争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

トピックス
PEACE MARKET・のせ2017スペシャルコンサート「友部正人」
5月14日(日)16:30開場17:00開演
能勢町淨るりシアター大ホール
全席自由席
大人前売2500円 当日2800円 中・高校生 前売当日共1000円
小学生以下無料・入場可  障害者介護者1人無料
チケットのお申し込みは
TEL/FAX:072-741-9606(細谷)
E-Mail:info@koisuru.net
チケットぴあ e+(イープラス)
主催・ピース マーケットのせ2017実行委員会

島津亜矢・待望の新曲「いのちのバトン」¥1300円(税込)視聴できます。
親から子へ、何代も受けつがれるいのちのバトン。切なさも愛おしさも受け取り渡す、いのちのバトン。
島津亜矢「SINGER3」¥3000円(税込)視聴できます。
洋楽・ポップス・フォークを中心に選曲したカバーアルバム「SINGER」シリーズ第三弾!!
島津亜矢「SINGER2」¥3000円(税込)視聴できます。
島津亜矢「SINGER」¥3000円(税込)視聴できます。
島津亜矢「BS日本のうたⅧ」¥2,857+税 視聴できます。

桑名正博/ゴールデン☆ベスト 桑名正博-40th Anniversary- CD ¥3000円(税込)

ブログ「能勢町 学校統廃合を考える」

2017.04.25 Tue おお せつなやポッポー 友部正人の「乾杯」と浅間山荘事件

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乾杯 取り残されたぼくに
乾杯 忘れてしまうしかないその日の終わりに
乾杯 身もと引き受け人のないぼくの悲しみに

おお せつなやポッポー
500円分の切符をくだせえ
友部正人「乾杯」

 1972年に発表されたこの曲は、同年の連合赤軍浅間山荘事件を取り上げた、トーキングブルースです。
 あさま山荘事件は、1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件です。
機動隊の人質救出作戦が難航し、死者3名(うち機動隊員2名、民間人1名)を出しました。10日目の2月28日に部隊が強行突入し、人質を無事救出、犯人5名は全員逮捕されました。
2月28日は酷寒の環境における警察と犯人との攻防、鉄球での山荘破壊など衝撃的な経過がテレビで生中継され、NHK・民放を合わせたテレビの総世帯の視聴率は午後6時26分に89.7%に達し、国民のほとんどすべてがテレビを見ているという空前の出来事でした。
 わたしはこの頃、フーテンのような暮らしから小さな町工場に就職して2年がたった頃で、ようやく仕事にも慣れ、極度の対人恐怖症も工場の中では少しずつ解消されてきた頃でした。
 この日は仕事が終わった後、普通ならすぐに帰るところ、卓球をしながらテレビの中継を見ていました。そして、自分がこの社会のどこに立っているのか自問しつづけました。
 というのも、自分がお茶の間で、仕事場で、町の電器屋のテレビの前で、現実に今起こっている事件を卓球しながら、コーヒーを飲みながら、酒を飲みながらまるでドラマを見るように機動隊員の死までも傍観し、人質の女性の安否を気遣い、犯人たちの非道をなじる側の人間に洗脳されていく、もう少し正確に言えばそのようにふるまわなければならないと実感したからでした。
 テレビ報道は、「安全な場所」にいるわたしたちに犯人逮捕までの長い道のりを映しつづけることで、正義とやさしさをもって反社会的な行動を極悪人と断罪することを要求していました。
 思えば、今数多くの芸能人が時事評論家になり、「真実」より「印象」やパフォーマンスで大切なことがかくれたまま、薄明るい闇に次々と消えていくニュースバラエティが席巻していますが、あさま山荘事件の報道はその最初のひとつでした。
 この事件以来、マスコミ報道は事件をさまざまな角度から検証し真実にたどりつくことより、わたしたちをひとつの方向に誘導し、国や社会が「善良な市民」と認める人間になる「洗脳教育」をするようになったと思います。

