争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

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2016.12.06 Tue 新しい歌謡曲は美空ひばりにリスペクトするJポップの旗手たちと島津亜矢との出会いから生まれる。

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 島津亜矢の紅白出場が決まり、ファンの方々の間では何を歌うかに関心が集まっています。
 私も一ファンとしていろいろ想像をめぐらして楽しんでいますが、それはさておき、ファンの方々には叱られるでしょうが、今回の紅白出場は薄氷ものであったと思います。
 NHKは紅白出場選定基準として「今年の活躍」、「世論の支持」、「番組の演出・企画に沿う」という3つの基準を発表していますが、実際のところCDの売り上げやダウンロード、ライブの人気度から行くと、島津亜矢はライブの人気度以外では率直に言ってヒット曲を持たず、ライブの人気度と言ってもJポップのアーティストの動員数とは程遠いのが実情です。さすれば結局のところ演歌の特別枠の中での選出であったと思われます。
 NHKは今年、演歌・歌謡曲のジャンルに多かった出場回数の多い歌手の不出場へと大なたを振るいました。今まで高齢の視聴者をターゲットに、ヒット曲がなくても演歌を日本人の心の歌とする特別枠を設け、歌唱力のある実力派の歌手として演歌歌手を優遇してきましたが、事務所サイドとのやり取りは残るもの、漫然と出場回数を誇ってきた演歌・歌謡曲の歌い手さんの特別扱いはなくなったのではないでしょうか。反対に、市川由紀乃、香西かおり、福田こうへいのようにヒット曲が出れば演歌枠の範囲で出場が可能になったのではないでしょうか。
 そんな事情を想像すれば、よくぞ島津亜矢を選んでくれたと思います。昨年の「帰らんちゃよか」でその圧倒的な歌唱力とマキタスポーツの応援などで話題となり、3つの基準あたりにいる彼女の出演には議論があったはずで、NHKの音楽番組プロデューサーの中にいるはずの島津亜矢ファンの熱烈な後押しで出演が決まったのでしょう。
 これからは演歌の特別枠がほぼなくなり、演歌のジャンルの中でもヒット曲が出ればそれが優先されるようになり、歌唱力だけで選ばれると考えるには無理があると思います。
 そう思うと、紅白歌合戦も国民的番組から民放各局が年末に放送する特番の歌番組のように変わっていく中で、そろそろ島津亜矢もわたしたちファンも紅白にこだわらないほうがいいのではないかと思います。もともと個人事務所の地道な活動で熱烈なファンを自らつくってきた彼女ですから、すでに独自の音楽活動の道は開けています。
 ファンとして紅白に出てほしいと思う理由のひとつに、この番組に出場することで異なったジャンルの歌手や作り手との出会いの可能性と、より多くの人々に広く認知されることがあります。しかしながら今はまだ紅白がその役目を果たしていることは事実としても、紅白に出場しなくても武道館やアリーナを満席にするJポップの歌手がたくさんいます。島津亜矢は彼女のやり方で、たとえばこの間のマキタスポーツのライブのゲスト出演や来年の中島みゆきリスペクトコンサートの出場、さらには「SINGER」シリーズや「BS日本のうた」シリーズなど、すば抜けた歌唱力で数々の名曲を歌うアルバムも出しているのですから、年間のライブスケジュールに歌謡曲やポップス、時には洋楽などで構成する自主コンサートを入れるなど、新しいファンを獲得する道はいくつもあると思います。
 さらに言えば、他の演歌歌手と同じように年に一度演歌を主とする新曲を発表していますが、演歌を出自とする島津亜矢にとって決して間違っていないし、歌自体が悪いわけではなく、たとえば今年の「阿吽の花」は名曲で、いっそのこと今年の紅白はこの歌でいいのではないかと思うほどですが、一方で島津亜矢のチームにはもう少し視野を広げて彼女をプロデュースしてもらえないかとも思うのです。
 というのも、プロモーションの主体がかつてのようにレコード会社ではなく、歌い手さんの所属事務所に移っている現在、個人事務所であるために演歌のジャンルの中でも他の歌い手さんの宣伝力には及ばないのが現実です。今までなら有線放送が頼りになりましたが、有線放送からヒット曲が生まれる時代もすでに終わっています。
 ならば、手堅いプロデュースによる「演歌の王道」を進むだけではなく、私の持論ですが彼女のマルチの才能を生かし、Jポップの中で歌謡曲に回帰しているヒットメーカーに楽曲提供を依頼し、それに資金もつぎ込む冒険があってもいいのではないでしょうか。
 ここ数年、顕著に桑田佳祐、いきものがかり、吉井和哉などポップスの旗手であるひとたちが歌謡曲に回帰しています。また一世代前には井上陽水、小椋桂、堀内孝雄などが1950年代から60年代の歌謡曲をリスペクトしていて、小椋桂も堀内孝雄も自ら「愛燦燦」や「山河」など演歌・歌謡曲の名曲を世に送り出しています。
  「いきものがかり」の水野良樹は自らの歌を「大衆歌」と呼び、歌謡曲の影響を色濃く受けた歌をつくっています。吉井和哉は沢田研二と阿久悠に強い影響を受けたと言っていますし、桑田佳祐にいたっては2009年と2014年に「ひとり紅白歌合戦」というライブイベントで合わせて100曲を超す歌謡曲を熱唱した他、今年開局25周年を迎えたWOWOWの特別番組「THE ROOTS 〜偉大なる歌謡曲に感謝〜」では、彼のルーツである歌謡曲へのリスペクトを込めて「東京」をテーマにした曲を選び、原曲を忠実に再現した歌唱が話題になりました。歌謡曲ファンには彼の歌唱法に違和感を持つ人も多いでしょうが、学生の頃前川清とボブ・ディランのファンだった彼の歌唱法は歌謡曲そのものだと思います。
 Jポップの旗手である彼らが今更ながら歌謡曲に目覚め、歌謡曲に回帰するのには共通した理由があります。それはJポップの中心にいる彼らだからこそ感じる日本の大衆音楽の衰退への危機感です。彼らの危機感は演歌・歌謡曲にかかわるひとたち以上の切迫したものを感じます。
 そして、彼らの歌謡曲のルーツには美空ひばりがいることもたしかなことで、だからこそ美空ひばりからただひとり、バトンを渡されたソウルシンガー・島津亜矢と彼らが出会う時はすぐそこまで来ているとわたしは思うのです。
 戦後の大衆音楽の歴史を振り返れば美空ひばり、春日八郎、三橋美智也、三波春夫など瓦礫の中から明日を夢見て必死に生きてきた先人たちと寄り添うようにあった歌謡曲はその後フォークやニューミュージック、Jポップの方にシフトしていったことは否定できず、だからこそ今歌謡曲を再発見する彼らの活動から「新しい歌謡曲」が見え隠れする気がします。
 なぜならば彼らをはじめとするJポップのリスナーたちにとって親の世代までのものでしかなかった歌謡曲を桑田佳祐や吉井和哉がカバーし、オリジナルの歌謡曲をつくり歌うことで、新しいリスナーが飛躍的に増えるのですから…。そして、島津亜矢が彼らとくらべてもっとも足りないものはその「聴き手」の不在にあり、彼女の努力だけでは増えないリスナーを、桑田佳祐たちが飛躍的に届けてくれることになるのです。そして島津亜矢のチームがその若い人たちを取り逃がすことがないようにと切に願います。
 年に一曲の勝負曲だけでなくもう一曲、桑田佳祐や宇多田ヒカル、中島みゆき、玉置浩二、森山直太朗などに楽曲提供を依頼すれば話題性に富み、楽曲の素晴らしさと島津亜矢の歌唱力も相重なって、いままでとちがうヒットチャートに名を連ねることになるのも夢ではありません。

