争う経済から夢見る経済へ。誰もが助け合って暮らせるゆたかな社会をめざすソーシャルビジネスを紹介しながら、演歌からポップスまで、好きな音楽への雑感や生活をつづる日記。

トピックス
【島津亜矢出演番組】
新・BS日本のうた
NHK・BSプレミアム 10月9日(日)午後7時30分~9時
スペシャルステージ 吉幾三、中村美律子、氷川きよし、島津亜矢
あなたのやさしい記念日に、お届けします!時の花束
2017年カレンダー「やさしいちきゅうものがたり」 1000円
お申し込みは
豊能障害者労働センター TEL072-724-0324

島津亜矢「SINGER3」¥3000円(税込)視聴できます。
洋楽・ポップス・フォークを中心に選曲したカバーアルバム「SINGER」シリーズ第三弾!!
島津亜矢「SINGER2」¥3000円(税込)視聴できます。
島津亜矢「SINGER」¥3000円(税込)視聴できます。
島津亜矢「BS日本のうたⅧ」¥2,857+税 視聴できます。

桑名正博/ゴールデン☆ベスト 桑名正博-40th Anniversary- CD ¥3000円(税込)

ブログ「能勢町 学校統廃合を考える」

2016.09.28 Wed 島津亜矢コンサート・大阪 フェスティバルホール

島津亜矢コンサート2016

 9月26日、大阪フェスティバルホールで開かれた島津亜矢のコンサートに行ってきました。実は仕事を辞めてからは経済的に年2回、そのうちの1回を座長公演に充てれば、コンンサートは年に1回だけになってしまいました。
 私が島津亜矢のコンサートに初めて行ったのは2011年で、それまではテレビなどで好きな歌手はそれなりにいてもなかなかコンサートに行くところまではなかったのが、島津亜矢に触発されて主にポップスですが井上陽水、玉置浩二、小椋桂、いきものがかり、高橋優、セカイノオワリなどのコンサートに一回程度ですが行くようになりました。不思議なことですが島津亜矢の、特に演歌・歌謡曲を聴いていると、ポップスのジャンルの彼女たち彼たちと島津亜矢がわたしの中で深くつながり、音楽が生まれるたましいの泉に導かれるようなのです。

 この日は座長公演の時の2人とまた一緒に行ったのですが、チケットの都合でわたしは1階の中段ぐらいの左端の席でした。2700席あるフェスティバルホールの3階席まで、ほぼ満席でした。彼女のコンサートに行き始めたころに比べて、最近は早めにチケットを取らないとならなくなってきました。
 昨年は同じ会場での30周年記念リサイタルということで特別な演出でしたが、今年は久しぶりに通常のコンサート形式の幕開けとなり、オープニングの曲は「阿吽の花」のカップリング曲「土」でした。実のところ、「阿吽の花」のCDを購入したときに一度聴いただけでしたので不明にも最初は彼女の新しいオリジナルだとわかりませんでした。北島三郎の「川」や「山」と似た感じの歌詞でしたので、北島三郎にこんな歌があったかなと思いながら聴いていたのですが、歌い終えた後にオリジナルとわかりました。
 カップリング曲はどうしても陰にかくれてしまうことが多いですが、この曲には北島三郎の楽曲の数あるカテゴリーの中で、「兄弟仁義」に代表される任侠物を昇華させ、山や川や竹といった自然の恵みと戒律に例えながら昔も今も変わらない「人の道」を歌う傑作シリーズを20代からカバーしてきた島津亜矢だからこそつくられた一曲なのだと感じました。そういえば島津亜矢の31年間のシングルでカップリングされた中には名曲がたくさんあったことを思い直し、「土」もまたその中の一つで、少しコンセプトが違いますがカバー曲の「山河」を彷彿させる楽曲です。
 そして、今回のコンサートのオープニングにこの曲を選んだことからも、今日は演出や構成の冒険ではなく、島津亜矢の正調演歌節をたっぷり聴かせてくれるのだとわかりました。「ありがとう」というコンサートのタイトルはそういうことだったのだと納得しました。彼女のデビュー当時からのファンからごく最近のファンの方々すべてに、島津亜矢という演歌歌手のすべてをさらけ出すような舞台でした。そう思うと、すでに目頭がこそばくなったわたしでしたが、その後、「土」の流れで北島三郎の「山」と「川」を歌い、「わたしの転機となった歌です」と「愛染かつらをもう一度」と「度胸船」を歌う頃には涙ぐんでしまいました。
 島津亜矢の歌との出会いに、ユーチューブの貴重な映像が大きな役割を果たしている事は数多くの証言が示していますが、わたしもまた2009年の暮れから2010年の一年間はもっぱらテレビ番組とユーチューブの映像で数多くの島津亜矢の歌を聴いていました。
 その中で圧倒されたのが2006年におそらくNHKの「BS日本のうた」で歌った「川」の映像でした。当時29才という若さで、すでに最高レベルの歌唱力と歌を詠む力も獲得していた島津亜矢のこれ以上の高みはないと思われる歌のとりこになってしまいました。この歌の他にも「船頭小唄」、「函館山から」、「命かれても」などなど、若い頃に圧倒的な歌唱力で歌い上げた貴重な映像によって、数多くの島津亜矢ファンが生まれたことでしょう。