 この事件から45年、わたしたちは見事に傍観者、サイレントマジョリティとして愛される存在とみなされるようになってしまいました。しかしながら、サイレントマジョリティという大衆がすでに崩壊してしまったことも事実で、分衆から孤衆へと追い詰められたわたしたちはサイレントマイノリティとして復活する時が近づいている予感もあります。
 たとえば、「世界の終わり」というバンドに集まる若い人たちにとって、このバンドは世の中の暴力から身を守るシェルターの役割を果たしていますし、高橋優に集結するひとたちもまた、自分の肉声であるべき人生をもとめていると思います。「エレファントカシマシ」もまた、ますます過酷になって追い詰められたわたしたちが、「さあ、がんばろう」と疲れた体を奮い起こす応援歌を歌いつづけています。
 45年も前に、友部正人の「乾杯」は、そんなメディアバイパスのもとで傍観者であることの危険を説得力のある語りで表現しています。そして、1970年代初め、まだ激しかった政治の季節のほてりが冷めやらぬ頃、考えるよりもまず行動することにあこがれた青春の青さを一気に凍らせた浅間山荘事件の人質が、実は「ヤスコ」さんだけではなく、テレビを見ていたわたしたち全員が国家の人質であったのだと、気づかせてくれたのでした。
 
おお せつなやポッポー
500円分の切符をくだせえ
 この歌詞は高田渡を中心に結成されたジャグ・バンド「武蔵野タンポポ団」の「ミッドナイトスペシャル」から引用されたもので、もともとアメリカ民謡を1934年にレッドベリーが作詞したものです。
 さらに、「500円の切符をくだせえ」という歌詞はラングストン・ヒューズの詩「75セントのブルース」から来ていて、浅川マキの「夜が明けたら」もこの詩に触発された歌だと思います。
 木島始の訳詞で紹介されたこの詩をわたしに教えてくれたのは寺山修司でした。黒人差別とたたかったラングストン・ヒューズのこの詩は海を越え、高度経済成長の華やかさの陰で鬱屈し、心を閉じ込めないと生きていけないと思ったわたしの1972年に届きました。
「どこへいくかなんて 知っちゃあいねえ ただもうこっからはなれていくんだ」
 ヒッピーでありませんでしたが、この世の中のすべてから脱出したい…。その思いはわたしだけではなく、たくさんの人々が持っていた感情で、友部正人は傍観者の心情を歌うだけでなく、傍観者から脱出する汽車に乗り込んだのだと思います。
 そして、今もまだ「銀河鉄道の夜」のカムパネルラのように、大人になったジョバンニを探して旅を続けているのだと思います。

おお せつなやポッポー
500円分の切符をくだせえ

友部正人「乾杯」

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2017.04.24 Mon 能勢を未来する!井戸端会議がはじまる。能勢町議会議員選挙に大平きよえさん当選!

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 4月23日に投開票された能勢町議会選挙で、大平きよえさんが当選を果たしました。341票と前回より110票ほど少なく、順位も9位と下位の当選ではありますが、400票以上の得票数の上位7名の候補者は公明党2人と、自民党系保守候補4人をふくむ各地区代表と言ってもよく、大平さんのように確固とした組織力のない町民手づくりの選挙で341票は誇っていい結果だと私は思います。
 前回の453票は新人の女性候補で、わたしの住む大票田の松風台を代表するイメージも重なりかなりの期待が寄せられた結果で、今回の得票数は実態にあったものだと思うのです。というのも、旧村地域の力が強い中で新興住宅地の松風台の地域代表というより、る能勢町全体の未来を生活者の視点・女性の視点から、町民参加で考える大平さんの提案が受け入れられるにはもう少し時間を必要とするのだと思います。
 今回の選挙の結果は、旧来の各地域主導の守りをがっちりと固めることを多くの町民が望んだ結果として厳粛に受け止める一方で、新しい風もまた吹き始める予感を感じさせます。
 ひとつは、400票以下の当選者が、「能勢らしく能勢を変える」ことを目指していることと、新しく誕生した若い議員が瑞々しい感性と行動力で能勢町の課題と立ち向かう意気込みに期待が持てるからです。彼女たち彼たちより年齢が高く経験も豊かな大平さんが、それぞれのめざす道は違っても、夢を語り合い、町民と共に切り開く未来を模索し、協働してくれることを願っています。その意味において、投票率が58.92パーセントと過去最低だったにも関わらず、無投票はよくないとぎりぎりに立候補した候補者が惜しくも落選したものの217票を獲得したことはいわゆる泡沫候補ではなく、しっかりとしたビジョンを持った立候補であったことは特記すべきことだと思います。
 投票用紙は小さな紙切れで、そこには投票した町民が能勢の未来を共に歩むべき違った候補者の名前が書かれているだけですが、それはまた我が町・能勢の未来からの手紙なのかも知れません。
 「能勢を未来する!里山井戸端会議」がはじまります。。

