争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

トピックス

2017.03.26 Sun ピースマーケット・のせスペシャルコンサート「友部正人」

南へ下る道路には避難民があふれ
僕は10トントラックで大阪へやってきた
友部正人「大阪へやってきた」(1971年)

 若いひとには届きようもない話をします。
 1968年、わたしは21才でした。高校を卒業して就職した建築事務所を半年でやめ、ビルの清掃をしながら延々と続く青春の闇をさまよっていました。大学紛争や70年安保闘争など騒然とした街のただ中で、まるで自分のまわり1平方メートル四方の沈黙の荒野にたったひとり、どんなに声をはりあげても誰にも届かない孤独を持て余していました。
 朝の6時にアパートの窓を開けると、蒸気機関車が黒い煙を吐き出していました。タンスもなく段ボールに押し込んだ湿っぽい服を着て大阪駅に着くと、よく家出少年と間違えられました。
 ある日の仕事を終えた夕方、大阪にはじめてできた梅田地下街で、大学生たちがアジ演説をしていました。その頃街のあちこちでよく見る風景でした。聞き取りにくい独特の語り口で「帝国主義打倒」、「人民解放」、「革命勝利」と絶叫する同世代の若者の前に立ち、彼の話が一段落した時にわたしは尋ねました。
 「あなた方が解放しようとする人民の中にわたしは入っていますか? わたしには社会性がまったくなく、あなた方のように社会を変えようという覇気もないのです。もしあなた方の目指す社会が実現した時、わたしは迎えられるどころか真っ先にやり玉に挙げられるような気がするのですが」。
 わたしの話に戸惑いながらも、その青年はそれも社会に問題があるとかなんとか、一生懸命にこたえてくれました。しばらくして「ピー」という笛の音とともに「曾根崎警察です。いますぐに解散しなさい」という声が聞こえ、後ろを振り返ると100人もの若者がわたしの後ろにいました。彼女たち彼たちは熱心にわたしたちの話を聞いていたのでした。
 学生運動の若者もあつまっていた若者もみんな、いっせいに散らばって行き、地下街は元通りの日常に戻りました。わたしもまた、その場を離れ、かくれるように街の雑踏に紛れ込みました。
 1970年に入り、あの時の若者たちとおなじようにわたしもまた大人になり、その後に暴力的なスピードでやってきた高度経済成長のるつぼに呑み込まれそうになった時、聞こえてきたのが友部正人の歌でした。日本のフォークソングは1965年ぐらいから一大ブームになっていましたが、わたしにとっては藤圭子の「夢は夜ひらく」とともにやってきた三上寛の「ひびけ!電気釜」と、友部正人の「大阪へやって来た」が最初の出会いでした。
 それはすでに人生を自分を社会を裏切ることを覚えてしまった大人のわたしにとって、かつてあの梅田地下街に100人の若者と共にいたことを証明する青春の挽歌だったのかもしれません。
 それ以来、友部正人の歌はわたしのもう一つの人生を今も生きる青春そのもののような気がします。彼もまたわたしとほぼ同じように年を重ねているはずなのに、その舌足らずな歌声は少年の瑞々しさをなくさず、その時その時の時代の空気をいっぱい吸い込み、100人分のその後の物語を歌いつづけているように思うのです。

友部正人特設ホームページ

友部正人「大阪へやってきた」(1971年)

友部正人「一本道」

PEACE MARKET・のせ2017スペシャルコンサート「友部正人」
5月14日(日)
16:30開場 17:00開演
能勢町淨るりシアター大ホール
全席自由席
参加協力券大人前売2500円 当日2800円
中・高校生 前売当日共1000円
小学生以下無料・入場可  障害者介護者1人無料

チケットのお申し込みは
TEL/FAX:072-741-9606(細谷)
E-Mail:info@koisuru.net
チケットぴあhttp://t.pia.jp/
   TEL:0570-02-9999【 Pコード324801】
e+(イープラス)【PC/携帯】http://eplus.jp/
        【直接購入】ファミリーマート
ショッピングセンターノセボックス店頭購入