 「度胸船」は「袴を抱いた渡り鳥」、「出世坂」につづくデビュー当初の楽曲で、それまでのやや過剰なこぶしやうなりから様変わりの歌唱で実力派の片りんを覗かせた名曲です。恩師・星野哲郎がデビュー曲につづいて彼女の提供した楽曲は、星野哲郎の真骨頂と言える海の歌でした。彼は鳥羽一郎の「兄弟船」に代表されるように新人歌手の将来を照らし、また原点となる渾身の一曲に、船乗りだった自分の人生を重ねた海の歌を提供しています。
 島津亜矢に提供した「出世坂」については、畠山みどりから水前寺清子とつながった星野哲郎という演歌の旅人が最後の愛弟子である16歳の少女・島津亜矢に見果てぬ夢を託した歌でした。それにつづく「度胸船」は星野哲郎がありったけの愛を島津亜矢にそそぎ、生まれた渾身の一曲で、それは海の歌でなくてはならなかったのだと思います。
「親父来たぞと吹雪を呼べば 風がほめるぜ よく来たと」
 農業とはまたちがい、荒海を越えて漁をする厳しさは、この歌のように時には親父が夫が兄弟が命をおとすこともあり、それゆえに家族と仲間が支えあって生きてきた長い暮らしの歴史が漁業町にはあります。また星野哲郎のように遠方漁業で一年のほとんどを船で過ごすひともいます。「海鳴りの詩」、「道南夫婦船」、「海で一生終わりたかった」など、島津亜矢に名曲を提供した詩人・星野哲郎の原点となった海は、豊かさとやさしさと、そして怖さを併せ持つ歌の宝庫でした。
 この歌を生で聴けたのはほんとうにうれしいことで、というのも「出世坂」も含めて収録された当時は幼さが残り、ややほほえましい歌唱でしたが、今回聴かせてもらった歌には色気というか肉感的というか翳りすらある奥行きを持った歌唱になっています。
 この歌に限らず、座長公演では聴けなかった彼女の定番のオリジナル曲を久しぶりに聴くと、ずいぶん歌が変わったことがあらためて実感できるのです。具体的には若い時にはほぼなかった低音の存在感がたかまったことと関係があると思いますが、どの歌もまず艶めかしくゆるやかな丸みがあること、それと好き嫌いはあるでしょうが若い頃のように歌いきる圧倒的な歌唱力ではなく、少し抑え気味の高音が聴く者の心のひだにそっとしみこんでいく心地よさは、今になって味わうことのできる優しい歌唱力です。
 失礼ながら30歳までに完璧な歌唱力を身に着けた島津亜矢がその時にブレイクしていたなら決して手に入らなかっただろう歌の奇跡の物語を、歌の女神がいたとすれば島津亜矢にだけこっそりと導いてくれたとしか思えない奇跡の歌唱力を彼女が獲得していたことを、あらためて教えてくれたコンサートでした。
 ここで第一部の半分に満たないレポートにしかなりませんが、続きは次回の記事とします。

島津亜矢「度胸船」

島津亜矢「川」

島津亜矢「船頭小唄」



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2016.09.27 Tue 「防空法」空襲化で禁じられた非難-大前治さん講演会