 もっとも、いろいろ書いてきたものの、わたしは今のままの島津亜矢であってもまったくいいと思います。ただ、紅白に出演しないことを「落選」などとはやしたてるマスコミに振り回されないで、しなやかにいさぎよく島津亜矢らしくあればいいと思っているだけなのです。
 次回はJポップのボーカリストがリスペクトする美空ひばりがカバー曲を歌う特集番組を見て思ったことと、美空ひばりから島津亜矢へと渡ったソウルミュージックとしての歌謡曲について書いてみたいと思います。

美空ひばり「愛燦燦」

島津亜矢「愛燦燦」

桑田佳祐 - 悪戯されて(歌謡サスペンスビデオver.) + 映像作品「THE ROOTS 」トレーラー


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2016.12.03 Sat 能勢ダイオキシン問題報告会

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 3月30日、能勢町行政がダイオキシン問題についての調査報告会を開きました。
 報告会に提出された資料には、特に今年の1月末に大牟田での処理を断念してから2月16日に神戸市の業者がコンクリート固化し、23日に埋め立てるまでの一か月間に組合が情報を隠し説明責任を果たさないまま、性急で稚拙で乱暴な手法で物事を終わらせようとしたプロセスが克明に記載されており、遅ればせながら丁寧な調査をされたことがわかりました。
 資料の全容は「能勢町 学校統廃合を考える」に掲載されていますのでご覧ください。

