るのも忘れていたのですが、この番組はありがたいことにその週の土曜日に再放送してくれていて、おくればせながら観ることができました。島津亜矢の演歌・歌謡曲を聴くのは久しぶりで、とても新鮮に感じました。
 島津亜矢のここ数年の進化には目をみはるものがありますが、当然のことながらその進化は突然やってくるものではなく、若い頃からの不断の努力はもちろんのこと、持って生まれた潜在的な才能が人との出会いや音楽的冒険によってある時突然花開き、そこからまた新しい才能が蓄積され、またある時に開花するといったスパイラルな運動が、島津亜矢の歌の軌跡を豊かにしてきたのだと思います。そして、なによりも歌手として決して順風満帆とは言えなかった彼女の若い時からその才能を見出し、「遅れてきた演歌歌手」から出発し、オールラウンドなボーカリストへと果敢な冒険をしてきた彼女をあたたかく見守ってきたファンの方々に感謝あるのみです。
 さて、今回の放送で歌った「越後獅子の唄」、「人生劇場」、「悲しい酒」の3曲は、それぞれ歌に隠された物語も時代も違うのですが、島津亜矢は見事に歌い分けました。彼女のもっとも際立った進化は、若い頃からの高音に隠れていた低音から中音が存在感を高めただけではなく、その艶のある湿っぽい声が歌全体を絶叫から語りへと大きく変化させたことだと思います。
 1曲目の「越後獅子の唄」は「東京キッド」や「悲しき口笛」、「私は街の子」などとともに戦後の混乱期の孤児たちの過酷な現実と切ない夢を歌った美空ひばりの初期の名曲のひとつです。孤児たちが街にあふれ、大きな社会問題になっていた当時、彼女彼らと同じ年齢の美空ひばりが歌うことは時代が求めた必然だったのでしょう、いずれも大ヒットしました。
 「越後獅子の唄」はその中でも異色で、孤児たちによる門付け、大道芸の越後獅子をモチーフにしています。越後獅子は角兵衛獅子ともいわれ、越後国西蒲原郡、月潟(つきがた)地方から出る獅子舞で、正月などに子供が小さい獅子頭(がしら)をかぶり、高足駄をはき、身をそらせ、さか立ちして、手で歩くなどの芸をしながら、銭を請い歩きました。
 江戸中期から後期に盛行を極めましたが、明治時代には児童虐待と学校にも通わせないことに対する嫌悪感から、次第に忌避の対象となっていきました。そして昭和8年(1933年)の「児童虐待防止法」によって、児童を使った金銭目的の大道芸そのものが禁止となり姿を消すことになりました。
 戦後に孤児たちが越後獅子になったという史実はありませんが、わたしの子どもの頃は「いい子にしないとサーカスに連れていかれるよ」と日常的に聞かされましたので、戦災孤児の問題が越後獅子に重なるようにあったのではないでしょうか。
 ともあれ、門付けや瞽女、かわら乞食など、社会の底辺で理不尽な暴力や抑圧にさらされたひとびとから生まれた大衆芸能の本質をふくむ越後獅子の物語は、時代の大きな悲しみを表現するだけでなく、その歴史を通して日本社会の暗闇を口から口へ、体から体へと伝承してきたのでした。
 作詩の西条八十は作詞家としても活躍しましたが、フランス文学者でランボーの研究者でもありました。また象徴派の詩人としてポール・ヴァレリーらとも交流がありました。作詞家である前に詩人だった西条八十は藤浦洸とともに、当時の歌謡曲をある意味大衆芸術にまで高めた功労者でした。
 また、作曲者の万城目正もた今の演歌にもなく、またもちろんJポップにもない時代の匂いというべきか、戦前の日本の原風景と戦後の動乱期の埃っぽい空気を共存させた不思議なメロディーを次々と送り出しました。
 わたしは島津亜矢による新しい演歌・歌謡曲のルーツは戦前から戦後すぐのこれらの歌謡曲に求められると思っています。
 島津亜矢はこの時代の歌謡曲を歌える数少ない歌手の一人ですが、どの歌も時代の匂いを隠した風景を持っていて、「懐メロ」とすることをこばむ絵筆をもっています。現存するオリジナル歌手がいなくなってしまったこれらの歌をカバーすることは、彼女たち彼たちの音源を聴くことにとどまらず、どの歌にも歌そのものがその誕生から巷に流れ、消えて行った記憶を持っていて、島津亜矢は「歌を詠む力」をもってその歌の記憶にたどり着き、それを丁寧に解きほぐし、わたしたちに届けてくれるのです。