大前治さん講演会

 9月25日、能勢町淨るりシアターで「戦争の記憶-大阪大空襲」というイベントをしました。午後2時から、ピース大阪からお借りした映画「焼き尽された大阪の街」を上映した後、大阪大空襲訴訟弁護団のひとり・大前治さんに「空襲化で禁じられた避難」と題した講演をしていただきました。その後、能勢町からお二人、西宮からお一人、大阪大空襲にあわれた方々の生々しい体験を証言していただきました。
 そして、戦時中の徴兵検査や「銃後の守り」と称する国家総動員体制の中での市民生活と、大阪大空襲の貴重な写真をピース大阪からお借りしたパネル展を終日開きました。

 わたしは昨年の春から、「憲法カフエ・能勢」に参加してきました。集団的自衛権を認める安保法制が成立したり、今年の参議院選挙で憲法を変える手続きを終えた現実の中、日本国憲法が制定された1947年に生まれ、戦後の民主主義の空気を吸って生きてきたわたしは、政治的な意思を表すことが苦手な性格や資質を乗り越え、少ない友人とともに直接的な街頭行動に参加するようになりました。
 「憲法カフエ・能勢」は、そのきっかけになった学習会でしたが、2回目の学習会に参加してくれた能勢町の女性から、「能勢町にも焼夷弾が落ちた」というお話を聞きました。
 1945年3月10日から始まった東京や大阪、名古屋など大都市への空襲により、全国で50万にとも60万人ともいわれる尊い命が犠牲になり、街のすべてをがれきと化す大きな被害をもたらしました。私が育った北大阪の街にも子どもの頃は戦争の爪痕である焼け落ちたままの建物が残されていましたし、大阪城のそばの大阪砲兵工廠跡はわたしが高校に通うために乗っていた大阪環状線の車窓から毎日、そのすさまじい空襲の記憶をとどめた残骸を見つめていました。
 「畑と森だけの能勢に一発の焼夷弾が落ちたことは知りませんでした。自分の体験は大阪市内のすさまじい空襲体験とは程遠いものだったけれど、そのたった一発の爆弾がもたらした恐怖はいつまでも忘れられない、だから二度と戦争をしてはいけないという強い想いはわたしの人生の大切なよりどころでした」。
 その女性の話を聞き、日本国憲法が「二度と戦争をしない」とする切実な想いから生まれたことをあらためて強く感じたわたしたちは、憲法の学習と並行してもっと戦争体験を聞く機会をつくらなければと思いました。
 そして、憲法カフエのメンバーが大前治さんの話を聞きに行き、「逃げずに火を消せ」、゜非難の禁止」などを定めた防空法制と「空襲は怖くない」などとする情報統制によって、あの悲惨な空襲の被害がより広がったことを知り、そのお話をぜひ能勢でもしていただきたいと思ったのでした。