 1997年6月、能勢町と豊能町2町によって設立された豊能郡環境施設組合が運営する豊能郡美化センターから国内最悪となる高濃度のダイオキシン類を排出しました。さらに測定日にダイオキシン濃度を減らす偽装工作をしていることが明らかになり、大きな社会問題になりました。この問題を受けて全国の小規模焼却炉が数多く廃止され、清掃工場の広域化が進むきっかけとなりました。一方能勢町では農作物の風評被害が発生し、美化センター内の汚染物質と周囲の汚染土壌の処理が問題となりました。
 1999年6月には汚染された焼却炉の解体が開始され、施設内と周辺の汚染物は施設内に4659本ドラム缶に収納され保管されました。その後施設内での処理は進みましたが、最終的に未処理の198本について豊能郡環境施設組合と能勢町豊能町両町の重要懸案でありながら20年近い年月をかけても処理できませんでした。
 昨年の4月30日、処理技術として鴻池組のジオスチーム法を採用することを決定し、豊能町内の処理予定地の住民説明会を6月13日に開催し、7月7日に豊能郡環境施設組合議会臨時議会において処理費用約6億4000万円を補正予算として上程しました。しかしながら地元住民との完全合意がなされていない状態で議会は延会となり、予算執行は保留になりました。ちなみにこの時点では処理費の8割は国の交付金で賄え、残りの2割を施設組合、つまり豊能町と能勢町で決められた配分で負担することになっていたそうです。

 さてここからが今回の一連の問題のはじまりなんですが、豊能町の前町長が任期期間中にこの問題を解決すると公約していたこともあったのでしょうか、地元住民との折り合いがつかないことなどから、豊能郡環境施設組合は8月5日に地元処理の予算を撤回し、町外で処理するため、大牟田市の三池精練と処理契約を結びました。ところが地元の反対とされていますが最終的に門前払いとなりました。その時に一部で業者からのアドバイスがあったとされますが特別一般廃棄物から産業廃棄物として神戸の業者と委託契約を結び、コンクリート固化処理をし、神戸市の最終処分場に埋め立てられました。
 そもそも一般廃棄物は、排出した自治体で処理するのが原則で、他地域で処理する場合は当該の自治体への事前通知が必要です。しかし産業廃棄物は排出した自治体で処理しなくてもよく、事前通知も必要ないということです。
 神戸市が事前通知もなく一般廃棄物と産業廃棄物の混合物を無断で埋め立てたということで厳重抗議とともに撤去を求めたことで一連の問題が発覚したのでした。
 組合が一般廃棄物から産廃に変えたのはなぜか。組合側は「(廃棄物を精査したところ)産廃の方が多かったので全体として産廃とした」としましたが、廃棄物処理法を所管する環境省は「(通常)一般廃棄物が産廃に変わることは考えにくい」と指摘しています。
 このプロセスにおいて、廃棄物処分業の許可を持っていない仲介業者が9650万円の処理契約を結び、そのうち9000万円を受け取っていたことや、その業者のあっせんでコンクリート固化処理をした中間処理業者には249万円しか支払われておらず、その見積書も偽造されていたことがわかっています。
 能勢、豊能両町にはダイオキシン類対策費として昨年12月、国から特別交付税約9000万円が拠出されていますが、総務省は交付税が適正に使われたかを精査する方針を示しています。
 また、神戸市からの撤去と仮置き場への運搬などの費用が4500万円にもなり住民による住民監査請求がなされましたが、却下されています。