 少し大げさに言えば、マルクスの「歴史は二度来る、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」という名言になぞり、「歌は二度来る、一度目は時代の恋歌として、二度目は時代の挽歌として」といえるのかも知れません。
 2曲目の「人生劇場」は彼女のいわゆる「男歌」の十八番で、今まで何度もコンサートや歌番組で歌い、アルバムにも収録されていると思います。
 若い頃から歌っているこの歌の場合、それぞれの年代の音源を聴くことができるので、島津亜矢の進化がはっきりとわかるうれしい一曲です。この歌では若い頃からの高音の伸びと心地よい破壊力が前面に出ていますが、ここでも獲得した低音がこの歌に奥行をもたらし、短い歌の中に込められた戦後民主主義で途絶えたはずの日本社会の政治的な暗闇まで表現していて、ある意味歌の持つ怖さをここまで歌える歌手もまた類を見ません。
 わたしはこの歌に侠客・アウトローが国家と対峙しながら人間の正義を「義理と人情」に置き換えることでしか生きていけなかった時代の不幸を感じています。それは国定忠治や番場の忠太郎、平手造酒、駒形茂平などの「滅びの美学」に通じると思います。
 尾崎士郎の自伝的小説「人生劇場」から、はかない恋とすぐそこにせまる軍靴の音に世を憂い、絶望から自殺をはかった古賀政男の切ないメロディーが生まれた時、日本は引き返せない戦争の道へと突き進み、日本とアジアの人びとのおびただしい死体を累々と重ねました。
 その骨はまだアジア各地に残されたまま帰るべき国もなく、その魂は懐かしい故郷を無くしてしまいました。戦後、民主主義国家を標榜しながらも新派、新国劇とつながり、東映やくざ映画で復活した人生劇場スピンオフ、「飛車角と吉良常」はくしくも70年安保の一部の左翼活動家にも右翼活動家にも精神的支柱とされ、村田英雄のカバーでよみがえった「人生劇場」は路石の下の戦前の暗闇で心震わせた古賀政男の叫びが聞こえるようです。そして島津亜矢はこの短い歌の中にある壮大な悔恨と切ない希望を見事に語りつくしてくれるのでした。
 3曲目の「悲しい酒」は古賀政男特集の最後に歌いました。
 島津亜矢は「乱れ髪」や「柔」、「愛燦燦」、「川の流れのように」などとともにこの歌を若い頃から歌っていましたが、長い間先輩の歌い手さんの影に隠れて目立ちませんでした。
 今回の番組を観ていて、ようやくこれらの名曲を島津亜矢が先頭に立って歌う時がやってきたのだと実感します。
 この歌はよくも悪くも古賀政男がつくりあげた「現代演歌」の典型的な歌で、同時に美空ひばりを「演歌」に封印してしまった一曲でもあります。
 かねてよりわたしは美空ひばりを「演歌」の枠に閉じ込めてしまったことが演歌を衰退させてしまったと思っています。「越後獅子の唄」や「東京キッド」など初期の土着型ブルース・ジャズから百花繚乱の歌謡曲を経て、ポップスの台頭から無理やりつくり出されたともいえる「演歌」というジャンルは、不幸にも無尽蔵の才能を持っていた美空ひばりのさらなる可能性を閉じ込め、彼女の歌手人生の終着駅になってしまいました。
 島津亜矢はその終着駅を始発駅に変え、美空ひばりのやり残したところから新しい音楽的冒険の旅にすでに出発したのだと思います。他の歌い手さんたちが演歌の女王としての美空ひばりをカバーしている間に、島津亜矢はジャズやブルースなどのワールドミュージックに日本の土着音楽を融合させた美空ひばりのクレオール音楽を引き継いでいたのでした。
 美空ひばりの息子の加藤和也氏は、彼の生い立ちや時代の波に翻弄されたファミリーについて綴った自著「みんな笑って死んでいった」(文芸春秋刊)でこう書いています。
「美空ひばりはけっして演歌歌手ではなく、時代が一番求めている音楽や歌を、先頭に立ってパフォーマンスするアーティストなのだ」と…。
 まったく同感で、その意味において島津亜矢は美空ひばりを引き継げるだけでなく、引き継ぐ宿命を負わされた数少ないボーカリストの一人なのだと確信します。
 ボーカリストとしての島津亜矢は、すでに時代の向こう側でスタンバイしています。けれども彼女が歌う歌がないのです。阿久悠も星野哲郎も船村徹もすでにいなくなった今、彼女の歌はJポップの膨大なジャングルをかきわけ、時には海を越えて、いつか彼女の前に現れる新しい歌を、時代が求める音楽を、わたしたちも待ち続けようと思います。
 歌いながら醒めよ、もっと歌を!