主催・ピース マーケット のせ2017 実行委員会
後援・能勢町/社会福祉法人能勢町社会福祉協議会
   能勢町人権協会/公益財団法人箕面市国際交流協会
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2017.03.23 Thu 深呼吸にメロディがついているかのよう 島津亜矢

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 3月18日はテレビ朝日の「古館伊知郎ショー」、19日はNHKBSプレミアムの「新・BS日本のうた」、20日はBS日テレの「歌謡プレミアム」と、3日連続して島津亜矢がテレビ出演しました。
 テレビ朝日の「古館伊知郎ショー」は音楽番組ではなく、市川海老蔵と小池百合子、天海祐希と広瀬すずなど、何組かの組み合わせにそれぞれ古館伊知郎が加わり、話題の人物の心情・心境を引き出すという構成の中で、ゲスト2人に歌を届けるパフォーマンスゲストとして島津亜矢が登場し、美空ひばりの「川の流れのように」を熱唱しました。
 古館伊知郎が「演歌界のマリアカラス」、「深呼吸にメロディーがついているかのよう」と形容し島津亜矢を紹介すると、天海祐希が歓声をあげました。
 そして、島津亜矢の歌声に聴き入るうちにみるみる目が潤みはじめ、大粒の涙を流しました。歌い終わると号泣寸前で、「とても素晴らしい歌を、ありがとうございました」と何度もいう天海祐希はほんとうに感動していて、興奮冷めやらぬという印象でした。
 16年前の父親と死に別れたことなどを話した後だったこともあり、美空ひばりの晩年の人生と切り離せないこの歌をいとおしくよみがえらせ、この歌のたましいのもっとも深い所へと降りていく島津亜矢の歌唱が稀代の女優・歌手の天海祐希の琴線に触れたのでしょう。
 美空ひばりの歌手人生の後半は「演歌」の領域にすっぽりとはまっているため、この歌も演歌の名曲と言われています。
しかしながら島津亜矢の歌唱は演歌の領域を大きくはみ出し、シャンソンにも似た奥行きのある歌になっていると思います。実は美空ひばりの歌唱もまた演歌の領域を越えていますが、美空ひばりの場合はブルースやジャズの匂いがします。
 わたしの想像の中では美空ひばりのブルースの領域から島津亜矢のシャンソンの領域へとこの歌のいのちが引き継がれ、バトンが渡されたように思います。
 事実この日の島津亜矢は、あきらかに昨年末の紅白歌合戦の時よりはずいぶんリラックスしていて、心なしか彼女本来の声ののびやかさと「歌を詠み、歌い残す」稀有の才能を存分に披露してくれました。
 わたしは今でも美空ひばりから手渡される歌のバトンがあるとしたら島津亜矢が受け取り、美空ひばりが果たせなかったさらなる歌の冒険を美空ひばりのいのちのゴールから走り出す宿命にあると思っています。しかしながら、それは何も演歌という、実は1970年代にJポップの抬頭から無理やりねつ造された「日本人の心の歌」を引き継ぐことではないと思っています。
 明治以来、強引に導入された西洋音楽の暴力に踏みにじられ、押しつぶされそうになりながら、それでも西洋の音階の一音から次の一音の間に日本独特の「うた」を忍び込ませ、楽譜にない「こぶし」や「うなり」を発展させてきた「日本の音楽・日本のうた」を、戦後のがれきの上のリンゴ箱をステージにして美空ひばりは歌い、よみがえらせてきました。
 日本が誇る世界のブルースの女王・美空ひばりの長い旅路の果てにリュックサックいっぱいに詰め込まれた歌という歌、言葉という言葉、メロディというメロディを受け取り、島津亜矢はその重いバトンを次の世代の誰かに手渡すために孤独な旅をつづける過酷な宿命を引き継ぐことになったのだと思います。
 かく言うわたしは音楽の専門家ではもちろんなく、また音楽のことをよく知る人でもないのですが、島津亜矢のファンになった2009年の秋以降、それまで漫然と演歌歌手のひとりとしか思っていなかった彼女の歌にはどこか演歌の枠にはまり切れないものを感じていて、それが何なのかをまだ理解できないのです。いつの時代もまったく新しい思想が世の中に定着するまでのあいだ、過去の時代を表現する思想と混在するように、大きく時代が変わる予感を歌はさりげなくわたしたちに教えてくれているのかもしれません。
 島津亜矢は1970年代以降の演歌を出自にしながらも、その予感を現実のものにする歌い手として恩師・星野哲郎や、出会えなかった阿久悠、もっと歌をつくってもらいたかった船村徹、若い才能をこよなく愛した美空ひばりなど、時代を背負い時代を歌い、時代を変えた歌詠み人たちのミューズとして降臨してきたのだと確信します。