 もとより、通りすがりなどが全くない農村地の能勢ですから、午前中のパネル展だけを見られる参加者はお一人お二人でしたが、メインの講演会には20人の参加者がありました。
 初めに上映した映画は今年亡くなられた大女優・新屋英子さんが孫娘と満州事変からはじまる15年戦争と太平洋戦争、そして大阪大空襲をドラマ仕立てでたどるドキュメンタリーでした。大阪大空襲の被災地をめぐり、空襲を体験したひとたちが見聞きした惨状を描いた絵を背景に生々しい証言が語られました。
 参加者の中にも空襲にあわれた方々も半数以上もおられて、映像の一コマ一コマに一緒に来られたお友だちとうなずいておられました。
 そして、大前治さんの講演が始まりました。
 大前治さんは教育や人権問題に取り組まれている弁護士で、大阪大空襲訴訟原告の弁護団の一員で、空襲被害者だけが戦後補償の枠外に置かれたことと、戦時体制での防空法制や情報統制によって被害が拡大し、奪われずにすんだ命が多数あったことを裁判で明らかにされました。2014年の最高裁判決後も引き続きこの問題にかかわられ、「検証-大阪大空襲」を共著されました。
 実際、戦後すぐ生まれのわたしは爆弾が落ちて来る前に箒やはたきのようなので払いよけるとか、逃げずに火を消したとか、スコップで爆弾を外に掘り出せとか、考えられない原始的な方法で空襲に備えたなど、当時の大人たちから聞くことも多々ありました。当時の大人たちが自発的に家族を守り、町を守ることで一致団結していたというよりは、隣組に代表される監視社会のなかでそうせざるを得なかったのだろうと思っていましたが、大前さんのお話を聞き、それが「防空法制」による法的根拠を持っていて、義務付けられていたところまでは知りませんでした。
 大前さんのお話もまた映画と同じように満州事変あたりから15年かけて、時の国家が少しずつ国民一人一人の暮らしから最後は命まで、国家のためにささげる仕組みをつくってきたというお話でした。当時の大人たちもまた、日清日露戦争の経験から戦争ではかならず日本が勝ち、そのあとは豊かになると思わされてきて、その先に1945年の大空襲で自分のいのちが危なくなることなど考えてもいなかったのだといいます。
 それゆえに、戦争体験者が知らされなかった真実を後から検証し、体験者はもとより、今の若い世代にもきちんと伝えなければ、そんな時代にまた逆戻りする危険があるのです。
 そう考えながら今の政治、世の中を見直してみると、すぐそばにやってきている憲法を変える第一歩として「緊急事態条項」がテーブルにあがっていることや、いますでに施行されている特定秘密保護法や「共謀罪」の衣装を着替えた「テロ等組織犯罪準備罪」など、満州事変からの動きととてもよく似ていることに気づきます。
 大前治さんのお話は「防空法」を切り口に、すぐそばにまでせまっている国家による国民の人権や自由の制約と拘束、そして長い「戦後」が「戦前」にかわる節目に私たちがたっていることを教えてくださいました。
 そのあとの座談会には、空襲体験を持っておられる三人の女性から貴重なお話をいただきました。それぞれお一人お一人のお話は、映画に出てきたそれぞれの被災地の現場におられた方しかわからないもので、どなたも今伝えておきたい、話しておかなければならないという、切羽詰まった思いがほとばしり、私も含めて当日その場におられた方の心の奥深くに届きました。そしてその証言はその場にいなかったわたしたちの新しい記憶となってこれから先いつまでも消えないことでしょう。
 ここにおられるたった3人の方のお話がこれほどまでに心のひだにしみこみ、わたしたちに戦争をしないことだけではなく、戦争に向かうリスクを取り除く努力をしつづける静かな決意を奮い立たせるのですから、これからも一人でも二人でも伝えていかなければならない証言を聞かせてもらう機会をつくらなければと改めて思いました。
 20人という少ない参加のイベントでしたが、とてもいい時間をすごすことができました。

大前治さん講演会

大前治さん講演会



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2016.09.22 Thu 島津亜矢「大利根無情」 NHK「うたコン」に久しぶりに出演しました。