島津亜矢「人生劇場」

島津亜矢「悲しい酒」

過去の記事 2014.11.19 Wed 島津亜矢「人生劇場」・NHK歌謡コンサート

過去の記事 2013.06.16 Sun 島津亜矢「人生劇場」・木8コンサート

人生劇場 飛車角と吉良常「予告篇」


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2018.12.06 Thu ドラマ「相棒」とフリージャーナリスト


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「あなたのいう国益とはいったい誰のための益でしょう。一部の官僚や為政者がこのような親子から奪い取った利益を、国益とはいえません。ジャーナリストの核にあるのは、ふつうの人々に対する信頼です。この苦しみを知ればほっておけないはず、この理不尽をしれば怒りを感じるはず、その想いが世の中を変えていく、そう信じるからこそ、彼らは銃弾の飛び交う戦地にも立って報道をつづけているんです。そして、桂木りょうさんもまたこの国の前線に立っていました。ふつうに生きている人々のために、この国の巨大な権力を敵に回して、たたかいました!!」
 この長いセリフは2014年元旦、テレビ朝日の「相棒 元日スペシャル ボアー」で杉下右京が犯人の公安幹部に向かっていうセリフです。
 最近はやや違ってきましたが毎年、正月に放送される「相棒」スペシャルでは、国家や為政者、警察権力の犯罪をあばくストーリーが多く、反感を感じる人たちもいます。
 しかしながら、わたしは反対に、毎回その時々の社会問題を積極的に取り上げ、それを娯楽大作としてプロデュースするこの番組に共感してきました。
 この時は特定秘密保護法を背景にしていることはあきらかで、シングルマザーの貧困問題とそれにからんだ国家の犯罪を暴こうとするジャーナリストとそれを封殺、隠ぺいする警察権力との攻防を娯楽作品にまとめながら、サイレントマジョリティのひとりであるわたしにとてもたいせつなメッセージを届けてくれたと思います。
 「知る権利」がある前に、困難とあらがう当事者をはじめとするふつうのひとびと、そして時には銃弾の飛び交う戦地に立ってでも「こんな理不尽なことがあることを知らせたい」と必死に願うジャーナリストたちが届けてくれる情報に、どれだけの切なさといとおしさとささやかな幸せを願う心が詰まっているのかを教えてくれるドラマでした。
 今回、15年以上もイラク、シリアの紛争地の取材を続けて来られた玉本英子さんのお話から、紛争地に生きるひとびとの暮らしと過酷な現実、そしてささやかな幸せと平和を願うひとびとの心に触れることで、ここ数年で「戦争をしてもいい国」に急速に舵を切りつづけるわたしたちの国の在り方を考え直す機会にしたいと思います。