 古館伊知郎もまた司会者でもキャスターでも解説者でもなく、言葉が時代を変えることができるのかを問い続ける言葉の狩人で、その意味では阿久悠が歌でやろうとした冒険をやり続けてきた人だと思います。この人の場合は、あらかじめ言葉をつくっておく脚本によるのではなく、自分の体と心にうずもれた言葉の破片をつなぎ合わせ、ひとつの出来事を言葉という「もうひとつの出来事」で語り尽くしたいという願望がとても強く、それが本人も思いもしなかった真実にたどり着く場合もありますが、不発に終わることもあるようです。
 今回の放送でもこの番組のすばらしい所なのかも知れないですが、ゲスト2人とあらかじめ筋書きをつくらず、古館伊知郎の振りにゲストが答えてくれず、ちぐはぐで間の悪い時間が流れ、その気まずさがまた次の気まずさを呼ぶという感じで、今のところ「報道ステーション」以後の自分のパフォーマンスを探しあぐねている印象でした。
 しかしながら、その中で「深呼吸にメロディーがついているかのよう」と島津亜矢を讃えた言葉にはびっくりしました。彼がかつて得意とした異業種格闘技の時の言葉のパフォーマンスを彷彿させる名言でした。歌が人類誕生の時とほぼ一緒に生まれ、自然の様々な音とつながる呼吸に声帯の震えが重なって声が生まれ、メロディが生まれ、何かを伝えようと言葉を発見した人間の切実な歴史をたどる稀有の歌手・島津亜矢をこれ以上の言葉で語るのはむずかしいかも知れません。
 そして古館伊知郎が言葉で島津亜矢の底知れぬ才能を表現したように、天海祐希は同じく稀有のアーティストとして、感動の涙で表したのだと思いました。

島津亜矢「川の流れのように」

島津亜矢「函館山から」
美空ひばりのカバーではこの歌の島津亜矢が大好きです。小椋佳が美空ひばりに贈った最高傑作であり、世界に誇れる「日本の歌」のひとつと思います。戻らぬ青い時と、若さゆえに傷つけてしまう心とそれを悲しみでつつんでしまう心。この短い歌の中で書きなぐられる時のキャンバスに残された後悔だけが砂浜の石となって点在する…。過ぎてしまった青春を歌う詩人・小椋佳の到達の地点にたたずみ、美空ひばりの悲しみさえも包み込む包容力を、いつのまに島津亜矢は獲得したのでしょうか。

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2017.03.19 Sun 学校が限りなく「調教」の場ではなく、「学びあう場」でありますように。森友学園問題に想うこと2