島津亜矢2016コンサート

 9月20日、NHKの「うたコン」に島津亜矢が久しぶりに出演しました。
 「恋旅&股旅 歌でつづる人生の旅路」特集ということで、わたし個人としては「瞼の母」を期待しましたが、「大利根無情」を歌いました。
 番組冒頭は股旅ものの寸劇で始まりました。その寸劇に島津亜矢も登場し、一般に思われている「力持ち」のイメージで今回は剣をもち、バラエティーに即した殺陣を披露し、それなりの笑いをとっていました。
 それはともかく、今回の放送もバラエティー満載かと思っていたところ、寸劇の終わりから島津亜矢が「大利根無情」を歌いました。寸劇は本番前の「余興」で、島津亜矢の歌で番組がはじまったという印象です。
 わたしは必ずしも歌番組にバラエティーが入ることが間違いだとは思っていません。テレビ番組にエンターテインメイント性が求められる以上、当然のことだと思っています。
 それでも昨今の歌番組のバラエティー化に疑問を持つのは、ニュースから天気予報までバラエティーで覆い隠すことで社会の数々の課題を「笑い」でごまかそうとする世の中の危険な匂いを感じるからです。それでは「笑い」を突き詰める芸人さんとわれるエンターテイナーに失礼だといわざるを得ません。さかのぼれば「狂言」から、好き嫌いは別にして立川談志、亡くなる直前まで反骨精神をなくさなかった永六輔など、本来の「笑い」は社会の理不尽をするどく見抜く批判精神を「笑い」で表現した素晴らしい文化であったはずなのです。
 ですから、歌番組に限らずですが、反逆精神もなく世の中が認める「笑い」で覆い隠して人気をとろうとする煽情的で暴力的ともいえる今のテレビ番組のバラエティー化には心が暗くなってしまうのです。バラエティーの元祖と言われた「夢であいましょう」を制作したNHKだからこそ、バラエティーをごまかしの道具とせずきちんと制作してほしいと願っています。
 それはさておき、歌番組のバラエティー化にはとんでもない副作用があります。それは、視聴者が落ち着かず音楽をしっかり聴くことが難しくなってしまうことです。さらに誤解を恐れずに言えば、歌い手さんの方も歌うことよりも場を盛り上げるための「余興」のような歌唱に陥っているのではないかと思うことがしばしばなのです。
 ですから、島津亜矢がバラエティーの後で歌い始めた時、聴くほうが「余興」として聴いてしまうのではないかと最初は心配でした。ところがどうでしょう。寸劇からそのまま歌いだした島津亜矢は見事に寸劇の流れも切らず、本番のトップバターとして見事な歌唱を聴かせてくれたのでした。観ていてわからないほどその転換はスムーズでしたが、どうしても本人自身も切り替えが難しく、バラエティーの雰囲気に流されても不思議ではない場面でしっかりと歌える歌い手さんはそんなにいないと思います。
 「大利根無情」は三波春夫が1959年に発表した名作で、天保15年、大利根河原で起きた大利根河原の決闘で飯岡助五郎との大利根河原の決闘に笹川繁蔵方の助っ人として参加し、闘死した平手造酒を題材とした楽曲です。講談「天保水滸伝」をはじめ浪曲や歌舞伎、映画にもなった任侠物の定番を歌にしたもので、三波春夫は浪曲歌謡の草分けらしく、物語の進行としてのナレーションと登場人物のモノローグを見事に融合させています。
 島津亜矢は2003年のカバーアルバム「亜矢・三波春夫を唄う」にこの歌を収録した他、コンサートや音楽番組でもたびたび歌ってきました。「元禄名槍譜 俵星玄蕃」をはじめとする三波春夫の歌謡浪曲は島津亜矢のオリジナルをもまさる彼女の定番になっていましたが、今はなぜか歌えなくなってしまったようでとても残念です。
 ともあれ、島津亜矢が歌う「大利根無情」は、純な気持ちを心の奥深くにたたみ、殺伐とした世間を生きるしかなかった平手造酒の孤独な青年像が浮かんできます。純情であるために傷つき、ひとを傷つけてしまうことでまた傷ついてしまう青年、違う人生を送ることもできたかも知れないのに身を滅ぼす不器用な生き方を選び、死に急ぐ平手造酒の心情が乗り移ったような彼女の歌を聴くと、わたしの1960年代、JR吹田駅前の安アパートの一室に黄ばんだTシャツとともに青白く荒ぶれる青春を捨ててきた、わたしのあったかもしれないもうひとつの人生の行方に思いをはせてしまうのです。「勝手にしやがれ」のジャン・ポール・ベルモンド、「昭和残侠伝」の高倉健、「ブエノスアイレス」のレスリー・チャンに自分の人生を重ねた「夢見る人生」の行きつく果ての寒々とした待合室で、もうひとりのわたしは島津亜矢の「大利根無情」を聴いているのでした。

 この日の「うたコン」は島津亜矢の「大利根無情」をきっかけに、出演した歌い手さんがしっかりと心を込めて歌っていて、とてもいい番組でした
 わたしの好きな「いきものがり」の新曲「ラストシーン」は、別れてしまった恋人の切ない気配や記憶からいま、ほんとうにサヨナラしようとする純な心がいとおしい、いきものがかりというか水野良樹の「新しい歌謡曲」で、この瑞々しい歌心からあふれる楽曲を島津亜矢に提供してほしいとあらためて思います。もっとも、このひともほかの歌い手さんに楽曲を提供しそうもないのですが…。
 キンキキッズの新曲で「THE YELLOW MONKEY」の吉井和哉が作詞作曲した「薔薇と太陽」は繊細でこわれやすい感性と、時には暗くよどむ激しい感情をストイックなブリティッシュロックに高めながら、そのロックサウンドに哀愁漂う昭和歌謡のテイストをしのばせる吉井和哉らしい楽曲でした。それは同時にジャニーズの中で唯一といっていい歌謡曲路線にロックやポップスを漂わせるキンキキッズに送る最上のエールでもあったことでしょう。
 吉井和哉自身の言葉にあるように、「大人になった硝子の少年」がテーマのこの曲もオリコン一位となったようです。
 そして、ボーカリストとして島津亜矢に匹敵する歌唱力を発揮したのはJUJUの「六本木心中」でした。2004年デビューの彼女はJポップのジャンルでは比類のボーカリストとしてその地位を固めた感があります。ジャズシンガーを目指していただけにジャズのスタンダードナンバーをはじめ、歌謡曲からポップスまで幅広いカバーソングを歌っている彼女を、わたしは島津亜矢ファンにもJUJUファンにも叱られることを承知で「ポップス界の島津亜矢」と思ってきました。しかしながら、JUJUはさすがに演歌は歌わないようですから、島津亜矢のボーカリストとしてのレンジの広さは特筆ものとあらためて感じました。