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2018.12.06 Thu 平和は訪れたのか?「イスラム国」後のイラク、シリアの人びと アジアプレス記者・玉本英子さんのお話とアラブ料理を囲んで

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平和は訪れたのか?「イスラム国」後のイラク、シリアの人びと
アジアプレス記者・玉本英子さんのお話とアラブ料理を囲んで

 わたしたち、憲法カフェ・能勢は地域の活動にこだわりながら、一方で世界の紛争地域で明日自分のいのちがあるかもわからず、心を縮ませているこどもたちや大人たちの厳しい現実にも想いをはせてきました。
遠く離れたところでおびただしい血が流され、犠牲になったひとびとのかけがえのない未来が奪われる理不尽な現実は別の世界のできごとではなく、平和で安心して暮らせるわたしたちの社会で毎年2万人を越えるひとびとが自ら命を絶つ現実と、深いところでつながっていると思います。
 いつ終わるとも知れない内戦、テロと、周辺諸国をはじめとする諸国家の軍事行動による覇権争いの犠牲になる紛争地の何十万、何百万のひとびとの絶望と、他者に無関心ですべてを自己責任とする非寛容な社会のただ中で、「助けて!」と叫ぶ悲鳴を誰にも受け入れられないわたしたちの社会の絶望とは、まるで合わせ鏡のようにつながっていると思うのです。刻々と伝えられる絶望的な状況に心を痛めながら、何ができるのかを問いつづけ、ささやかな希望をつくり出す勇気をわたしたち自身に求められているのだと痛感します。
 そんな思いを形にする一歩として、紛争地のひとびとの現実と生の声を聞き、ひとりでも多くの方々とわかちあいたいと願い、フリージャーナリストの玉本英子さんのお話を聞く会を企画しました。
 玉本さんは2001年のクルドゲリラ取材をきっかけにイラク国内での取材を開始し、シリア、レバノン、ミャンマーなどの現地の情報をテレビの報道番組や新聞連載、ネット記事、講演会などを通して伝える活動をされています。また1999年にタリバンに公開処刑されたアフガニスタン女性を追ったドキュメンタリー映画「ザルミーナ」の監督をされました。
 玉本さんは直近まで紛争地の取材に行かれ、帰国後すぐの最新情報をお話しいただきます。
先日3年4ヵ月に渡って武装勢力に拘束されていた安田純平さんが解放され、「自己責任」をはじめ心無い言葉の暴力がご本人をはじめご家族、そしてフリージャーナリストのみなさんを傷つけています。
 わたしたちは紛争に巻き込まれているひとびとのささやかな幸せと平和を願い、理不尽な事実を世界中の人に伝えようと必死に取材される彼女・彼たちによる報道が紛争地のひとびとのいのちを救い、悲惨な状況から希望をつくり出す大切な力になってきたと確信しています。そして、わたしたちもまたそれらの報道によってひとびとの悲しみや絶望、希望に思いをはせ、遠く離れていてもつながることができるのだと思います。当日はフリージャーナリストとしての玉本英子さんの想いも聞かせていただけると思います。
 また、お話の後でパレスチナ連帯運動の「オリーブの会」のご協力でアラブ料理を囲んだ交流会も設けています。
 お近くの方でお時間がございましたら、この催しにご参加いただきますよう、お願いします。

日時 2018年12月15日(土)
場所 能勢町淨るりシアター
13:30~15:30 玉本英子さんのお話と質疑応答 小ホール
     運営協力費800円(学生・障がい者は半額 介助者無料)
15:40~18:40 アラブ料理を囲んで交流会   
            調理室 運営協力費500円
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2018.12.04 Tue 辺野古に土砂を投入することは戦後曲がりなりにも信じてきた民主主義を捨ててしまうこと