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 ほぼ毎日、5月14日のピースマーケットスペシャルコンサート「友部正人」の情報宣伝と、チケット預けのお願いに明け暮れていますが、その間にも3月11日、森友学園問題の集会に足を運びました。
 豊中市曽根駅の近くに旧市民会館の建て替えでできたばかりの豊中市立芸術文化センターの多目的室で開かれたこの集会は瑞穂の国小学院問題を考える会が主催したもので、この問題が明るみになるきっかけとなった豊中市会議員・木村貢さんの報告と、「日本会議の研究」の著者・菅野完さんの講演という時の人おふたりの話が聴けるということで、わたしも友人と会場に足を運びました。
 この集会が企画された時からあれよあれよという間に次々と新しい事実が発覚し、国会での野党の追及とマスコミ報道があふれる渦中で、しかもこの日に森友学園の籠池理事長が小学校の申請を取り下げ、理事長をやめるというニュースも伝えられたこともあり、早くに会場に向かったのですがすでに会場は満席で、わたしもふくめて50人以上の人が入れませんでした。
話が聴けなかったのは残念でしたがこの問題がたくさんの人々の関心を呼び、今の政権の危うい暗闇が明るみになり、政権の暴走を止めるきっかけになればいいと思います。
 あの日からますます新事実が出て、ついに安倍首相が森友学園に100万円の寄付をしたという籠池氏の発言によって、それまでかたくなに籠池氏の証人喚問を拒絶していた自民党も積極的に証人喚問を求め、誰が真実を語り誰が嘘をついているのか物事の決着をつけようというところまで来ています。
 ただ、問題の本質は国の当初の鑑定価格9億5600万円より大幅に安い1億3400万円で売却されたという許しがたい事実をはじめ、国には過大な建築費で建築への助成金を高くし、大阪府へは認可を得やすいように過小な建築費で財政的な懸念を払おうとしたことなどの事実が、森友学園の働きかけがあるたびに実現したことに政治家の関与があったのか、もしなかったとしても安倍首相夫妻や稲田防衛大臣など国家の最高権力者が関わっている法人への配慮、忖度が働いたのかが問われています。
 首相からの100万円の寄付行為があったとしても、また森友学園とのかかわりに法的な問題がなかったとしてもそのことを利用した寄付集めや入園、入学の勧誘があったという事実に道義的な責任があることは間違いないわけで、だからこそそのかかわりや寄付行為を否定せざるを得ないのでしょう。
 安倍首相も稲田防衛大臣も自民党も、証人喚問で籠池氏の嘘や虚言癖(?)を認めさせて森友学園とのかかわりを否定することで幕引きを狙っているのでしょうが、あくまでも本質は8億円も値引きして特定の法人に土地を売り渡した信じられないことがなぜ起きたのかを明らかにすることだと思います。