 新町長のもとでコンクリート固化ではなく燃焼や溶融による、より無害化した最終処理を約束している能勢町の誠実で真摯な姿勢が表明された、とてもよい報告会でした。 
 以前、このブログで新町長が選挙の直前にダイオキシン問題を取り上げたことや、また旧来の区の機能をより強化する行政手法への疑問を書きましたが、少なくともダイオキシンの問題では、国や府や組合がコンクリート固化ですでに無害化がなされているという主張を退け、昨年の7月7日に組合が6億4000万円を予算化した「完全無害化」を成し遂げ、長年の懸案だったこの問題に決着をつける強い意志があるからこそ、今回の丁寧な報告会になったのだと思います。
 報告後の質問では、9650万円の不可解な出費に対する疑問と怒りが噴出した一方で、今後どうするのかについて質問や提案がされました。
 国がすでに今回の処理費用について9000万円を拠出したことと、それが適正であったのかを精査するとしていること、大阪府も安全であるとしている中で、風評被害もふくめて住民の不安を一掃し、溶融や燃焼による「完全無害化」を進めることを国や府が理解してくれるのか、その費用に対する特別交付税が担保されるのか、もしされない場合単費でも実行するのか、6億以上の費用をかけてつくるなら、その施設を他の自治体に利用してもらいお金を回収したらどうか、いや現在能勢町、豊能町、川西市、猪名川町の4自治体でつくっている国崎クリーンセンターで処理してもらうように要請をすればどうかなど、今考えられるいくつかの方策が提起されました。どれ一つをとっても実現が難しそうで、具体的な方策は示されませんでした。というより能勢町がどこまで主体的に提案し、実行できるのかがよくわからないことが問題なのだと思いました。
 今回の丁寧かつ真摯な報告においても、現在は2町のダイオキシン汚染物の処理のためだけの特殊な自治体である豊能郡環境施設組合の意思決定が誰によっていつなされたのかがまったくわからず、一連のいきさつをその時々に知っている行政職員もほとんどいない感じでしたし、能勢町と豊能町の議員から派遣される組合議会すら知らなかったり、もしかすると副管理者の能勢町長ですら今回出された一連のプロセスをすべて知っていたのか疑わしい印象を持ちました。
 今回の問題は組合と組合議会、組合と両町行政との関係がいびつで、まるで組合がブラックボックスで、事業の中身を吟味できないまま能勢町も豊能町も事業の費用負担のみが請求されるような印象なのです。組合の特殊性を鑑みても情報公開と説明責任を徹底してもらわなければ、住民がこの問題について考え、意思決定できないのではないでしょうか。
 少なくともそうしていればたった一ヶ月の間に組合事務局が両町民を無視して一般廃棄物を産業廃棄物にしてしまい、コンクリート固化して神戸市の埋め立て地に埋めてしまう乱暴なことはできないはずだったと思います。
 組合の構造的な問題がただされない限り、これからもまた町民だけでなく行政職員や議員もよくわからないまま組合の意志決定がなされ、今回のような問題がまた起こるのではないかと心配です。


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2016.11.30 Wed 松井しのぶさんとシュールレアリスムとわたしの青春 採録

2017年カレンダー9月10月
2017年カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」9月10月イラスト (C)松井しのぶ