 そんなわけで、たしかに45分の番組に出演者も多くバラエティーも入るとなると目まぐるしさ忙しさは仕方ないことでしょうが、今回の放送で「うたコン」を見直しました。
 願わくば日本の歌姫・島津亜矢の出演をもっと増やしていただければと思います。

島津亜矢「大利根無情」
さすがNHKでこの映像は音がいいので、若い時の映像ですが紹介しました。もっと若い時の怖いもの知らずの歌唱ではありませんが、歯切れよく歌いきる若さが心地よいです。

いきものがかり 『ラストシーン』Music Video

KinKi Kids 新曲「薔薇と太陽」PVフル動画視聴音源 Youtube MV 無料音楽

JUJU「六本木心中」@ スパーアリーナ 2014

島津亜矢「元禄名槍譜 俵星玄蕃」
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2016.09.20 Tue 戦争の記憶‐大阪大空襲

2016年9月25日大阪大空襲

26日の「戦争の記憶‐大阪大空襲」を開催する直前になりました。
東京-10万人、大阪-1万5000人、全国の空襲による犠牲者は50万人とも60万ともいわれます。そして米軍の爆撃だけでなく、「逃げずに火を消せ」、「避難の禁止」などを定めた防空法制と、「空襲は怖くない」などとする情報統制によって犠牲が拡大しました。
「国民・市民・住民」ではなく「国体」を守るための「防空法」によって多くの命と財産、そして人権が奪われた事実を学び、国が緊急時ということで国民の暮らしや行動を規制することがどれだけ危険であるかを、みなさんとともに考えたいと思います。
みなさのご参加を心よりお待ちしています。

戦争の記憶‐大阪大空襲
講 演 大前 治さん「空襲下で禁じられた避難」
2016年9月25日(日)
14時 -17時
淨るりシアター小ホール
参加費500円
映 画 「大阪大空襲‐焼き尽くされた大阪の街」35分
講 演 大前 治さん「空襲下で禁じられた避難」
座談会 戦争体験から
★同時開催★ 
写真展 「大阪大空襲‐市民の生活」11時-17時
会 場 淨るりシアター小ホール(入場無料)

講演してくださる大前治弁護士のプロフィールと、著書の紹介をします。
大前治
1970年生まれ。京都市出身。
大阪大学法学部卒業。
2002年弁護士登録。大阪弁護士会所属。
大阪京橋法律事務所所属。
自衛隊イラク派兵違憲関西訴訟、大阪空襲訴訟、大阪市職員思想調査アンケート国賠訴訟などに取り組む。教育基本条例に対する意見書を発表し、発言する保護者ネットワークfrom大阪にも参加するなど、教育問題にも取り組んでいる。

著書
『検証 防空法─空襲下で禁じられた避難』
(大前治・水島朝穂共著 法律文化社 2800円+税
この本はこの訴訟との関わりなしにこの時期このタイミングでは世に出なかったものである。東京大空襲10万をはじめとする全国で60万以上の空襲被害者のなかには、「逃げれば助かったのに、現場にあえてとどまったために亡くなった人たちがいたのではないか」という疑問を、当時の法制度の検討から構造的に明らかにしようとした。
*空襲被害者は米軍の爆撃によって生まれただけではなかった。そのなかには、国によって作られた「逃げられない仕組み」があった。それが防空法である。防空法は日中全面戦争の年、1937年4月5日に制定され、当初は「防空演習」に法的根拠を与えることに主眼が置かれた。
 防空法の目的はあくまでも国家体制の防護であって、国民の生命・財産の保護ではない。防空義務の強化により、国民は「命を賭して各自の持ち場を守る」ことを求められ、空襲から逃げることが許されない状況に置かれる。防空法制の末端組織である「隣組」も実質的な効果をあげた。実際に逃げたことで処罰された例はないが、罰則をもって禁止されたこと自体が、住民に対して強度の威嚇効果をもたらしたことは明らかだ。事実、1945年7月28日の青森空襲では、米軍の伝単で爆撃予告を知った市民が避難したところ、県知事が配給を停止すると脅して、避難者を青森市に戻した。その日の夜にB29が予告通り来襲し、728人が死亡している(本書12~15頁)。
*避難したのに無理やり連れ戻されて死んだ人々。ここに、「守るべきものは何か」をめぐる防空法の思想が端的にあらわれている。
特に若い世代に本書が読まれることを期待したい。これは70年前の「過去の話」ではなく、「いま」の問題である。