 それはそれとして、わたしが心配なのは多くの方が指摘されているように、森友学園が運営する塚本幼稚園での教育勅語の暗唱などいわゆる右翼的な教育を受けている子どもたちの未来です。
かつてある思想家は「近代国家にとって学校と刑務所はまったく同じである」と言いました。近代以前は処刑・刑罰してきた罪人を、近代国家は刑務所で調教することで国家に従順な人間に作り変えるようになり、その考え方を子どもたちにも適用し、学校がつくられたというのです。
 こんなことを言えば、子どもたちの未来をより良いものにするために一生懸命の先生など、教育に従事されている真摯な方々に叱られるでしょうが、実際のところ学校がほんとうに子どもたちの学びあう場として存在することはまれで、国家による調教という教育システムが子どもたちを管理していることもまた事実だと思うのです。
 また、刑務所の例は極端かもしれないですが、多かれ少なかれ大人もまた国家の管理システムの中でしか「与えられた自由」を獲得できていないのかも知れません。
 わたしはどもりの対人恐怖症で、集団の中で一つのことをみんなと同じようにする社会性がなく、泣きわめいて幼稚園に行くのを拒否しただけでなく、小学校の1年は3学期しか行かず、2年、3年も休みがちで、今で言う不登校の引きこもりでした。どもりを笑われた記憶はいまだに心の奥に隠れていて、わたしが言葉にこだわるのも、またまとまった話をマイクを持って話したりできないことも、子ども時代のトラウマから逃れられないのが原因です。
 ですから、塚本幼稚園の子どもたちがこれから長い人生を生きていくうえで、この幼稚園で刷り込まれた「教育」という名の「調教」がどれだけ心の重荷になっていくのかと思うと、とても心が痛むのです。マインドコントロールがとけないまま、自分は周りの人よりも「すぐれた人間」と思って他人を差別したり、トラウマから脱出できないでもがき苦しんだり、ひとによって絶望の果てに自ら命を絶ってしまうひともいるかも知れません。
 わたしは塚本幼稚園や、つくるはずだった瑞穂の国記念小学校が「右翼教育」を子どもに押し付けていることだけが問題ではなく、そもそも大人が子供を自分の思うままに支配し、理解できるとは思えない「教育勅語」を丸暗記・唱和させること自体の暴力を絶対に許してはいけないと思うのです。しかしながらそんな「偏った」ことができるのは、国家が子どもたちの「学びあう場」を保障するのではなく、刑務所の調教システムと変わりない「教育」システムを子どもたちに押し付けているからなのだということを、忘れてはいけないと思います。
 そして一般には子どもたちは卒業することで学校から解放されますが、障害をもった子供たちの多くが学校を卒業してからまたもうひとつの訓練の場で「卒業」のないまま生きざるをえない現実もあります。
 障害を持たない子どもたちにも一生卒業できないかも知れない塚本幼稚園での特別な教育(彼らの主張では素晴らしい教育)から子どもたちが自分を取り戻し、卒業できるように、わたしたち大人は長い時間をかけて彼女たち彼たちの未来を(干渉せず)見守って行かなければと思うのです。

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2017.03.13 Mon 震災6年、復興神話から目覚め、原発を止め、新しい日本の未来を。

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 東日本大震災から6年が過ぎました。この時期に報道される震災関連のニュースは6年目に入り、基調としては震災の傷跡が町にも人々の心にも深く残り、決して癒されるものではないとしながらも、一方で悲しみと絶望を乗り越えて力強い復興の道を進む被災地各地の未来への希望を語り、強調することがめっきり多くなりました。
 もちろん、破壊された町が復興していくのも真実で、6年という時はその道筋をつくるのに一定の役割を果たしたことは間違いないのでしょう。
 しかしながら、町が復興していく姿や被災地の人々の暮らしが再建されていく報道が流れるたびに、復興や再建を可能にできるひとと、それが難しいひととの間の分断や格差がはっきりと姿を現したのではないでしょうか。本当は発災直後からの「助け合い」や「絆」が叫ばれる影にも実はもともとあった経済格差や、震災後の再建を進められる人やもとの仕事に復帰できる人、新しい仕事に就ける人とそうでない人がいて、簡単に「被災者」とくくってしまうと問題を見逃すあやうさがありました。
 わたしは2011年から2015年まで、被災障害者を救援・支援する「ゆめ風基金」という基金団体の手伝いをしました。この団体はもともと阪神淡路大震災の時、全国の障害者団体が集まり、被災地の障害者を直接救援・支援しようと、故永六輔さんに呼びかけ人代表になっていただき、全国から寄せられた基金により、障害者の生活を再建する活動を始めました。その後、度重なる地震、風水害で生活の拠点が壊されてしまった障害者団体の再建にとどまらず、被災地の障害者団体が被災障害者の情報を集め、被災者ひとりひとりの生活を再生する活動を続けてきました。
 そして、東日本大震災という未曽有の困難に直面し、救援からも再建からも取り残される障害者の救援支援活動を続け、十分ではないにしても被災各地の障害者の生活拠点の再建に一定以上の成果を上げてきました。
 しかしながら、震災前までは家族に支えられる形で生きてきた障害者を襲ったのは支えてくれていた家族の死や、彼女たち彼たちのいのちの基盤であった家族の崩壊でした。
 家族介護をあてにした福祉サービスの貧しさを家族の絆という言葉で隠してきた日本の福祉制度を裏付ける東北地方における障害者を取り巻く現実は、過酷としか言いようがありません。
震災から6年、被災地の障害者にとって2017年は震災によって奪われた生活の基盤を再建することではなく、震災前に障害を持つというだけで理不尽な生き方を強いられてきた過去から立ち上がり、ひとりの人間としてあたりまえに生きる権利を同じ志を持つ友人・仲間たちとともに獲得する困難な「たたかい」の出発の年であるのでしょう。
 21000人という犠牲者の数、12万人を越える避難者の数、34000人の仮設住宅生活者の数、どれをとっても想像をはるかに超える数字は、「復興」や「再建」が被災者はもとより、わたしたちの実感とは程遠いものと感じざるを得ません。
そんな状況なのに、マスコミが「復興」や「再建」に焦点を当て、わたしたちもまた明るく希望を語る声にほっとする話題を求めるのは、単に誰もが幸せであってほしいと願う純粋な気持ちからだけでなく、その裏にあって、できるだけ早く復興という名の幕引きをしようとする国の思惑が見え隠れしています。