だれもが心の底に
なつかしい風景をかくしている
そこでは行方不明の夢たちが
かがやく朝を待っている

 たとえば若い頃のヒットナンバーがラジオから流れたとたん、何十年も前の出来事や住んでいた街の風景を一瞬に思い出すことがあります。その風景の些細な部分がくっきりとよみがえるのです。そんな経験はだれもがもっていることでしょう。
 友だちや好きだったひととお茶を飲んだ喫茶店の壁の色からテーブルの形、コーヒーの香りとカップの手ざわり…。そして、若いわたしはテーブルの前に座っているだれかとコーヒーを飲んでいます。何十年も前からずっとそうしていたかのように。
 松井しのぶさんのイラストをはじめて見たとき、わたしはそんな驚きとなつかしさで心がいっぱいになりましました。
 わたしは高校の時、美術部に入っていました。といっても毎年4月の2週間ほど石膏デッサンをするだけで、3年間に一枚も絵を描かなかった部員でした。小学校、中学校とまわりから絵が上手といわれていい気になり、美術部に入っただけでした。
 大阪市内の工業高校に入学したわたしは、学校に行くのがずっと苦痛でした。1年の時はまだ専門課程の建築を勉強しましたがすぐにいやになりました。いつも反抗的でありながらおどおどしていて、教師にも同級生にもけっして心を開きませんでした。
 といっても、なにも学校や同級生に問題があったのではありません。ただ単にわたしが吃りで対人恐怖症だっただけでした。他人からみればなんでもないことかも知れないのですが、背丈をこえる巨大な劣等感におしつぶされるのを必死にこらえていました。
 美術部に入ったおかげで、そんなわたしにも友だちができました。当時流行したこまどり姉妹の不幸な身の上話の歌ではありませんが、「どもりで私生児で貧乏」とくればこれ以上の不幸は誰にも負けないと思っていたのですが、わたしのともだちはそれ以上の事情をかかえていて、そのことがわたしたちの結束力を高めることになりました。
 「死のう会をつくれへんか」と声をかけてきたのは、機械科の先輩でした。わたしが「詩の会だったらいいよ」というと、どちらでもいいということになりましました。実存主義にかぶれたわたしたちはよくわかりもしないのに哲学の話をよくしました。
 それからすぐ、ふたりの生徒が死にました。ひとりはその機械科の先輩の同級生で、優等生の彼は一流企業への就職が決まってすぐのことでした。もうひとりは、わたしの同級生で、たしか喘息の発作で死んだのだと思います。彼が死ぬ1週間ほど前に「ぼく、公園で男と女が抱き合ってるのを見てしまった」と言ったのを今でもおぼえています。卒業写真の丸枠に入ってしまった彼の影の薄い顔写真を見ながら、わたしは「あいつはそれを見たから死んだんや」と、今から思えばとても残酷な納得をしました。
 そんな暗くてあぶない高校時代に、わたしをわくわくさせたものが「シュールレアリスム」でした。キリコ、デルボー、タンギー、マグリット、ブルトン、エリュアール……。
 正直言えばそれらに感動する感性を持ち合わせていなかったし、いまもよくわからないのですが、それらが放つ魔力にとりこになってしまったのでした。
 わたしはそれ以後、美術、演劇、映画、詩、音楽など、いろいろな表現行為や作品に興味を持つようになりましました。何十年もたって豊能障害者労働センター在職時にライブやイベントをプロデュースしたり、カレンダー、ポストカード、Tシャツなどの制作を手がけたのもそこから始まったのだと思います。
 松井しのぶさんのイラストは、「シュールレアリスム」と出会ったその時代にひきもどしてくれました。彼女のイラストにはどこかほの暗く、やさしい透明な光があって、そこでは過去と未来が、記憶と夢が溶け合っています。そして、だきしめたくなるノスタルジーの中に、未来への強い意志、願い、祈り、希望がかくれています。
 真っ青な空、限りない緑、暖かい赤……、小さな一枚の絵の隅から隅まで、この世界の、空の、海の、森のすべてのいのちへのいとおしさに満ちあふれています。
 わたしの心もからだも青かった1963年から1970年までの7年間、正義と裏切りと野心と希望に溢れた時代の中で、わたしは自分に腹を立てながらどうしようもない時を生きていました。すべてを「どもり」のせいにして、狭い心の地下室に閉じこもっていました。それでもいまふりかえると、その7年間がまちがいなく今のわたしをつくったのだと思うのです。それ以後今までめざましいことをなにひとつして来なかったし、先行きとても不安な人生であることはまちがいありません。
 けれどもその7年間がなければ、そのころには思いもつかなかった障害者をはじめとする多くの友だちとは出会うことはなかったでしょう。いまわたしが生きてきたすべてのことがら、すべての感じ方、すべての行動、「わたしのものがたり」はその7年間に、まだ記述されない未来としてかくされていたのだと思います。
 わたしはいま、その7年間の自分自身を抱きしめたい。「ありがとう。だいじょうぶだよ」と…。

2017年カレンダー11月12月
2017年カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」11月12月イラスト (C)松井しのぶ


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2016.11.28 Mon 宮島・厳島神社と初めての広島平和公園

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 11月26日は久しぶりの妻との慰安旅行で、広島に行きました。昨日は妻のリクエストで京都へ行き、伊藤若冲の展覧会に行きました。お目当は大きな屏風絵で、鳥の屏風と並んで、象まで描かれた色々な動物の屏風でした。この絵は細かい格子状の目盛りに合わせて絵の具をおいていくように描かれていて、タイル絵の様で銭湯の書き割りみたいでした。
 その他おびただしい数の掛け軸に主にニワトリが描かれた作品が展示されていました。暮らしの中にある様々な動物や風景を時には写実的に、ときにはひょうきんなポップアートふうに自由自在に描かれていました。江戸時代中期から後期の京都に居て、政治的な束縛から解放され、強烈な自由にあふれていました。
 ただ、残念だったのは超満員で、しかたないのですが係りのひとに立ち止まらないでくださいといわれました。美術展に行って「立ち止まらないでください」と言われたのはフェルメール展以来でした。