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2017.04.22 Sat 能勢町議会選挙と映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」

 1999年に制作され日本でも2000年に公開された映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は、アメリカを代表するギターリスト・ライ・クーダーが国際舞台から忘れられていたキューバの老ミュージシャン達と演奏、制作した同名のアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が大ヒットとなったのがきっかけで制作されたドキュメント映画です。
 ライ・クーダーの友人で「ベルリン・天使の詩」の監督・ヴィム・ヴェンダースによって、キューバ国外にほとんど知られていなかった老ミュージシャン一人一人の来歴、演奏・収録シーン、キューバの光景を織り交ぜたドキュメンタリー映画となっています。アムステルダム公演のシーンに始まり、カーネギーホール公演まで、海外公演の様子も映し出されています。
 彼らがカーネギーホールを最後に華やかな演奏旅行を終え、自由の女神と、そびえたつ繁栄の町・ニューヨークの夜景を見つめます。
 それまでの貧しいキューバの町並みと路地とこわれかけた建物を見続けてきた観客のわたしは、彼らがこのまま亡命するのではないかと思いました。
 若い頃はアメリカに経済的にも文化的にも支配されていた中で彼らの音楽があったはずで、久しぶりに繁栄するアメリカ文化に触れ、彼らの心がなつかしさとせつなさに埋め尽くされるのが画面から伝わりました。
 けれども、彼らはキューバに帰ってきます。そして、薄汚れた壁には「革命は永遠だ」という言葉がにじんでいるのでした…。
 わたしはなぜか、今回の能勢町議会議員選挙で、大平きよえさんの街宣車を見てこの映画を思い出したのです。
 大平さんの街宣車のスピーカーから聞こえてくるのは、この町に暮らす女性のとつとつとした訴えで、大平さんの演説もまた失礼ながら他の候補者の流ちょうな話し方とは程遠く、それがわたしには快く聴こえる以上に涙が出てきました。ずっと昔、箕面の八幡たかしさんや豊中の入部香代子さんの選挙をした時のことです。言語障害を持つ脳性マヒの障害者が街宣車や電話で訴えるのですが、何を言っているのかわからないのです。それでもひとが必死で何かを訴える時、多くの人に無視されても何人かのひとが必死でその話を聞こうとするのを目の当たりにし、まだまだ人の世は捨てたものではないと思ったものです。