 それがもっともはっきりとわかるのは、原発事故による避難指示区域の解除ではないでしょうか。福島県では今月31日に浪江、川俣町と飯舘村で、4月に富岡町で、居住制限区域と避難指示解除準備区域が解除されます。
 避難指示解除が「やっと帰れるようになりました。よかったですね」というものではないことは、まず解除の条件が年間の被ばく線量が20ミリシーベルト以下としていることからはっきりしています。この基準は国際的な基準である年間1ミリシーボルトという被爆線量を無視したものです。
 日本の農業や酪農をささえ、先祖代々守ってきた大地や山や川を原発事故による放射能汚染で壊され、自主避難した人は国の対処の遅れを補ってくれたと感謝されてもいいはずのところを勝手に避難したと見捨てられ、強制避難させられた人々もまた大切に育ててきた作物も乳牛もすべてを棄てて避難生活を余儀なくされました。
 そして今、「帰れますよ」ではなく、「帰りなさい」と言い、自主避難したひとたちの住宅提供を打ち切り、来年には賠償金の打ち切りをする国の仕打ちは、シリア難民に課せられたものと同じ困難を福島の人々に課すことだと思います。福島の豊饒な大地と文化を壊した原発を再稼働し、一方で原発難民を生み出す「棄民」政策は、そのまま沖縄の人々にも刃を向け、さらに大きく見れば被災者全員を自己責任で暮らしを取り戻せという、「脅し」の政治だとしか思えません。避難先を追われて懐かしいはずの故郷に帰ろうと思っても、すでに帰るべき「故郷」はひとびとの心の中に怒りと悲しみと絶望と共によどみ、あったはずのコミュニティも大地も遠いかなたにかすむだけで、こんな状態で故郷に帰れるはずもないのでしょう。
 いま、全国の避難された福島の人々、とくに子どもたちへのいじめ、差別によって自殺するところまで追い詰められ、許しがたい人権侵害として大きな社会問題となっています。
 しかしながら、その原因を風評被害とするのはとてもまちがっていると思います。
風評被害は年間1ミリシーボルト以下の被爆線量なのに福島の人々を傷つけ、福島の作物を買わない時に初めてそう言えるのではないでしょうか。
 それならば、どうすればいいのか、わたしは福島県にとどまらず、近隣の地や、さらに言えば日本の大地全体の汚染をわたしたちがひとしく引き受けざるを得ないのだと思うのです。そして、そんな悲惨なことを招いてしまった原発の再稼働などもってのほかで即刻廃止し、もしエネルギー事情が本当に苦しくなるならば(わたしはそれは電力会社をはじめとする企業資本と国の喧伝の部分がかなりあると思っていますが)、それをわたしたちみんなで分かち合うことが、福島の人々の困難とほんとうにつながる一歩だと思います。
 そこから、はじめてこれまでとはちがうもうひとつの新しい暮らし、経済、文化、政治が始まり、あれだけの大きな代償を無駄にしない緩やかで柔らかく、成長することだけがすべてではない日本の未来の姿が垣間見えるように思うのです。
願わくばその未来の姿が、誰にとっても幸せでありますように…。