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【報ステ】辺野古移設 土砂の積み込み作業開始(18/12/03)

 安倍政権は12月14日に辺野古に土砂投入に踏み切るそうです。
 辺野古基地建設の是非を問う県知事選挙で玉城デニー氏が過去最高の得票数で当選し、沖縄の人々がさまざまな逡巡の中で基地建設NOを意思表明したにもかかわらず、「沖縄県民の心に寄り添う」と言った安倍首相と政権は、年内に何が何でも辺野古建設へと強引に突き進んでいます。「心に寄り添う」というのは、安倍首相の心に県民を従わせるということなのでしょう。
 新聞報道によると、防衛省の調査で辺野古基地完成には13年、費用も計画の2400億円の10倍になると言います。普天間基地の危険性を早急に取り除くことが目的というのならば、普天間基地の撤退にむけてアメリカと交渉すべきだと思います。
わたしはアメリカの望むまま大量の武器を購入することには反対ですが、百歩譲ってトランプ氏にそのことを感謝されるならば、それをカードに沖縄の人びとの民意を受けて普天間基地の撤退と辺野古基地建設中止を要求するのが民主主義国家のせめてものまっとうな外交ではないでしょうか。
 辺野古に土砂を投入することは、沖縄の人びとの心を踏みにじるだけではなく、わたしたちの戦後日本社会が曲がりなりにも信じてきた民主主義を捨ててしまうことなのだと思います。
 沖縄の人びとにいつも突き付けられるのは、「どんな意思表明をしても、国は無視するだけで、沖縄には民主主義が通用しない。それならば国の言う通りにすればお金もくれる」というパワーハラスメントでは片づけられない脅迫で、それはそのまま日本に住むわたしたちに「民主主義を捨ててお上の言うとおりしなさい」という、安倍政権をささえ、明治政府の復権をたくらむ超保守主義者たちの陰謀なのだと思います。
 その強大な力に抗う手立てがあるのかと絶望的にもなりますが、現地でたたかう人たちとその背後にわたしたちもふくめて国内外に点在する何億何十億の人びとともに、決してあきらめずささやかな希望を育て、小さな声を積み重ねていくことしかないのでしょう。
 そして、辺野古基地が完成するとされる13年後に、現政権とそれをささえるひとたちがどんな国家をつくろうとしていたのかを厳しく検証することになるでしょう。

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2018.11.23 Fri 島津亜矢の紅白出場と「UTAGE!」ファミリーの仲間入り

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 今年も島津亜矢の紅白出場が決まりました。島津亜矢さん、おめでとうございます。
 わたしはそれほど紅白に思い入れはないのですが、テレビが大好きなわたしは年末恒例の番組としてそれなりに紅白を楽しんでいました。巷に流れる歌に世情や自分の人生を重ね合わせるのが好きで、まさしく歌は世につれ世は歌につれのごとく、年の終わりに紅白歌合戦を観て、今年はどんな歌と歌手が流行ったのかを再確認するという感じでした。
 たとえば最近では「SEKAI NO OWARI」や「いきものがかり」など、紅白にも出演することでより広く知られるようになりました。ちなみに今年の初出場では「あいみょん」と「Suchmos」に注目しています。こんな音楽が若い人たちに支持され、受け入れられることは年々息苦しく感じる世の中だけど、そんなに捨てたものでもないとも思うのです。
 