 26日は朝早く家を出て、新大阪から広島へ、広島から宮島まで直行しました。天気予報で雨模様となっていたからです。ところがほぼ終日なんとか天気がもち、宮島を堪能しました。実はわたしの母は香川の人でしたが、子供のころに広島に年季奉公に行き、数少ない休みに厳島神社に行った思い出を話していて、一度行こうとおもっていたのです。実際のところ、寺社仏閣は時の権力者の野望の残骸に思えて、わかいころは好きではなかったのですが、歳を重ねると反対に彼らのかなわなかった最後のゆめの儚さに思いを巡らすようになり、好んで見るようになりました。
 厳島神社は平清盛が肩入れして夢破れた後も、毛利元就や豊臣秀吉ら権力者の果てしない権力欲の表現の場とされて来ました。いく時代かが過ぎ、彼らが目もくれなかった私たち雑民がゾロゾロと押し寄せる様子をみて何を思うのかなと考えると、權力の虚しさとともに、少しはこんなふうに彼らも民に喜ばれることもあるのかなと思いました。
宮島で一日を過ごし、近くのビジネスホテルに泊まりました。

 翌日の27日は一日雨が降るなか広島平和公園に行きました。実はわたしは一度も平和公園に行ったことがなく、今回の広島旅行となったのでした。原爆ドームは大きな建物で、360度どの角度からでも見ることができ、違った表情で原爆の破壊力のすごさを今に残しています。
 1945年の8月6日の朝に人類が犯してしまった最大最悪の過ちが20万人のいのちを奪い、今も生き残った人々の心とからだを痛めつけ、この街を破壊し尽くした記録と記憶をこのドームが深い沈黙と共に静かに叫び、泣いているように感じました。原爆ドームを歴史の証言として残してくれたことに感謝しつつ、なぜ大阪市は大阪大空襲の証言として大阪砲兵工廠を残さなかったのだろうと思いました。
 誰のものかわからない7万人の骨を拾い集めた慰霊碑と、犠牲者の1割にも上る韓国・朝鮮人の犠牲者を慰霊する韓国人原爆犠牲者慰霊碑慰霊碑に手を合わせ、記念館に入りました。
 記念館は超満員で、子どもの衣類などひとつひとつの遺品を丁寧に見ることができませんでしたが、それらの遺品もまた何十年もあの朝に理不尽に奪われたいのちたちの無念を語っているようでした。
 5月にオバマさんが訪れ、慰霊碑に花をたむけ、演説したことは記憶に新しいですが、わたしはいろいろな批判があることを承知で彼の演説は素晴らしいものだと今でも思っています。しかしながらアメリカ大統領として核のボタンを持ち、いつでもそのボタンを押す用意をしながら核廃絶の演説をしなければならないことが、失望と共に世界が深い暗闇に中にあることを証明しています。
 そして被爆国でありながら核兵器禁止条約の決議に反対する日本にも絶望と怒りを禁じえません。
 毎日世界中から平和記念公園と記念館をたくさんの人々が訪れ、二度と戦争をしないと誓う心こそが、遠い道のりであっても武器を持たずに共に生きる勇気をたがやし、平和をつくる一歩であることを、世界の国々の政治家は心に深く受け止めるべきだと思います。

 まだ大阪に帰るには時間がありましたので、広島名物のお好み焼きを食べた後、広島県立美術館で開かれている「エッシャー展」に行きました。行く前はそれほど乗り気でなかった妻は足が痛くて歩きにくいにも関わらず会場を歩き回り、いままでそれほど知らなかったエッシャーの作品に触れて感動していました。
 エッシャーといえば「だまし絵の巨匠」と称されますが、初期の作品から年代順に見て回ると、だまし絵と称される作品は奇をてらったものでは全くなく、彼の追い求めた世界の帰結であったことがよくわかりました。主に木版画とリトグラフで制作された作品は彼が好んだ風景が細かく緻密に描かれているのですが、先人の画家たちが風景や動物を二次元のキャンバスに正確に写すことで空間や立体を再現するのに対して、エッシャーは細微に当たって正確に描けば描くほど「本物の風景から逸脱した風景」になっていくのでした。
 彼の関心は平面の中に立体そのもののイリュージョンをつくりだしたり、平面上の動物や人物のパターンをびっしりと描き、視点を変えると別の絵になってしまったり、紙からはい出したトカゲが書物や小さなバケツの上を通り、また紙に帰っていく作品、下から水が流れたり、上っている階段のはずがいつのまにか降りていたり、世間でだまし絵と言われる作品になっていきます。
マグリットなどにも似ていると思いましたが、エッシャーの場合はとても勤勉な職人で、その世界観は冒険的でありながら生真面目に版画をつくり続けた人だと思います。
 中には画面全体を小さな碁盤の目を張り巡らしてからその中に形を載せていく手法や動物を細密に描く作品など、京都で見た伊藤若冲と共通した画業を全うした人だと思います。かたや水墨で、かたや木版で、どちらも白黒グレーで制作されているところも共通していました。