 能勢町は消滅可能性都市として全国24位にランクされています。町を活性化し人口減少を食い止め、農業など地域の産業を興し雇用創出をはかる…、それらが急務であることは間違いないのかも知れません。
 しかしながら、日本社会全体で人口が減少していくとされている中、どの地域社会においても、他の地域から人もお金も流入させ、他の地域に人もお金も仕事も流出させない競争にのみ駆り立てられるのは、少し違うようにも思うのです。
 キューバの老ミュージシャンが華やかなアメリカから、貧困でも自分の町に帰ってきたのは我が町に誇りを持っているからなのだと思います。
 能勢町を支えてきた旧村と言われる地域の住民も、わたしのように能勢の自然に魅入られてやってきた新住民も、誇るべき我が町・能勢を愛する気持ちに違いはありません。
 そして、消滅可能性都市と認定される我が町・能勢は、そのような認定をする都市型の繁栄に憑りつかれた20世紀のビジョン、成長率ではかる豊かさではなく、わたしたち住民自身が里山能勢をささえてきた先人たちの知恵を生かし、生活者の目線で助け合える地域社会を町行政と町民と町議会の協働でつくりだす、いわば里山民主主義の入り口に立っているのではないでしょうか。
 大平さんはまさにそのことを一期目の町会議員としてこの4年間、「協働とは何か」と訴えてきたのだと思います。
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2017.04.20 Thu 監視しあう社会は孤独で悲しい暴力。「共謀罪」法案の成立をゆるしてはいけない。

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 「共謀罪」の成立要件を改めた「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案について、衆院法務委員会での本格論戦が19日スタートしました。
 最近は自民党が公明党との与党調整を終えた段階で法案が成立してしまうという、戦後の国会の歴史の中でも異常な状態になっています。これではかつての全体主義国家とかわりがなく、「めんどくさい」議論を重ねながら国会議事堂の外の国民の意見をくみ取り、審議を進める国会の役割を成していないも同然です。
 今の政権があやふやな支持率という「水戸黄門バッジ」をかかげ、森友学園問題の深い闇に隠された疑惑を解明する責任も努力もせずに過去のことにし、「テロ等準備罪」、そして緊急事態条項を憲法に組み込むことで政権の思うままに国の行方を決めてしまえるところまで駆け上がるのをとめられないとしたら、わたしたちの社会がもうすでに全体主義国家へと足を踏み入れてしまっている証明なのかも知れません。
 もちろん、それを止め本来の民主主義を取り戻そうと積極的に行動するひとびとが苦闘されていることもまた真実です。
わたし自身、黙っていれば国の施策に賛成するサイレントマジョリティとみなされ、国の思うままになるのをわかっていても、彼女たち彼たちのようにフットワーク軽く行動を起こせない自分自身を情けなく、その気持ちがますます無力感を深めるという悪循環に陥ってしまいます。
 わたしのように思っている人々がたくさんいるのではないか、そう思い始め、「わたしはこう思う」と書いてみようと、このブログやFACEBOOKに投稿するようになりました。
 思えば今「共謀罪NO!」と直接行動を起こしている人々もまた、街頭で集会でわたしのような「サイレントマジョリティ」に呼びかけているのですから、その「サイレントマジョリティ」自身が小さな勇気を振り絞り、「サイレントマジョリティ」に呼びかける方法として、このブログもあると思っています。

 さて、「共謀罪」や「テロ等準備罪」という言葉を聞いた時、わたしも含む多くの人々が自分とは無縁の犯罪集団、反社会的集団から自分を守ってくれる法案と思うのではないでしょうか。まさか、自分が知らない間に犯罪集団、反社会的集団の一員とみなされるとは思わないでしょう。
 しかしながら、戦前戦中の苦難の時代をくぐり抜けてきた人々の証言は、それをひっくり返すに十分すぎるものがあります。
 わたしの母は1911年(明治44年)、香川県に生まれました。勉強が好きで高等小学校に行きたかったらしいのですが、貧乏なのと女は勉強しなくてもいいということで断念せざるを得ず、広島の大店に一年間の年季奉公に出されました。それからの彼女の人生をくわしくたどることはできませんが、母親とともに大阪に出てきて、しばらくして海外航路の船員さんと結婚、夫がほとんど家に帰らない生活で、彼女は若くして大阪港近くの繁華街でカフェを営んでいました。
 しかしながら、経済的な基盤を支えていた夫が病死し、お店も親戚にとられ、戦争が近づく中でわたしと兄が育った今の摂津市に疎開しました。戦争が終わり、戦前のたくわえでタンスの着物を質屋に入れるタケノコ生活を経て、料亭旅館の仲居をしていた時にお客さんだった妻子あるわたしの父親と出会いました。彼女は兄とわたしを生み、しばらくの間は父親が家にやって来ましたが、父親の援助を受けず、焼き芋屋からはじめ、大衆食堂を営みながらわたしと兄を育ててくれたのでした。そして、わたしが小学生になる前に、「子どもの教育に悪いから」と、父親ときっぱり別れました。
 私と兄を育てるためだけに、女性としての幸せをすてて母親として生き続けた彼女の人生が幸せだったのかはわたしにはわかりませんが、母と兄とわたしが身を寄せてその日その日を食いつなぐ赤貧の日々もまた、わたしにとっては懐かしくも切ない思い出として今でもくっきりと焼き付いているのですから、きっと母にとってもまた幸せな日々だったと思いたいのです。
 「福祉の世話になったらあんたたちが肩身の狭い思いをする」と、髪振り乱し、片手に余るぐらいの薬を飲みながらわたしと兄を高校に行かせてくれた母親の深い思いに、晩年に十分に恩返しできなかったと後悔する一方で、わたしは彼女を誇りに思うのです。
 