 さて、島津亜矢についてはここ最近の3年以前は、「今年こそは」と願いながら、発表された出演者リストに彼女の名前がなく、がっかりする年が続きました。今年は結果的に実力派の演歌歌手が2人も不出場になりましたが、その中で島津亜矢の出場を決めてくれた紅白のスタッフに感謝です。
 わたし自身は先に書いたように紅白に特別の想いは持っていませんが、歌手・島津亜矢にとってはやはり特別の番組であることに間違いはなく、営業的にもまだその影響力はあるようですし、心優しく律義な彼女にとってなによりもファンの方が紅白出場を喜んでくれることが一番の喜びであるのでしょう。
 演歌一筋の伸び盛りの歌手2人の不出場と島津亜矢の出場がどんな意味を持っているのかわかるはずもないのですが、最近のJポップの歌唱力がより多くの人々に認知され、幅広いファンを獲得してきたことが評価されたのかも知れません。その意味でも紅白のスタツフが島津亜矢に依頼する歌が彼女のオリジナルなのか、それとも昭和の歌を残すために美空ひばりの「乱れ髪」、「愛燦燦」を天童よしみと住み分けするのか、よりサプライズとして北島三郎の「風雪ながれ旅」か、まさかJポップの現役の歌手のカバーはないでしょうから洋楽をもう一度依頼するのか、注目されるところです。ある意味、その選曲が今年の島津亜矢の紅白の立ち位置を教えてくれるかも知れません。
 紅白出場は本人にとってファンにとってもうれしいことには違いありませんが、一方で彼女の歌手人生においてもっとも輝かしい足跡を残すことになるこれからの10年、紅白に囚われず彼女の想いのままに歌いつづけてほしいと願うばかりです。