2日間の旅を終えて、無事に帰ってきましたが、今回は大きな言い合いもなく楽しい旅になりました。妻は最近歩くことがかなり難しくなっていて、医者は「加齢のせい」としか言わず痛み止めをくれるだけで根本的な解決にはならず、整体などお金がかかる治療もできずに放置していましたが、今回の旅行でいよいよ歩きづらくなったので自分でなんとか解決しようと言っています。わたしも最近またお腹が出てしまい体重も増えているので、お互いに自力で身体をメンテナンスしなければと感じた旅でもありました。

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有名な大鳥居で一枚。写真を写した時は引き潮でしたが、夕方には満ち潮で下の方がすっぽりと水に埋まりました。
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韓国人原爆犠牲者慰霊碑。長い間さまよっていた2万人のたましいを慰霊するため、1970年につくられました。
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平和記念資料館を含め、平和公園は丹下健三グループによって設計されました。
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エッシャー展は12月25日まで開かれています。

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2016.11.25 Fri Jポップは「新しい歌謡曲」、島津亜矢の紅白出場おめでとう!

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 今年の紅白歌合戦の出演者が発表され、島津亜矢の出演が決まりました。
 実はわたしは今年の出場はかなり厳しいと感じていましたので、一ファンとしてほんとうにうれしく思います。
 ほんとうはもし島津亜矢が出演しない場合を考えて、美空ひばりと島津亜矢について連続で書くつもりでいましたが、出演がきまったということで、あらためて紅白歌合戦について書くことにしました。
 何度も書いてきましたが、わたしは紅白歌合戦の出場をめぐって世間が騒がしくなるのに違和感をもっています。事実、島津亜矢の存在を知らなかった時はそんなに興味もなく、ただ私の友人たちと違い本来ミーハーな性格なので、ひいきの歌手がいるわけでもないのに年末の数時間をなんとなくにぎやかなテレビを見て過ごすという感じでよく見ていた方だと思います。それと、その頃は演歌・歌謡曲にはほとんど関心がなく、ポップスのジャンルでその年に何がヒットしたのかに興味があったので、グレーが初出場したときなどは今でもおぼろげながら覚えています。
 ですから、島津亜矢についても紅白出場などには関心がなく、今まで遠ざかっていた演歌のジャンルでただひとり、歌うことに呪われているといってもいいほどの才能を持ってしまった彼女がこれからどんな歌手になるのか見届けたいという気持ちが一番でした。
 歌への情念や歌を読み解く力、歌をその誕生の瞬間にまでさかのぼって歌いなおす歌唱力、そして声質や声量や唸りやこぶしや裏声などのテクニカルな進化、どれをとっても並外れた才能とたゆまぬ努力をしていなければ聴く者の心に奥深く届かないような島津亜矢の歌唱に魅入られてしまったのでした。
 そして、好き嫌いは別にして、そんなとびぬけた才能と宿命を背負ってしまった歌手と言えば美空ひばりしかいなかったことにあらためて気づきました。それまでほとんど嫌いといってもいい美空ひばりの特集番組をよく見るようになったのも、島津亜矢がきっかけでした。
 しかしながら、島津亜矢もまた流行歌手であることに間違いなく、本人の気持ちとして紅白に出たいと思う強い気持ちがあることも知りました。そして、それ以上に出場できなかった長い年月の間彼女を支え、応援してこられたファンの方々の「紅白に出てほしい」という切なくも熱い願いにこたえられない申し訳なさで心を痛めていたことも…。
 「私の努力が足りない」とファンに詫びる彼女に、わたしもいつのまにか「紅白に出てほしい」と思うようになりました。