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2017.03.08 Wed 「うたコン」は島津亜矢に時代が追いつくための音楽的冒険の場

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3月7日、島津亜矢がNHK「うたコン」に出演し、「感謝状~母へのメッセージ~」を歌いました。
 今回の放送は東日本大震災6年の節目を迎え、「東北に届け!春を告げる歌の花束SP」
と題し、30分延長されて放送されました。
 演歌・歌謡曲の人気番組だった「歌謡コンサート」と、Jポップの人気番組「MUSIC JAPAN」が終了し、両者を合体させた「うたコン」が始まって一年が経ちましたが、この番組への批判の声は一向に収まりません。もともと、視聴者の大半が高齢者だった「歌謡コンサート」と、10代から20代が視聴者で、Jポップの新人の登竜門だった「MUSIC JAPAN」を一つにして、世代やジャンルを越えて新しい音楽体験を生み出そうというコンセプトは魅力的なものの、実際は日本の音楽シーンがここ10年劇的に変化し、季節ごとの大きな音楽フェスをメインとしたライブがメインとなったことと相まって、テレビの音楽番組もまた季節ごとの長時間番組にシフトし、週一回放送の音楽番組の制作がむずかしくなったことなどが背景にあると思います。
 また、年末の紅白歌合戦のときだけ、演歌・歌謡曲とJポップが混在する状況ではあっちがたてばこっちがたたずという感じで、また同じジャンルの中でも出演歌手をめぐってさまざまな批判が寄せられ、その結果を反映してか視聴率の低下が年々問題になっています。そこで、一年を通じて演歌・歌謡曲とJポップが混在する状況をつくりだすことは、NHKの音楽番組制作担当者にとって切迫した課題であったのでしょう。
 そんな事情から一年前に船出した「うたコン」ですが、やはり「NHK歌謡コンサート」の視聴者だった、主に高齢者を中心にした演歌・歌謡曲ファンの批判・不満が数多く寄せられた一年でした。
 この番組の視聴率は音楽番組ではJポップの超人気番組「ミュージックステーション」よりも高く、一年を通じて10パーセント以上を確保しています。この時間帯をはじめ、特番の音楽フェスを除いた音楽番組の中でダントツの視聴率を稼いでいるわけですが、その高い視聴率を支えているのは演歌・歌謡曲ファンで、歌謡コンサートの視聴者であった人たちです。ちなみに歌謡コンサートは超マンネリのお化け番組で12、3パーセントの視聴率を誇っていたわけで、合体した「MUSIC JAPAN」は土曜日の深夜ということもあり、5パーセントも行かなかったようですから、「うたコン」を支える視聴者は圧倒的に演歌・歌謡曲を望んでいて、「歌謡コンサート」に戻してほしいというのが本音だと思います。