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2016.09.15 Thu 島津亜矢「由紀さおりの素敵な音楽館」に出演。「地上の星」、「大阪で生まれた女」

 9月12日、島津亜矢がBS-TBSの「由紀さおりの素敵な音楽館」に出演し、「地上の星」、「I Will Always Love You」、「王将」、「大阪で生まれた女」、「阿吽の花」の5曲を歌いました。この番組は今年の4月から毎週月曜日に放送されている音楽番組で、歌謡曲からポップス、童謡、ジャズとあらゆるジャンルの歌を歌い、世界の音楽に精通するベテラン歌手・由紀さおりを司会とする大人の上質な音楽番組です。実力派の歌手がその歌唱力をいかんなく発揮し、由紀さおりの軽妙ながらゲストの歌手と音楽の魅力を伝えることに徹した司会が、昨今のバラエティ化した歌番組に食傷気味のわたしにはとても好ましく感じられました。
 また他の番組とちがい出演者数を極力絞り、一人の歌手が歌う楽曲数が多いのもこの番組の特徴で、この日は放送時間が2時間とはいえ、島津亜矢も5曲も歌うことができました。
 島津亜矢の出演ははじめてですが、番組プロデューサーも、そしておそらく由紀さおりも島津亜矢の全天候的な歌唱に注目し、新曲の「阿吽の花」は別にして演歌は「王将」のみで、2015年2月放送のNHK「歌謡コンサート」放送後、大きな反響を生んだ「地上の星」、「I Will Always Love You」を番組の冒頭に連続歌唱させ、初出演にもかかわらず島津亜矢へのシンパシーを感じさせる演出でした。