 今回、NHKのアッと驚く英断によって、出場回数の多い歌い手さんの不出場が決まりました。これをきっかけに今まで演歌・歌謡曲のジャンルで聖域のように漫然と出場回数を誇る風潮は無くなっていくのではないでしょうか。現に初出場の市川由紀乃や返り咲きの香西かおり、福田こうへいとも今年発表した歌がヒットして出場を決めています。ポップスのジャンルではそれが当たり前になっていて、演歌・歌謡曲にくらべて出場を勝ち取るのは熾烈になっています。ただし、ジャニーズ事務所所属のアイドルについては事務所の強い力が働いているようですが…。
 女性アイドルの方は相変わらずAKBグループの力が強く、今回は中でも欅坂46の1stシングル「サイレントマジョリティー」の初週売上は約26万2000枚、オリコン1位を獲得し、女性アーティストのデビューシングル初週売上としても歴代1位となったそうです。
 AKBグループから応援の意味合いが強くなり、CDを一人で何枚も買うのがふつうになりCDの売り上げによるオリコンチャートの信頼性が疑問視されるようになったとは言え、演歌・歌謡曲のジャンルのヒットのレベルとはけた違いの売り上げです。
 ただ、「サイレントマジョリティー」の歌詞については反論したいと思います。時の為政者は政権を批判する国民は少数で、異議申し立てをしない大多数のひとびと、つまりサイレントマジョリティーは政権を支持していると言ってきました。最近の安倍政権を支える与党や日本維新の会や橋下徹さんたちは先の安保法制反対のデモが路上を埋め尽くしても、民主主義は選挙がすべてで、サイレントマジョリティーは与党の政策や憲法改正(?)を支持しているというわけです。わたしは、そんな風に決めつけるのは物言わぬ大多数の人々に失礼だと思うのです。現に彼らが主張する選挙の投票率はきわめて低く、彼ら与党に投票したひとたちだけが物言わぬ大多数の人々ではないのです。
 わたしはかねてよりサイレントマジョリティーが民主主義の担い手で、わたしもまたその一員だと思っています。ですから、政治的な行動を起こすことには腰が重い中、わたしがその活動にかかわる時、いつもサイレントマジョリティーの中のサイレントマイノリティーに呼びかけたいと思っています。
 そんなことを思っていたら、アメリカの大統領選挙においてよくも悪くもサイレントマジョリティーがアメリカの民主主義を、世界の民主主義を、さらには歴史を変える大きな選択をしたではありませんか。
 その意味合いにおいて、欅坂46のプロデューサーであり、「サイレントマジョリティー」の作詞者の秋元康が上から目線でサイレントマジョリティーを為政者に利用されるだけの、個性を持たず体制におもねる集団とネガテイブにとらえる視線はスノッブの匂いがして好きになれないのです。
 それはさておきわたしが注目しているいきものがかり、THE YELLOW MONKEY、SEKAI NO OWARIの他、宇多田ヒカル、大竹しのぶなどの出演はとても楽しみです。
 わたしは島津亜矢がボーカリストとしてJポップスのボーカリストやシンガーソングライターと出会うことから、彼女の新しい道が開けるものと信じています。現に今、すでにJポップと呼ぶのはわたしが言う「新しい歌謡曲」のことを言うようです。その先鋒が生きものがかりの水野良樹、桑田佳祐、THE YELLOW MONKEYの吉井和哉、森山直太朗、中島みゆき、宇多田ヒカルと言われています。いわばJポップの中でも骨太のシンガーソングライターは新しい歌謡曲に活路を見出そうとしています。彼女たち彼たちは演歌・歌謡曲のジャンルの作り手や歌い手よりも、歌の未来に危機感を持っているのです。ですから、島津亜矢はどこかでそのひとたちの創造力をかき立てる存在として認知され、リスペクトされる時がやってくるはずです。島津亜矢に時代が追いつく時はまだ少し時間が必要ですが、確実に近づいてきていると確信します。
 そして、今年の紅白から来年一年をかけて、この中の誰かひとりでも楽曲の提供をしてくれるようなプロデュースを強く望みます。 いまは突拍子もないと思われますが、水野良樹が唱える冒険的で刺激的で、世代を越えて受け止められる「大衆歌」が「ミシンとこうもり傘の出会い」(シュールレアリスム)ともいえる島津亜矢と水野良樹、島津亜矢と宇多田ヒカル、島津亜矢と中島みゆき、島津亜矢と桑田佳祐、島津亜矢と吉井和哉、島津亜矢と森山直太朗、島津亜矢と…、によって生まれることを信じてやみません。

島津亜矢「風雪ながれ旅」
さて、何を歌うかですが、熊本地震関連では昨年の「帰らんちゃよか」が有力でしょうが、たとえばカバー曲でも北島三郎の歌を歌い継ぐという意味合いで、世界に通じる名曲であるこの歌をトリで紙吹雪の中で歌うのはどうでしょうか。

島津亜矢「元禄名槍譜 俵星玄蕃」
同じ意味では、最近なぜか封印されてしまったこの歌をNHKの交渉力で紅白一度だけでもと歌う権利を獲得して歌えば、小さな批判はあるものの三波春夫のご家族他関係者にとっても、この名曲と三波春夫の偉大さを後世に伝えるという意味で、満足してもらえるのではないでしょうか。もちろん、その場合もまた、歌の性格からしてトリで歌うことになるでしょう。

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