 しかしながら、一年前にこのブログで書きましたが、わたしは島津亜矢のファンとして、「うたコン」は先祖返りして「歌謡コンサート」に戻らず、演歌・歌謡曲とJポップが混在する今のコンセプトをつらぬいてほしいと思っています。民放のようにスポンサーがいるわけではないので公共放送の利点を生かし、不人気であっても新しい試みをつづけてほしいと思うのです。
 かつてのNHK「歌謡コンサート」のようにベテランの演歌歌手が重用されるのではなく、現在では普段出会うことがなくなってしまった演歌歌手とJポップの歌手が顔を合わせ、お互いの歌を同じ舞台で歌い聴くことから、演歌・歌謡曲ジャンルでもJポップのジャンルでも新しい音楽的冒険が生まれる起爆剤となる番組であってほしいと思います。
 とくに島津亜矢の場合は以前の番組よりは彼女の活躍の機会が増えていくと思います。
演歌というよりは1950年代の歌謡曲の本流を現代によみがえらせる島津演歌はまだ途上とはいえ既成の演歌ファンが再発見、再評価する一方、新しい演歌ファンを引き寄せていますし、ポップスの領域でははじめて聴いたひとがびっくりし、一夜にして大ファンになってしまうという現象がここ何年も前から起きています。わたしもまた、そのうちの一人であることを告白します。
 しかしながら、彼女の自由な音楽活動を表現できる番組が極端に少なく、まだ無数のポップスファンが彼女のずば抜けた歌と出会っていないという問題があり、テレビではかろうじてこの番組がその役目を担ってくれそうなのです。今のところまだ番組構成が未成熟で、様々な試みをしている途上ですが、ライブ以外で彼女のポップスをシッカリと聴く機会はこの番組しかないのではないでしょうか。
 そう思うと、かえすがえすも以前の放送の秦基博とのコラボで「蘇州夜曲」を選曲したのは間違いで、とても残念に思いました。あのコラボでは、たとえば秦基博の「ひまわりの約束」とか、彼がカバーしている井上陽水の「氷の世界」を選曲していたら、島津亜矢のとてつもない大きな才能に観客や視聴者はもちろん、秦基博自身がびっくりし、きっと二人の間にシンパシーが生まれたはずです。彼の歌を作る潜在能力はなかなかのものですから、島津亜矢への楽曲提供への意欲を駆り立てたかも知れません。
 わたしはあえてこの番組では、彼女のポップスの歌唱力を伝えていただきたいと思うのです。そうすれば、かつて船村徹が美空ひばりにしか歌えない歌をつくったように、島津亜矢しか歌えないと思う楽曲を提供したいというJポップのソングライターとの出会いが必ずあると思います。もしかすると彼女のボーカリストとしての無尽蔵の才能に気づくのは、演歌・歌謡曲の作り手よりもポップス畑のソングライターのような気もします。
 今回の放送では「感謝状~母へのメッセージ~」を歌いましたが、せっかくスガシカオが出演していたのですから、カバーではあっても彼女のポップスを彼に聴いてもらいたかったなと思います。フルコーラスではなかったし、ファンとしては新曲の「いのちのバトン」とか鎮魂の心をこめて「千の風になって」とか、あと一曲歌ってくれたらと思いますが、番組構成上、やむをえなかったのかと思います。今回の放送でも批判はたくさんあるものの、スガシカオにして天童よしみにしても福田こうへいにしても、素晴らしい歌唱だったとわたしは思います。
 天童よしみはさすがに竹中労が見出しただけあって、歌に魂を込める歌手として他の歌い手さんたちとどこか肌合いというか気迫の違いを感じていましたが、演歌歌手の中でもっとも島津亜矢とつながっていて、島津亜矢は少し先を行く先輩歌手として天童よしみにすごく助けられていると思います。
 
 さて、肝心の島津亜矢の歌について何も書いていませんが、なによりも彼女がこの番組でやっと居所を見つけたようなリラックスした表情が伝わり、とてもうれしく思います。
 フルコーラスでないのは確かに残念なことではありますが、彼女はたとえワンコーラスでもその歌のもっとも柔らかく深いところにわたしたちを連れて行ってくれたのでした。
 この歌について書いた過去のブログを紹介させてもらって、今回は許してもらいたいと思います。
 「うたコン」については、特に演歌・歌謡曲ファンの方々の中でさまざまな批判があるでしょうが、どうか長い目でこの番組を見てあげてほしいと思います。

過去のブログ 2012.09.09 Sun 島津亜矢「感謝状~母へのメッセージ」

島津亜矢「感謝状~母へのメッセージ~」
この歌もまた若い頃から何度も歌っていますので、彼女の進化がよくわかります。最近の映像を紹介しましたが、若い頃の歌唱と比べる楽しみもあります。
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