 そんな彼女は、私と兄に政治の話は全くしませんでしたし、わたしたち子どもが話すと、「シッ!めったなことをいうもんじゃないよ。特高が聞き耳を立ててるかも知れないよ」とたしなめるように言うのでした。わたしが「おかあちゃん、もう特高警察なんかないよ」といっても、絶対に信じませんでした。
 わたしは子ども心に戦前戦中を生き延びた人々がわたしの想像もできないトラウマを抱えて戦後も生きているのだと感じました。戦後民主主義とか民主教育とかをそのままうのみにできない個々の心の澱み、教育勅語でこの国が天皇のものと教わり、治安維持法でいつ危険な人物とみなされ逮捕されるかも知れないという恐怖と、こんなに一生懸命子どものためにと必死に生きている女性が国に見守られるのではなく監視されているというマインドコントロールから抜け出せないでいることに、とても悲しく、怒りにも似た切なさを感じたものでした。そんな彼女だから、自民党を支持しているのかなと思っていたのですが、ある日「ここだけの話でいいふらしてはいけないよ」といいながら、当時の社会党を支持していることを知りました。
 わたしが「共謀罪」の施行を絶対に許してはいけないと思うわけは、ひとつはわたしたちを「守られるべき国民」とそれに危害を加える危険人物と分けることと、その選別と監視を国家ではなく、ひとりひとりの国民に押し付け、監視しあう社会にしてしまうことです。思えば昔も今も障害者は「保護し見守る」という名のもとに監視の対象となっています。ナチのユダヤ人大虐殺の前に障害者が毒ガス室に放り込まれたように、障害者は炭鉱のカナリアよりも過酷な歴史を経験しています。
 ひとりひとりが見張りあいをする社会は、看守がいなくても囚人が見張られていると思い、自分の行動を規制するのと同じだと思うのです。
 それは、本来、他者と出会うことで自分が何者かを知り、コミュニケーションと想像力で生きる喜びや助け合おうと思う気持ち、武力ではなく言葉と心のふれあいと身体のぬくもりで共に生きる社会や世界の平和をつくるあらゆる努力を根こそぎ捨ててしまう、悲しい暴力なのではないでしょうか。

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2017.04.19 Wed 能勢町議会議員選挙はじまる!大平きよえ「能勢を未来する、里山井戸端会議」