 さて、随分時間がたってしまいましたが、TBSの音楽バラエティー番組「UTAGE!」に出演した島津亜矢について書いておこうと思います。
 今回はまず最初に島津亜矢、川畑要、三浦祐太朗がハーモニーを担当し、峰岸みなみ、TEE、二階堂高嗣のボイスパーカッションを担当し、スペシャルゲストの高橋洋子が「残酷な天使のテーゼ」をアカペラで歌いました。島津亜矢はアルバム「SINGER4」で高橋洋子の「魂のルフラン」をカバーし、卓越した歌唱力を発揮しています。というのも、彼女「瞼の母」や「大利根無情」など、宿命に抗いながらも破滅していく青年のはかない心情を歌える数少ない歌手で、ジャンルはちがっても演劇的で、滅びの美学がひとの心を打つこれらのアニメソングの世界は彼女のもっとも得意とするところです。
 3人のハーモニーは川畑要が証言していたようにキーが高く、島津亜矢がリードする形でボーカルを際立たせてその役割を見事に果たしました。このようなセッションに島津亜矢はほんとうに解放され、水を得た魚のように自由になれるのでしょう、楽しくてしかたがない様子でした。演歌ではなかなかハーモニーのある歌唱がなく、彼女の実力がわかりにくいのですが、Jポップのジャンルではリードボーカルはもちろんのこと、むしろ彼女の「ベース」の役割というか、音楽をつくる側での彼女のすごさを感じます。
 その次に歌ったのは、川畑要とのコラボでオフコース時代の小田和正の「言葉にできない」でした。「言葉にできない」は松任谷由美とならんで1980年代のニューミュージックをけん引した小田和正の、シンブルで切ない高音の歌唱が心に残る数多くの楽曲のひとつです。
 この歌は小田和正と同じような高音がきれいで歌唱力のあるひとたちのカバー曲の定番のようになっていますが、川畑要と島津亜矢の場合は少し趣がちがっていました。
 前にも書きましたが川畑要はR&B、ソウルミュージックを得意とするボーカリストで、島津亜矢はソウルミュージックの資質があり、この2人のコラボは島津亜矢の潜在能力を引き出すことに成功しています。
 川畑要をリードボーカルにして島津亜矢が演歌でつちかってきたうなりやこぶしがシャウトに変わり、横揺れのリズム感とハーモニーは川畑要のリードボーカルを引き立たせました。ともあれ、川畑要と島津亜矢の「言葉にできない」はニューミュージックではなく、まさしくR&Bになっていたと思います。
 すっかりこの番組の定番になりつつある川畑要と島津亜矢のコラボですが、最初は演歌歌手とのコラボということで川畑要も戸惑ったかもしれませんが、彼女のボーカリストとしての才能を認め、この頃は楽しみにしている節もあります。
 彼に限らず、この番組の常連の島袋寛子、BENIや、アイドルの中で歌唱力が評価されている山本彩、高橋愛など、女性ボーカリストたちが島津亜矢の歌唱を熱心に聴いている様子から、おそらく司会の中居正広の後押しがあって出演することになったと思われる島津亜矢をボーカリストとして受け入れてくれたのではないでしょうか。その点でも、狭い演歌の世界のギルドにはばまれていた島津亜矢にとって自由に自分を表現できる場として、とても貴重な番組だと思います。
 さて、その後に歌った「White Love」は1997年のSPEED最大のヒット曲で、オリジナル歌手の元SPEEDの島袋寛子と島津亜矢、山本彩と柏木由紀の4人が当時のSPEEDのダンスもコピーしながらの異色のコラボとなりました。異色にしたのは何といっても島津亜矢の島袋寛子とのツインボーカルと振り袖姿でのダンスでした。
 1990年代、日本の音楽シーンを根底から変えてしまった安室奈美恵・小室哲哉コンビと双璧をなしていたSPEED・伊秩弘将のコンビは、相乗効果でダンスミュージックによるJポップ旋風を巻き起こしました。SPEEDは1996年のメジャーデビューからあっという間に頂上に上り詰めましたが、その中でも島袋寛子はデビュー当時小学生で、大人を凌ぐその歌唱力は圧倒的なものでした。
 わたしはダンスミュージックが苦手で、小室哲哉や伊秩弘将が席巻する音楽シーンにはとうとうなじめないままになってしまいましたが、その傾向は一過性のものではなく、確実に日本の音楽を変え、いまに続いていると思います。
 ともあれ、島津亜矢の「White Love」は思ったほどの違和感がなかったことも事実ですが、ただ、ソウルミュージックのような横揺れではなく、縦のりのダンスミュージックはその後にBENIと歌った安室奈美恵の「Don’t wana Cry」と同じく、さすがに島津亜矢には無理があると思いました。
 それは演歌歌手としての島津亜矢ではなく、ブルースからロックという流れの音楽よりも、ブルースからジャズ、あるいはブルースからR&Bの流れの方に島津亜矢の才能があり、その流れの底流に島津亜矢による「来るべき演歌」も流れているように感じるからです。
 しかしながら、出演者たちが視聴者のリクエストに応えてまさかと思う企画にチャレンジするのがこの番組のコンセプトのひとつで、今までの放送ではまだ「ポップス歌手をしのぐ驚異の歌唱力を持った演歌歌手・島津亜矢」という立ち位置でしたが、今回はじめて無茶ぶりともいえる企画にチャレンジさせてもらうことでこの番組のファミリーとして受け入れられたということだと思います。
 この番組はしっかりと出来上がったパフォーマンスではなく、常連の舞祭組のように、他の番組ではありえない最悪とも言えるパフォーマンスをも放送することで物議をかもすこともあります。「UTAGE!」では番組のホスト役という役割もあり、彼らが稚拙な中にも努力する姿がこの番組のウリにもなっています。
 ある意味、彼らの存在が出演歌手のプライドを捨てさせ、普通ならしないチャレンジをすることになるとも言えます。その中から、ありえなかった冒険やコラボから素晴らしいパフォーマンスが生まれることがあり、島津亜矢の場合はその中でも決して外さない信頼感が番組スタッフや中居正広にあるのでしょう。
 ちなみに、島津亜矢以外でとてもよかったのはTEEの「酒と泪と男と女」です。この歌は島津亜矢もアルバムに収録していることもあって、とても熱心にTEEの歌を聴いていました。この番組でよく披露するボイスパーカッションといい、癖になる声とそんなに熱唱しないのに聴く者の心に深く届くブルース・ホップシンガーと思いました。

次回はアルバム「SINGER5」について書いてみたいと思います。

川畑要&島津亜矢「言葉にできない」

「残酷な天使のテーゼ」UTAGE!版

BENI&島津亜矢「 Don’t wanna cry」
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