 何人もの歌い手さんと同じように、島津亜矢は中島みゆきへのあこがれをかくさず、「アザミ嬢のララバイ」、「時代」、「化粧」、「紅灯の海」、「糸」、そして「地上の星」とアルバムに収録したりコンサートでも好んで歌ってきました。
 わたしはかねてより、話し言葉や書き言葉ではつづれない女性のかなしさ、突っ張ったりいきがったりしてちぐはぐになってしまう言うことと実際の思い、誰もが気付かず本人ですら意識しないいじわるや裏切り、そして、なによりも巧妙な時代の悪だくみや蔑みにさらされながら生きざるを得ない女性の心情をたった一言や二言、ひとつのメロデイにそっと埋め込む中島みゆきが好きです。
初期のストレートなニューミュージックといわれた楽曲から80年代以降に大ヒットした歌の数々に助けられた女性は数えきれないことでしょう。
 同じ時代を並走してきた感じがする松任谷由美や竹内まりあが80年代のおしゃれなポップスのなかに女性の心の薄明るい闇や切ない心情を歌ってきたのに対して、中島みゆきの場合はもう少し野外演劇のような直接性を持ち、時にはマイノリテイといわれるひとびとの、とくに女性たちの激しい感情や助けを求める叫びが乗り移ったような鬼気迫る歌をつくり歌ってきました。それはまさしく80年代になって演歌・歌謡曲がなくしてしまった人生の応援歌であり、時代への激しい告発でもあったと思います。
 それは「地上の星」にも言えることで、この歌を主題歌としたNHKの「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で取り上げられたひとたちのまわりで共に高度経済成長をささえ、高度経済成長に押しつぶされた数多くのひとたち、正当な評価をされることも脚光をあびることもなく去って行ったひとたちへのやさしいまなざしとともに、時代や社会へのするどい告発を忘れなかった中島みゆきの悲痛なまでの叫びがこの歌には隠れています。
 島津亜矢はこの歌に込められた中島みゆきの激しい感情と社会への告発、時代の暗闇を受け止め、報われなかったすべてのたましいへの鎮魂歌としてわたしの心の奥の奥にまで届けてくれました。
 2曲目の「I Will Always Love You」では、まだ少しエチュードのような感じもするのですが、ある意味名曲歌いのボーカリストが朗々と歌うよりもかえって切なく聞こえました。以前にも書きましたように、この歌はホイットニーにとってカバー曲ですが、今回の放送でも話していたように島津亜矢にとってはホイットニーがオリジナルで、彼女の歌ごころに迫りたいという思いのこもった歌でした。
 そして、3曲目の「王将」。この歌は島津亜矢の十八番中の十八番で、ひさしぶりに声を張り上げこぶしを利かせ、うなる島津亜矢の演歌節を聴きました。彼女は「無法松の一生」や「人生劇場」や「夫婦春秋」など、村田英雄の歌をカバーしていますが、「王将」はほんとうによく歌いこなしていて、若い時と今とかなり歌唱法が変わった歌も多い中、この歌では若いころの「怖いもの知らず」の純情演歌がよみがえったようでした。
 4曲目の「大阪で生まれた女」を島津亜矢が歌うのはこの番組がはじめてだと思うのですが、圧巻でした。というのも島津亜矢は数々のロックもポップスを歌ってきましたが、この歌ではじめてロックバラードの中に彼女の演歌が共振し、注入されていたからです。
 「大阪で生まれた女」はBOROによる1979年の楽曲で、内田裕也がプロデュースに力を貸したそうで、東京から萩原健一、大阪でBOROが発表し、相乗効果をねらったそうです。いろいろなひとが指摘しているように、どこか70年安保の影がただよう青春の挽歌としてわたしの心にも届きました。
 わたしは70年安保をたたかった学生たちと全くの同世代でしたが、その頃はビルの清掃で食いつないでいた頃で、心の中は嵐が吹いていても彼女たち彼たちのように社会とコミットすることがこわくて街頭行動に参加したりはせず、タイプの違う若者がたむろするディスコや「ゴーゴー喫茶」に入り浸っていました。
 やがて潮が引くように政治の季節が過ぎ、また何事もなかったように高度経済成長の歯車が回転し始めたころ、わたしもまたフーテンに近い暮らしから這い上がり、不器用ながらも世間の風にあたりながら妻と結婚し子どもを育て、ニューファミリーの真似事をしていた頃に、この歌が流れてきました。
 「たどり着いたら一人の部屋 裸電球を着けたけどまた消して あなたの顔を思い出しながら 終わりかなと思ったら泣けてきた」
 この歌を聴くたびに1969年のクリスマスの夜、売れ残ったデコレーションケーキを買い、JR吹田駅のすぐそばのアパートの裸電球の下で、ひとりで食べられるはずもないケーキをほおばり、孤独を紅茶で流し込んだあの夜を思い出します。
 この歌にはまたちがう思い出があります。私が豊能障害者労働センターに在職していた1990年から毎年、5回にわたってチャリティコンサートを開いてくれた大恩人の桑名正博さんの思い出です。くわしくは彼が亡くなった時にブログで連載した記事を読んでいただければ幸いですが、彼が大阪を活動の拠点にしてはじめた大みそかの「ニューイヤー・ロックコンサート」にBOROも出演し、この歌をよく歌ってくれました。
 この歌も数多くの歌手がカバーしたりコンサートで歌っていますが、やはり桑名正博や上田正樹など大阪のブルースシンガーの歌が心にしみるのは、私が大阪生まれだからでしょう。
 島津亜矢の「大阪で生まれた女」は歌謡曲として聴けば底流にブルースが流れ、ブルースとして聴けば島津亜矢が獲得しつつある新しい演歌のパッションにあふれていました。ジャズというかフュージョンというかよくわからないですが今までにないアレンジと相まって、この歌を新しいバージョンにするのに成功しました。そして、とてもかけ離れているように見える宇多田ひかるのリズム&ブルースのすぐそばを島津亜矢が伴走していることを実感させる歌唱だったと思います。
9月26日の大阪フェスティバルホールでのコンサートがますます楽しみになってきました。

この放送で歌われた映像がさっそくUPされています。削除される可能性が高いのでお早めにごらんください。

島津亜矢「地上の星」

島津亜矢「大阪で生まれた女」

BORO「大阪で生まれた女」

上田正樹・桑名正博「大阪で生まれた女」
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