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 豊能郡能勢町の町議会議員選挙が始まりました。昨日18日の告示から23日の投票日まで、ふだんは静かな能勢町も街宣車でにぎわっています。
 わたしは4年前は引っ越してきたばかりで彼女の選挙にはかかわらなかったのですが、それから後、すでに決まっていた学校の統廃合計画を思い直してくれたらという思いをブログに書いたところ、妻にすすめられてその文書の体裁を変えた要請文を能勢町の全議員に送りました。もともと返事を期待などしていなかったのですが、大平さんはそれにこたえてくれました。
 その後、この問題を主に財政面で問題を指摘した請願をもとに町議会が開かれた時、共産党の中西議員と大平さんの二人だけが意見を述べ、あとの議員は意見も何も言わず問答無用と玄関払いをしました。
 その時に大平さんの意見は、わたしが出した要請文書で書いた「統合することで競争ができ、学力向上が図れる」とする教育が、はたして21世紀をになうこどもたちの未来を明るくすることなのか」というものでした。こどもの未来を今の大人の社会の価値観で決めてしまうことへの逡巡を持ち、思いまどう中から施策を決定する勇気が、教育行政にもそれを策定する議会にも求められているとわたしは思います。
 それ以後、わたしは大平さんという議員が能勢町にいることがとても大切なことと思うようになり、彼女がもっとさまざまな問題に「思いまどう」ために、いろいろな情報を届けるようになりました。今年2年目を迎える「ピースマーケット・のせ」の実行委員に誘ったのもそんな思いからでした。
 当初、「いろんなフリーマーケットがあるけれど、ただ買い物するだけで終わり、思いを語り、つながっていかない」と批判的でしたが、5時間も話した末に、「買い物かごの中にも民主主義も自由も希望も夢もつまっている」と意気投合しました。
 そして、バザーが開かれるには平和でなければならない。そして、バザーにさまざまなひとびとが集うことが、平和をつくる遠くて近い道なのだと…。

 今回、わたしはリーフレットづくりに参加させてもらいましたが、そこでも作成を急がなければならない中で、「女性の視点を町行政に!」というところで、深夜に及ぶ議論をしました。彼女は議員になる前の三年間、男女共同参画を推進する「クレオ大阪東」の館長もされていたのですが、国や行政のいう男女共同参画が、長年能勢町の農業を支え、守ってきたひとびとの実感に届かないと言いました。もちろん能勢町だけではなく日本社会全体がまったく男女共同とは程遠く、わざわざ「女性がかがやく」と言わなければならない惨状なのですが…。
 わたしもまた国政でも自治体行政でも「女性の視点を行政に!」と声高に言われることに少し抵抗がありました。それはもちろん、わたしが(異性愛の)男であることと無縁ではないのかも知れませんが、「女性の視点」といった段階ですでに「男性社会」の支配を許し、男性社会が認める範囲でしか女性の視点を受け入れないということのように思えたのです。
 一夜明けた翌日、公約ともいえるマニフェストに彼女は次のように書いてきました。わたしはこの文章を読み、理論よりもはるかに現実的で、実際に社会を変えていくプロセスを見据えたものと共感しました。
 それが次の文章です。

「女性の視点が行政に!」
長い歳月をかけてつくりあげられてきた「男性社会」の仕組みでは、視点に偏りがありました。上下関係が大事、実力や能力を重視、効率の良さ等が物事の基準となっていました。その結果、幼な子や高齢者、ハンディキャップを持った人たちが取り残されることも少なくありませんでした。こうした人たちが置き去りにされない社会にするには、「男性社会」に女性たちの視点を交錯させる「複眼」の社会こそ望まれます。
広範多岐な町の課題にしなやかに豊かに女性の視点を生かしていきます。

 この文章はわかりやすいですが、とても深い文章だと思います。「男性社会」自体をつくってきた人間社会そのものへの変革は、女性だけではなく、「幼な子や高齢者、ハンディキャップを持った人たちが取り残されない社会」への変革で、それはかつて「人権」というお題目からしか始められなかった「人権運動」へのわたし自身の反省をこめて、「女性の視点」から始める前にさまざまな人間の視点から始めようという大平さんの意志を素晴らしいと感じました。その意志はまた能勢町民のみならず、世界のひとびとに向けた意志なのだと思います。
 そして、地域のさまざま課題をさまざまな住民と話し合い、語り合い、問題を分ちあい、その切ない思いや願いを議会に届ける「能勢を未来する、里山井戸端会議」を開くことを決心し、約束する大平さんを応援します。oohira1.jpg


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